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マスクマン  作者: 十色市
6/17

第6話〜加害者と被害者〜

夏休み前の最後の1週間。

いよいよ迎える長期休暇を前に、

僕は今更になってようやく塾に通う手続きを行っていた。


高校2年生の僕らにとって、

夏休みは高校生活最後の遊べる夏休みでもあると同時に、

来年の冬に訪れる受験戦争に備え始める時期でもあり、

学校の半分以上の生徒が夏期講習を受ける為に塾に通う。

僕のその中の一人だ。

本心では塾に通うのが面倒だと思っているものの、

親の強い押しに根負けし、強制的に塾に通う嵌めに。

親のおせっかいや押し付けには嫌気を感じることはあるけれど、

僕のワガママで一人暮らしまでさせてもらっている。

偶には親の言い分も聞かないといけないと思い、今回は僕が折れることになった。


僕が通うことになった塾は、

このあたりでは1、2を争う大手の塾で、TVのCMなんかでも名前をよく聞く塾だ。

学校の近くの最寄駅から徒歩5分程度の距離で、

更には有名進学塾となればクラスメイトも多く通っているはず。

誰が通っているのかは知らないけれど、誰かしら知り合いはいるだろう。

そんな風に考えていたら、思わぬ人物と会った。


「あれ?石橋?」

受付で、塾の入学手続きを終えた僕に声を掛けたのは横山だった。

僕は彼女が通っていることに驚いた。

知り合いがいるだろうとは思っていたものの、

まさか横山がいるなんてことは想定外の出来事だ。


「やあ」

平静を装い、軽く挨拶をする。

こういう細かいことでも自分の心に嘘をつくようになっているな、僕は…。


「石橋ってここに通ってたんだ。知らなかったよ」

相変わらず、僕に対して躊躇することなく話しかけてくる彼女。


「いや、夏期講習だけだよ。今まで来たことはないし、夏期講習を終えればそれで終わり」

おそらく、塾の担当者の思惑や、僕の両親の思惑は、

この夏期講習をキッカケに僕に本格的に塾に通わせようという考えがあるのだろうが、

僕自身は塾に通うのは夏期講習だけと割り切っている。


「へえ、それじゃあ次にここで会うのは夏休みになってからだね」

「まあ、そういうことになるね」

「クラスはどこになりそうなの?」

「理系のAクラスになるみたいだね」

手にある受講票を彼女に見せながら答える。


「あっ、私と同じだね」

そういえば横山は女子生徒にしては珍しく、

理系コースの授業を選択していたし学校の成績も僕と同じくらいだ。

それにしても塾も同じでクラスまで同じなんて、妙な縁を感じる。


「そうなんだ。これからよろしく頼むよ」

「はいさ」

僕と横山が会話をしている横で、僕の知らない女性が僕達をチラチラ見ている。

雰囲気から察するに横山の友人か何かなんかで、

見知らぬ男と友人が仲よさそうに話しているのが気になっているのだろう。


「それじゃあ、また」

僕はこの塾にこれ以上用はない。

それに見知らぬ人の視線もあって、居心地も悪くなってきた。


「うん。また学校で」

僕に手を振る彼女。

それに応えるように、僕も軽く手を振りその場から立ち去る。

僕が外に出ようとしたとき、さきほどチラチラ見ていた女性が、


「あの人誰?」

と横山に聞いている声が聞こえた。


「同じ学校の友達なんだ」

その質問にそう答えた横山の声が遠くから聞こえ、僕は少し心が痛んだ。


友達か…。

横山は僕を友達と言っている。

だけど、僕は素直に彼女のその言葉を喜ぶことが出来ない。

彼女は僕が彼女を停学に追い込んだことは知らないから友達と思っているのであって、

きっと、本当のことを知れば友達だなんて言わなくなる。

表面上の僕しか知らないから僕のことを悪く思わない。

僕は彼女が思っているような人間じゃない。


塾から駅に続く繁華街の騒々しさが心地よく感じた。

この騒々しさと、多くの人が歩き作り出す流れに沿って歩くと、

僕を一人の存在から、流れの中の一部になるような錯覚に陥り、

頭から離れない様々な思いも、人ゴミに紛れて消えていく。

だけど、消えていくその感覚も家に帰り、

一人になるとまた再び僕の頭のどこからか現われ、

横山に対する罪悪感から僕を不眠症へと追いやっていった。



朝起きる頃にはすでにセミの声がやかましく聞こえ、

強烈な日差しを太陽が照りつけるこの季節。

ついに夏休みが始まった。

僕はこのロングバケーションを休暇として利用する時間などなく、

朝から電車に乗り塾に通う生活。

塾に通う回数が増えるごとに、僕と横山との距離が縮まっていた。


僕や横山が通っているこの塾は予想通り、同じ学校の人も多く通っていた。

だけれども、1800人もの同級生がいる我が学校において、

同級生=顔見知りというわけにはいかない。

学校で見かけたことのある顔がチラホラ。

会えば会話するような仲の人間は見当たらない。

僕と普段から仲が連中はというと、

青田は別の塾に通っていて、川野は塾に通ってすらいないらしい。

塾そのものの大きさも大手であるだけあって流石な大きさで、

理系コースと文系コースで別れてしまえば、

他のビルにある教室になる為、顔を会わせることはないし、

理系コース同士だとしてもクラスが別なら会う機会はほとんどない。


そんな環境の中、偶然にも同じクラスで同じ学校の顔見知りの横山。

彼女はこの新しい環境に不慣れな僕に、

この塾の構成や近くでおいしいランチが食べられる場所などを教えてくれる。

おせっかいというかお人良しというか彼女はそういう性格なんだろう。

僕はそんな彼女に感謝している。

彼女のおかげでこの塾にも知人が増えたし、勉強も捗るようになり、

退屈だと思っていたこの生活も思っていたより幾分か楽しめている。



「私は数学が苦手で石橋は英語が苦手でしょ?私は英語が得意で石橋は数学が得意だから、私が石橋に英語を教えてあげる。その代わり私に数学を教えてね」

ある日、横山が僕にそんなことを言い出した。

数学はともかく英語なんて覚えるだけで教わることなんかない。

単語帳の英単語を3000語程度暗記することと、

"SVO"やら"SVOC"やらの文章構成を覚えてしまえばいいだけなのだ。

誰かに分からないから教えてもらうなんてものではなく、

参考書に書いてあることをただ覚えれば、それで成績は上がるはずだ。


僕はそう言ったものの、英語について半強制的にあれこれ教えてくれる彼女。

見返りとして僕も彼女に数学を教えることになってしまったものの、

強制的な彼女の英語講座を受けることで嫌でも頭に覚えてしまうのか。

原因は定かでないものの、英語に対する苦手意識が消えてきているのも事実だ。


「よーし。これでこの問題は完璧だね。次はこれ。これもさっきと同じように正弦定理を使って解く問題かな?」

「いや、これは余弦定理を使う問題だな。それさえ分かれば後は大したことないはず。何度も繰り返しになるけれど、数学なんてその問題に対して、どの公式を使うべきかを見つけることが出来れば半分以上の問題は解けるはずなんだ。東大模擬試験に出てくるような難問になるとまた別だけどね」

「あっ大野。大野も自習?」

彼女が僕の説明を無視して、僕らの横を歩いている女性に声を掛けた。

大野だって?

大野もこの塾に通っていたのか、全く知らなかった。


「うん。友ちゃんも自習しているの?」

大野は僕をチラリと見る。


「自習っていうより、彼に数学を教えてもらっているところだね」

「へえ。そうなんだ」

「あっそうそう。彼、同じ学校の石橋君。って言わなくても知ってるかね?」

横山が大野に僕を紹介する。

大野が僕を知っているかどうかは知らないが、僕は大野を知っている。

あるいは横山よりももっと深い大野の一面を。


「顔は何度か見たことあるけど…」

彼女は少し戸惑った雰囲気で僕と目を合わせずに答える。

やはり横山と違い、彼女は人見知りするタイプのようだ。


「はじめまして、でいいのかな?」

初対面の相手に対するような言い方で彼女に挨拶をする僕。


「石橋って学校では誰と仲いいんだっけ?智ちゃんとか、川野くんだよね?」

「そうだね。あと青田とかかな?」

僕はわざと青田という名前を出した。


「へえ、そうなんだ」

横山の口調からすると横山は青田のことを知っているみたいだ。

僕が知りたいのは横山が知っているかでなく大野が知っているかだ。


「うちのクラスで誰か知ってる奴いる?中沢、川野、青田とか」

「まあ、何人かは」

「例えば誰を?」

「川野君と青田君は知ってるよ」

大野は青田を知っている。

ということは青田を陥れるよう依頼する可能性はある。


「まあ、川野は色々と有名だからな。でも、なんで青田のこと知っているの?」

僕が何食わぬ顔でそう聞くと、

彼女はまた戸惑った表情で、どう答えていいか分からないといった態度をしている。


「まあまあ、そんなことどうでもいいじゃない。それよりさっきの数学の続きを教えてよ」

横山が僕の質問を遮断するように割り込んできた。

くそっ、いいところなのに。


「それじゃあ」

大野はそう言うと、僕と横山とは離れた席に座り自習を始めた。


先の見えなかった糸の先の方向に大野がいる。

僕の大野に対する疑いが増した。


「良し。これは出来た。それじゃあ次はこれなんだけど…。ねえ。聞いてる?」

「ああ、聞いてるよ」

横山に勉強を教えながら大野を見ていた。

相変わらず、自習を続けている大野。

そして僕の目の前でそっけない僕の態度にふてくされた表情の横山。


塾に通いだしてからというものの、

僕はこうして横山と過ごしている時間が居心地良くなっている。

しかしそれと同時に、彼女と仲が良くなるほどに罪悪感も大きくなる一方で、

最近では寝る前に、必ずあのタバコを入れた時のことを思い出すようになった。

一体どうしたらあの時のことを思い出さなくなるのだろう?

どうしたら、僕は彼女と正面から向き合うことが出来るようになるのだろう?


彼女に僕の罪を打ち明ければ全ては解決するのかもしれない。

だけど、僕が裏サイトを介して、同級生を陥れることを趣味にしている、

なんて聞いたら普通の人間は僕の人間性を疑うだろう。

しかもその被害者の一人が彼女なのだから尚更だ。


「次はこの問題だな。まず自分でやってみて分からなかったら聞いてくれ」

彼女の問いかけに答え、僕も英単語帳を開き自習を始める。


いつから僕は多くの嘘を重ねるようになったのだろうか。

小さい頃はいつも思ったことを口にしていたし、

嘘をついたことがあっても、

親に叱られるのを恐れてついた些細なことくらいだったような気がする。

中学生に入る頃から僕は自分に嘘をついて、偽りの自分を演じるようになってきた。

好きだった子にそっけない態度をとったり、

本当はやりたかった文化祭の企画も、あれこれ理由をつけてやらなかったり。


そして高校生になり、インターネットの裏サイトを知ると、

それを利用して仮面を被った自分を演じることで満足感を得るようになっている。


僕にとっては自己満足以外になんの利益もないことだし、

依頼する連中にとっても、

僕を利用して誰かを陥れたところで得られる幸福なんてちっぽけなものだ。

そして僕に陥れられた人は当然、何かしらのダメージも被ることになる。

誰一人得することのなんてない。

なのになぜ、僕はこんな事を…。


「よし、これも終了!!今日はこれで切り上げて帰ろう」

彼女は一通りの問題をやり終えると、屈折の無い笑顔を見せながら僕にそう言う。


「ああ、そうか。僕は少し残ることにするよ」

「そう?それなら私は先に帰るとするよ。またね」

バイバイと手を振る彼女に、僕も手を振って応える。

彼女が自習室からいなくなるのを見届け、天井を見てため息を吐く。


横山とのことを全て清算して、彼女と正面から向き合える仲になりたい。

だけど、どうしたらそうなれるかが分からない。


僕は英語の単語帳を手に、英単語を一つずつ確認していくが、ちっとも頭に入らない。

横山が自習室を出て15分ほど。

僕も自習室を出て家に帰ることにした。


帰り際に自習室を見渡すと、まだ大野は自習を続けていた。

W大の推薦を目指すならそんなに必死に勉強する必要なんてないだろうに。

小さい背中をまるめて勉強している彼女を見てそう思った。



僕は横山に対する罪悪感を抱えながらも変わりない関係を続けていた。


僕は彼女といる居心地のよさから、

僕が今までと違う態度をとることで今の関係が壊れていくことを恐れている。

だけど、真実を隠しながらの関係を続けたところで、

僕の罪悪感が消えることはない。

心の奥に眠っていた罪悪感は日が経つごとにどんどん大きくなる一方で、

最近は彼女のことだけでなく、僕が陥れた他の人物までが頭を支配するようになってきた。

夜に寝ようとすると、それが僕を押しつぶそうとしてきて僕は眠れなくなる。


「どうやら僕は相当まいっているな」

一人自嘲気味に呟き、真夏の青い空を見上げた。

地球環境問題が叫ばれている世の中で、都会の空は汚いと言われている。

確かに夜になると星が見えない空であることは事実だけれども、

昼の青空は都会だろうと田舎だろうと同じような澄んだ青色をしている。

昼の顔と夜の顔。

薄汚れた空だって、昼の間はその汚れを見せないものかと感心する。


僕はどうしたら彼女と心の底から向き合うことが出来るのだろう?

彼女に自分の罪を打ち明けることか?

そうすれば彼女のことだ。

きっといつか彼女と笑って話せる日が来るはずだ。

そんな思いと同時に、

そもそも僕は彼女に謝る必要があるのだろうか?

確かに彼女に無実の罪を着せたのは僕だけれども、

彼女を陥れたいという人間がいたのは事実だし、

彼女に非がないわけではない。

僕が彼女に謝る必要なんてない。

そんな思いすら芽生えることもある。


こんな時には誰かに相談してみるのがいいのかもしれない。

だけど、とてもじゃないが、相談出来る内容ではないし、

そもそも僕は誰かに物事を相談するタイプの人間じゃない。



「へへへ、今回の模試でA判定とったよ。やったね」

「そりゃ凄いな、おめでとう。その祝いに僕に何か買ってくれないか?」

「なんで私が石橋に何か買うの?逆でしょ逆。何か奢ってくれるのが当然でしょう」

「残念ながら僕にそんな経済力はない」

「ケチくさいなぁ」

塾の帰り道。

僕は横山と二人で自習を終えて帰宅中。

以前受けた模試の成績が本日報告され、彼女はW大の判定がA。

僕は英語の成績は伸びていたものの、得意のはずの数学の低迷が響きD判定。

彼女に水をあけられた格好になった。

僕はW大の進学を志望しているわけではないが、

彼女に模試で負けたというのは悔しい。


「今回、A判定が出るほど良かったのは数学の成績が良かったからでしょ?」

「うん、そうだね。数学が出来て、英語も化学も生物も出来たからね」

「つまり僕の教え方が良かったということだ。僕に感謝するべきだろう」

「むっ、そう言われると確かに」

冗談で言ったつもりだったのだが、真剣に悩む彼女。

僕は慌てて彼女を庇った。


「まあ、僕も英語の成績は上がったしお互い様だけどね」

「そういや、そうだったね。それでおあいこだね」

そこまで話すと、会話が途切れてしまった。

黙って歩き続ける僕と彼女。

なんともいえない微妙な空気。

何か別の話題を提供しようと思って、彼女に聞いてみた。


「そういや、大野はなんで青田のことを知っていたんだろうな。未だに気になるな」

以前、大野に聞きそびれていた真実を知りたいという気持ちがなかったわけではないが、

彼女に話しかける話題の種として出た言葉だった。


「だって青田君ってうちの学校の女子に人気があるでしょう」

「まあ確かにそうだけど…。だからって大野みたいなタイプとは縁がなさそうだけどな」

僕は大野をいかにも地味な人間だと言わんばかりの言い方で言ってしまったことを

少しだけ後悔した。

だけど、それが僕の本心だ。

そもそも僕は大野に対して良いイメージなんて一つも無いし、

軟派な青田と人見知りの激しいメガネ娘では、

客観的に見ても明らかに不釣合いな二人だろう。


「それともなんだ?大野は青田が好きだとかそんなのがあるのかね?」

何の気なしに僕は言う。

女子に人気のある青田の名前くらい、

大野が知っているというのはごく普通のことだ。

僕もきっとその程度のレベルで、

大野は青田の名前くらいは知っているのだろうと思っていた。


「自分にないものを持っている人に好意を持つのは普通じゃないの?」

「そりゃそうだけど、ってかまさか本当に大野って青田のこと好きなの?」

「さあね。それは私の口からは言えないよ」

横山から出た意外な言葉。

おいおい、横山。

そんな言い方では大野は青田が好きですと言っているようなものだぞ。

もう少し、誤魔化し方を覚えたほうがいい。


「それじゃあまたね。明日は朝から久しぶりの学校でしょ?」

「そうだね。バイバイ」

僕とは反対側のホームへ向かう彼女に別れを告げる。

一人になると、カバンからi-podを取り出し音楽を聴く。


大野は青田が好き。

だけど青田は自分のことを見向きもしないし、

他の女といちゃついていて、別れたり付き合ったりを繰り返している。

そんな彼を見て憎悪が生まれ、彼を陥れようとした。

そんな感じなのだろうか?

もしそうだとしたら明らかに一方的な恨みだ。

横山の事といい、青田の事といい、性格が歪んでいるとしか思えない。

想像の上でしかないけれども、辻褄が合っていく僕の推測の先にいるのはいつも大野だ。



久しぶりの学校登校日。

普段の3割増しの眠たさを抱えたままの登校で、目が半開きのまま教室に入ると、

様々な顔をしたクラスメイトが僕を迎えた。

日焼けした小麦色の肌で笑顔を振りまいている人、夏休み前と明らかに髪型が違う人。

僕のように塾に通っていたのか、あるいは家に引き篭もっていたのだろうか?

全く変化のない人、人それぞれだ。


「ハロー、マイフレンド。夏を満喫しているかい?」

小麦色の肌に少しパーマの掛かった髪形になった川野登場。

日焼け+髪型という夏休みの2大変化のコンビネーションだ。


「お前さんは随分満喫したようだな」

呆れた口調で言う。


「オウ。ユーはサマーバカンスを満喫しなかったのかい?シット!!」

「どうでもいいけど、お前はいつからルー川野になったんだ?中途半端な英語は耳障りだからやめてくれ」

「まあそういうなよ。軽いジョークだよ。アメリカンジョーク。いやー夏に部活の仲間と海に行ったんだけど海はいいねー。男なら海に行くべきだよ、海に」

僕が興味なさそうに聞いているのに更に話を続ける川野。

よほど楽しいことでもあったのだろう。


「いやさ。夏休みじゃん?海に行くじゃん?でもよ、哀しいことに俺ら男だけしかいないわけよ。周りには水着の女がわんさかいるのにだよ?そうなると、ナンパしようって話になるよな。でも俺は人見知りが激しいタイプだから、そういうのは無理って言ったんだけど、若井が本当に女に声掛けてるんよ。俺ビックリ。超ビックリ。海でナンパなんて都市伝説だと思ってたし、成功するなんて思ってなかったわけ。ところが更にビックリ。なんと若井が女を連れて戻ってきてるのよ。水着姿のボインボインな女を。もうそれからはパラダイスだよ。パラダイス」

大きい声で下品なことを…。

周りの女子グループから白い目で見られてるぞ。

それに僕を巻き込まないで欲しいものだ。


「ほう、それは良かったな。で、その女性達とは携帯番号交換したりしたわけ?」

どうせナンパして遊んだなんていっても1日だけの楽園だろう。


「ふふふ。その質問を待っていたぜ。見ろ。俺の携帯の登録アドレスを」

そういいながら川野は僕に携帯電話のアドレス帳を見せる。


「この宮本って人がそうなのか?」

僕は見せ付けられたアドレス帳の女性の名前を聞いてみた。


「そう。それとこの2人もそうだね」

「今でもメールのやりとりとかしてんの?」

「うん。さっきの宮本とはほぼ毎日だよ。悪いな親友。どうやら俺のがお前より先に卒業させてもらうことになりそうだ」

勝ち誇った顔の川野。無性に苛つく顔だ。


「まだ勝った気になるのは早いぞ。お前はまだスタートに立つか立たないかってところだろ?」

付き合ってすらいないのに卒業とは笑わせてくれる。


「で、お前はどうなんだ?中沢と遊園地とか行ったりしちゃったわけ?」

川野が思わぬことを聞いてきた。


「いや、何処にも行ってない。というかなんで僕が彼女と遊園地に行くんだよ。妄想が激しすぎるぞ」

「そうは言っても気になっているんでしょ?」

「いや、全く。実際、メールのやりとりなんかもないよ」

「なんだよ。俺はお前と中沢ならうまくやっていけると思っていたんだけどなぁ…。残念で仕方ない」

「ま、お前の勘違いだったってことだ」

「ふーん。で、結局、お前さんは誰が好きなの?」

「しつこいなお前も。僕は誰も好きじゃないよ」

僕らが言い合いをしていると招かざる人がまた一人登場。


「おっす。久しぶり」

遅刻ギリギリに青田が教室に入ってきた。

こういう話題のときに彼が来ると、話が更にややっこしくなる。


「おっす。お前は余り変化がないな」

川野が青田に言う。

川野の言うとおり青田に見た目の変化はあまりない。

きっと彼も僕と同様に塾生活三昧だったのだろう。


「お前は随分変わったな」

川野のウェーブのかかった髪を捻りながら青田が言う。


「今、石橋と話していたんだが、海に行ってさ。それで――」

川野が僕に話した事を青田にも言う。

僕と動揺に青田も興味なさそうに聞いていた。


「まあ、友人に素敵なパートナーが出来ることを祈っているよ。石橋。お前は夏休みどうだったんだ?何か楽しい話題はないのかよ」

「どうも何も塾に通って、実家に帰って、特に何も」

「ああ、塾に通うって言っていたな。お前の行っている塾って誰がいるの?」

「僕が知っている人間はこれと言っていなかったな。生徒会副会長の横山ぐらいかな?」

「横山?ああ、知ってる、知ってる。あれ?石橋って横山と面識あったのか知らなかった」

「面識があるってほどでもないけどね」

僕と横山の関係を青田は全く知らない。

同じ塾で勉強を教えあっていた事はもちろんだし、

稀に学校で僕と彼女が話していた事も彼は知らないだろう。

不思議がるのは当然だ。


「なんでまた横山と石橋が仲良くなったんだ?」

青田から答えにくい質問を受ける。


「決して仲良くはないけど、偶々1度話す機会があったんだよ。それで塾に行ってみたら彼女がいたってだけで…」

「へえ。どんな奴なんだ?横山って」

「さあ?僕もそんなに仲がいいわけじゃないから分からないよ」

そうとも。僕と彼女は友達同士なんかじゃない。

偶然、塾が同じで数学を教えて欲しいというから教え、

その代わりに英語を教えてもらっただけ。

友達同士なんかじゃない。

僕には彼女とどうしても埋まらない溝がある。


「横山って確か生徒会長の橋本と付き合っているんじゃなかったっけ?」

川野、お前はどこから仕入れてくるんだその情報を。

まさかお前も裏サイトを欠かさず見ていたりしているのか?

僕の知る限りあそこの掲示板にそういうことは書いていなかったと思うぞ。


「俺はよく知らないよ。中沢と横山は仲がいいらしいから知っているかもしれないけどね」

僕は適当な返事をしたころ、教師が教室へと入ってきて、

僕らはそれぞれ自分の席へと着いた。


横山と生徒会長の橋本って奴が付き合っているなんて噂があるのか。

副会長と会長。噂が出ても不思議じゃないが、実際のところどうなんだろう…。

横山から恋愛話は聞いた事がないけれども、彼女だって年頃の女子高生。

そういう話の一つや二つあるだろう。


「ねえ、石橋。一緒に帰らない?」

大石から僕に帰り際に誘いを受け、僕は喜んで彼女の誘いに応じた。

彼女と会うのは夏休み前の最終登校日依頼で、こうして話すのが懐かしく思える。


「大石は夏休みに何処かに行ったりしたの?」

「友達と出かけたくらいかな?石橋はどうなの?」

「僕は塾に通う日々で、特に何処にも行ってないよ。大石は塾に行ってないんだっけ?」

「うん。私には必要ないからね」

私には必要ない。

どういうことだろう?

なんだか引っ掛かる言葉だ。


「ねえ、石橋って何処の大学に行きたいかもう決まっているの?」

「いや、全く」

「将来何になりたいかとかもないわけ?」

「全くない」

きっぱりと否定する僕。

大石が少しの間を置いて話し始めた。


「私ねインテリア関係の仕事に就きたいって思ってるんだ。それでインテリアコーディネーターを目指すことにしたの」

インテリアコーディーネーター。

僕はその資格についてよく知らない。

おそらく資格の名前からするに住まいのコンサルタント的な仕事をする人の資格なのだろう。


「小さい頃からそういう仕事に就くのが夢だった。家とか家具のデザインとか並べ方とか。だからその為に頑張ることに決めたんだ」

「そっか。正直言って羨ましいよ。僕には何か夢中になれるものが一つもない。頑張れ」

「うん、ありがとう」

大石がそんな夢を持っているなんて知らなかった。

その夢の為に頑張ろうとしている彼女が羨ましい。

僕には勉強が大切だと言われても、何の為に勉強しているのかが分からない。

将来偉くなる為?お金を多く稼げる為?

僕自身、そんなことを望んでいないのに、毎日お金を払って塾に通い勉強。

モチベーションを維持することが大変だ。


浮き輪を抱えた小学生がうれしそうに僕らの横を走り抜けて行った。

僕もこの小学生と同じ年齢の頃は、将来の夢を大きな声で語っていたっけ。


「それじゃあ、図書館に本を返して来るよ。またね」

インテリア関係の本を手に図書館へと入っていく。

僕と彼女の間にある階段が僕と彼女の、

夢に向かって走っている人と、夢すら持っていない人の差に見えて、

やるせない気分になった。


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