第4話〜揺らぐ心〜
いつものように学校の駐輪所に僕の自転車を止めようとしていると、
中沢の姿が見えた。
「やあ、おはよう」
「あっ、おはよう」
彼女は僕に気付いていなかったのが、少し驚いた表情で僕を見て言った。
僕が自転車に鍵をかけていると、その横で彼女が僕が終えるのを待っている。
なんだかカップルみたいで周りの視線が少し気になるな。
そんなことを思っていたときだった。
「あっ、友ちゃん。おはよう」
中沢が"おはよう"と言った相手は僕にとって思わぬ人物、
僕に嵌められて停学になった横山友美だった。
「やあ、智子。おはよう」
彼女は中沢の横にいる僕をチラリと見た。
よく知らない男が知り合いの横にいれば誰だって気にはなるだろう。
対する僕は彼女とは別の理由で、彼女が気になった。
停学から少しは彼女の態度に変化があったのだろうか?
「あっ、こちらは同じクラスの石橋君」
中沢が横山に僕を紹介するように言う。
「どーも、こんにちは」
僕は小さく頭を下げて遠慮がちな挨拶をした。
正直、僕はあまり彼女とは関わりたくない。
「始めましてかな?横山です」
彼女は裏のない明るい表情で僕に言う。
「でも、なんだかやるせない気分だよね。同級生なのに始めまして。なんてさ」
彼女が僕に対してなのか中沢に対してなのか分からないがそう呟く。
僕は彼女が発したその言葉に何ともいえない違和感を覚えた。
僕の知っている横山という人間はそんなことを気にする女じゃない。
教師に媚売って一流大学に推薦を貰えればそれいい、
自分にとって利益のない同級生を気に掛けるような人物ではなかったはずだ。
「1800人もいる学校だから仕方ないんじゃない?僕も顔と名前が一致する人なんて半分もいやしないし、きっとこれからもそうだろうし」
吐き捨てるように言う。
「確かにそうなんだけどね。でも、なんだかそういうのって少し寂しくない?少なくとも私は嫌だな。同級生のほとんどの人の名前も分からないまま卒業するなんて」
僕の彼女に対するイメージと、彼女が話すたびに大きくかけ離れていく。
なんなんだ、この不快感は。
もちろん、彼女がこうして僕と話をしていることは
表向きだけで付き合っている可能性もある。
人の本心なんて分かりやしない。
そんなことはよく分かっている。
表向きでは仲のいいフリして、
目の前にその人がいなくなると途端にその人の悪口をぶちまける。
そんな人間を沢山見てきた。
だけれども彼女が自分の利益にならない人間に興味がない。
というような人に僕には見えなかった。
「それじゃあ、また」
そう言い残し、彼女は自分のクラスへと歩いて行く。
僕は彼女の後姿を教室に入り見えなくなるまでずっと目で追っていた。
「明るくていい人でしょ?」
「ああ、そうだね」
僕は本心からそう思った。
なぜ、彼女が何者かに恨まれ、停学処分にならなければいけなかったのだろう?
彼女を停学に追い込んだのは間違いなく僕だ。
周りの噂や風評に流されて、
"彼女は教師に媚を売って点数稼ぎをしているクソ野郎"と思い込み彼女を陥れた。
だけど、本当にそうなのだろうか?
「何を迷っているんだ僕は…。自分がやりたかったからやった。それだけの事だ」
僕は自分にそう言い聞かせることで自分自身を正当化する。
それ以上考えると、自分の中の何かが崩れそうだった。
「ただいま」
学校での授業を終え、家に戻りお決まりの台詞を言う。
いつものように誰からも返事がこない。
僕は部屋にカバンを置き、PCの電源を入れる。
"新着メール13件"
相変わらず、見る気のしないメールマガジンに紛れて、
依頼メールと思われるものが4通。
内容はどれもつまらないもので、
"あなたは誰なんですか"
なんてものもあった。
なんで僕が見ず知らずの者に教えてやらなければならないのだろうか。
こういうメールを見ると心底呆れてしまう。
最近は知名度が上がってきたせいか、依頼メールの数が以前にもまして増えており、
数が増えるに従って、僕に対する挑発的なメールも増えてきた。
そろそろ潮時かな。
最近になって本気でそう考え始めている。
事が大きくなれば正体がバレる可能性は高いし、
学校生活とこの生活の住み分けはハッキリしておきたい。
この事が原因で、日常生活に支障が出来ることだけは勘弁願いたい。
メールに一通り目を通した後、学校裏サイトの掲示板を眺めていると、
"推薦入学ダービー"
というタイトルのスレッドがあった。
我が高校では推薦入学を巡る醜い争いが非常に多い。
横山もその当事者の一人であって僕に制裁を喰らったわけだけれども、
誰がどこの推薦を希望しているかが漏れると、
途端に友情が嘘のように消えていくことも度々ある。
特にW大やK大の推薦となれば尚更で、多くの人間が狙っている超のつく激戦枠。
その有力候補となれば標的にされ、あらぬ噂が飛び交ったりする。
僕は横山を妬む人間に利用されたのではないか?
僕に依頼してくる人なんぞ、自分で実行出来ないから人に頼む腐った連中だと思っている。
腐りきった学校で、腐った人間同士の醜い争いに加担しその腐った連中の望みを叶えてやる。
そんな事に刺激を求め、僕はそれを楽しんでいた。
ところがどうだ。
フタを空けてみれば、到底腐った人間とは思えない横山を陥れ、彼女に無実の罪を着せた。
そして、僕にそれを依頼して来た腐った人間は今頃、
横山の推薦が消えて細く微笑んでいる。
そんな考えが頭を過ぎる。
停学がキッカケで横山の名前が消えた、
W大の推薦枠の現在の有力候補が誰なのか無性に気になりはじめる。
ひょっとすると、この中に依頼者がいるのでないか。
そう思わずにいられない。
推薦入学ダービースレッドの情報によると、
現在の有力候補は横山と同じクラスのB-3所属の人間らしい。
そういえば、あの時のメールは"同じクラスの横山"と書いてあったな。
僕の推測が正しい気がしてならない。
その有料候補でクラスメイトの人物の名前は
"大野麻子"
僕はこの大野という人物を全く知らない。
彼女も多くの同級生がそうであるのと同じように、
同級生でありながら名前すら知らない人間だ。
もし仮に彼女がデマカセを言って僕を利用したんだとしたら…
一体僕はどうするんだ?
彼女からしてみたら本当に横山が教師に媚を売っているように見えたのかもしれないし、
それに横山が媚を売るような人間だという事を、
全面的に否定出来るほど僕は横山の事をよく知らない。
僕は一人であれこれ自問自答した。
いくら考えても答えなんて出てこない。
だけど、僕は真実を知りたい。
「こんな掲示板を見たところで真実なんて分かりやしないか」
僕は一人呟き自嘲的に笑い、PCの電源を落とした。
6月の終わりが近づいてきた頃。
入梅してから雨が多い。
当然といえば当然なのだろうが、今年は特にやたら雨が続いている。
この日も例外ではなく、朝に目覚めて外を眺めると、窓ガラスを雨が濡らしている。
降りしきる雨を見て、今日は自転車通学でなく、
バスに乗って学校まで行くことにしようと思った。
普段、僕は雨の日でもバスで学校に通うことはまずない。
理由は簡単だ。
バスで通えばその分、交通費が減り自分の遊べるお金が減るからだ。
いつもとは少し違うバスでの通学。
家の近くのバス亭からバスに乗り込み、
買いたてのi-Podで音楽を聴きながら外を眺めていると、
レインコートを着て自転車を漕ぐ同級生の姿が見える。
バスが学校の近くのバス亭に停まり、学生の列の中にまぎれてバスを降りる。
ここまで進むと学生の比率が更に高くなり、生徒の行列が傘を並べて歩いている。
一人で歩いて通学している者、友達同士並んで歩いている者、
恋人同士仲むつまじく歩いている者。
皆、人それぞれで、普段とは少し違った視線で物事を見ると
こんなにも印象が違うものかと思う。
僕が歩く横を自転車が猛スピードで走り抜けていった。
自転車通学のときは人ごみを避けながら進んでいかねばならない為、
歩行者が邪魔で苛立つときがあるが、
自分が徒歩の立場だと今度は歩いている横を、
猛スピードで走り抜けていく自転車を見て危ないなと思う。
僕は物事を多面的に見ることが出来ていなかったのかも知れないな。
「やあ、おはよう」
僕が雨に濡れた傘の水を振り払っていると、後ろから聞いたことのある声。
振り返ると昨日散々、僕の頭を悩ませた人物がいた。
横山だ。
「おはよう」
「今日は自転車じゃないんだね。って雨だから当然か」
随分、人見知りしない人だなと思った。
ついこの前、偶々話をしただけの仲なのに、彼女は積極的に話しかけてくる。
僕なら一度話しただけの相手を見かけたところで声を掛けることはないだろう。
「今日は偶々だよ。普段は雨でも自転車」
「へえ。雨の中、自転車なんてかったるくてやってられないってタイプかと思ってた」
3分程度話をしたくらいで人の性格を決め付けられては困る。
まあ、それに関しては僕に言えたことではないのだが。
「そういう横山はどうなんだ?何で通学してるの?」
「私は電車。隣の駅の反町からね」
「へえ。反町に住んでいるのか。中沢と一緒だね」
「そうだね。それじゃあ」
なんともいえない中途半端な話の途中で、
彼女は自分の教室へと入って行き会話は途切れた。
僕は今日もまた教室へ入り見えなくなるまで彼女の後ろ姿を眺めつつ、
昨日と同じようななんとも言えない気持ちを抱きつつ、自分の教室へと入る。
教室に入るなり、すぐに借りていたCDを返しに大石の元へ行った。
「おっす。借りてたCD返すよ」
僕はカバンから以前借りたものと同じバンドのCDを渡した。
「ほいほい。今度のはどうだった?」
「Make A Fishが好きかな?」
「Make A "W"ishでしょ?魚を作ってどうするの?」
彼女から鋭い突っ込みを受ける。
相変わらず手厳しい。
「まあまあ、魚の干物を焼くのが得意な大石さんにかけてみたんだよ」
「嘘つけ。ただ単に間違えただけでしょ?英語勉強したほうがいいよ」
彼女と僕の英語の成績にほとんど差はないはずだけど。
僕は内心そう思ったが口には出さなかった。
「おはよう」
それから暫く僕と大石がくだらない言い合いをしていると中沢が来た。
僕が今、大石と話しをしながら占拠していた机は彼女の机だ。
「あっ悪い悪い。今どくよ」
僕は慌てて机から離れ、自分の席に戻ると、退屈な一日の始まりを告げるチャイムが鳴った。
この日3時間目の古文の授業を終え、
4時間目の数学の授業のクラスへと移動しようとすると、
横山が僕の知らない女子生徒と話をしているのが見えた。
何の気なしにその女子生徒の足元をチラリと見ると、
ご丁寧に彼女の上履きに名前が書いてある。
"B-3 大野"
こいつが大野か。
随分おとなしそうな感じの女だ。
それが僕の彼女に対する第一印象。
だけど、彼女はただ見た目がおとなしそうな横山のクラスメイトというわけではない。
僕の中で横山を陥れる為に僕を利用した人間の第一容疑者だ。
普段おとなしそうな人に限って、裏で何しているか分からないなんてよく言う。
テレビで信じられないような凶悪事件が起きると、
事件を起こした犯人の知人や過去の同級生が
「とてもそんなことをするような人には見えなかった」
なんて話をするのもよく耳にする話だ。
彼女もまた、そういった連中と同じ人種なのだろうか?
僕がそんなことを考えていることを知るはずもない横山は、
近くにいた僕に気がついたらしく、
「やあ」
と一声掛けてきた。
「やあ」
僕も彼女に一声だけ掛け、4時間目の数学の授業の教室へと入って行くとき、
大野がチラリと僕の顔を見てきた。
彼女の視線に気付き、僕と彼女の視線が合うと、ばつが悪そうに視線を逸らす。
どうやら、内気で人見知りするタイプって感覚は間違ってなさそうだ。