第15話〜それぞれの道〜
それからは時間が経つのが異様に早く感じた。
高校2年の冬を終えて、最後の学年を迎えた梅雨の時期。
1年を切った受験戦争の重圧はより僕らに重く圧し掛かり、
人間関係もまた受験戦争という戦場の中で新たに生まれるものもあれば、
崩れていくものも沢山あった。
その中でも、ちょうどこの頃行われる指定校推薦の枠を争う戦いは熾烈を極め、
昨日まで仲よさそうにしていた二人が、同じ大学の推薦枠を希望していると知った日から、
突然今までの関係が全てなかったように互いを非難しあう仲になってしまうほどのものだ。
高校からの推薦を得ることが出来れば、
ほとんど100%無条件で自信の望む大学に進学出来るのだから、
無理もないのかもしれないけれども、果たして友情を無碍にしてまでのものなのか、
僕には疑問だった。
「よう、生徒会長の橋本はK大の経済学部の推薦を狙ってるらしいぞ」
「マジかよ!!俺の友人が狙ってるらしいけど、生徒会長相手じゃ厳しそうだなぁ」
「W大の推薦はどうなってるんだ?」
「あっちはどうなんだろ?推薦は公表されないから分からないんだよなぁ…。まあ公表したらイジメやら嫌がらせが増えるからなんだろうけどさ」
僕の隣で男子達が面白そうに話をしている。
W大の推薦か…。
苦い思い出が頭に浮かぶ。
結局、横山はW大の推薦願いを出したのだろうか?。
きっと彼女のことだから、僕に言ったとおり推薦願いを出すことなく、
自力で大学入試を経て、大学に通う道を選ぶのだろうと思いたい。
それと、もう一人。
大野はどうなのだろう?
大野もW大の推薦入学をやめることにしたのか、あるいは性懲りもなく推薦願いを出すのか。
どちらにせよ、もはや僕には関係のない話だ。
それに全国模擬試験の合格判定で、
志望校の合格判定がD判定までしかとったことのない僕が、
人の進路を気にしていられるほど、余裕があるわけでもない。
放課後、恒例になった教室に残っての自習をした帰り、
先月から名前同士で呼び合う仲になった中沢にメールを打ちながら下駄箱へ足を進める。
長い廊下を歩き、B-3の教室の前を通りかかると、教室の扉が僕の真横で開き、
中から「じゃーね」と明るい声で、教室に残るクラスメイトに別れの挨拶をする、
見覚えのある顔が1メートルも離れていない距離にいた。
「あっ…」
目が合ったその女性は僕を見ると戸惑った顔を見せる。
僕もまた彼女と同じように、思わぬ人物にあった予想外の展開と気まずさで、
どう返せばいいのか分からないまま、何事もなかったかのように通りすぎようとする。
「久しぶりだね」
そこに横山がいることに気付かないフリをする僕に、彼女は声を掛けてきた。
なんだかいやに懐かしく感じる声だ。
「ああ、久しぶり」
修学旅行のあの日から僕たちはずっとすれ違いっぱなしだった。
「今まで自習してたの?」
「ああ、流石にDとE判定しかとれないんじゃあ、せざるおえないからね」
「へえ、何処を受ける予定なの?」
「東工大」
「おおー、東工でD判定が出るだけでも凄くない?」
「D判定じゃあ合格率は40%だからコイントスより確率が低い」
廊下で並んで歩きながらする会話。
僕と彼女の間にあった溝が、その一言ごとに少しだけ埋まっていく気がする。
「相変わらずな話し方だね。少し安心したよ」
僕をからかうように言う横山。
目の前にいる彼女は間違いなく、僕のよく知る横山そのものだ。
「これでも変わったと思っているんだけどね」
特に横山とのことに関しては尚更ね、と心の中では思いながら言う。
「ねえ、これから何か予定ある?」
「いや、特に何も。これから家に帰るだけだよ」
「じゃあ少し付き合ってよ」
僕と横山は駅前のファミレスに入り、それぞれ適当なメニューを注文した。
僕がメニューの中から"キノコ入りパスタ"というものを注文すると、
「今日はドリアじゃないんだね」と僕に子供みたいな笑顔で横山が言う。
こうしてファミレスに行くのも、夏期講習依頼だ。
少しずつ無くしたものが戻ってくるみたいで、僕はうれしくて笑みがこぼれそうになる。
注文した料理が来るのを待つ間の話題は、
やっぱり受験勉強の事が中心で、誰は何処の大学を志望しているだとか、
誰々は成績が凄く伸びてるだとかそんなことばかり。
「そういえば、横山は大学は何処を受験するつもりなんだ?」
頭に推薦のことがあって、なかなか聞きだすことが出来なかったことを切り出すと、
横山の表情が一瞬曇る。
「私ね、アメリカの大学に通いたいと思っているの」
「えっ?」
思わず水を飲むのことをやめ、彼女の顔を見る。
「私、海外の文化とかそういうのに触れてみたくて、それで海外の大学に通いたいって思ってさ」
「そうか…。少し驚いたよ」
「だけど、親も反対してるし、担任の岡崎先生も日本の大学に入学してから、海外留学をすればいいんじゃないか?って言ってる」
海外の大学か…。
大学どころか海外旅行にさえ行ったことのない僕には想像のつかない所だ。
「横山がどんな理由かは分からないけど…、海外の大学に行きたいと強い気持ちで思っているのなら、反対している人の言うとおりになんてすることはないよ。行ったほうがいい。じゃないときっと後悔する」
横山は周囲の反対を押し切ってまで、何かを貫けるタイプではない。
誰かが強く彼女を後押ししないと、
彼女は周りに合わせてしまい、自分のしたいことを出来ないまま終わってしまう。
そう思った。
「石橋って何食わぬ表情で、人の心の奥を見透かすようなことを言うよね」
「そうかな?僕はそういう自覚はないけど…」
「そうだよ。でも、石橋の言葉で迷いがとれたよ。ありがとうね」
相変わらずの無垢な笑顔を僕に見せる横山。
僕は照れそうになるのを必死に隠す為、苦笑いで誤魔化すのが精一杯だった。
「ねえ、私も聞きたいことがあるんだけど」
「ん?なんだ?」
「石橋って将来の夢とかってある?」
「夢か…。夢は特にないな。就きたい職業とかそういうのもないし」
「そういうんじゃなくて、漠然としたものでもいいから夢だよ」
僕らが話していると、ウエイターが注文した料理をテーブルに並べだした。
僕はスパゲッティーを口に入れながら、彼女の質問に対する答えを考える。
「漠然としたものならある」
「教えてよ」
横山が好奇心なのか、あるいは何か他に意図があるのか。
強い視線で僕を見る。
「僕は、自分がしたいと思うことが出来る人でいたい。自分の守りたいものが守れたり、何かを変えたいと思ったときに変えることが出来る人に」
「そういうのいいなぁ…。私はダメ。したいことばかり沢山あって、それをした後に何が残るのかが分からない」
「したいことが沢山あるっていうのは凄いことだよ。何もしたいことがなくて、踏み出せない人だっていっぱいいるし、何かをし続けることが大切なんじゃないかな?」
僕がそう言った後、お互い料理を食べはじめ、会話が途切れた。
先に食べ終えた僕が水を飲んでいると、彼女が口を開いた。
「今日は石橋と話せて本当によかったよ。色々ありがとうね」
「いやいや、別に僕は何もしてないよ」
改めて横山に御礼を言われて、僕は必死でそれを否定した。
「ずっと話すことが出来なくて、久しぶりに話すことが出来てうれしかった。今までゴメン」
横山から僕に謝ることなんて一つもないのに。
今日、横山と話すことが出来て、僕も本当にうれしかった。
だけど、僕は謝る彼女に対してなんて声を掛ければいいのか分からない。
「横山が謝ることなんて何もないよ。僕のほうこそゴメン」
「もう辛気臭いのはなしにしようよ。これからもよろしくね」
「ああ、こちらこそよろしく」
彼女がアメリカに行くまであと一年近く。
せっかく戻った繋がりが、またなくなってしまいのは少し寂しいけれど、
それが彼女の歩む道なんだったら僕は彼女の背中を押そう。
それに…僕はもうこの繋がりを離すつもりなんてない。
「アメリカに行っても偶には連絡してくれよな」
「ははっ。まだ決まったわけじゃないけどね。写真とか色々送るよ」
横山は横山の道を進む。
僕は僕の目指す道を進もう。
横山との関係が修復されてから、僕の学校生活は充実していた。
今までの居残り自習がようやく花咲かせてきたのか、
あるいは、苦手な英語を教えてくれる横山の教え方が良かったのか。
夏休み直前の模試の成績で始めてとったB判定から、
僕の成績は日を追うごとに伸びていき、
2度目の夏期講習の模試ではついにA判定をとることが出来た。
「やっぱり私の教え方がいいんだよ」
「でも、英語の成績はあんまり伸びていないんだけどね」
ちょうど1年前と同じように塾の帰り、
僕らは自己主張をし合いながら駅へと向かう道を歩いている。
横山は周りの意見を聞いた結果、
日本の大学を受かった後にアメリカ留学をすることに決めたらしく、
まずは日本の大学合格を目標に頑張っている。
「そうそう大石さんってどうなっているの?」
「ああ、合格に向けて必死で勉強中みたいだよ。10月に試験らしいから」
「そっか。一番最初に受験するのは彼女か」
僕らの中で一番の変わり者はこの秋に高校生ながら、
インテリアコーディネーターの試験を受験することに決めた大石だろう。
彼女にとって幸いだったのは親の反対がなかったこと。
一般的な家庭だったら大学受験を無碍にしてまで受けることに反対されるのが普通だ。
快く周りの理解を得られて資格試験に備えられるというのは、
ここ数日、毎日のように勉強のことで電話をしてくる親に、
少しウンザリしている僕としては羨ましい。
「まあ、僕らは僕らの戦いがあるし、大石には大石の戦いがある。人それぞれ頑張るしかないってことだね」
「そうだね」
秋に入ってからは更に時間の流れが嫌に早く感じるようになる。
気がつけば蒸し暑い夏が終わり、セミの声が聞こえなくなり秋になっている。
大石の一次試験が終わり、合格の通知が来て皆が彼女を祝福したかと思うと、
今度は秋が終わり、冬を迎えることになる。
高校生活最後の冬。
それは大学受験生の肩書きを持つ僕らにとって、
いよいよ始まるセンター試験に挑むことになる季節を意味する。
机の上のカレンダーには、
センター試験の日程と願書を出した大学の試験日に赤い○がついていて、
淡々とこなす勉強の日々と同時に、少しずつ教室から増えていく空席の数。
「来年は何処の塾に通うんだ?」
受験戦争に向けて最終段階のクラスメイトが囲む教室の中、
久しぶりに顔を見る川野が僕に笑えない冗談を言う。
「申し訳ないけど、僕は来年も塾に通うつもりはないよ」
「ちっ。どうせ俺は大学にもいけず彼女も出来ず、哀しい人生を送る人間だよ。お前さんと違って」
愚痴る川野を無視して、僕は英単語帳を黙々と確認する。
なんども繰り返し開いては閉じたこの本もボロボロになってきていて、
印刷された字も所々、擦れて見えにくくなってきた。
今まで培ってきたことを表すその本を見て、我ながら良くやったものだと思う。
おかげさまで英語の成績も大分上がってきているんだから、
1000円程度で買えるこの本は安いものだ。
迎えるセンター試験の前日の夜。
中沢から僕に電話が鳴った。
「どうかしたの?」
「どう?今日は眠れそう?」
少しだけ心配そうに僕にそう聞く中沢。
彼女自身も不安を抱えているのかもしれない。
「僕は問題なく眠れそうだよ。もうやることはやったし、来るなら来いって感じ。先週くらいが一番緊張してた気がするよ」
「そっか。それじゃあまた明日。おやすみ」
「うん。おやすみ」
たったそれだけの短い会話だったけれど、僕は彼女の声が聞けてうれしく思った。
布団に包まり、目を閉じると高校3年間のことが走馬灯のように頭を駆け巡った。
川野や青田とくだらないことで笑ったこともあったし、
中沢や大石も混ざって家で鍋パーティーをやったこともあった。
横山とは笑いあえたこともあったし、ほろ苦い想い出もある。
体育祭のリレーで負けたこと、文化祭のクイズ大会で優勝したこと。
友達同士が協力したり、喧嘩をしてはくっついたり、離れたりした。
どれも懐かしくって、あと2ヶ月足らずで卒業を迎えることが嘘のように思えてくる。
大学に受かる為に3年間勉強してきたことは事実だけど、それだけじゃない。
僕には勉強してきたことだけじゃなくて、友人達との沢山の思い出が出来た。
退屈だと思ってきた学校生活の中にも、
沢山面白いことがあって、辛いことがあってもそれを乗り越えてきた。
卒業を間近にしてみると、この3年間が変哲のない3年間なんかじゃなかったと思う。
思い出に浸っていると、僕はいつの間にか眠っていて、
気付いたときにはセンター試験当日の朝を迎えていた。