第14話〜幼き日の記憶〜
学旅行を終えた僕らは来年の受験本番まで、
いよいよ残り1年という状況になり、
授業も大学入試試験をより意識させた問題を解くことが増え、
クラスメイト達も塾に通い始める割合が増えだしていた。
僕は修学旅行を終えても、相変わらず塾に通うわけでもなく、
居残りで教室に残り勉強をするわけでもなく、今まで通りの生活を続けている。
修学旅行を境に変化したことといえば、中沢とのメールのやりとりが増えたことと、
横山と修学旅行以来、一度も会話をしていないことの2つくらいで、
教室で偶然目が合うことがあっても、どちらからともなく互いに視線をそらす。
僕が望んでいたものは結局、何一つうまくいかないまま、
横山と僕の数ヶ月間は終わりを告げた。
僕はそんな風に思っていた。
「ねえ、石橋は塾に通わないの?」
この日の授業を終え、僕と一緒に並んで帰る中沢が僕に尋ねる。
「ああ、塾は夏期講習だけで充分だよ。ああいう堅苦しいのは僕には合わないと分かった」
「でも、大学進学希望でしょ?大丈夫なの?」
「ま、それなりの成績を収めているしなんとかなるさ」
「それはそうだけど…。周りがみんな通いだしているのに不安にならない?」
「ちっとも」
「強いなあ…。私はダメだよ。みんなが横を見たらつい、つられて横を見ちゃう。大学進学希望って言っても、何かやりたいことがあるわけでもなく、周りからそうしたほうがいいって言われるからから行くってだけ」
彼女が口にしている悩みは、ほとんどの高校生がこの時期抱えている悩みで、
僕だって同じような悩みを抱えている。
自分の将来を見据えて、大学に行きたいわけでもなければ
何か就きたい職業があるわけでもない。
ただ漠然と見えない力に引っ張られるように、
大学受験の為だけに、将来なんの役に立つのか分からない関数やら、
歴史の偉人の名前を頭に詰め込む作業を続けている。
「僕だって将来の夢があって、それに向かって進んでいるわけじゃない。だけど、高校を卒業してしたいことがあるわけでもない。だったら何かをやりたくなったときの幅を広げるためにも大学に行ったほうがいいと思うけど」
「親にも同じこと言われたよ。頭では分かっているけど、何がしたいか未だに決められない自分が時々嫌になる」
中沢はそう言うと、空を見上げてため息を吐く。
秋も終わりに近づいてきているここ最近の中でも今日は一段と寒く、吐く息が白くなる。
どことなく切ない気分になる。
「幼稚園の頃は、ケーキ屋さんになりたいって思ってた。小学生の頃はペットショップで働きたいなんて考えていて。でも、中学生になった頃から現実と自分の夢のギャップに気がついて、自分で自分に出来っこないとか、色んな言い訳を作るようになって、いつの間にか、夢がなくなっちゃったな」
僕は彼女の不安に何も答えることが出来なかった。
僕自身も彼女と同様で夢らしい夢がない。
自分自身が同じような不安を抱えていて、
その不安を払拭する答えを見つけることが出来ていないのに、
人の不安を取り除くことが出来るような魔法の言葉が見つかるはずもなかった。
ギコギコと軋む自転車の音がいやによく聞こえる。
「マリちゃんはインテリアコーディネーターになりたいんだって。それでその資格を取るために勉強していたりしてて、自分との差を感じちゃってさ」
窮屈な笑顔を僕に見せながら、
「弱音を吐いてゴメンね」
僕に謝る中沢。
なんだかやるせない気分になる。
「小さい頃ってさ、笑いたいときに笑えたし、些細なことですぐに感情をむき出しにして喧嘩したりした。だけど、次の日にはまたその喧嘩した友達と一緒に遊ぶことが当たり前で、何にも気にならなかった。いつからか作り笑顔が得意になって、自分の本当の想いとか、そういうのを言わずに隠しながら生きるようになって。これが大人になるってことなのかって反発したりしたけど、結局その流れに逆らうことが出来ない」
さっきまでと僕と中沢の立場が逆になる。
「自分でない誰かを演じて、本当の自分が誰なのか分からなくなるときがある。演じることで、自分から逃げて言い訳を作り、本当の自分はそんなんじゃないんだって自分に言い聞かせてる」
今まで誰にも言うことが出来なかった弱音を、
僕に弱音を吐いていた目の前の人に吐いている僕がいる。
自分でもどうしてこんなことをしゃべっているのか分からないけれど、
僕にとって中沢が特別な存在になりつつあるのかもしれない。
「僕だって、そんな自分が自分で嫌になる」
息苦しさを感じる一方で、心は落ち着いていた。
「何か嫌なことがあるとさ、本当の自分はこんなことがしたかったんじゃないって思ったりするじゃない。そうやって自分自身に言い訳をして、本当の自分はもっと素晴らしい人間なんだって言い聞かせて自分を納得させる。だけど、自分が自分のやってきたの良いことも悪いこともを認めて、自分で自分自身を知る。それで今の自分と理想の自分の差が分かれば、理想の自分になる為に努力したらいいんじゃないのかな?」
胸の奥に刺さっていた棘が抜けるような感覚だった。
止まっていた時計の針が動き出すのと同時に、僕の体から熱いものがこみ上げてくる。
僕は自分ではない誰かを演じることを嫌がって、自分を演じるように努めていた。
自分が作り出した仮面を脱ぎ捨てるにはどうしたらいいか?
そんなことばかり考えて、ついには横山との友情に亀裂を作ってしまった。
だけど、その自分の作り出した仮面を被って演じている僕も僕自身であり、
それを否定したところで僕は何も変わりやしない。
その仮面を被った姿がダメだと思うのなら、仮面を少し変えてやればいい。
「モノマネ芸人がモノマネをすることを否定するようじゃ終わりってことか」
なんだかおかしくって、自分で笑ってしまった。
「ん?どういうこと?」
不思議そうな顔で中沢が首をかしげていた。
その場を適当な冗談でごまかし、僕は彼女にお礼を言った。
本当は彼女に「ありがとう」と言って抱きつきたいくらいだったけど、
僕らの関係はまだ抱きつけるような関係じゃない。
彼女に別れを告げて家に帰るまでの間、僕の口元は緩みっぱなしだった。
結局、彼女の不安を取り除くことが出来なかったことに後で少し後悔したけれど、
それでも僕は嬉しくて仕方がなかった。
その日、久しぶりにPCに電源を入れて学校裏サイト掲示板を見た。
相変わらず、ここは昔のままで誹謗中傷のオンパレードで、
普通の人が見たら眉をしかめるようなコメントばかり。
僕は初めてこの掲示板に自分のスレッドを立てた。
"手助けして欲しい人募集"
困っていること、依頼したいことがあったら下記メールアドレスまで連絡してください。
僕がスレッドを立てるとすぐに、
偽善者だとか気持ち悪いだとか否定的なコメントが続いた。
きっとこうなるだろうと予想していたし、今日の僕はこんなことでへこたれやしない。
もし本当に困っている人がいて、僕に出来ることがあったら何かしてあげれるかもしれない。
小さい頃、飼っていたハムスターが死んだとき、獣医になりたいって思ったこともあったし、
テレビの前で地球の裏側で病気や災害で困っている人を見たときに、
助けてあげたいって思った。
いつの間にか僕はそういう気持ちを何処かに追いやってしまったけれど、
今になってようやく思い出した。
僕が目指していたこと。
それは自分の好きなものを守りたい。
たったそれだけのことなんだ。