第11話〜転落の入り口〜
文化祭が終わると、最後にして最大のイベントの修学旅行まであと一ヶ月と迫っている。
平凡な日常の会話の中に、修学旅行の話題が多くなっているのは気のせいではないだろう。
「まず、札幌の味噌ラーメン。続いて小樽で寿司を食べるだろう。そして旭川で醤油ラーメンを…」
そんな中の一人、川野が北海道での修学旅行プランを考え中。
「お前の頭の中には食べ物のことしかないのか。札幌の時計台、小樽のオルゴール記念館、旭川の旭山動物園ってのが普通じゃないの?」
「もちろんだよ。マイフレンド。観光+食事。そして…修学旅行で芽生える恋心」
修学旅行でカップルが生まれるという話はよく聞く話で珍しい話ではないが、
川野に関してはまずその性格を直さない限り、パートナーが出来るとは思えない。
「自由時間は限られてるし、強制参加の行事も多いからなうちの学校は。あまり遠くまで行くことは出来ないし、事前にしっかり計画を立てておかないとめちゃくちゃになりそうだ」
「とは言っても、あんまり多く回ろうとしすぎると、見るだけで終わりで楽しめなさそうだしな」
「ようはバランスだよバランス」
僕らがそれぞれの意見を主張し合い、行き先がまとまらずに頭を抱えていると、
「ねえ、何処行くか決めた?」
大石が僕らに尋ねてきた。
「ああ、とりあえず旭山動物園と小樽の寿司は決まった」
「小樽の寿司って…。ずいぶんと漠然とした計画だね。何処の寿司屋に行くかは決めたの?」
「僕たちは自由でいたいんです!!現地に行って心を打たれたお店に行きたいと思ってます!!」
「川野の言うとおりだ」
僕は無計画な主張を押し通そうとする川野に相槌を打った。
もはやどうにでもなれ。
「相変わらず適当だねぇー。まあでも旭山動物園は私たちも行くつもりだよ」
「ほう、だったら一緒に回らないか?」
「いや折角だけど、私たちは私たちで行動するよ」
誘いを断られて肩を落とす川野。
まずいな。
このままだと僕らはずっと男同士で修学旅行を楽しむことになりそうな気がしてきたぞ。
青春時代の大舞台を男だけで過ごすのは遠慮願いたい。
「ふっ。いいさ。俺達は現地に行って可愛い女の子と一緒に行動すれば。なあ石橋」
僕にふるなよそれを。
苦虫を噛み潰したような顔で僕は川野を見るが、彼はなんとも思っていないようだ。
「ま、頑張ってね。可愛い彼女が出来ることを祈ってるよ」
大石におちょくられ、
「こうなったら絶対にナンパするぞ、ナンパ旅行だ」
と言い出す川野を放っておいて、僕は5時間目の授業の用意の為、教室を移動する。
5時間目の授業は数学。
文化祭を終えてからの第2期の学校生活における一番の変化は、
この数学の授業を横山と同じ教室で受けることになったことだろう。
夏期講習では塾で同じ教室で授業を受けていたものの、
学校で同じ教室で授業を受けるのは今回が始めてだ。
「おっす。横山は修学旅行の日程決めたの?」
僕が教室に入ってからほどなくして、僕の席から2つ離れた席に座る横山に尋ねた。
「いや、それが全然決まらないの。行きたい場所が多すぎて、何処に絞るべきか悩んじゃって」
「へえ、例えば?」
「札幌だけでも時計台、テレビ塔に大通り公園、羊ヶ丘展望台に…」
僕が聞いたことある観光名所から知らない観光名所まで次々と語り始める横山。
好奇心旺盛な彼女らしいといえば彼女らしいが、まさかこれほどまでとは。
「もの凄い数だね」
「一回も行ったことないんだよ、北海道。折角の機会だし色々回ってみたいしさ」
「色々と行きたい所があるのは分かるけどさ、ただ行きたいだけならいつか旅行したときに行けばいいじゃん。折角の修学旅行。一生に一度しかないんだから、この高校生のときに行きたい場所に絞ればいいんじゃないの?」
僕が横山にそう言うと、彼女は目を真ん丸くして僕を見ている。
「ん?どうかしたの?」
「いや凄いよ石橋。石橋の言う通りだよ。私は行きたい場所ばかり考えていたけど、ただ行きたいだけなら、将来行けばいいんだもんね。高校生の時に行きたい場所か、そう考えれば絞られてくるもんね」
僕のひょんとした一言が彼女にとっては目から鱗だったのだろうか?
「ま、そう言いつつも僕らも全然決まっていないんだけどね」
「いや、でも本当によかったよ。ありがとう」
僕に微笑む横山。
これだ、僕はこの笑顔を見ると胸が熱くなる。
「どういたしまして」
僕は自分の気持ちを抑えるように、わざと雑な言い方で答えて自分の席に戻った。
その場を離れないと周りの人たちに自分の気持ちが見透かされそうで怖かった。
それから間もないある日の帰り。
全ての授業をいつも通り終え、下駄箱から革靴を取り出し、
革靴を乱暴に放り投げ、僕は腰を曲げる。
その時、偶然かあるいは運命なのか、大野と目が合う。
僕たちはすぐさま、どちらともなく互いに視線を逸らした。
僕から大野に話しかけることはもう何もない。
だけど、大野はそうは思っていないようだ。
「石橋君、時間があるなら少しいいかな?」
――
「で、用件は?」
以前に大野と話をした場所と同じ公園に着くなり僕から切り出す。
「私、横山さんに謝りたいと思っている」
相変わらずの暗い顔で俯いたまま、小さい声で言う。
「いいんじゃないの。悪いと思ったなら謝ればいい」
ある程度予測していた言葉ではあったものの、少し驚いた。
「石橋君はどう思っているの?私が謝っていいの?」
今度はさっきまでとは違い、僕の目を見て言う。
今まで見たことのない大野の目。
強い意志を秘めたその目に僕は怯みそうになる。
「僕がどう思っているかだって?大野が悪いと思っているなら謝ればいいと言ったじゃないか」
「それじゃあ、私が石橋君に依頼してやってもらったと言ってもいいの?」
大野の真意が分かってきた。
大野が横山に全てを包み隠さずに話せば、当然僕のことも話す必要が出てくる。
もちろん、僕のことを話すことなく謝ることは出来るだろうけれども、
大野としては全てを話したいということなのだろう。
「僕は…大野がそれを望んでいるのであれば構わないよ」
「そう」
大きくため息を吐くと視線を遠くに向ける大野。
僕はそんな大野を黙って眺めていた。
「私、石橋君ってもっと強い人だと思ってたよ。時間をとらせてごめんね」
僕が強い人?
大野は一体何が言いたいのだろう?
彼女の真意が分かったと思ったのは僕の勘違いだというのだろうか。
大野が謝ることを僕が構わないということの何が僕を弱く思えるのか分からない。
公園から出ると僕らはお互い他人同士のように距離をとって歩き、
僕が学校に戻り、自転車を取りに帰る頃には大野の姿を見失っていた。
大野が横山に僕の事を話したら、横山と僕のこの数ヶ月間の関係は終わるのだろうか?
僕は自転車を漕いでいるときも、家に戻ってからもその事ばかり考えている。
目に見えない恐怖が僕を襲ってくるのを感じる。
大野はいつ言うのか?
僕のことをどう伝えるのか?
僕は公園で大野に確認しなかったことを後悔しはじめる。
ちっぽけな男だ。
自分が撒いた種なのに、それに恐怖を感じで寝ることすら出来ないなんて。
不意に大野に確認する為、電話をしたくなった。
だけど自分の理性でそれを抑え携帯電話を閉じる。
すると今度は横山に電話をしたくなる。
結局のところ僕は大野が行動を起こすことで、横山に嫌われることを恐れているだけなんだ。
だからと言って今更、やっぱり僕のことは話さないでくれと
大野に頼むほど落ちぶれちゃいない。
「僕は一体どうしたらいいんだ?」
この日を境にまた眠れない日々が続く。
それからというものの、僕は横山と一定の距離をとるようになった。
僕の不安をよそに彼女は僕に話しかけてくる。
今までと何一つ変わりない態度、
だけど、僕はぎこちない態度でしか彼女に接することが出来なくなっている。
もう大野は横山に言ったのだろうか?
そんなことばかりが頭を支配し、いっそうの事、横山に大野が何か言ったのか、
直接横山に聞こうかと何度も思ったものの、聞く勇気が出てこない。
僕は大野が僕に依頼をしてきたということを知ったとき、
いや、知る前からいつか僕から横山に直接謝らなければいけないとずっと思っていた。
だけど、いつの間にか僕は真実を知ったことに満足してしまい、
彼女に対して自分がやったことを忘れかけていた。
そんな矢先に大野が自分なりの決意を僕に伝え、
大野なりに区切りをつけようとしている事に動揺し、
僕がどうするべきか分からなくなっている。
やっぱり、僕が直接横山に言うべきなんだろうな。
自分の中ですべきことは分かっていたことだ。
なんだかんだで誤魔化してきたけどやらなきゃいけない。
そんな思いとは裏腹に、僕は横山に打ち明けることが出来ないまま
修学旅行を迎えることになる。