第六幕 「辰砂」
原題:最終話”Cinnabar” 「朱赤の竜」
(「間奏曲」は書き下ろし)
[間奏曲]
(一)
二〇一三年、喫茶店キンメイチク。
田中オメガ、田中咲、相浜、そして麻咲の四人が昔話に耽っている内に、夜が明け始めた。相浜は感慨深く息を吐いた。
「飲み明かしてしまったな」
田中が席を立ち、菩薩峠、いや、田中夫人もともに席を立った。
「そろそろ、開店の準備をしないと」
「私も手伝うわ」
「二人は、もう少しゆっくりしていってくれよ」
田中がそう言って去ったあと、相浜が麻咲に言った。
「テラスに出るか。朝日が見えるぞ」
「テラス?」
「この七年の間に、この店は大きくなったんだ。大阪に支店まで出してるんだ」
「もう七年も経ったんだな・・・」
相浜は、ワインの最後の一口を飲み干して、言った。
「お前と最後に会ったのは七年前だが、昨日のように感じるよ」
麻咲も、まだ半分ほど残っていたワインを飲み干した。
「あれから、実際、いろんなことがあった。だが、やはり七年前のことを思うと、俺も昨日のようにありありと思い出せるな」
二人はテラスに出て、朝日に臨んだ。
麻咲は相浜に訊いた。
「この七年間、どうしてた?」
「相も変わらず京都で魔獣を追ってるよ。そっちはどうだ?」
「オロチ事件の直後、征服結社『メーソン』を退治した。その後、政界の黒幕『勝山老』を倒したり、最高裁判所の陰謀を暴いたりした。今は、学校の怪談を暴走させる『目玉シール』の謎を追っている」
「錚々たる武勇じゃないか」
「当然だ・・・と言いたいところだが、有り難いことに、俺にはいつも、支えてくれる仲間がいた。俺一人では、もしかすると、今言った敵たちを倒せなかったかも知れない」
「おいおい、お前らしくないじゃないか」
「いや、これが本音だ。あのときもそうだっただろ?」
昔話の続きが、二人だけで、自ずと始まった。
(二)
七年前。和解した二人は、力を合わせて、オロチの手下・ヤマワラシを倒した。麻咲は、イシュタールから贈られた新兵器である、魔怪の一輪車「辰砂」に乗って、「妙技・一輪車ペン回し」で戦ったのだ。
四人は、その直後、オロチとの最終決戦に臨んだ。それは夜明け前のことであった。
しかし、オロチは四人の目の前で無残に殺された。
殺したのは、なんと、オロチが操っていたはずの、京都ホラーハンターの現会長である、信楽であったのだ!
[ 第六幕 「辰砂」]
(一)
信楽はオロチに言った。
「動けまい。この銃には銀の弾丸が込められてある。魔性のものはひとたまりもあるまい」
「おのれ、裏切ったな」
「お別れじゃ、オロチよ」
信楽の第二撃を受け、オロチは爆発した。
オロチが操っていた筈の、この老侠こそが、諸悪の根源だったのである。
オロチの爆発は、その巨体相応の爆風を巻き起こした。相浜達は吹き飛ばされたが、麻咲だけは何とか吹き飛ばされずに残った。
「ほう、この爆風を受けてその場に残れるとは、若造のくせしてやりおるのう」
「お前が黒幕だったとはな」
吹き飛ばされた相浜達も戻って来た。
「オロチは儂の傀儡にすぎんよ」
そう言って信楽は高笑いをした。
「オロチもお前を傀儡と言っていたぞ」
信楽は更に嗤った。
「天下統一か。そんなもの小賢しい現世の夢に過ぎんよ。ホラーハンターの指揮を執る者こそ、英雄の賞賛にふさわしかろう」
「天下統一を『小賢しい』と言うお前の野望が、まさか唯のヒロイズムではないだろう」
信楽は片笑窪を拵えた。
「教えてやろう。どの道、聴き収めなのじゃから」
信楽は、その恐るべき野望の全容を語り始めた。
魔界から来る魔獣と戦う者は全て、麻咲家のように、長い伝統を守っており、非常に閉鎖的である。しかし、「京都ホラーハンター」は、世界で唯一の「新興勢力」であるので、体制を動かし易いのだ。信楽は、その人脈を用いて、ホラーハンターを自衛隊に併合するつもりでいるのだ。
そして更に、信楽は、魔界と人間界との戦争を引き起こすことを計画しているのだ。そうすれば、世界で唯一、ホラーハンターが組み込まれた日本の自衛隊は、人間界側のリーダーシップを掌握するであろう。その期に乗じて、文民統制を崩壊させ、軍事政権を樹立させようというのだ。
信楽の願いは、軍事国家の指導者の座に君臨することにしあったのだ。
言い終えると、信楽は踵を返し、追おうとする四人の前に、四方から信楽配下の戦闘員たちが現れた。
戦闘員の隊長が「狙え」と命じ、銃口が一斉に麻咲たち四人に向けられた。
そのとき、菩薩峠部隊の隊員たちが現れ、彼らの前に立ち塞がった。
「班長。田中様。ここはお任せを」
「感謝するわ」
四人は信楽を追って行った。
四人を追おうとする戦闘員たちの行く手を阻む菩薩峠部隊に、戦闘員は銃弾を浴びせかけたが、隊員たちの装甲は、銃弾を全て跳ね返した。彼らの装甲は、相浜の小太刀と同じ特殊な金属で出来ているのだ。
「通常兵器が効くものか!」
そう言って反撃を開始した菩薩峠部隊は、人数の上回る信楽の軍勢を、易々と圧倒していった。
(二)
夜が明け始めた。雲ひとつない、青空が広がり始めた。
先程の場所から少し離れたところに、車が待っていた。
「会長、こちらです」と運転手。
「うむ」と信楽。
信楽が車に乗り込もうとしたとき、車に弾丸が浴びせかけられた。
「何者だ!」
そう言って銃を構えた運転手の前に、菩薩峠が現れ、言った。
「銃を下ろしなさい。でないと発砲します。」
「うるさい!」
運転手の銃口から、弾丸が飛び出した。
弾丸は、飛来した赤いペンに弾き落とされ、やがて麻咲の姿が現れた。ペンは空中に美しい曲線を描き、麻咲の手中に還った。そして、彼は自信満々に言い放ったのだ。
「強さという言葉は、この俺のために存在する。麻咲イチロウのために」
更に、別の方向から、愛用の小振りな剣を下段に構えた相浜が現れ、彼に、田中が雁行していた。
運転手は吼えた。運転手の顔が変形し、異形を呈した。運転手もまた、魔界ゆ来たるものだったのだ。
それを見て菩薩峠は、人間でないとあれば遠慮は無用と豪語した。
相浜が運転手に斬りかかった。運転手は両腕で荒々しく反撃した。菩薩峠は、運転手に機関銃で発砲し、
「こっちは任せて!」
と麻咲に言った。
麻咲と信楽の、死闘が始まった。
麻咲の指がペンを弾き、勢いよく回って信楽に向かって飛んだ。
信楽は、杖に仕込まれた刃を露にし、飛んで来たペンを弾き返した。
麻咲は地を蹴り、宙を舞った。
彼の右手は空中でペンを掴み、それと同時にペンを激しく回し始めた。
麻咲の右手が、ペンを回しながら信楽に打ち込まれようとした。
が、信楽の刃がペンを食い止めた。
「中々の腕よのう若造」
「お前こそ、と言いたいところだ」
二人は同時に跳び退いた。
「儂と戦うのは、小生意気な正義感故か」
麻咲は、フッと笑った。
「俺はお前を尊敬している。その強さに」
「何じゃと」
信楽は、麻咲の口から発されたこの意外な言葉に暫し驚いた。
麻咲の手から、再びペンが放たれ、信楽に迫った。
信楽は刃でペンを弾き返したが、ペンは複雑な軌道を描いて、何度も信楽の刃と交わる。
信楽は、ペンを弾き返しながら麻咲に向かって走って来た。
信楽と麻咲が接近したのと同時に、ペンは麻咲の手に戻った。
ペンと刃が再び鎬を削った。
麻咲は、先程の言葉の続きを言った。
「だが勘違いするな。ライバル心なんかじゃない」
麻咲の左腕が、信楽の頬骨に強烈な打撃を与えた。
殴り飛ばされた信楽に、麻咲は言い放った。
「俺は破壊者『イチロウ』だ!時空を超え、存在を超えて受け継いだ名だ!」
麻咲が戦うことに、正義感やライバル意識といった、既成の意味などはもはやなかった。彼にとって、己に匹敵する戦力を持つ信楽と戦うことは、それ自体に意味があったのだ。そして、それは、彼に宿った永遠のアイデンティティーに依るものであったのだ。そう。神宮寺の口から語られた、「かつて存在した未来」の、もう一人のイチロウから受け継いだアイデンティティーなのである。
ペンを構えた麻咲の全身から、朱色の炎がめらめらと湧き上がった。
「武道ペン回し奥義。ネオバックフォール!」
彼はペンを弾き飛ばした。
ペンは朱赤の竜となり、幾重にも渦を巻きながら、猛り、叫んだのだ。そして、信楽の肉体を貫いたのだ!
信楽は倒れ、沈黙した。
一方、相浜と菩薩峠は、運転手に苦戦していた。田中は、魔界の敵の専門家としての知識に基づいて、斯く言った。
「そいつの弱点は腹だ。腹を狙え!」
菩薩峠の弾丸が運転手の腹部を直撃し、同時に、相浜が腹部を斬り付けた。
運転手は呻いた。
敵が怯んだ隙に、相浜は敵を倒した。
麻咲の許に、三人は駆け寄った。
「やりましたね」
「やったわね」
「やったな」
麻咲は微笑み、頷いた。
その刹那、声がした。
「・・・まだまだじゃよ」
四人はその声の主を、戦慄をもって見た。
信楽は生きていたのだ!
やおら立ち上がりった信楽の、驚く四人に向けられた顔には、不敵な笑みが浮かべられていた。
菩薩峠は銃を構えた。その反対側から、相浜と麻咲は、それぞれの武器を手に、共に信楽に襲い掛かった。信楽は刀で相浜の短剣と麻咲のペンを防ぎ、もう片方の手で菩薩峠の腕を掴むと、三人を同時に払い飛ばした。
「来い、辰砂号」
麻咲の下半身が強い光を放ち、次の瞬間、彼は大きな朱色の一輪車「辰砂」に跨っていた。麻咲は一輪車の上でペンを構えた。
三人の攻撃が再び為されたが、やはり同じことであった。信楽の両の腕が、相浜と麻咲を殴り、足が菩薩峠を蹴った。
麻咲は吹き飛び、辰砂は姿を消した。三人は傷付き、倒れた。
信楽は刀を構えると、麻咲に向かって歩み寄った。
「先ずは貴様じゃ」
そのとき、突如として、信楽が呻いた。信楽の口から、血が溢れた。
ナイフが信楽を背後から貫いていたのだ。
かの未来人、神宮寺麗美が、ナイフで彼を刺していたのだった。抜き去られたナイフから、血が滴り落ちた。
かくて、信楽は完全に倒れ去ったのだった。
相浜が言った。
「神宮寺君。助かったよ。それで、オロチの誕生は阻止できたのか?」
「未だ早かったみたい。でも、どこで生まれることになるかは、判ったわ」
「そうか。なら、戦いはこれからだな」
「いいえ、これは私の問題。私が戦うわ」
神宮寺は、視線を麻咲に移した。
相浜も麻咲も、何か事情があるのだろうと察し、それ以上は追求しなかった。
田中と菩薩峠は、事態が解せず、ただ顔を見合わせるばかりだった。
沈黙に包まれている戦場を、一陣の風が吹きぬけた。
第六幕・終
2013/12/05最終話起筆
2023/05/02本文手直し(セリフ以外)