表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オロチ  作者: 坂本小見山
5/7

 第五幕 「それぞれの試練」

原題:第五話''Complex'' 「それぞれの試練 前編」

及び 第六話''Who Pulls the Strings?'' 「それぞれの試練 後編」

  (一)~「武道ペン回し」のスランプ~



 麻咲は、廃れた神社の境内で、一人「武道ペン回し」の練習をしていた。ペンは凄まじい速さで回され、ブーメランの如く放たれ、再び彼の手に戻った。彼の手を離れては戻り、離れては戻りを繰り返し、宙に幾何学模様を描き出した。


 麻咲はペンを掴み取ると、溜息を一つ吐いた。技術面は絶好調なのである。それなのに、実戦においてはここのところ不調なのである。


 先日、「武道ペン回し」の総本山である「竜血寺」に久々に戻ったとき、訓練生の攻撃を甘んじて受けてしまった。

 そして、同じ日に、オロチの手下の魔獣「ツチグモ」に圧倒された。突如現れた謎の女性刑事・神宮寺(じんぐうじ)麗美(れみ)の助太刀がなければ、彼はツチグモの餌食になっていたかもしれないのだ。


 宿命を放棄した彼に代わって麻咲家を継いだ男・相浜(あいはま)と再会したときから、彼はスランプに陥ってしまったのである。



 麻咲が思い悩んでいると、かれの頭上から、声が聞こえた。

「スランプらしいな、ペンスピナー・麻咲イチロウ」

「誰だ!」

 そう叫んだ麻咲の目前に、怪物が現れた。蜥蜴に似た人型の身体に、中世欧州の豪族を思わせる装束を纏い、手には諸刃の剣を具えていた。

「俺様の名はナーベラス。この国に古くから住む『アニミズムの神々』の一人だが、オロチ様の傘下に入ったのだ」

 オロチの名を聞き、麻咲は即座にペンを放った。

「遅い!」

 敵は、一足早く、麻咲の間合いに入り込み、彼を殴り飛ばした。麻咲は地に叩きつけられ、辛くも戻ってきたペンを掴み取った。ナーベラスは、麻咲に斬りかかった。

「オロチ様に刃向わねば、長生き出来たものを」

 ペンの両端を両掌の根元で支えて、刀身を受け止めたイチロウは、既に片膝を地に付し、その膝にのみ体勢の維持を頼っていた。

「やるな若造。だが、これで終わりだ!」

 敵は麻咲の片膝を蹴倒し、剣を大きく振りかぶった。


 その刹那、敵は何某かの念動力にその動きを封じられ、同時に投げ飛ばされたのだった。

「何奴!」


 女性の声が聞こえた。

「主人の顔を忘れたか、ナーベラス」

 麻咲とナーベラスは、声の主を見た。それは、ナーベラスと呼ばれた魔獣と同様に貴族装束の、ボブカットの女性であった。

 女性は、ぱちん、と指を鳴らした。するとどうだろう。摩訶不思議なことに、ナーベラスは瞬く間に業火に包まれ、叫喚と共に灰と化したのだった。



 麻咲は、女性に対して戦闘態勢をとった。

「麻咲・イチロウだな。私はこの国に古来住まう、豊穣と性を司る精霊イシュタールだ。この国にと言っても、違う位相だがな。お前たち人間が『魔界』と呼ぶ世界だ」

 イシュタールもまた、オロチと同じく魔界に住む存在だというのだ。


 麻咲は、

「さっきの奴は何だったんだ」

 と訊いた。

「あれはもともと、私の部下だった。既に多くの精霊がオロチの傘下に入っているのだ」


 そう言ってイシュタールは説明した。オロチは、人間と魔界の共通の敵だったのである。イシュタールは更に、オロチを倒すため、麻咲に「新兵器」を提供すると申し出た。

「それはさておき私は、お前が直面している試練について言いに来たのだ」


 麻咲には、イシュタールの言う「試練」のことを、自らよく解っていた。彼が封印してきた「実家に対する後ろめたさ」が、相浜との出会いをきっかけに、再び首を擡げ、彼の戦いを無意識の領域から妨げていたのだ。


 しかし、それは麻咲の無意識、麻咲の意志とは関係のない領域でのことである。麻咲はそのことを、胸を張って高らかに表明した。

「俺は自分の意志で家を出た。そのことに微塵も後悔したことはない」

 と。

 そして麻咲には、自分の無意識に生じた「後ろめたさ」を、完全に断ち切るために自分が何をするべきかも、よく解っていた。


 麻咲が試練に向き合う決意をしたことを斟酌したイシュタールは、念を押した。

「もしお前が試練を超えられないようであれば・・・」

「同盟は結べない、か。あんたが精霊の上役か何か知らないが、俺を見くびるな。全人類最強のこの俺を。試練とやらは、必ず超える」

 麻咲は、平素にも増して高慢を装ったのだった。


 イシュタールは苦笑いをしながら言った。

「試練を超えた暁には、同盟の証として新戦力『辰砂』を授けよう」



  (二)~ぶつかり合う狂気と狂気~



 田中の喫茶店「キンメイチク」の奥に、相浜の訓練室がある。今も彼は訓練に精を出しているが、常ならず感情的になっていた。彼は、先日オロチに対し歯が立たなかった自身への苛立ちに、平静を失わしめていたのだ。

 苛立ちは苛立ちを呼ぶのが常である。常に息子と比べ、弟子である自分を認めなかった師匠への反感。家系を裏切った麻咲への怒り。そんな内なる混乱を、彼は訓練にぶつけていたのだ。


 浮図、扉が開いた。

 振り向くと、麻咲が立っていた。

「相浜、話がある」

 そう言って歩み入ってきた麻咲に、相浜はいきなり殴りかかった。

「よせ」

 かわし続ける麻咲に、相浜は咆哮しながら拳を乱発した。

 麻咲は相浜の利き手を掴み上げ、体の自由を封じた。

「落ち着くんだ」

「うるさい!貴様だけは許せん!」

 相浜は麻咲を跳ね飛ばすと、愛用の小振りな剣を手に取り、麻咲に斬りかかった。麻咲は右手でペンを取り出し、刃を受け止めた。

「貴様をこの場で葬り去ってくれる!」

 相浜の表情には、狂気が表れていた。

 麻咲は、ペンで剣を強く押し返しながら、

「それは俺の台詞だ・・・!」

 と言った。彼の表情は、相浜と違って冷静であったが、その心の中は、相浜と同じく、或いはそれ以上に狂気に駆られていたのだ。

 麻咲の左拳が、相浜の頬を撃った。相浜は後ろに退った。


 ここにきて、麻咲はようやく我に返った。その途端に、一瞬とは言え冷静を失ったことを、恥ずかしく感じた。

 相浜が麻咲に斬り掛かった。

 麻咲は、ペンを力強く回し、その手を相浜の胸に打ち込んだ。

 相浜は衝撃を受けて倒れたが、不思議に痛みは全くなかった。

 麻咲のペン回しは、相浜の狂気のみを打ち砕いたのだ。

「頭を冷やせ」

 麻咲の吐いたその言葉は、自分自身に対するものでもあった。



「俺はまた暫く京都を去らねばならん。その間、京都の守りを頼む」

 そう言って去ってゆく麻咲の背後に、拳で床を打つ相浜の姿があった。



  (三)~スランプ克服のための旅行~



 翌日、麻咲は再び京都を離れた。そして、彼が忌避してきた地を巡る「旅行」を始めたのだ。

 それらは、彼にとって忌まわしい地であったが、同時に、彼を、麻咲家とは無関係に、彼たらしめる、象徴的な地、言わば彼だけの「聖地」でもあった。

 彼は、家を出たことへの罪悪感を断ち切るため、己を鼓舞しつつ旅に出た。が、己を鼓舞することに気を取られ、こっそり彼の後を付ける、ある人物の気配に気付かなかったのである。



 さて、彼が最初に訪れたのは、滋賀県B湖であった。

 彼は湖畔に立ち、みなもを見つめた。

 一陣の風が、彼の朱色のスカーフをはためかせた。

 まるで、この地が、ペンスピナーとしての彼の象徴を、残酷なまでに鮮明に強調しているかのようだった。

 麻咲は、己がペンスピナーであることを改めて実感しながら、呟いた。

「俺は以前、此処で死んだ」

 と。



 その日の夕方、麻咲は次に、大阪府I山の麓を訪れた。

 彼の歩みに驚き、蝦蟇がため池に飛び込む様は、まるで、彼が己の意志を自覚し、家を捨てて、己の内なる真の敵を倒そうとしていることに恐慌しているかのようであった。

 蝦蟇共を横目に、彼はつぶやいた。

「B湖の前は此処で死んだ」

 と。



 そしてその夜、麻咲は最後に、愛媛のK川の河川敷に立った。

「以前俺は此処で殺された」


 麻咲はペンを取り出し、見つめた。

 今日巡った三箇所は、麻咲イチロウにとって、狂気の象徴であった。

 それは、麻咲家の後継者としての彼ではなく、彼個人にとっての、であった。

 この、赤い、大きな、美しいペンは、そんな彼個人にとっての諸悪を断ち切るために手にされたものであったのだ。

 彼はそれを心から再確認した。しかし、まだ何か、心に一抹のしこりが消えぬ気がしたのだ・・・。

 彼はペンを仕舞うと、川面に向かって、斯く言い放った。

「絶望、信じることの愚かさ。それを知った者が、絶望の破壊者となれる。俺は絶望を破壊する。そのために俺は在る」

 それは己に説いて聞かせんがためであった。



 麻咲は踵を返し、河川敷から道路に上った。

 そこには、スーツ姿の女性が立っていた。それは、ツチグモ退治で共闘した刑事・神宮寺(じんぐうじ)麗美(れみ)であった。

「つけていたのか」

「隠すつもりはないわ」

「どこから」

「最初から」

 麻咲は溜息をついた。

 己の葛藤にかまけて、尾行に気付かなかったのだ。


 神宮寺は微笑みながら言った。

「これから京都に帰るの?」

「ああ、そうだ」

「じゃあ、一緒に帰りましょう」


 麻咲は、言われるままに、神宮寺と共に電車に乗った。



  (四)~田中と菩薩峠の信頼関係~



 一方、喫茶店キンメイチクでは、菩薩峠と田中が話していた。


 数時間前、相浜が、菩薩峠に手を引くように迫り、口論になった。その場は田中が仲裁して治め、今は菩薩峠のフォロウを行っていたのだ。

「咲。しかたないさ。清牙は騎士一筋で育ったんだから」

「確かにそうね。騎士一筋だから、私達が皆無力に見えるんでしょうね」

「清牙の気持ちも察してやってくれよ」

「それは無理よ。彼が私の気持ちを解ろうとしてないんだもの。同じ魔怪の人でも、あなたは違う。私のことを、一人の戦士として認めてくれてるわ」

 菩薩峠は田中に微笑を投げかけた。

 田中も笑顔を返し、彼女の手を握った。

「清牙もきっとそう思ってくれるよ」

 二人はこの数日で、すっかり意気投合していたのだ。



 田中は、相浜を弁護した。これまで、魔界から来る敵と戦う家系に生まれた者以外で、それらを倒した者が殆どいなかったということを話した。そして、相浜が菩薩峠に不信感を持つことが、自然なことだということを強調して言った。

「増して、騎士でさえ歯が立たなかったオロチを、君が倒せるなんて、俺にも信じられないよ」


 その言葉が、菩薩峠の心をチクリと刺してしまったのだ。菩薩峠は、田中の手をのけて言った。

「結局私は一人なのね」

 そして、田中が呼び止める声も聞かず、キンメイチクを出て行ってしまったのだ。



  (五)~麻咲が家を捨てた理由~



 一方、麻咲と神宮寺は、電車で迎え合わせの席に座っていた。深夜であったため、この車両にいるのは彼ら二人だけだった。

「ねえ、何をしていたの」

「墓参りだ」

「誰の」

「俺の」

「あなたは此処にいるじゃないの」

「言ったって信じない」

「私は知ってるわ。この世には、信じられないようなことが起こる、ってこと。いいから話してごらんなさい」


 麻咲は、自分がこの得体の知れぬ女性のペースに乗せられていることに気付いたが、不思議に彼女に対する親近感を抑えることが出来なかったのだ。

 遠い日、どこかで感じたような「親近感」・・・。



 麻咲は、今日巡った地の意味について語り始めた。

「前の人生で、俺はB湖で河童に引きずりこまれて死んだ。十一歳だった」

 神宮寺は訝しげな面持ちで聞き返した。

「前世ってこと?」

 麻咲は、質問に答える代わりに、更に続けた。

「その前はK山で、父に殺された。生まれてすぐだ。口減らしのために。その前はさっきの川で辻斬りに殺された。その頃の元号は『文化』だった」


 麻咲は前世の因縁の地を巡っていたのであった。

「ある人に言われた。俺は今試練に直面してると」

 麻咲は、神宮寺の目を見据えた。

「逆に聞くが、人間は死ねばどうなると思う」

「死んだこと無いから解らないわよ」

「死んだ時間、その瞬間が永遠になるんだ。そしてその永遠の中で、次の人生を歩む。そしてその人生が終われば、またその瞬間が永遠になり、次の人生に落ちるんだ」

「あなたの宗教観は解ったわ。それとその試練が、どう関係するの?」

 麻咲は、窓の外に広がる夜の闇に目を致しつつ、独り言のように呟いた。

「永遠の絶望。誰もがその中にいる。その誰もが独りきりだ。俺はそのことを知って生まれてきた。そして俺は、絶望を砕く道を選んだ」


 彼は、いかなる運命のいたずらか、前世の記憶を背負い込んだまま生まれてきた。彼は生まれてからずっと、その記憶に苛まれてきたのだ。彼が家を継ぐことに価値を見出さず、より普遍的な恐怖を破壊することにのみ執着するようになったのも、このことに因っているのだ。しかし、彼自身の与り知らぬところで、麻咲家への帰属意識が、密かに彼の内に根を下ろしており、それが罪悪感を招き、このスランプに繋がったのである。



  (六)~不思議な精神世界での戦い~



 一方、相浜(あいはま)清牙(せいが)もまた、試練を乗り越えるべく、魔獣退治の組合(ギルド)の京都支部に赴いた。彼は、ギルドに古代から伝わる魔術で、己の心の暗黒面と直接に対決することにしたのだ。


 京都のギルドの神官は、平安装束に身を包んでいた。彼は、相浜の申し出を承諾した。

「良いでおじゃろう。目を閉じたもれ」

 と言われるままに、相浜は目を閉じた。



 外の様子の変化に気付き、目を開くと、そこは彼の精神世界であった。彼は、彼自身の暗黒面を呼んだ。その声に応じ、彼の目前に、人影が現れ、やがて鮮明になっていった。


 相浜はその姿を見て驚いた。

「そんな・・・」

 そこにあったのは、彼自身の暗黒面の姿などではなかった。朱色のスカーフと朱色のペンを具えた、麻咲イチロウの幻影であったのだ!



 朱色の長いペンが、その指と指の狭間でくるくると回されていた。その殊勝な笑みに向かって、相浜は疑問を投げかけた。

「何故貴様が私の内なる魔界にいる」

「俺はお前が最も恐れる存在だからな」

「ふざけるな。俺は貴様を蔑んでも恐れはしない!」

 相浜は麻咲に斬りかかったが、麻咲はひらりと避け、相浜の後方に回って武道ペン回しで殴りつけた。


 本物の武道ペン回しと違い、痛みを伴った。

「認めろ。俺こそは最強の戦士だ。お前を遥かに凌ぐ」

「黙れ!」

 相浜は尚も麻咲に切りかかり続けたが、刃は麻咲の身体に触れることさえなかった。



  (七)~オロチの手下・ヤマワラシ~



 その頃、喫茶店キンメイチクでは、田中が一人、客席で沈み込んでいた。自らの言葉が、愛する菩薩峠を傷つけてしまったのだ。

 店の外には、強風が吹いていた。



 それは突然のことだった。店の壁が轟音と共に崩れ去ったのだ!動転する田中は、砂埃の中から、巨大な猿のよう怪物ものを見出した。その怪物は、ヤマワラシと名乗った。

「オロチの系譜だな」

「たしかにオロチの系譜だが、俺様は権力には屈しぬのだ。よいか。お前の愛する女は、この俺が預かっている」

「何だと!」

「返してほしくば、俺様と共に来い」

「なんて卑怯なんだ」

「来るのか、来んのか」

「行ってやる!」

 田中に選択の余地はなかった。かくして、田中はヤマワラシに拉致された。



  (八)~全ての真相~



 一方、麻咲は、車窓から夜の闇に視線を致しつつ、沈黙を守っていた。結局、この旅行が、その帰属意識を断ち切ることにはならなかった。彼はこの先の苦難に思いを致し、思い悩んだ。


 しかし、麻咲はすぐに、自分の想念が停滞していることに気付き、思考を別の方向に向けるべく、おもむろに口を開いた。

「そう言えば、以前岡山で、俺が『どこかで逢ったか』と訊いたら、あんたは『そうかもしれない』と言ったな。あれはどういう意味なんだ?」


 神宮寺は、困ったように微笑みながら、一旦、麻咲から視線を逸らした。

「そうね。どこから話せばいいのかしら・・・」



 彼女はやがて麻咲に向かって口を開いた。

「以前、私は武道ペン回しの後継者『竜血旋士』の恋人だったの」

 麻咲の表情が、驚きの感情を呈した。

「老師のか?」

「違う。多分、その人の後継者」

「だが、老師の後継者は俺だ」

「もう一人いたのよ」

「初耳だ。どんな奴だ」

「あの人は『学生刑事』だったの」

 神宮寺は、視線を麻咲に向けたまま、それでいて、麻咲を通り越してその向こう側を見るような、遠い目をして、語り出した。




 その「少年」は知っていた。学生社会に渦巻く、数限りない絶望の存在を。

 そして彼は、その数限りない絶望を破壊した。純粋な悲哀の力で。

 彼は多くの学生を救ってきたのだ。


 元々は、彼自身にも、絶望があった。悲劇があった。

 しかし、彼は絶望の破壊者として、とっくに自らの絶望を克服していた。

 彼は全てを超越し、自由に笑い、自由に燃え、自由に喜び、自由に涙を流すことができる人間だった。


 彼は、大きな敵とも戦った。学生社会を救うために。

 そして彼はその過程で、大切な友を喪ったのだ。そして、最後にはその敵を倒したのだ。


 彼は、如何なる凡夫愚人であろうと、苦しむ学生であれば誰にも平等に救いの手を差し伸べた。

 彼は、総ての学生を等しく肯う者であった。

 彼は苦しむ学生の、最後の希望の光であり続けたのだ・・・。




 聴き終えて、麻咲は思わず言った。

「観音菩薩のような奴だな」

「あなたの表現を借りれば、その通りね」

「今どうしてる」

「・・・死んだわ。でも、今は未だ生まれてないの」


 麻咲は驚き、身を乗り出した。

 神宮寺は警察手帳を見せた。そこには、彼女の誕生年が「平成十九年」と書かれていた。来年である。

「まさか、あんたは・・・」

「これも見てちょうだい」

 神宮寺は、掌に入る程度の大きさの板を差し出した。

 麻咲の指がその板の表面をなぞると、瞬時に液晶画面に変じた。

「私の時代の携帯電話よ」



 麻咲は驚きながら言った。

「信じ難いが、あんたは未来人のようだな」

「西暦二〇三一年、私は特殊刑事として、オロチと戦ったの。あんな怪物がいるなんて、私もこの目で見るまで信じられなかったわ。でも私は戦ったの。そして、奴を追い詰めた。奴は時空の亀裂を作って、タイム・ワープをして逃げたの。一九七一年に。私も奴を追って時空の亀裂に入ったんだけど、そのときのタイムラグが何十年にも広がったみたい。私が辿り着いたのは、今からざっと一年前。以来、私はオロチを追っている訳よ」

「オロチも未来から来た敵だったとはな」



  (八)~相浜の出した答え~



 他方、相浜清牙の精神世界。相浜には強かにやられ、既に立ち向かう力も残っていなかった。

 幻影の麻咲は言う。

「どうだ解ったか。お前は、『破戒者』であるこの俺の足元にも及ばんのだ」

 相浜は歯噛みをして悔しがった。己の存在が、底無く否まれるのを感じた。魔界の敵と戦う剣士として生きてきた自分の半生全てに絶望した。



 そして相浜は、心身ともに受身になった。

(もう、どうにでもなれ)

 幻影の麻咲は、そんな相浜に、容赦なく罵声を浴びせた。

「お前を突き動かすのは、使命だけだ。お前には独自の意志がない」

 その通りだと思った。麻咲の言う通りだ。伝統を守る使命に雁字搦めに縛られ、魔界から来る敵としか戦わない者などに、そもそも価値はなかったのだ・・・。



 ・・・しかし、だからなんだというのだ?


 相浜の脳裏に、ふと疑念がよぎった。

 自分は自分として生きてきた。それが自分の存在ではなかったのか・・・。


 相浜は力を振り絞り、ゆっくりと立ち上がった。その手から、剣が放され、落ちた。

 相浜は持てる全ての力を全身に込め、麻咲に向かって突っ込んでいったのだ。麻咲は、決意を固めた表情で、ペンを指で弾いた。ペンは麻咲の手の甲で猛烈に回転した。相浜は両腕を広げて、正拳突きと共に押し出されたペンを、全身で受け止めたのだ。


 そして麻咲の拳は、貫いたのだ。

 内なる自分自身を!


 今まで麻咲に見えていたそれは、内なる彼自身の暗黒面であったのだ。

「どうやら会得したな、『私』よ」

 と暗黒面は言った。

「私は結局、自分の価値という色眼鏡でしか自分を見ていなかったようだ」

「そうだ。お前は今迄、師匠の評価に執着するあまり、本当の存在意義を見失っていたのだ」

「私は麻咲より弱いと思って、僻んでいた。だが違った。麻咲と私とでは、使命が違うのだ」


 相浜は、己の使命が、魔界から来る敵から人間を守ることであると、初めてありありと感じることが出来た。

「暗黒面である私は、お前の往く道に、これからも幾度となく立ちはだかることになるだろう。だが、お前は今、その度に私を断ち切る剣を得たのだ。師匠から託されたものではない、お前自身の心の剣だ。だから、心置きなく、行け。相浜清牙よ!悪と戦い、人を守れ!」

 相浜は、力強く頷くと、現実世界に戻って行った。



  (九)~麻咲が生まれた原因~



 時を同じくして、麻咲は、神宮寺の車の助手席に座っていた。

「京都府内に入ったわ」


 麻咲は考えていた。彼が前世の記憶を持って生まれてきたことと、オロチがタイムスリップして来たことには、何か関係があるのじゃないか、と。


 麻咲は考えた。前世は、麻咲家の血縁と関係のない、「一人の人間」としての麻咲イチロウの過去である。そしてオロチは、未来から来た存在であり、この時間の流れの中では独立した存在である。麻咲には、この両者が似ている気がしてならなかったのだ。


 麻咲は口を開いた。

「一つ訊いていいか」

「ええ」

「あんたのいた時間に、俺はいたのか」

 神宮寺は、少しためらったが、やがて言った。

「多分、いないわ。あなたは、オロチの時間改変の余波で生まれたのよ。気を悪くしないでね」

「気を悪くするものか。それを聴いて吹っ切れた」

 神宮寺は麻咲の顔を見た。その顔は、彼女が初めて見た、麻咲の晴れやかな表情であった。


 彼はアイデンティティーを取り戻したのだ。

 言わば、彼は時空を超えたオロチの出現によって、無から生み出された、一個独立の人間であったのだ。

 彼にはもはや、麻咲家への執着はなかった。あったとしても、それは、前世の記憶に基づく、怪奇現象退治への意志を、妨げるものではなかったのだ。

 彼は、高らかに宣言した。

「結局、俺は俺以外の何者でもない。たとえそれが、前世の断末魔の中であったとしても。俺は、魔を裂く朱赤の竜、麻咲イチロウだ!」

 己の口から出た己の名が、彼の耳から入り、彼の心に「帰ってきた」気がした。



 麻咲は、運転席で、神宮寺が泣いていることに気付いた。

 麻咲が「どうした」と声を掛けると、彼女は徐に、呟くように言った。

「麻咲イチロウ、それが貴方の名前。嗚呼・・・奇跡だわ。私の愛した竜血旋士の名も、栄山(さかえやま)イチロウだったのよ」



 二人のファースト・ネームが同じだったことに、神宮寺のみならず、麻咲もまた、奇跡を感じずにはいられなかった。

 まるで、時空を超えて、存在を超えて、その名を襲名していたかのような、奇妙な運命・・・。


 学生刑事イチロウ。

 そして竜血旋士麻咲。

 たとえ歴史の流れが変わっても、たとえ存在が別だとしても、ペンスピナーの魂は、確かに受け継がれていたのだ!



 麻咲の前世の記憶は、これからも彼の心を痛め、戦いに駆り立て続けるだろう。彼はこれまで、前世で受けた苦しみを忌み嫌い、それ故に、家を捨ててまで一人で戦ってきた。

 しかし今、前世の記憶と、アイデンティティーは互いに直結した。前世の苦しみの記憶は、陽光に照らし出されたのだ。彼の前世の記憶はもはや、麻咲に痛みを与えるだけのものではなくなったのだ!


 麻咲の脳裏に声が聞こえた。イシュタールのものであった。

「どうやら試練を越えたようだな、麻咲イチロウ」

 と。



  (一〇)~和解~



 神宮寺の車がようやくキンメイチクに到着した。二人は無残に破壊された店の惨状を見て、驚いた。

「どういうことなの」

「解らん。誰も残っていないところを見ると、連れ去られたな」

「オロチの手下?」

「恐らくな」


 そこに相浜も現れた。麻咲は相浜に、現状を説明した。

 麻咲は地面に、何かの光を見出した。

「何?」

 神宮寺の問に、麻咲は答えた。

「田中が道しるべを付けたようだ。これについて行けば、敵のアジトに乗り込める」



 相浜は麻咲の顔を見据えて言った。

「麻咲。私はお前を、自分の基準で判断して、誤解していたようだ」

 麻咲は、憑き物が落ちたように晴れやかな面持ちで、これに答えた。

「どうやら吹っ切れたようだな」

 そう言って麻咲は相浜の肩を叩いた。

「お互いにな」

 二人は微笑み合った。

 二人の戦士は、それぞれの試練を乗り越え、互いを戦友たらしめ合い能うたのだった。



 そして神宮寺は、相浜に、ことのあらましを伝え、そして言った。

「私は今から、この時代の、オロチの誕生を阻止しようと思うの」

「そうすると、オロチは最初から存在しなかったことになるのか?」と相浜。

「いいえ。私の来た時間軸と、タイムスリップによって生じたこの時間軸には因果関係がないもの」

 二人は、そのことを神宮寺に任せることにして、ヤマワラシの城へと足を急がせることにした。



  (十一)~ヤマワラシの城~



 森の中にある、ヤマワラシの城。柱に、菩薩峠が縛り付けられていた。

 そこに、ヤマワラシが田中を連れて帰ってきた。

 田中と菩薩峠は、互いに呼び合った。


 田中がヤマワラシに言った。

「何が望みだ」

「お前は俺様の食料になるのだ」

「解った。従おう」

 菩薩峠が叫んだ。

「駄目よ!」

 田中はそれを意に介さず言った。

「その代わり、約束通りその人を放せ」

「この女は俺様の花嫁だ。誰が放すものか」

「それでは約束が違う!」

「騙されるお前が莫迦なのだ」

 そう言ってヤマワラシは豪傑に笑い始めた。


 田中は、ヤマワラシが笑っている隙を突いて、菩薩峠のところに跳んで行き、縄を解いた。

「おのれ!」

 ヤマワラシは二人を追いかけた。二人は走って門まで逃げたが、門は閉められていた。ヤマワラシは二人を追い詰めた。

「おのれ人間め。梃子摺らせおって!貴様は俺様の花嫁だ!」

「あなたの花嫁になるぐらいなら、死を選ぶわ」

「そこまで言うなら、望みどおりにしてくれる!」

 ヤマワラシは二人を一気に荒々しく掴むと、喰らおうとした。

「死ぬときは一緒だ」

「あなた莫迦よ」

「俺は君を愛しているんだ」



 二人が運命を共にせんとした、そのときである。朱赤の竜巻のようなものが、ヤマワラシを直撃したのだ。

 ヤマワラシは呻き声を上げ、手を離した。二人は着地した。

「何者だ!」

 竜巻の戻り行く方を、ヤマワラシが見た。

 夜霧の中から、二人の男が現れた。

 一人は朱色のスカーフ。他方は浅葱色のコート。そう。麻咲と、相浜である!



 第五幕・終

2013/12/04第六話起筆

2023/05/02本文手直し(セリフ以外)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ