第四幕 「昼、夜、朝」
原題:第四話''Day, Night, Morning'' 「絆」
(一)
喫茶店キンメイチクで、店長の田中が、買った覚えのないワインのボトルに気付いた。見ると、一九九四年物のヴィンテージ・ワインであった。
背後から声が聞こえた。
「何をしてる?」
振り向くと、相浜が立っていた。
「これ、君が持ってきたのかい?」
「ああ」
相浜はぶっきらぼうに答えると、田中の手からボトルを取り上げた。
「君が酒を飲むとは知らなかった」
「家の倉庫に眠らせてたんだが、仕事場のここに持ってきた。いつでも開けられるようにね」
一抹の憎しみを含めてそう言うと、彼は、店の奥にある、彼専用の訓練場へと姿を消した。
(二)
時節は真冬。時は白昼。
場所は、京都から遠く離れ、岡山市のN駅。
今、電車が駅に到着した。開かれた扉から解き放たれた乗客たちの内に、麻咲イチロウも含まれていた。
数日前、麻咲に連絡が入った。麻咲が中退した東京の大学の、武道ペン回しサークル――サークルとは名ばかりであり、実態は武道ペン回しの本部――からである。
武道ペン回しサークルの母体である、「吉備流忍家」の総本山「竜血寺」に魔獣が現れたというのだ。吉備流の門下生たちは苦戦し、追い払うのが精一杯であったという。
(三)
岡山市北部にある、俗に「西日本の樹海」と呼ばれる森。足を踏み入れたものは二度と人目に触れることがないと云われているこの森に、麻咲は躊躇なく足を踏み入れていった。昼尚暗く、常人ならば即座に恐怖に因って辞するを強いられようおどろおどろしさにも、麻咲は微塵も動じず。
しかしそのようなおぞましい風景も、十五分ほど歩くと、突然に開けた場所と化した。頭上は変わらず木の葉に覆われているが、先程までと異なり僅かな木漏れ日があった。
麻咲は足を止めた。僅かに殺気を感じたのだ。
そのとき、疾風の如く、何かが彼に向かって飛んで来た。彼は瞬時に身をかわした。
背後の木肌に突き刺さったそれは、手裏剣であった。
直後に、四方から多くの手裏剣が飛んで来た。麻咲はペンを取り出し、手指で華麗に回転させ、その全てを打ち落とした。
麻咲は言った。
「さっさと出て来い」
すると木々の隙間から、今度は、竜のような長いつむじ風がうねり出た。麻咲は、これを避けようとした。が、しかし、避け損ねて吹き飛ばされてしまった。
すぐに体勢を取り戻したとはいえ、彼は、「不覚をとった」と思った。
(たかが門下生に撃ち込まれるとは、スランプだろうか・・・)
つむじ風が戻っていった先から、声が聞こえた。
「やるな、侵入者」
現れたのは、雲水であった。手には、細く削った樫の棒を持っていた。
雲水は麻咲の、唇から血を流した顔に向かって、更に続けた。
「安心するがいい。愚僧は持戒の身だ。無益な殺生はせん。早々に立ち去れ。それとも、また愚僧の『手裏棒術』にかかりたいか」
そう言うと雲水は、樫の小棒を顔の後ろに構えた。麻咲も、同じようにペンを構えた。そのペンを見て、雲水は驚いた。
「そのペンは、一子相伝『竜血旋士』の証!」
「ようやく気付いたか。魔を裂く朱赤の竜、麻咲イチロウ推参!」
雲水は無礼を詫びると、麻咲と共に森を進んで行った。木々が、自ら道を開き、彼らの進路を示していったのだ。
すぐに二人の前に、先程の鬱蒼たる森林が嘘であったかのような、自然と調和した美しい禅寺が現れた。
(四)
住職の私室。
住職は室外に気配を見出し、入れ、と声を発した。
開けられた襖の向こうには、麻咲の姿があった。
「おお、お前か」
「ご無沙汰しております、老師」
麻咲は座布団を勧められ、一礼してからそこに座した。
「知っての通り、我々は唯の忍者ではない。戦国期に禅宗を始め、修験道などを取り入れた精神修行の道だ」
「はい」
「我々は野蛮な殺人技ではなく、対象物を尊重しつつ、その混沌を浄化する技を用いる点で他の流派と異なる。我々は言わば、魔性のものを鎮めるエキスパートだ」
この老僧は、竜血寺の住職にして、同時に「武道ペン回し」の前継承者でもあるのだ。その彼が、麻咲に退治を依頼した魔獣と言うのは、あの「オロチ」の眷属だというのだ。
麻咲は、オロチの名を聞いて、一瞬動揺した。亡き父が追い、今はその亡霊とも言うべき相浜が追っている敵の名を、思いがけず聞いたのだから。
その表情を見て、老師は言った。
「知っておるのか」
「京都で話を聞きました。しかし、奴は京都にいるはずです。此処にまで勢力を拡げているのですか」
「此処だけではない。奴の狙いは、全国統一なのだ」
老師は、麻咲も知らぬオロチのことを、よく知っているようだった。
「詳しくお願いします」
麻咲に求められ、老師は話し始めた。一連の事件の首謀者「オロチ」の秘密を。
(五)
オロチが初めて現れた、三十四年前の夜。
代々、魔界の敵と戦う宿命を継ぐ、多くの剣士たちが、オロチの討伐に向かった。その中には、若かりし日の、麻咲の父もいた。剣士たちは、オロチを倒そうとしたが、オロチは彼らを、次々と食い殺していった。
その事件以来、オロチは長らく姿を消していた。しかし、数年前、政財界の黒幕・信楽を手中に収め、本来は敵である「京都ホラーハンター」を乗っ取らせてから、オロチは再び動き出したのだという。
オロチの野望は、魔界と人間界の両方を征服し、天下を統一することにあるというのである!
今回、竜血寺が受けた襲撃は、オロチの地方遠征の一環と思われるのだ。
(六)
「御安心を。その前に俺が倒します」
その言葉を聞いて、老師は微笑しながら言った。
「自信過剰は変わっとらんな」
老師は、寺を襲った敵の姿について話した。大きな生首から、多くの手が生えたものであったという。
麻咲はその敵について、昔、父から教わったことがあった。それは、魔獣「ツチグモ」というものであった。
「我が後継者がお前で、心強いぞ」
聞き終えると、老師はそう言った。
(七)
一方、京都K市の喫茶店「キンメイチク」に、珍客があった。
菩薩峠が決別した、京都ホラーハンターの「菩薩峠部隊」の隊員たちである。菩薩峠に、組織への復帰を頼みに来ていたのだ。
「何度言われても組織に戻るつもりはないわ」
頑なに断る菩薩峠に、隊員は更に嘆願を重ねた。彼女の統率力は、彼らをして惜しまれる程のものであったのだ。
「あなたを措いて、我々の班長はいません。我々一同の願いです」
それに対し、菩薩峠は疲れた表情で、諭すように言った。
「何時までも私に頼っていては駄目。あなたは参謀として、申し分のない働きをしていたわ。新しい班長としても、その腕は言うことないはずよ」
参謀は、暫しの沈黙の後、意を決したように言った。
「笹川会長の陰謀の件ですか」
菩薩峠の沈黙に、肯定の意を汲んだ参謀は、更に言った。
「班長は、我々に危険が及ばないように、一人で戦うことを決められたのでしょう。しかし、我々はあなたに付いて行く覚悟です」
対して菩薩峠は、断固として言い放った。
「これは私が独りで決めたこと。あなた達を巻き込むわけには行かないの」
「班長・・・」
「私はもう班長じゃないわ」
そう言って、菩薩峠は隊員たちを追い返したのだった。
(八)
その夜。「西日本の樹海」に近い、岡山市郊外の街。
麻咲は日中より目を付けていた、小企業のビルの前にいた。
麻咲は、このビルにこそ、ツチグモが潜んでいると確信していた。
その根拠の一つは、ツチグモには、乱雑な場所を好む習性があること。そして、寺を襲撃しやすいよう、そう離れていない場所に潜んでいる筈だということ。そして何より、彼の鋭敏な感覚が、このビルに潜む邪悪な気配を感じたからだ。
麻咲はビルに足を踏み入れていった。
残業で独り残っていた女性社員が、仄暗く、整頓の為されていない物置で、探し物を見つけられずにいた。
彼女は、大型のロッカーの中を探そうと、その扉を前方に引いた。
散らかったダンボールに阻まれながらも、なんとかロッカーを開けることが出来た。
ロッカーの中には、巨大な生首があった。
女性は絶叫した。
そのとき、背後から声が聞こえた。
「逃げろ」
振り向くと、朱色のペンを手に持った麻咲イチロウが立っていた。
「早く逃げろ」
麻咲に促され、女性は逃げて行った。
生首が声を発した。
「朱赤のペン。さては、麻咲イチロウだな」
麻咲は
「すっかり有名人だな」
と莫迦にしたように言い放った。
生首から、八本の長い手伸びると、ロッカーを突き破ってその不気味な姿を現した。オロチの手下・ツチグモである。
麻咲は、ペンを回した。
「必殺、武道ペン回し!」
ペンは麻咲の手より放たれ、ツチグモに向かって飛んだ。
ツチグモは瞬時に身をかわし、麻咲のペンを退けると、地獄の入り口のような大きな口を開き、突風の如き吐息で麻咲を吹き飛ばした。
麻咲の体躯はガラスを突き破り、ビルの外に投げ出された。麻咲は、身を翻して着地した。
(やはり妙だ。俺は相浜と再会してから、弱くなったのか?)
ビルの窓から、ツチグモが這い出してきた。敵は、ビルの外壁を自在に走り、麻咲の許に降り立ち、彼をその長い手で突き飛ばそうとした。
その瞬間、背後からナイフが飛来し、敵に直撃した。僅かに怯んだツチグモの後方に、投げナイフを持った女がいた。彼女は黒いスーツに身を包んでおり、歳の頃は麻咲より二、三上と見えた。
「オロチの手下、覚悟しなさい」
そう言うと女は、再びナイフを投げた。ツチグモは、俊敏に身をかわし、飛んできたナイフを退けた。しかし敵は、麻咲が倒れたまま放ったペン回しに直撃され、先程のビルの外壁に叩きつけられたのだった。
「同時に攻撃するのよ」
麻咲は立ち上がった。
「解った」
二人はツチグモに向けて、同時に攻撃を放った。ツチグモがペン回しを避けようとビルの上に這い上ったところに、女性の放ったナイフが命中し、ツチグモは叫び声と共に爆発した。
女性は麻咲に近付くと、微笑みつつ話しかけた。
「武道ペン回しの継承者ね。私は刑事の、神宮寺麗美よ」
麻咲は、何故かこの女性に既視感を覚えた。
「どこかで逢ったか」
「そう思うなら、きっとそうなのよ」
そう言って、神宮寺は微笑んだ。
麻咲は、形容し難い、霊妙な感覚に包まれた。はるか昔、どこかで感じたような感情・・・。麻咲はそれを思い出そうとした。しかし、このときはまだ思い出せなかった。
(九)
時を同じくして、京都では、菩薩峠が、二匹の敵に挟まれていた。袋小路や廃村にいたものと同じ、オロチ配下の黒色の戦闘員である。
二匹に挟まれた菩薩峠は、気丈に、信楽の野望を必ず討つと言い放った。しかし、敵は嘲笑い、信楽に操られている訳ではない、と言った。たかが「人間ごとき」に操られはしないのだ、と。
「オロチ様に楯突く人間は、抹殺する!」
二匹の敵は、同時に飛び掛ってきた。
そのとき、敵は銃弾に直撃され、吹き飛んだ。
銃弾は、かの菩薩峠部隊の隊員たちのものだった。
菩薩峠は彼らを大喝した。
「なぜ来たの!」
「我々も組織に辞表を提出しました」と参謀。
「これであなた達も狙われるのよ!」
参謀は、力強く言い放つ。
「我々も、同じ想いです!」
敵は体勢を持ち直した。菩薩峠は隊員たちに、一匹を任せると言い、自らはもう一匹の相手をした。隊員たちは、一匹の敵に銃弾を浴びせた。敵は銃弾に直撃され、夜の闇に溶け込むように消えた。
もう一匹が、菩薩峠に飛びついたが、同時に敵の胸に彼女の銃口が突き付けられた。
「『人間ごとき』を甘く見ないで。私には仲間がいるのよ」
機関銃が火を噴き、敵は爆発した。
隊員たちは、菩薩峠に駆け寄り、敬礼した。菩薩峠は返礼した後、微笑して言った。
「これよりキンメイチクに帰投します」
(一〇)
夜が明け、朝が来た。
相浜が、開店前のキンメイチクの扉を開けた。そこには、菩薩峠部隊と、田中オメガが談笑している光景があった。
相浜は、無理に笑顔を作りながら、田中に詰め寄った。
「オメガ。これはどういう訳だ」
田中は、飽くまで笑顔で言う。
「皆オロチとの戦いに協力してくれるんだよ」
「いい加減にしろ!」
相浜は怒鳴りつけた。
「じゃ、力尽くで追い返すかしら?」
菩薩峠が笑いながら言った。
そこに更に、麻咲が入ってきた。
「麻咲さん、お帰りなさい!」
「よう。賑やかだな」
麻咲は、相浜をからかうように、悪戯っぽく言った。
相浜は天を仰いだ。
戦いの夜が明けた、ひと時の、美しく穏やかな光景であった。
(十一)
日暮れ時。
ただならぬ不穏な気配が古都を包み込んだ。
少しでも鋭敏な感覚を持つ者であれば、誰もがその気配に気付いただろう。
荒野に集まった麻咲、相浜、菩薩峠とその部隊、そして田中は、暗雲の中にはっきりとその姿を観たのだ。
二つの頭に、悪意に満ちた赤い眼をもつ、魔獣・オロチの姿を!
オロチの声が、雷鳴のように響き渡った。
「矮小で低劣なる人間ども!儂は双頭の悪竜、オロチ様である!」
菩薩峠は問うた。
「教えなさい。あなたは、信楽会長なの?」
「笑止!信楽は我が傀儡に過ぎぬわ!」
相浜はオロチに戦いを挑んだが、片手で易々と払い落とされ、地に叩きつけられた。
「貴様らごとき虫けらに、このオロチ様に傷一つ付けられるとでも思ったか!片腹痛いぞよ!わあっはっはっはあっ!」
そして、オロチは高らかに宣言した。自らは、やがて人間と魔獣の頂点に君臨する、来たるべき日の「帝王」であると。
宣戦布告は為された。
オロチの豪傑な嗤い声は、永久にこだまし続けるようであった。
第四幕・終
2013/11/28第四話起筆
2023/04/27本文手直し(セリフ以外)