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オロチ  作者: 坂本小見山
3/7

 第三幕 「罪悪」

原題:第三話''Guilt'' (原邦題は省略)

  (一)



 師走に入って間もないある夜。古都の廃村に、麻咲イチロウが足を踏み入れた。この夜も彼は、人を不幸にするおぞましい怪異を、最強のペン回しで叩き斬りに来たのである。



 彼が来てから暫くして、もう一人別の男が廃村の前に現れた。黒の上下に身を包み、浅葱色一色のコートを羽織った、非常に風変わりな出で立ちである。

 彼の名は相浜(あいはま)清牙(せいが)。十一年前、家を捨てた麻咲の代わりに、彼の父の跡を継いだ男である。

「この廃村の先だな」

 相浜は斯く言うと、村に足を踏み入れた。



 廃村に、一人の浮浪者の男が住み着いていた。彼は辛うじて風雨を凌ぎ得るのみの荒ら家に身を置きつつ、安酒を飲んでいた。


 そのとき、何も無いはずの空中から、謎の声が聞こえた。

「感じる。自責の念だ」

「誰だ」

 男は辺りを見回した。

「お前の罪を滅ぼしてやってもよい」

 空中から影が現れ、彼に囁いた。

「本当か」

「私に魂を売れ」

 男は、その誘いに乗ろうとした。


 そのとき、破れた障子の間から、朱色のペンが凄まじい速さで回転しながら飛来し、影に直撃した。姿を現した敵は、以前、菩薩峠(ぼさつとうげ)達が袋小路で斃したのと同様の、オロチの手下の怪物であった。

 男は障子の方に目を遣った。障子が開き、夜の闇を照らす強い光が差し込み、男は俄かに身を縮こめた。

 少し目を開くと、後光を放って現れた、麻咲の雄偉無上なる姿があったのだ。

「そこまでだ」


 怪物は、麻咲に飛び掛かり、掴みかかった。麻咲は怪物に掴まれたまま、障子を突き破り、外に転がり出た。怪物は麻咲を放り投げた。麻咲はひらりと華麗に着地した。

「人間の魂を食らう魔獣。この俺に浄化されることを誇りに思うがいい」

「貴様、唯の人間だな」

 怪物はそう嘯き、嘲笑したが、麻咲は更に嘲り返して

「無知ほど怖いものは無い」

 と言うと、再びペンを構えた。

「必殺・・・」


 彼の言葉が終わらぬうちに、別の声が聞こえた。

「そいつの言うとおりだ」

 麻咲と怪物が声の方を向くと、相浜が立っていた。

「唯の人間は退いてな」

 十一年の年月は、少年だった麻咲を青年へと変え、相浜は彼に気づかなかった。だが、麻咲は相浜に気付き、心の中で密かに驚いたのだった。


 相浜は小振りな剣を持っており、怪物に斬りかかった。怪物は瞬時に身を退けると、翅を広げて夜空に羽ばたいた。

「逃がすか!」

 相浜は飛び上がり、空中で怪物と戦い、やがてこれを斬り捨てた。怪物は断末魔の叫びと共に爆発した。



 地上に戻った相浜は、麻咲に歩み寄った。

「お前か。京都ホラーハンターとか言う不埒な組織の身の程知らずは」

 相浜は、麻咲を「京都ホラーハンター」の隊員と間違えたのだ。麻咲は、敢えて何も答えなかった。

 相浜は、麻咲にオロチ退治から身を引くように勧告した。そして、来た道を戻らず、廃村を突っ切って行った。



 麻咲は荒ら家に戻り、見回したが、浮浪者の姿は見当たらず、逃亡したと思われた。

(今回、オロチが手下を呼ぶためのゲートとして使ったものは、ちょっと変わったものだ。あの男を探さないとな)

 心中にてそう言いながら、麻咲は引き上げて行った。



 このとき、麻咲はまだ気付いていなかった。父の弟子との再会が、麻咲のアイデンティティーを崩し始めていたということに・・・。



  (二)



 先程の村を少し離れたところに、「喫茶・軽食 キンメイチク」の看板がある。

 明け方、そこに相浜が入ってきた。

「開店はまだですよ」

 と言って出て来たのは、あの田中オメガであった。

「清牙じゃないか!」

「ただいま」

 二人は和やかに笑みを交わした。

「二手に分かれていて正解だったな」と相浜。

「ははは。欲を言えば俺と清牙が逆だったらもっと良かった」と田中。

 二人は笑い合った。



 ――数週間前、魔獣退治の組合(ギルド)から、二人に指令が下りた。

 K市に出現したアマノジャクが、M市に飛んだという情報が入ったのだが、M市で犠牲者がまったく報告されていないのだ。「何者か」が情報を撹乱している可能性があるが、もしそうだった場合、そのことにギルドが気付いていると敵に悟られることは喜ばしくなく、詳しい調査はすべくあらない。

 情報の真偽が確認できないので、相浜はゲートとなった線路の「闇」を浄化した後、指令通りM市に向かい、オメガはK市に残り、万一それが偽情報だった場合に備えた。

 そしてその万一が起こっのだ。



「それはそうと、ここに来るまでに廃村があった。何十年も前に疫病で村人が全滅したところさ。何がゲートになってもおかしくない場所だよ」と相浜が言うと、田中はニヤリと笑って、「俺を見くびっちゃいけないよ」と返した。

 田中は、もう三年も前に廃村のことに気付き、綿密に調査して、家伝の技で浄化したというのだ。つまり、あの村には、「オロチ」が手下を呼ぶためのゲートとなり得るものはない筈なのである。

 では一体、昨夜の怪物は、何をゲートとしたのだろうか・・・?田中も首を傾げた。



 そのとき、一人の女性が店に入ってきた。

「失礼」

 菩薩峠である。

「すまないが、開店はまだなんだ」

 店主に代わってかく言った相浜を制して、田中は言った。

「いいんだ。紹介するよ。ホラーハンターの菩薩峠(ぼさつとうげ)(さき)さんだ」

「元ホラーハンターよ」

 田中は、菩薩峠を「共に戦う仲間」として紹介した。


 相浜は、頷きながら言った。

「オメガ。私は安心した」

「え?」

「お前は杓子定規な奴で、もう少し砕けてても良いんじゃないかと思っていたんだ。お前もジョークを言えたんだな。安心したよ」

「マジなんだ」

 そう言って田中は、菩薩峠の決意が固いということを相浜に力説した。

 だが、相浜は鼻で笑った。

「唯の人間にか?笑わせるな」

 菩薩峠は見るからにムッとした様子で言った。

「唯のか何か知らないけど、あなただって人間でしょ?莫迦にしないでちょうだい」

 相浜は呆れた顔をした。

「私は知らんぞ。ただ邪魔だけはしないでくれ」

「お互いにね」

 相浜と菩薩峠は、鋭く睨み合った。


 田中は、険悪極まる二人の間に割って入り、話題を変えた。

「京都ホラーハンターの前会長である彼女の母が亡くなって、現会長に代わってから、組織に陰謀が見え隠れするようになったんだ」

 田中と菩薩峠は、現会長の信楽が、オロチの系譜の魔獣のみを見て見ぬ振りをしていたことを相浜に話した。

「恐らく、現会長こそがオロチなんだ」

「陰謀の存在に気付いたから、私はあなたたちに付くことに決めたの。組織と決別して」


 相浜は、ギルドに偽の情報を流したのも、廃村にオロチの手下を召喚したのも、信楽会長の仕業ではないかと考えた。



「それにしてもオメガ、アマノジャクを倒したんだな。良くやった」

「俺じゃないんだ」

「まさか、このホラーハンターの女か?」

「私でもないの」

「確かマサキとかいう名だ」

「今、麻咲と言ったか?」

「ああ」

 麻咲・・・。それは、今は亡き師匠の名。その名を聞いて、相浜の顔は引き攣った。言われてみれば、昨夜の「ホラーハンターの隊員」の顔は、確かに似ていた。いつか見た、師匠の令息の顔に。


「まさか・・・いや、あり得ん」

「何か知ってるのかい?」

 相浜は、首を横に振った。

「いや、思い違いだろう」

 そう思い込みたかったのだ。相浜にとっても、麻咲との再会は、アイデンティティーの崩壊をもたらすものであったのだから。


「とにかく、俺は廃村に行ってゲートを探してみるよ。見つかったら、浄化を頼む」

「解った」



  (三)



 翌日の夕刻。京都府K市からそう遠くないM市の、地名の由来でもあるM川の河川敷を、かの浮浪者が空き缶を拾いつつ歩いていた。


 背後から、麻咲が歩いて来、すぐに男に追いつくと、声をかけた。

「よう」

「君は、あのときの」

「助けてやった礼に、話を聴かせてほしい」

「話だって?」

「奴はあんたの罪を消す、と言った。説明してくれ」

「そりゃ、好奇心かい」

「あんたも見た筈だ。闇を浄めるのが俺の仕事なんだ。そのために聴いておく必要がある。あんたについて」



 二人は西に向かって河川敷に座り込んだ。男は身の上を話した。

 男の名は安田。若かりし日の彼は、帝都大学で学生運動に身を投じていた。

 ある日、彼等が活動拠点としていた学生寮に、警察隊が奇襲を行ったのだ。安田は憤慨した。奇襲は、闘争の倫理に悖ると考えたのだ。


 結局、安田達の学生運動グループの戦力は意外に大きく、警察は苦戦を強いられ、その挙句に協議を申し出た。

 しかし、怒りに冷静を失っていた安田は、協議相手の若い警察官を棒で殴ってしまった。そして、運悪く、警察官は絶命してしまったのだ。


 安田は逮捕されたが、警察は、かの奇襲を表沙汰にすることを嫌い、安田に執行猶予を取り付け、釈放した。

 安田はその後、良心の呵責から、死んだ警察官の家族の許に謝罪に赴いたが、家族は面会を拒んだ。その上、警察官には婚約者がいたのだが、彼がその許に赴いたとき、すでに彼女はこの世の人ではなかったという。


 安田は自責の念から、永遠の不幸を追求するようになった。彼は学生運動を辞め、大学も中退した。その後は定職にもつかず、路上生活を行い、やがて廃村にたどり着き、住み着いたということであった。

 ここで安田の独白は終わった。



 夕日に赤く染められた二人の顔が、沈黙を守った。

 暫くして、背後から麻咲を呼ぶ声が聞こえた。二人が振り向くと、田中と菩薩峠、そして相浜の三人がいた。


 麻咲は

「立ち聞きとは悪趣味極まるな」

 と諌めた。

「すみません。割り込むのも申し訳ないかと思いまして」

「どっちにしても申し訳ないだろうな。用は何だ」

 麻咲は不機嫌そうに言った。


 田中は、謝罪もそこそこに、用件を述べた。それは、昨夜、廃村に現れたオロチの手下の件であった。

「実は、ゲートが廃村のどこにも見当たらなかったんです。そこで、範囲を拡げて探査したところ、この男性の付近にゲートがあることが判ったんです」


 麻咲はフッと笑い、言った。

「そうだろうな」

「もうお判りなんですか。何がゲートか」

「お判りも何も、この男が背負ってるやつがゲートだ」



 ・・・誰も気付かなかったのだ。目が捉えても、それを意識に留めることがなかったのだ。これまで安田と出逢った、誰もが。


 ・・・安田の背中にだらりと圧し掛かっている、撲殺された警察官の自縛霊に!


 菩薩峠は恐怖に声を上げた。同じく驚愕に顔を歪ませている田中が、菩薩峠の震える肩を抱いた。



 安田は自縛霊に言った。

「俺を殺すがいい」

「駄目だ。そいつには人間としての意思はない。特定の『負の想い』が生前の形をとっているだけだ」

 麻咲は冷然と言った。


 相浜は動揺する訳でもなく、踵を返した。自縛霊はゲートとして不安定だから、もうそこからオロチの手下が現れることはないと判断したのだ。


 歩き始めた相浜に、麻咲が非難を浴びせた。「気楽な商売だな」と。

 相浜は反駁するために振り向いた。

「唯の人間のお前に、騎士の何が解る」

「解るさ。人を守るのが騎士だ」

 相浜は、その言葉に聞き覚えがあった。それは、師匠の口癖であったのだ。


 麻咲の正体を俄かに悟り、驚く相浜を尻目に、麻咲はペンを構えた。

「必殺・武道ペン回し!」

 麻咲がペンを放つや否や、彼も、彼のペンも、そして自縛霊も、一瞬姿を消してしまった。



 暫し後、再び麻咲が姿を現した。その手には朱色のペンが戻っていた。自縛霊の姿はなかった。

「浄化した。霊の『意識』の方は、既に成仏し、涅槃に至っていたようだ」



  (四)



 安田は気を失っており、田中の経営する喫茶店キンメイチクの奥で休んでいた。


 既に閉店時間を過ぎ、客のいない店内には、田中と菩薩峠が座っている。

「今日はありがとう。あなたのいる側について、良かったわ」

「俺もだよ」

 二人は見つめあった。菩薩峠が、田中に唇を近づけた。

 そのとき、店の奥で安田が意識を取り戻した気配があった。田中は席を立ち、店の奥に行った。



  (五)



 M川河川敷。麻咲が地に座して川を眺めているところに、相浜が現れた。

「麻咲、お前だったとはなあ」

「漸く気付いたか。京都くんだりで逢うとは、奇遇だな」

「ここが私の管轄だ」


 相浜は腕を組み、立ったまま話しだした。

 十一年前、麻咲が家を出ていなかったら、今頃この剣を持っているのは相浜ではなく麻咲であった、と。

「お前には解るまい。私が、どんな思いでお前の親父さんに師事してきたか。師匠は、一人息子でありながら勝手に家を出たお前を恨んでいた。だが、お前の才能を惜しく思っていた。だから、弟子の私を跡継ぎに決めた後も、事あるごとにお前と比べられてきた。師匠は亡くなるときも、イチロウを赦すな、と言っていた。恨みとは言え、師匠の頭には息子であるお前のことしかなかったんだ」



 暫くの沈黙の後、麻咲は川面に視線を遣った侭、言った。

 廃村で見た相浜の太刀筋は、既に父を超えたものであった、と。

 だが、麻咲に対する劣等感に支配されていた相浜の心は、彼による好評をも跳ね返し、彼は麻咲の無責任を非難したのだった。


 麻咲は、振り向いて相浜の目を見据え、語気を強めて言った。自分にとって大切なのは、人を襲う怪異を倒す「意志」であり、「伝統」などではないのだ、と。そして、例え家を継いだとしても、それは伝統を守るためではなく、人を守るためだったろう、と。

 そして麻咲は、朱赤のペンを取り出した。

「こいつも、俺にとって、意志のための道具に過ぎない。騎士の剣と同じに」

「お前にとってはそうかもしれないが、私にとっては騎士の剣こそがすべてなんだ!」

 相浜は、声を荒げた。

「私も師匠も、お前を赦さないからな」


 相浜は浅葱色のコートをはためかせながら去っていった。それは、相浜の師匠、すなわち麻咲の父が愛用していたコートであった。

 麻咲の目には、相浜の後姿が、父の亡霊のように映った。

 麻咲の耳には、相浜から受けた非難が、父からの叱責のように響いた。


 彼は、家を出たことを後悔しそうになるのを、必死で堪えていたのだ。



 暫く後、田中が安田を連れてやって来た。田中は、安田を残して去って行った。安田は言った。

「今回は、いろいろとありがとう」

 その一言が、麻咲の心に生じ始めていた後悔を消し去った。彼は、己の働きへの誇りを取り戻したのだった。


 麻咲は、改まって言った。

「実はあの時、俺はあの警察官と話した」

「えっ?」

「面白いことが分かったぞ。驚くなよ」

 安田は頷き、聴き入った。

「あの警察官も、高校生の頃、学生運動家だったんだ。そして、誤って警官を死なせてしまった」

 安田は驚いた。

「警察の奇襲が原因だから、警察は彼を深く罰しなかった。だが彼は責任を感じ、警察学校に進み、何時の日か学生運動を鎮める側に回ろうと考えていた」

 安田は、それを聞いて息を呑んだ。まったく、己の身の上と一緒であったのだから。

「俺も最初、あの自縛霊は彼の『殺されたことへの恨み』だと思っていたが、違ったようだ。どうやら、彼は、自分のせいであんたが自責の念に駆られたことを、申し訳なく思っていたようだ。時が経って、その想いが闇になり、自縛霊となったんだ」


 安田は、感謝の念に胸を埋め尽くされた。警察官は、彼を赦していたのだ。そして、負の連鎖を断ち切ることを望んでいたのだった。


 麻咲は、暫く沈黙を守った後、言った。

「人間の行いは、凡て縁で結ばれている。あんたは人を殺め、その家族を苦しめた。あんたはそんな自分を認められなかった。あんたは、不幸に逃げていただけだ。償いじゃない。罪も含めて、自分を受け入れろ。目をそむけるな。それがあんたの罪滅ぼしだ!あんたが幸福になれば、それが、あんたが自分を受け止め、罪を償ったことになる」



 昇り始めた朝日を、後光のように背負った麻咲は、激励の言葉をかけた。

「さあ往くんだ。お前の道を。決して迷わずに!」

 と。

 それは、安田に対してであり、同時に、ひと時でも迷いそうになった自分自身に対してでもあったのだ。



  第三幕・終

2013/11/23第三話起筆

2023/04/25本文手直し(セリフ以外)

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