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  作者: シュール
4/4

採用

 ゆっくりとペダルを踏みながら、店の前を通りすぎる。

 アルバイト募集の紙はまだ貼ってあった。

 しばらく行くと、誰も見ていないのに、あっ!と、何かを思い出したかのような芝居をすると、回れ右をして、来た道を戻った。

 都合よく、店の扉の横に煙草の自動販売機があった。

 財布から小銭を取り出しながら、横目で電話番号を暗記する。

 自動販売機から煙草を取り出すとき、もう一度最後の確認をした。

 店から離れると、すぐに道を折れ、財布の中にしまっておいた小さな紙切れに電話番号を記入した。


「すいません、アルバイトの件で電話させてもらったんですけど、三十八歳でも大丈夫ですかね?」

「あのう、申し訳ないんですけど、私アルバイトなんでその辺わからないんですよ。社長は夜十時を回らないと来ないんで、お名前とか希望の曜日とかを書いてもらう用紙があるんで、それを書きに来てもらえますか?」

「夜八時頃でもかまいませんか?」

「はい」

「わかりました。

 じゃあ、行かせていただきます」

「あのう、お名前は?」

「山田と申します」


「俺も落ちるとこまで落ちたなあ。

 Hビデオ屋でアルバイトやって。

 K大学まで行かせた親泣くで、ほんまに」

「お父さんらには言わんほうがええで」

「わかってるよ。

 おやじはまだしも、母親が聞いたら、ただでさえ体調悪いのに、口から泡吹いて倒れよんで。

 駅前の本屋でってことにしとくからあんたも話し合わせといてな」


 約束の時間に店の扉を押すと、すぐ脇にカウンターがあった。

「今日お昼にアルバイトの件で電話しました山田です」

「はいはい」

 背が百九十センチはあるかと思われる二十代後半くらいの男性が愛想よくカウンターの奥から出てきた。

「じゃあ、こちらの用紙に記入していただけますか」

 もともと下手くそな字が、緊張して、ミミズが這ったような字になってしまった。

“職業”の欄で一瞬手が止まったが、自営業、と書くと「これでいいですかね?」と男性に用紙を渡した。

「はいはい、これで結構です。

 そうしましたら、社長に渡しておきますんで、二、三日のうちに電話が入ると思います。あっ、電話は自宅と携帯どちらがいいですか?」

「携帯のほうにお願いします」

 しかし、四日たっても五日たっても、その社長さんから電話は掛かってこなかった。

「Hビデオ屋まで落ちたんかなあ」

「やっぱり歳がネックなんちゃうの」

「せやけど、三十五歳“位”やで」

「何か重たいもん持つ作業とかあるん違うの?」

「レジ作業だけやと思うで」

「そんなことないん違う。

 商品の搬入とか大量にあるんちゃうの」

「それでも、一日中やってるわけちゃうやろ。

 それに、ビデオ屋や言うても、今はもうほとんどDVDやから、あんなん百枚あったって重さはしれてるで」

「そしたらなんで電話掛かってけえへんのよ?」

「警戒してるんちゃうか。

 三十八歳、自営業、に」

「三十八歳、フリーター、よりはマシ違う?」

「ひょっとしたら興信所かなんかに身元調査を頼んでたりして」

「なんで、時給八百円で雇う人間にそこまですんのよ」

「そら、そうやわな」

 妻の言うことに納得した次の朝、消費者金融からの借り入れ限度額への残高二万円をコンビニのCD機から引き出し、開店早々のパチンコ屋で球を打っていると携帯電話が震えた。

 液晶画面に写った番号に見覚えはなかった。

 履歴書と職務経歴書を送っている会社は一社もなかったし、第一、その番号は携帯のものだった。


〈はい〉

 パチンコ屋から掛けていると悟られないよう店から離れて、着信履歴の一番上に並んでいる番号を液晶画面に並べると、すぐに中年の男性の声が返ってきた。

「山田と申しますが今お電話頂きましたでしょうか?」

〈あっ、山田さん、ご連絡遅くなって申し訳ないです。

 ビデオショップ・サライの竹本です〉

 ビデオ屋の社長だった。

〈急で申し訳ないですけど、今晩ご都合はどうですか?〉

「あっ、大丈夫ですけど」

〈じゃあ、七時に履歴書だけ持って店のほうへ来てもらえますか〉


 七時十分前にビデオ屋に着くと、社長はまだ来ていなかった。

「商品でも見といてください」

 カウンターの中の、四十二、三歳位の男性が言った。

 自分より年上の人がいるとは思ってもみなかったので、少しほっとした。

 カウンターから見て、店内の右半分は雑誌のコーナーで、左半分は、店の表の看板はビデオとうたっていたが、実際はほとんどがDVDだった。

 雑誌の表紙の女の子はまだしも、DVDのパッケージの女の子は目のやり場に困るほど露な格好をしていた。

 若い子にはかなり刺激的な職場だなと思っていると「お待たせしました」と言って竹本社長がやってきた。

「だいぶ、ご苦労されてるみたいですね」

 店の上にある喫茶店で俺の履歴書を見ながら竹本社長は言った。

 扱っているものがモノだけに、もし、そっちの筋の人ならどうしようかと思ったが、竹本社長は、五十歳半ばの、いかにも人の良さそうなおじさんだった。

「奥さんは、こんなとこで働くのに反対はしませんでしたか?」

「いえいえ、そんな贅沢言える立場じゃないんで」

「今は就職活動中ですか?」

「いえ、一緒に会社を辞めた人間と商売しよか言うことで始めたんですけど、なかなか軌道に乗らなくて・・・」

 この嘘は昨日から考えていた。

「勤めてはった会社の関係ですか?」

「はい。

 まあ、ブローカーみたいな感じで、最終のユーザーさんと、自分が勤めてたとき担当していた問屋さんの間に入れてもらってマージンを稼ぐ、まあ、伝票だけの仕事ですので、何か加工したり、在庫持ったりていうことはしないんですけど、ご存じの通り大阪は今冷えきってますんで、なかなか厳しくて・・・」

「まあ、山田さんらまだ若いから・・・」

(いえいえ、それが若くないんですよ。若かったらこんなとこ来てませんから)

「私も今でこそこんな仕事してますけど、バブルん時は結構羽振りようさせてもらってたんですよ。それがバブルが弾けた途端、一緒になって弾けてしもて・・」

 竹本社長は笑いながら言った。

「せやけどね、この間、高校の同窓会があったんですよ。

 二十年ぶりやったんかな。

 女の子はね、ほとんど来てるんですよ、懐かしいなあって。

 ところがね、男は半分も来てない。

 日曜日ですよ。

 本当に来れない用事があったのか、それともどうしても来たくない理由があったのか。

 名簿は事前に渡されてたんですよ。

 そしたらね、意外な奴が出世してたりね、逆に、頭ええ言うて国立大学行った奴がね、住所不定とか、聞いたこともないような会社行ってたいした地位にも着いてなかったりするんですよ。

 私もね、こんな仕事してるいうて正直にみんなに言うたんですよ。

 そしたら、おもろいことやってるなあ、人間なんかどうなるかわからんもんやな、食べていけたらそれでええねん、もう学校出てネクタイ締めてサラリーマンになって定年までおんなじ会社で勤める時代やないもんねえ、ってみんなでワイワイガヤガヤ話しまして。

 山田さん、人生下駄履くまでわかりませんで。

 まあ、頑張ってください。

 仕事はレジ打ち、これはバーコード読んでもらって、お客さんからお金頂いて、商品を袋に入れるだけです。

 あとは、商品の入荷と返品、これもバーコード読んでもろたらいいだけです。

 お客さんが入ってきたら『いらっしゃいませ』、大きすぎず小さすぎず、あんた入ってきたんはわかってますから、そんな程度でいいです。ここの客はどこか恥かしめを感じてますから、商品を買ってもらったときも『ありがとうございました』、愛想良過ぎず不愛想でなく、ちょうどお地蔵さんのように、ただそこにいるだけ、っていう感じでお願いします。

 まあ、K大学出てはる人には物足りん仕事やと思いますけど、一つよろしくお願いします」

「あっ、こちらこそよろしくお願いします」

 採用決定。

「山田さん、明日から来れますか?」

「はい」

「そしたら、夕方六時ですけど、仕事のほうは大丈夫ですか?」

「(なんもせんとぶらぶらしてるだけですから)大丈夫です」

「じゃあ、よろしゅう頼んますわ」

 頭を下げ、席を立とうとすると、竹本社長は俺を呼び止めた。

「子供さんは?」

「一人だけですけど」

「お嬢ちゃん?」

「はい」

「いくつですか?」

「小学校の二年生です」

「まだまだ可愛いですよね」

「ええ。

 だいぶ生意気になってきましたけど」

「家族は大事にせなあきませんで。

 私、去年離婚しまして。

 この歳になって、自分で洗濯したり、トイレ掃除するなんか夢にも思いませんでしたわ。

 まあ、お互い頑張りましょ」


 玄関の扉を開けると、居間から娘が駆け出してきた。

「父さん仕事に行くの?」

「うん」

「行ったらあかん」

 言うと娘は泣き出してしまった。

「今日は行かへんよ。

 明日から」

「明日もダメ」

 娘は俺のジーンズを掴むと更に大きな泣き声を上げた。

「行かへんかったらみんなご飯食べられへんようになんねんで」

 娘を引き摺りながら居間に入っていくと、妻が舌を出して笑っていた。


「友達のお母さんが言うてたわ」

 ぐずる娘を寝かしつけ、居間に戻ってきた妻が言った。

「ああ見えても子供いうのは、結構、環境の変化に敏感やねんて。

 私も働きに行くようになって、あの子学校から帰ってきてもあんたしかおれへんし、そのあんたが働きに行くって聞いたから自分が一人置いてきぼりにされるって思たんちがう」

「そうなんか・・・。

 あいつにも迷惑かけてんねんなあ」

「どうやったん?

 危ない筋の人やなかったん?」

「人の良さそうなおっちゃんやった。

 色々苦労してはるみたいやわ。

 『山田さん、まだまだ若いねんから』って、久しぶりに若いって言われたわ」

 テレビのリモコンを押して娘が見ていたバラエティー番組を替えると、代わりに、二日前に、三十八歳で亡くなった、平成の歌姫と言われた女性歌手の追悼番組が流れていた。

 バラエティー番組の中でハゲのずらを被って頬を赤く塗っていたお笑い芸人が、黒のネクタイを締め、神妙な顔つきで遺影に手を合わせている。

“三十八歳という若さでこの世を去った・・・・”

「働こうと思たら歳やって言われるし、死んだらまだまだ若いって言われるし。

 いったい、三十八歳てなんなんやろな」


 六時十五分前に店に入ると、昨日いた四十二、三歳くらいの男性が「どうぞ中に入ってください」とカウンターの中に招いてくれ「内川です、よろしく」と頭を下げた。

「山田と申します。よろしくお願いします」

「山田さん、そしたら、まず、レジ合わせ、やってもらえますか」

 そう言うと内川さんはパソコンのキーボードを何回か叩いてレジを開け、カウンターの下から、よくコンビニの店員がレジで小銭を入れて数えている少し傾斜の付いた黒いプラスチックの入れ物を渡してくれた。

「それぞれの溝に小銭を入れていってください。

 一番上の目盛りが枚数になりますから。

 私は札数えますので」

 レジ金額は一発で合った。

「山田さん、パソコンの方は?」

「ええ、そんな得意なほうじゃないですけど、勤めてたときもやらされてたんで大体はわかります」

「じゃあ、そんな苦労はしないですよ」

 言うと、内川さんはカウンターから出ていき、すぐに商品、裸の女性が露な格好をしてこっちを見つめているDVDのパッケージを持って戻ってきた。

「簡単なんですよ。

 まず、左上の〈販売〉『F1』のキーを押してください。

 そしたら担当者の欄へカーソルが行ったでしょ。

 そしたらそこに山田さんのコード‘5’を入れて『Enter』のキーを押してください」

【担当者】と太い線で囲まれた欄を細い線で二つに区切った片方の欄に‘5’そしてそのとなりの欄に“山田”という文字が現れた。

「後は、パッケージの裏に貼ってある細長いほうのバーコードを読んでください」

 ピッ、という音がすると、あっという間に、十桁くらいの数字が並んだ商品コードと、とても言葉に出してはいえない商品名、そして、その単価と消費税が画面の枡目を埋めた。

「これ一本だけでしたら、左上の〈合計〉『F1』のキーを押してください」

 画面の真中に、上から【お預かり金額】【商品金額】【おつり】の三段に区切られた桝が現れた。

「【お預かり金額】の欄にカーソルがいってますので、そこに実際に預かった金額を打ち込んで『Enter』のキーを押してもらうと自動的にお釣りの金額が表示されますんで、最後にお客さんの年齢をだいたいで結構ですから、二十代やったら『F2』のキーを、三十代に見えるんやったら『F3』のキーを、四十代やったら『F4』、それ以上やったら『F5』のキーを押してください。そしたらレジが開きますんで。

 後は、お釣りがあれば渡して貰えれば完了です。

 あっ、それと、商品を袋に入れてもらう前に、パッケージの裏のもう一つのほうのバーコードあるでしょ。真四角なやつ。それ、防犯タグって言うんですわ。そのまま店から出ようとしたら店の入り口のところでブザーが鳴るようになってるんですわ。結構万引きが多いんですよ。

 それを、そのカウンターの下の黒いプレートの上に乗せてほしいんですわ。そしたら解除されて入り口のとこでもブザー鳴らないんですよ」

「わかりました」

「以上です。

 何回かやってもらったらすぐに覚えれるとおもいますんで。

 そしたら、ちょっと商品見に行きましょか」

 カウンターを出ると内川さんは、一棚一棚丁寧に説明してくれた。

「メーカーって言うか、私らはレーベル言うてるんですけど、そのレーベルだけでも二十以上あって、さらにその中で、色んなジャンルに分かれてますから、正直言うて私らも、どこに何があるのかを完全には把握してないんですよ」

「そんなにあるんですか?」

「人それぞれ趣味が違いますから」

 言うと内川さんは、棚から一枚のDVDのパッケージを取り出した。

“五十路白書 感じすぎるお義母様”

「山田さん、こんなん売れると思います?」

 パッケージには、しわくちゃの、下手をすれば六十路の女性が、体に何もまとわずこっちを見て微笑んでいた。

「私やったらどう間違っても買いませんね」

「普通はそうでしょ。

 こういうのジャンルで言うたら“熟女”って言うんですよ」

「ええ」

「これがね、結構売れるんですよ。

 それもね、案外若い人が買うていくんですわ」

「ほんまですか?」

「他にも、ロリコンや痴漢もん。それに盗撮もん、いわゆる、覗きってやつですよね、それと後、じゅうかんって言うのがね・・」

「そのじゅうかんって何なんですか?」

「じゅうかんのじゅうは、けもの、の、獣。

 じゅうかんのかんは、女三つ書いて、姦。」

 要は、動物と人間の女がナニをするやつなんですわ」

「ええっ!?」


 店の中を一通り説明してもらって回ったが、内川さんの言う通り種類が多すぎて、ほとんど頭の中に残らなかった。

「まあ、ちょっとずつ覚えていってください。

 レジが空いたときなんか、ぶらぶらと店内歩きに行ってもらってどんな商品がどこにあるか見て回ってください」

「わかりました」

 ドアが開いてお客さんが一人入ってきた。

「いらっしゃいませ」

 面接の時に社長に言われた通り、大きすぎず小さすぎない声で言った。

「あのお客さんはSM専門ですわ」

 内川さんが言った。

「そうなんですか?」

「ずっとやってるとね、お客さんの好みもわかってくるんですよ」

 十分後、内川さんの言う通り、そのお客さんは、縄で縛られた女性が赤い蝋燭を垂らされているパッケージを持ってレジにやってきた。

 一瞬笑いそうになったが、こらえて、バーコードを読み、料金を告げ、お金を受け取りお釣りを渡し、商品を袋に入れ渡し「ありがとうございました」と愛想良過ぎず悪すぎない声で言った。

 ピピピピピピピピピッ!!

 防犯タグを解除するのを忘れた。

「すいません、どうぞ行ってください」

 入り口で立ち止まったお客さんに内川さんが謝る。

「すんませんっ」

 客が出ていくと、俺は内川さんに謝った。

「いえいえ、そんなん気にせんといてください。

 私もしょっちゅうやりましたし、今でもたまに忘れることがありますから」

 その後、たくさんのお客さんが商品を持ってレジにやってきたが、作業を間違いなくこなすのに必死で、どんな顔をしたお客さんがどんな商品を買っていったのか全く覚えていなかった。

「あっ、あのおっさん久しぶりやなあ」

 五十歳くらいの、頭を角刈りにした作業服姿のお客さんが入ってきたのを見て内川さんが言った。

「あのおっさんはねえ」と内川さんが言いかけたとき、店の電話が鳴った。

「あっ、私出ますわ」

 内川さんが受話器を手にした時、その角刈りのおっさんが、突然レジの前にやってきた。

「にいちゃん、羊はあんのか?」

「はあ?」

「羊や羊っ」

「羊って、あの、今流行りのジンギスカンってやつの・・・」

「それは食べる方の羊やないか。

 俺が言うてんのは、犯るほうの、羊や」


          了


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