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  作者: シュール
3/4

失意の中で


 三階に降りると、鬼オコゼが哀れみの目で俺を見る。

「続きやっといて」

 堆く積まれた赤いカバーと青いカバーの参考書の周りには誰もいなかった。


 妻に造ってもらったアルミホイルに包んであるおにぎりを震える指でなんとか食べ終えると、建屋を出て携帯電話を握った。

「あっ、山田さんですか?」

 天王寺の事務所の女の子が俺の声を聞いて明るい声で答える。

「申し訳ないけど、急に面接が入ってしまったんで、昨日せっかく取っていただいた明日と明後日の仕事キャンセルしていただけます?」

「そうなんですか・・残念ですね。

 わかりました。

 但し、山田さん、前日のキャンセルは本来はお受けできないんですけど、今回は初めてだということでお受けしますが、今後はご注意ください」

「(もう二度と電話なんかすることないと思うけど)わかりました。無理言うて申し訳ないです」

「お昼からも頑張ってください」

「ありがとうございます」

 この子の声ももう二度と聞くことはないんやろなと思い、電話を切った。


「どうやったん?」

「あかん。

 もう体が動かんわ。

 やっぱり俺はスーツを着て働く人間や」

「明日はどうすんのん?」

「行かへん。

 もうキャンセルしてきた。

 なんか別のんまた探すわ。」

「別のんて、短期いうたらこんな日雇いみたいのしかないよ。

 明日また派遣会社に電話して、体がきつかったからもう少し楽なやつないですかって聞いてみいな」

「アホか。

 そんなん言うたら、明日と明後日のやつキャンセルしたのん、体がきつかったからって嘘ついたんばれるやんけ」

「そんな見栄張ってる場合ちゃうやんか。

 あと銀行の残高どれだけあるか見したろか」

「そう怒んなよ。

 わかったから、とりあえず今日は早よ風呂入って寝かせてくれ。

 あとはまた明日からちゃんと考えるから」

「ほんまに考えんのかいな」

「ほんまやって。

 それより、入浴剤あるかな。ようテレビでやってるやんか、たまった疲れが取れるってやつ」

「そんなんないよ。

 第一、人との温度差のわからん人間に入浴剤の効用なんかわかるわけないわ」


          7

 駅の階段を上る太股とふくらはぎの張りはかなりましになった。

 しかし、十本の手の指の張りはまだしつこく残り、切符を買うとき財布の中から小銭を取り出すのに苦労した。

 受付で名前を告げると「そちらでお待ちください」とソファーを指差された。

 グループで申し込みに来たのか二十歳くらいの女の子達がきゃっきゃっきゃっきゃっと言って楽しそうに話していた。

 喫煙室と書かれた紙が貼ってある部屋を見つけたので胸のポケットに手を突っ込んだとき「六十二歳ですけど大丈夫ですか?」と男性の声がした。

 Gパンにジャンパー姿の俺と違い、きれいに折り目の付いたスラックスにブレザーを着た小綺麗な男性だった。


 説明会の会場に入る。

 スーツにネクタイ姿の男性が何人かいる。

 景気が良くなってきたと言っているがほんまなんかなと思いながら説明を聞く。

 時給七百五十円、夜勤でも千円には満たない。

「せやけど、あんたにはちょうどええで。

 葉書とか封筒くらいやったらか弱いあんたでも持てるやろ。

 それに、期間も一ヶ月やし、夜勤やから、昼間に面接とか入っても大丈夫やんか」

 妻はそう言っておれにこの仕事を勧めた。

 説明会が終わると、簡単な面接が行なわれた。

 履歴書も職務経歴書もない。

「山田さんは今何かお仕事を?」

 スーツの下にチョッキを着たいかにも公務員といった感じの俺と同い年くらいの男の人が聞いてきた。

「いえ、二月に会社を辞めまして、今、就職活動中です」

「そうですか。

 今回は郵便物の仕分けでご応募頂いたんですけど、車での集配業務は如何ですかね?」

「いえ、あんまり車の運転が好きでないんで」

「そうですか、わかりました。

 もし、お知り合いでどなたかご紹介頂ける方がいらっしゃいましたら是非お願いいたします」

 チョッキは申し訳なそうな顔をして頭を掻いた。

「あと、以前にアルバイトか何かでこちらでお勤めになられたことは?」

「ええ、もう二十年くらい前ですけど、家の近くの郵便局で一度やったことがあります」

「そうですか。

 じゃあ、大体どういったものかというのはご存じですよね?」

「もうだいぶ前ですからね」

「いちおう、採用の前に、四時間くらいの実地訓練を行ないますので、平日の午後とかは大丈夫ですか?」

「大丈夫です」

「配属される部署によっては十キロくらいの荷物を積み降ろししていただくことがあるんですけど」

 手に通販カタログの重みが蘇った。

「もう歳なんでね、できたら避けていただきたいですね」

「わかりました。

 それと、夜勤ですので、週に三日程度の勤務になると思うんですけど、場合によっては残業をお願いしたり、誰かが休んだ代わりに急きょお休みのところを出ていただくことをお願いすることがあるかと思うんですけどそれは?」

「大丈夫です。

 出来るだけ対応できるようにします」

「ありがとうございます。

 おそらく、年末が近づくと何度か無理をお願いするケースが出てくると思いますので。

 それと、期間なんですが、十一月の中旬から十二月の中旬ということなんですけど、もしもう一ヶ月延長をお願いした場合は?」

「まあ、決まってなかったら本当は困るんですけど、次に勤める会社が決まってなかったら続けさせてもらいます」

「ありがとうございます」

 そう言ってチョッキはもう一度頭を掻いた。

「一週間から十日の間に結果のほうはご連絡させていただきますので」


「よっぽど人手がないみたいやで」

 スエットに着替えながら妻に言った。

「せやけど、重たいもんは持ちたくないとか贅沢言うてたら、こら使いもんにならん言うて・・・」

 ここまで言って、妻は、しまったと言う顔をした。

 製本会社でのアルバイト以来、俺は、使い物にならない、と言う言葉に敏感になっていた。

「アホかっ!」

 ほとんど喧嘩腰だった。

「集配業務はできませんか?友達を紹介していただけませんか?残業をしていただけませんか?期間を延長していただけませんか?

 今日にでも来てもらいたい状況やぞ。

 もしあかんかったら、ほんまに俺はこの世の中から必要とされてへんて認めて死んだるわいっ!」

 電話が鳴った。

「お義父さんから」

 妻が子機を俺に渡す。

「なんか面接の日時をお知らせしますっていうメールが何件か来てんぞ」


 応募していた会社のうち、倒産から復活したスポーツ用具メーカーと、メーカーの現業部門にブラジル人を派遣する派遣会社、それと会員制のリフォーム会社から、書類選考に通ったので面接を受けに来い、という知らせが来た。

「あんた文句言うてたけど、あのなんとか言う派遣会社の人の言う通りやんか。

 やっぱり、派遣会社の、なんとかアドバイザーなんか、あんたの歳で受けても無理なんやん。

 最初から、普通の営業職受けといたら良かってん」

 言いながら妻がテーブルに置いた野菜炒めを見た娘が「またおんなじや」と言った。

「よっしゃ、今週の土曜日エキスポランド行こか」

 やったー、と言って娘は喜んだ。

 俺も一緒に、やったーと言って喜びたかった。

 やっと運気が巡ってきた、そう思うと、いつもは、妻の顔色を伺いながら冷蔵庫から取り出していた缶ビールを、当たり前のように取り出し、勢い良くプルトップを引いた。


          8

 駅から十分ほど歩いた、雑居ビルに毛の生えた程度のビルの中に、会員制のリフォーム会社の事務所はあった。

 エレベーターを降りると、その会社名に大阪出張所と付け足された白いプレートの貼られた扉をノックした。

「面接に参りました山田と申します」

 十坪もない、事務所と言うよりはブースと言ったほうが良さそうな狭い事務所の間仕切りの向こうからスーツ姿の男性が「お待ちしておりました」と言って出てきた。

 名刺に課長補佐と書かれたその男性は、辞めた会社の役職も同じなら、歳も同じ位だった。

「どうぞお掛けください」

 椅子に腰を下ろすと間仕切りとの間に隙間はなかった。

「会社の概要ですとか仕事の内容などは募集要項を読まれていてほとんどご存じかと思いますが、もう一度こちらのビデオを見ていただいてご確認ください」

 下手な鉄砲を数撃つのに忙しく、ほとんど募集要項など読んでいなかった俺はその三十分程度のビデオを真剣に見た。

「だいたいご理解頂けましたでしょうか?」

「ええ」

「何かご質問とかは?」

「会員さんは大体どれくらいいらっしゃるんですか?」

「約五万世帯です。

 年間会費を三千円頂いていますので、それだけでも一億五千万円になります」

「へーっ、すごいなあ。

 せやけど、それだけの数の会員、どうやって集めたんですか?飛び込み営業は一切無いって書かれてましたけど」

「各家庭で処分できなくて困っていた不用品を一律二千円で引き取ったと言うか買い取ったんです。

 そうしましたら、皆さん大変有り難がっていただきまして、いや実はリフォームもやっているんです、会員制なんですけど、と言いますと、じゃあ入らせていただきますと気持ち良く言っていただきまして」

「うまいっ。

 そのやり方は誰が考えはったんか知りませんけど、うまいやり方ですわ。

 うちにもこわれたテレビが長い間ほったらかしになってるんですけど、引き取ってもらおうと思ったらお金掛かるし、無料で引き取ってくれるっていうチラシが入ってったんで電話したら、お宅の機種は古すぎて引き取れませんて言われるし」

「リフォームといっても、いきなり何百万や何千万もするリフォームをさせてくださいって言うのではなく、会員様が台所の水道の蛇口の締まりが悪くなったと言われれば飛んでいって修繕し、お年よりの方が蛍光灯が切れたけどもう椅子に乗って取り替えるのが恐いと言われれば、すぐに行って取り替えてあげる。そうやって信頼を得て、じゃあ家のリフォームもお願いしようかしらって言ってもらえるように努めているんです」

「なるほどね。

 それはうまいやりかたですわ。

 せやから、飛び込みの営業は一切無いって書かれてたんですね」

「そうです。

 ですから、どちらかと言えば、攻めの営業と言うよりは守りの営業と言った感じですね。

 会員様のご要望に忠実にお答えし、その中から新たなビジネスチャンスを見つけていく。

 もちろん新規開拓も大切です。

 但し、こちらからお声を掛けるというよりは、不用品の回収依頼のお声を掛けていただくとすぐに馳せ参じる。

 とにかく、お客様の声に忠実に答えることですね」

「いや、正直なところ、リフォーム会社言うたら、最近色んなことがあったから、なんかうさん臭いんちゃうんかなと思ってたんですよ。

 せやけど、お話を聞かせてもらったら、そんなん全部吹き飛びましたわ」


 すがすがしい気持ちだった。

 久しぶりに他人といっぱい喋った。

 やっぱり営業マンは喋ってなんぼや、そう思った。

 駅ビルの地下で、コーヒー付き七百五十円の日替わり定食を食べ、地下鉄を二駅乗り継いで、三年前に一度倒産したスポーツ用具メーカーの説明会が行なわれるビルにたどり着いた。

 ビルはオフィス街のど真中にある大手生命保険会社が保有する二十五階建てのビルで、さっきのリフォーム会社が入っていたビルとは雰囲気が大きく違った。

 説明会会場に入ると、二人掛けの長机が縦に六列、横に三列並べられており、空いている席は一番後ろの真中の机の二席だけだった。

 席に着いて前を見渡すと、最近若ハゲの人が増えてきたとは言え、全体の三分の一以上の人の頭の頂きが寂しい状態になっていた。

「予想以上のご応募のため説明会を開かせていただきます」

 ネットにそう書かれていたのを思い出した。

 昔は、テレビコマーシャルも流れていて、もし、街中を歩く人に聞くとほとんどの人が社名を知っていると答える企業とはいえ、三年前に一度倒産、破綻した会社である。

 だから、先方も“予想以上”と言う言葉を使った。

 テレビを見ていると、やたらと閣僚の先生方が「平成不況は今踊り場にさしかかっている」と言っているが本当だろうか。

 踊り場にたどり着いたとしても「日本」と言う建物自体がずぶずぶと地盤沈下を起こしているような気がしてしょうがなかった。

 説明会が始まった。

 同じ年くらいの男性がOHPを使いながら、たどたどしく会社概要を説明する。

「昨日の夕方、いきなり、明日大阪へ行って会社説明会で喋ってくれって言われましたので、一部お聞き苦しいところがあると思いますがご了承ください」と言って緊張した空気を解きほぐしてくれたその男性は、辞めた会社の同期入社だった竹井を思い出させた。

“竹井”は、三年前に会社が倒産したことを少し苦笑いを浮かべながら説明し、その後かなりの苦労の後、アメリカの融資会社の支援を受けてなんとか会社として復活することができたと述べ、会社概要の説明が終わると具体的にどんな仕事をしてもらうのかを説明し、最後に「私入社以来ずっと人事畑を歩いてきて営業活動はやったことが無いんですけど、やりがいはかなりある仕事だと思います」と結んだ。

 簡単なアンケート用紙を配られ記入していると“竹井”が「もし本日面接をご希望される方がいらっしゃいましたらこの後受付させていただきます。但し、誠に申し訳ありませんが、本日私を含めまして担当させて頂く人間が二人しかおりません。それに、人使いのかなり荒い会社でして、今日中に必ず東京の社のほうに戻ってこいと言われている関係」会場に笑いが起きる。「今二時を回ったとこですから、そうですねえ、六時ののぞみには乗りたいと思いますので、あ、すいません、細かいこと言って」また笑いが起きる。「五時までとして三時間、お一人三十分として六名の二人いるから十二名、そう、誠に申し訳ありませんが、十二名の方のみ本日面接をさせていただきます。但し、来週のこの時間に二回目の説明会をここで行ないます。今度は社長とまでは言いませんが、いる人間をとにかく引っ張り出してきますので」またまた笑いが起きる。「どうしても今日でないと都合が悪い、妻が来週出産予定日なんです、と言う人以外はできましたら来週でお願いします」

 皆笑ったが、俺は笑わなかった。

 通るかどうかも分からない会社を受けるのに、往復四百六十円も掛けてまた同じところになんか来たくもなかった。

 慌ててアンケートに答える。

 しかし、皆、説明会の時から少しずつ書いていたのか、一人、また一人とアンケート用紙を裏向け席を立つ。

『今回の説明会の感想を自由に書いてください』

“・・・・・感動した・・・”

 どこかの国の首相の受け売りを殴り書くと、周りの目など気にせず、ドタドタドタと出入口に向かって突進した。

「二時間以上お待ち頂くことになりますけど・・」

「大丈夫です」


 一つだけ空いていた喫煙席に腰を降ろすと煙草に火を着け携帯電話でメールを打つ。

〈面接受けて帰るわ、六時頃になる〉

 窓の外をスーツ姿の人が足早に通りすぎる。

 この世界にまた戻って来たいなぁ・・・。

 


 ビルに戻り、喫煙ルームで煙草を吹かしていると“竹井”が「山田さんですか? 長い間お待たせいたしました」と言ってやってきた。

 部屋に入ると意気なり“竹井””は「山田さん、こんな大きな会社行っててどうして辞めたんですか?」と聞いてきた。

「まあ、色々ありまして・・・」

 後はいつも通りの回答をした。

「そうなんですか・・・いやあ、もったいないなあ・・・どうですか就職活動のほうは?」

「いやあ、思った以上に苦戦してます。

 歳なんか、ほとんどが書類選考で落とされますわ」

「えーっ、そうなんですか?

 K大学を出られて何社も渡り歩いているわけでも無いし」

「いやあ、やっぱりもう三十八歳いうのはダメなんですよ」

「そうかなあ・・・いや、私も山田さんと同級生なんですけど、本当にそんなものなんですかね・・・」

「(嘘やと思うんやったら一回会社辞めてみはったら)そんなもんですよ」

 そのあと面接は“竹井”とのたわいない会話に終始し、面接と言うよりは、喫煙室で久しぶりにあった同期入社の人間との立ち話、という感じだった。

「来週の面接が終わってから選考を始めますので、二週間ほどで結果をお知らせします」


「これ、郵便局からのやつ」

 妻は机の上に封筒を置いた。

「どうする、もうご飯食べる?」

「いや、今日は喋り疲れたから、先ビール飲まして」

 妻は箸とカレイの煮つけの乗った皿を持ってきた。

「どんな感じ?」

「まあ、あんなもんやろな。

 どっちとも同じ歳くらい、片一方なんか同級生やったよ、面接してくれた人が。

 気持ち良く喋れたし、俺の気持ちもわかってくれたんちゃうかな」

「あんた、馴れ馴れしい喋ったんちゃうの?

 なんぼ歳がいっしょくらいやから言うても、向こうはあくまでも面接官やねんで。

 あんたは試験受けてる受験生やねんから、その辺わきまえて喋らんと、なんや馴れ馴れしい奴やなって思われるで」

「アホか。

 営業マンは喋ってなんぼやねんぞ。

 初対面の人間と会うても、なんやかやなしに喋って、その場を取り繕わなあかんねや」

「それはそうやけど、やっぱりある程度わきまえんと。

 もしあんたが面接官やったらどう思う」

「黙っておどおどしてる奴よりはマシやと思うけどな・・・」

「そうかなあ・・・」


          9

「あんたじゃ話ならへんわ、責任者と代わってくれ」

 巡ってきたと思われた運気は、いとも簡単に逃げ去った。

〈すいません、今ちょっと席を外してるんですけど〉

「じゃあ、その次の人と代わって」

〈そういったものはいないんですけど・・・〉

 面接から十日掛かってきた郵便局からの回答は“採用”だったが、働く期間が十一月中旬からではなく十二月中旬からになっていた。

「そらお宅らにもな、人を雇うほうの都合ってのがあると思うけど、こっちはこっちで働くほうの都合ってのがあるんや。いつまでにこれだけの金がほしい、だから探して面接受けに行くんや。まだ俺の場合はなんとか生活やりくりして凌ぐけど、中には、あんたんとこで働いたお金を年末からの旅行のお小遣いに充てようと思ってた人がおったかもしれんで。そんな予定が全部狂ってしもうて、へたしたら旅行に行かれへんようになってあんたら訴えられるかもしれんで」

〈ですから、予定以上の応募があったものですから・・・〉

「それやったらそれでもっと早う連絡頂戴なあ。

 人の人数くらい十〇分もあったら数えられるやろ。

 それやったら、こんな無駄な十日間過ごさんと、次の仕事探せたんや。

 おまえらそんなんやから民営化されるんじゃっ!!

 このボケがっ!!」

「そんな大きな声で怒らんでもええやんかっ。

 周りの家にもまる聞こえやでっ!」

 ベランダで洗濯物を干していた妻が慌てて居間に戻ってきた。

「アホかっ!

 世の中、なんか、おかしなってもうとるんじゃっ!」


 更に、その十日後、本社が栃木県にあり、社長の来阪にあわせるため一番最後になっていた、メーカーの現業部門にブラジル人を派遣する派遣会社の面接を受けに行くためマンションのエレベーターを降り、いつもは滅多に開けない、エントランスホールにある郵便受けを何気なく開けると、大きな封筒が二つ入っていた。

 駅に向かって歩きながら封を開けると、それぞれの封筒から、履歴書と職務経歴書が出てきた。

 それらと全く同じ内容が書かれた真新しい履歴書と職務経歴書の入った鞄に放り込むと、赤信号の横断歩道を煙草に火を着けながら渡った。

 

「お待たせしました」

 ここ何年すっかり珍しくなった、若い女性社員に入れてもらった熱い緑茶を飲んでいると、五十歳くらいの恰幅の良い男性が、間仕切りで仕切っただけの応接室に入ってきた。

 名刺に書かれてある“取締役社長”という文字に背筋が伸びる。

「もったいないねえ」

 社長の第一声だった。

「滋賀県にも工場ありますよね」

「はい」

 辞めた会社の話だった。

「今はないですけど、昔は結構な人数を入れさせてもらってたんですよ」

「そうなんですか」

「今でも結構入ってますよね?」

「ええ。

 私もずっと営業やってたんですけど、納期トラブルとかでたまに現場へ行ったら、日本人の作業員探すのによう苦労しましたから」

「よく働くんですけどねえ、まだ平均するとどうしても日本人よりは・・・」

「そうなんですよね。

 中には日本人より優秀な人もいて、検査ライン一つ任されてるような人もいたんですけど、今社長さんがおっしゃられたように平均するとどうしても・・・よう現場の係長が愚痴こぼしてましたね」

「だから、うちも少しでも質の良い作業員をと思って色々やっているんですけど、まだなかなかうまくいかないところがあるんですよ」

「栃木にも工場があったんですよ」

 引き続き辞めた会社の話。

「そっちは滋賀の工場とは桁違いにブラジルの方が多くて、昼間の食堂なんかは日本人よりブラジルの方のほうが多くて、食堂の自動販売機のコーラが一日で売り切れる言うてよ売店の人間が笑って言うてました」

「一年働いたら、帰っていい暮らしができるんですからね。そりゃ頑張って働きますよ」

「残業が無かったら文句言うって言うてましたからね。

 それに、笑い話ですけど、休みの日にソフトボール大会を開いたらしいんですよ。親睦を深めようということで。お弁当付き、飲みものはジュース、ビールのみ放題。そしたら、集まってきたんはブラジル人の家族ばっかりで日本人の家族はほとんど来なかった。急きょソフトボール大会がサッカー大会に変更になったらしいんですよ」

「ははっ。

 昔とは違いますからね。

 休みの日まで会社の人間の顔は見たくないっていう気持ちもよくわかりますけどね。

 国が豊かになることって本当に良いことなのか考えさせられますね」

 社長は湯飲みに口をつけた。

「で、山田さんは、東京でのお仕事の経験もあるんですね?」

「はい、三年だけですけど」

「もう一度向こうでってのは如何ですか?」

「うーん、できたら避けたいですね」

「そうですか。

 で、山田さん、この大阪のご自宅は賃貸ですか、分譲ですか?」

「分譲です」

「お子さんは?」

「娘が一人います。小学校二年生です」

「山田さんねえ・・」

 社長はもう一度湯飲みに口をつけた。

「ご家族皆さんで向こうへ移るっていうのは?」

「ちょっと無理ですね。

 娘の学校の問題もありますし、どうしてもとなったら単身赴任ですね」

「そうですか・・・いえ、山田さんねえ、やっぱり関西、特に大阪はかなり冷え込んでいるんですよ。

 せいぜい、三重が少しましなくらいで、今一番元気な名古屋か、それかやっぱり関東へ行かないとダメなんですよね。

 うちもこうやって大阪に事務所を構えているんですけど、正直仕事はさっぱりなんですよ。ですから、できれば栃木のほうでやってもらえないかなと思っているんですけど・・」

 ここで、じゃあ頑張らせていただきます、といえば採用が決まっていただろう。

「単身赴任もいいんですけど、子供さんもまだ小さいし、まだまだ、お可愛いでしょ?

 違う土地に行って新しい仕事を始めるとなると色々とご苦労があると思うんですよ。

 そんなときにそばにご家族の方がいるのといないのとでは違うと思うんですよね。

 だから、もし行ってもらうとなるとご家族皆さんで行ってもらいたいんですよ」

 言うと社長はうーんという顔をして俺の履歴書と職務経歴書を睨み付けた。

「山田さん、営業にこだわらずに、総務だとか人事とかでもかまわない?」

「はい、経験は少ししかありませんけど」

 もう一度社長はうーんと唸った。

「やっぱりね、山田さん、大阪に固執すると難しいですよ。うん、難しい」

 最後は自分に言い聞かせるようにして社長は言った。


「たまには外へ食べに行かへん?」

 妻はいつもの「どうやったん?」の代わりに言った。

「金あんのんか?」

「お好み焼き食べるくらいのお金やったらあるよ」

 店に入ると、まだ時間が早いせいか客はほかに誰もいなかった。

 娘は久しぶりの外食にはしゃいでいる。

「ビール一杯だけ飲ましてな」

 ソースの焦げた匂いがたまらなくいい。

 家族三人でお好み焼きをつつく幸せ、今まで思ったことなんかなかった。

「ええ社長さんでな、色々と話しさしてもらったんや。

 結構評価はしてもらったとは思うんやけど、たぶんあかんと思うわ。

 もう大阪に固執するのはあかんかもしれんわ。

 真剣に、単身赴任で名古屋とか東京へ行くことを考えんとな」

「この前受けたとこの返事は来たん?」

「あかんかった。

 今日、履歴書と職務経歴書戻ってきたわ。

 ええ感触やってんけど、あんたの言う通り、あまりにも馴れ馴れしく喋りすぎたかもしれんな。

 謙虚さが足りんのかな?」


 四日後、メーカーの現業部門にブラジル人を派遣する人材派遣会社から、履歴書と職務経歴書が送り返されてきた。

「もうほんまにこの世の中から必要とされてへんかもしれんな」

 妻は何も言わなかった。

「ちょっと散歩行ってくるわ」

 財布の中を見ると千円札が二枚あったのでいつものガード下の飲み屋に向かった。

 一時からやっている店は、まだ二時を回ったばかりだったが満員の一歩手前の賑わいを見せていた。

 十二月の下旬並の寒さになると気象庁が予想していた通りの寒さになった中を二十分ペダルを漕ぎ体が冷え切っていたので、ビールはパスして二合の熱燗と、おでんの厚揚げと大根を頼んだ。

 途中のコンビニで煙草を買ったついでにとってきた無料のアルバイト専門の求人誌を開く。

 一カ月間だけの仕事などは皆無で、短期と言えば、やはり、仲介業者に登録して仕事を紹介してもらうものばかりだった。

 熱燗を流し込む。

 ポッと胃の中で熱の花が開く。

“マンガ喫茶 

 18歳〜35歳位まで 

 22:00〜5:00

 時給950円

 週3、4日勤務できる方

 短期可”

「ちょっと電話してくるんで」

 通りがかった店員に声を掛ける。

〈ありがとうございます。

 マンガ喫茶ポエム、谷崎でございます〉

「あのう、求人誌見て電話させてもらったんですけど、三十八歳なんですけど大丈夫ですか?」

〈はい、大丈夫です。

 失礼ですけど、今何かお仕事のほうは?〉

「二月に会社を退職しまして、現在就職活動中なんです」

〈わかりました。

 勤務は週に何日くらい可能ですか?〉

「そうですね、もう歳なんで、三日か頑張って四日くらいだと思うんですけど」

〈ありがとうございます。

 期間は長期でしょうか?〉

「いえ。

 次の仕事が見つかるまでの間だけお願いしようと思ってるんですけど」

〈それは大体どれくらいの期間になりますか?〉

「そうですね、うまく見つかっても今からだと最低一ヶ月は掛かると思うんですけど」

〈それはちょっと無理ですねえ。

 短期といっても、最低三ヶ月は勤務していただかないと、やっと慣れてきたと思ったときに辞められるとうちとしましても〉

「そうですか・・・」

〈誠に申し訳ないですけど、また、お願いいたします〉

 店に戻ると、残っていた熱燗をあおりもう一本追加した。


 厚揚げと大根で二合徳利を三本開けて店を出ると、陽がすっかり短くなった晩秋の空はわずかな星をちりばめ、黒く塗り固められていた。

 さすがに、サドルにまたがりペダルを踏むと、自分ではまっすぐ進んでいるつもりが、自転車は右へ右へと逸れて行き、傍らを歩く通行人にぶつかりそうになりブレーキを握る。

 目敏くその様子を見つけた客引きの若い男が駆け寄ってくる。

「キャバクラどうっすか。

 五十分四千円、飲み放題ですよ」

 無視して俺はペダルを踏む。

 男はついてくる。

「可愛い子ようさんいますよ。

 五十分だけどうですか?」

 男は俺の腕を掴んだ。

「邪魔じゃっ、ボケっ!!」

 俺は男を一喝し、その声に通行人全員が振り返った。

「なんやおっさん!!」

 男は俺の腕を離し、今にも殴り掛かってきそうな形相だったが、すぐに他の同業者の男達が飛んでやってきて止めに入った。

「調子のんなよっ、こらっ、いつでもシバいたんぞっ!」

 俺は男にメンチだけを切ると、サドルに尻を降ろし、またペダルを漕ぎ始めた。


 最寄りの駅の一つ手前の駅まで戻ってきたとき、久しぶりに興奮したのと、酒の飲み過ぎとで喉がカラカラになり、自動販売機でペットボトルに入ったスポーツドリンクを買った。

 一気に半分ほど飲み干し、もう一度蓋をして自転車の前カゴに放り込むと、とぼとぼと自転車を押して歩いた。

 大きな黄色い電飾看板が見えてきた。

“ビデオ”

 何年か前に一度だけ入ったことのある、アダルトビデオやアダルト雑誌を売っている店だった。

『アルバイト募集

  20歳〜35歳位

   時給:800円

 お気軽にお申し込みください』


「酒臭ーっ」

 妻は居間に入るなり大きな声を出した。

「どんだけ飲んできたんよ」

「アホか。

 二千円で飲める量なんかしれてるわ」

「それにしてもすごい匂いやで。

 ご飯どうすんのん?」

「いらん」

 娘が哀れみの目でこっちを見ている。

「もう寝るわ、蒲団敷いて」

「生命保険の会社からなんか電話あったで」

 妻が居間のとなりの寝室に入り、押入から蒲団を引っ張り出しながら言った。

「なんて?」

「切り替えの時期が来てるんで、中身見直してくださいって。

 一回来て説明したい言うてたで」

「あの人らも歩合制やから必死なんやろなあ」

「また明日電話するって」

「あっそう」

「蒲団敷けたで。

 歯くらい磨いて寝えや」

「もうええわ、そんな力残ってないわ」

「そんなんしてたら、しまいに娘にも嫌われるで、父さん臭いー言うて」

「アホか。

 そんなこと言わへんよな」

 と言って、娘を見ると

「父さんはなんの仕事してんのん?」

 といきなり娘が聞いてきた。

「今日学校で先生に聞かれたから、毎日家にいますって答えたら、先生が、夜のお仕事なんかなあって言うてた」

「そうか。

 そしたら、もうお父さんは死んだ言うとけ」

「アホなこと言いなや」

 蒲団を敷き終えて寝室から出てきた妻が俺の腕を掴んだ。

「もう酔っ払いは早よう寝え」

 無理矢理蒲団に入れられた俺は「おいっ」と声を上げた。

「ほんまに死んだほうがええかもしれんなあ。

 このまま、うまいこと次働くとこが見つかっても、給料はちょっとしかもらわれへんし、たとえ六十まで働けたとしても、中途採用やから退職金もしれてるやろうから、おまえらにはええ生活させてやれんからなあ。

 それやったら、もし今死んでみ、マンションのローンはチャラになるし、保険金も確か四千万くらいは入ってくるはずやから、おまえもパートとしながらやったら二人でなんとか暮らしていけるやろ。それか、もうちょっと、五千万くらいに保険金増やしとこか?」

「増やしてくれんのは有り難いけど、あんまり毎月の保険料高なったらしんどいで」

「よっしゃ、それやったら一回生命保険のおばちゃん呼んで色んなシュミレーションやってもらお」

「はいはい、わかったからもう寝え」

 妻が寝室の襖を引くと、俺は掛け布団を被り、すぐに深い眠りに落ちた。


         10

 師走に入った。

 夜は相変わらず眠れず、毎日と言っていいほど、辞めた会社の人間が夢の中に現れた。

 特に、反りの合わなかった上司が多く、腕を組んでこっちをじっと見ている。何か言ってやろうと思うが言葉が出てこない。そのうち上司は何も言わず姿を消してしまう。

 就職活動は相変わらず何の進展もなく、ほとんどが書類選考で落ち、面接に進んでも、一週間以内には必ず履歴書と職務経歴書が戻ってきた。妻に言われる通り言葉づかいにも気を使い謙虚な気持ちで望んでもだ。

「山田さん、やっぱり歳なんですよねえ」

 そう言われればまだ納得はできるのだが、ただ“残念ながら今回は貴殿の希望に添えることができず・・・”では何かすっきりとしなかった。

 また、履歴書と職務経歴書を封書で返してくれるところはマシなほうで、パソコンで“残念ながら・・・”の一言だけを送ってくるところ、もっとひどいところになると、履歴書と職務経歴書を送れといっておきながら、その後、何の返事も寄越さないところがあった。ダメなのかどうなのか、ひょっとしたら何かのアクシデントで封書が届いてないんじゃないのかと心配してしまう、そんな非常識な会社もあった。確かに、結構な数の書類が届いて、処理をするのも大変だろうが、自ら募集しておきながら、相手に対して何の返事もしないというのはどう考えても非常識だ。やはり、封書にて返送するのが常識だと思うのだが、そんな非常識な会社にすら入れない俺が言うと負け犬の遠吠えにしか聞こえない。

 アルバイトも「次の会社が決まるまでの間なんですけど」で、全て断られた。

 消費者金融からの借り入れも上限の五十万円まで後二万円に迫り、緊張感の無い毎日を送る中で、体重は生まれて初めて七十キロを超えた。

 生命保険のおばさんはどうしても成績をあげたかったのか、十一月の最後の日に家にやってきて、一ヶ月の保険料がこれまでより三千円上がるだけで、死んだたときの保険料が四千万円から四千五百万円に増える契約を俺から取り付け、スキップして帰っていった。

「今日も多分残業やから家におったってな」

 妻は娘が学校から帰ってくる時間に合わせて午後一時までだったパートの時間を、午後四時までに延ばし、残業も進んでするようになった、というか、せざるを得なかった。

「どう、どっか脈のありそうなとこあんのん?」

 忙しそうに化粧をしながら妻が聞いた。

「あかんわ。

 一部上場の企業なんか夢のまた夢、それどころか、インターネットで募集してるとこでもあかん。もう、新聞の広告に載ってるようなとこしか無理ちゃうかな。

 今年はもう就職活動は終わりや。

 なんぼやっても一緒や。

 叩けど叩けど、大きな扉の向こうからは誰も出てけえへんわ」

「もう一回高木さんにお願いに行ってみたら。もう、どこでも入れるとこやったら行かせてもらいますって」

「そんな恥かきなことできるかよ」

「ほんま、年越されへんかっても知らんで」

 妻は言うと出ていった。


 片側三車線の大きな道路を跨いで店を見る。

 昼間だから“ビデオ”の看板に明かりは点いていなかったが、店は開いている。

 あたりに目を配りながら横断歩道を渡る。

 父親の散歩コースにもなっているので、もう一度前後左右を確認する。

 


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