忌み嫌う者
濃密な生き物の気配と、湿った空気が頬を撫でつける。
まるで風が意思を持って流れているようだ。
森の中に足を踏み入れた瞬間から、クリストフの五感は自分でも驚くほど研ぎ澄まされていた。頭上で鳥が飛び立つ音や、背後で蜘蛛が身じろぐ気配など、全てが音や空気の流れによって、ほぼ無意識のうちに脳に認識され処理されている。
懐かしい感覚だ。
以前はそれが当たり前の感覚だった。
懐かしいと感じるくらいには、忘れる事が出来ていたのだと苦笑が漏れる。
「…………」
クリストフは感覚を確かめるように周囲に視線を巡らせる。空を覆う木の枝や葉によって陽光が遮られているため、辺りには昼にも関わらず薄暗さが残っている。それでも、ずっと遠くの暗がりに生えた草葉の枚数を一枚一枚を数える事ができた。
身体全体で感じ取ったあらゆる情報を脳が視覚に付加し、補正しているのだ。
「これでまたムカデに噛まれたら間抜けだね」
普段からこのように周囲に気を張っているわけではないが、あれは明らかに油断だった。自分がどこで噛まれたのかすらも気付かなかったのだから。それでも、意識が朦朧としながらも村に辿り着き手当てを受けられたのは、単に運が良かったのだろう。
「さてさて」
気を取り直して、クリストフは目を凝らす。広範囲に広がる己の視界の中で、魔女の気配や痕跡を探る。草の倒れ方や折れた枝、細かな所まで観察し、魔女に関する情報をできるだけ多く取り込むのだ。簡単に見つかるとはこちらも思っていない。相手は普通の人間ではないのだから。
それでも、クリストフは魔女という存在を知っている。
誰よりも、嫌と言うほどに熟知している。何度も捨て去りたいと思った忌わしい記憶と、身体に刻み込まれた知識は、どんなに月日が経とうとも欠けることがない。
「これは……」
クリストフの目は空間に融け込む違和感を読みとった。魔女の痕跡というわけではない。しかし、見過ごすには大きすぎる違和感だ。クリストフは違和感の元へと向かうため、踵を浮かせ地面を蹴る。それは何気ない動作であるにも関わらず、地面に露出する岩や木の根を軽々と避け、音も無く目標に近づいた。まるで平地をスキップするかのような軽やかな動きだった。
クリストフはそっと手を伸ばし、目標に触れる。
それは一本の木だった。カサリとした手触りから冷たい感触が伝わってきた。己の予想に確信を持つように「ふむ」と頷き、見上げるクリストフの視線の先には黄色い果実が垂れている。瓢箪のくびれを、より緩やかにしたような形の実は、充分に熟しているのか、甘い香りを漂わせていた。不思議と虫が寄った様子も無い。
ふと、果実が風も無く揺れる。
「――と」
まるでクリストフの視線に気付いたというように、果実がひとりでに枝から落ちた。思わず両手でキャッチしたが、クリストフは顔を顰めた。揺れ落ちた事で、果実の後ろ面がこちらを向く形となったのだ。
……タベテ。タベテ。
両の手のひらの中で果実が囁く。それは幻聴ではない。
黄色い果実には口があり、目と鼻もあった。まるで皺だらけな老人のような人の顔が、凹凸となって実に浮き出ている。目を伏せ、口をもごもごと動かす果実は不気味そのもので、しわがれた声で己れを食べるよう囁いてくる。
甘い香りが一気に増したような気がした。
……タベテ、タベ、テ。
クリストフは取り出したナイフを果実の眉間に突き刺した。果実に浮いた顔が目を見開き、断末魔の叫びを上げる。甘い香りは一気に腐臭へと変わり、黄色く熟した実は一気に茶色く変色し、しぼんでいく。腐敗の過程を早送りしたような光景だ。
「呪霊樹か……」
死後の世界にも存在すると言われ、人の怨念など、負の感情を取り込み成長する木だ。
これが実をつけるまで成長しているとなれば、それだけ人の怨念が濃く、継続的に栄養を得られる場所ということだろう。そして、
「その原因は魔女にあると」
呪霊樹が立つ土地は死後の世界に近い環境であると言われており、土地が不幸を呼んでいる可能性もある。この森が〝魔女の大釜〟と呼ばれるのも、そういう不吉も込みでのことだろう。
なんにせよ。
「厄介なことだね」
誰に言うでもない、口から零れただけの呟き。発声する事で己の頭の中を整理するための独り言。
しかし、反応があった。
「えぇ、まったくだわ」
森の中でこだまのように響く声は、前後左右どこからでも聞こえ、声の発生源が近くにいるのか遠くにいるのかすらも判別がつかない。クリストフの目や耳をもってしても、対象を捉えることができなかった。この感覚をクリストフは知っている。
「君は、魔女だね?」
それは幻術か、妖術か。怪しい術である事に間違いはない。
断定するような疑問をクリストフは投げかける。反応はある。周囲、全方位からケタケタと少女の笑い声が響いた。森全体が震えるような、気が不安定になりそうな、そんな不気味な笑い声だった。
魔女は言う。
「そう、アタシは魔女。魔女と呼ばれる存在。人々が忌み嫌う者であり、人々を忌み嫌う者。アナタはだぁれ? 神父様?」
あどけなさの残る濃紺の大きな瞳が、こちらを見つめていた。正面、胸にしがみつくような至近距離で、狂気じみた無邪気さを顔に張り付けて。
「!」
知覚した瞬間、クリストフは喉元に衝撃を受けた。
仕事とか、ドラクエとか、家の手伝いとか、モンスターズとか、レベル上げとか、「キラーマシンかっけぇぇぇぇ!」とか、リアルが忙しくてかなり遅筆となっておりますが、コツコツやっております。




