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墓守の矜持  作者: ハロルド
5/12

青年の決意


 夜が明け日が昇れば、昨日まで見えていた森の風景はまったく違うものとなる。川のせせらぎに鳥の声、陽気に誘われて飛んできた色鮮やかな蝶が、風の無い川辺を優雅に漂っている。状況が状況であれば〝癒し〟に満ちた空間であっただろう。


「僕はこの森を出ていくけど、君はどうする?」


 クリストフは固まった身体をほぐしながら、エミリアに向かって呼び掛ける。森に遊びに来ることはあっても、森で夜を明かした事はないのだろう。疲れが色濃く出た顔をこちらに向けると、


「どう、しましょう……」


 エミリアは困ったように眉を寄せた。エミリアの祖父であるグリムから、余所者を助けるなら村を出ていけと言われて今に至るわけであるが。これからどうするべきなのか。村に呪いが掛かっている以上、彼女がこのまま村を離れることは、選択肢としては有りなのかもしれない。しかし、生まれた土地を捨てるなど、そうそう割り切れたものではない。ましてや、年端もいかぬ少女である。クリストフは少女と一緒になって首を傾げる。


「ん、もう一度村に戻ってみる? その時の気持ちで判断すればいいよ。村に残りたいのならそれでいいし、君が村を出る決意をしたのなら、近くの町まで――」


 送ってどうするのか。クリストフは途中で口を閉ざす。近くの町にまで少女を送り、その後エミリアはどう生活していくのか。村の外に出た事のない子だ。突然これから一人で知らない土地で生活していけと言われても無理な話だ。村に残る選択肢のほうが現実的なのだろうか。


「……とりあえず、村に戻ろうか」


 今はそれ以外に良い案が浮かびそうになかった。

 エミリアもしばらく難しい表情をしていたが、少しの間を置いて頷きの返答が来た。







 クリストフ達がいた川辺は自身が思っていたよりも村に近い場所にあった。

 それもその筈、少女が成人男性を抱えて移動できる距離は限られており、森で夜を明かす事を考えれば、村に近い方が獣などに遭遇する危険性は少ない。

 なにはともあれ、


「着いたね」


「…………はい」


 今、クリストフ達は森と村の境界付近に立っている。丁度前日にクリストフが倒れ込んだ場所でもあった。村に近づいてから、心なしかエミリアの声に元気が無い。話しかければ努めて明るい声音で振る舞うのだが、ふとした仕草はどこか物憂げだ。なにがそんなに彼女を憂鬱にさせているのか、クリストフには思い当たる事が一つだけある。


「お爺さんの事を、考えているのかい?」


 村を出て行けと言われた事だ。


「いえ、祖父はああいう人ですから。それに、村の現状を考えればしょうがない事です」


 だが、だからこそ、


(自分が村に戻ることに躊躇いを得る、か……)


 一度村を出た自分が戻る事で、村にとって良くないモノを呼び入れてしまうのではないかと。不自然なまでに物解りの良い少女だ。あの老人の下で、厳しく育てられた弊害だろうか。神妙な面持ちでエミリアの顔を見れば、エミリアも不思議そうに見つめ返してくる。そしてやがて、エミリアが見上げていた視線を降ろすと。


「ぶはっ」


 鼻血が噴き出した。


「ちょ、どうしたの!?」


 余りに唐突な出血にクリストフが慌てて袖口をエミリアの鼻に押し当てる。顔が真っ赤になっているエミリアは手で大丈夫である事を示し、


「大丈夫、です。思い出し、鼻血」


 大丈夫と言いつつドクドクとすごい勢いで袖口の染みが広がっていた。このままでは出血多量になるのではないかと本気で心配してしまう。クリストフの手はエミリアの血でベタベタになってしまっていた。


「細く、しなやかな肢体。腹筋、バキバキ……」


「あのね……、言葉にされるとすごく恥ずかしいのだけど」


 裸を見ただけでこれほどまでの超反応。まったくもって純粋過ぎるのか、よこしまなのか。

 彼女が素直過ぎるのは、家の教育だけでなく、生まれ持っての性格が影響しているのかもしれないと、クリストフは無理矢理結論付けた。

 少しの間、エミリアの鼻血が止まるのを待っていた。

 少女の鼻に袖口をあてがった姿勢だ。状況を知らない人間が見ればあらぬ誤解を抱くことだろう。クリストフは額に嫌な汗をかきながら時間が早く流れる事を願った。

 すると、


「エミリアちゃん!」


 久々に感じる、自分達以外の人の声。クリストフとエミリアが声のした村の方向に視線を向ける。

 年の程は40代後半から50代前半だろうか。腰元にエプロン、片手に野菜の入った籠を持つ、小太りの婦人がこちらに駆け寄ってくるところだった。婦人は少しの距離を走ると息を切らし、膝に手を置いて立ち止まる。


「心配、したんだよぉ。本当に、村を出て行っちまうからぁ」


 呼吸の乱れ、言葉が不安定に途切れているのは、単純に息切れだけではないようだ。肩を震わせて、顔を上げた婦人の目には零れそうなほどに水滴が溜まっている。しかし人の良さそうな瞳が、袖でエミリアの鼻から口元を覆っている男に向かって警戒の色を示した。


「おっと」


 クリストフは慌ててエミリアの鼻から手を離した。手を離した拍子に、エミリアの真っ赤になった口の周りが露わになる。ローブの袖に広がった血が付着したのだろう。一瞬見ただけでは鼻から出た血とは判別ができず、口から血を吐いた後に見えなくもない。

 そう、見えなくもない。少なくとも、婦人にとってはそう見えてしまったのだ。


「ひぃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 身体全体を震わせながら絶叫し、やがて痙攣しながら婦人は気絶した。身体が時折ピクンピクンと跳ねている様は、まるで陸に打ち上げられた魚のようだった。

 と、婦人の叫びを聞きつけてか、村のあちこちから、慌ただしい声が上がり始めた。


「なんだ! また被害者か!?」


「今度は誰だ!」


 それらは徐々にクリストフ達に近づいてきているようで、


「ん、僕は行かなきゃね」


 また変な疑いを掛けられても困る。できれば村人と会わずにこの場を立ち去りたかった。エミリアに目配せすれば、戸惑ったような表情を向けてくる。今、選択を迫られているのだ。クリストフは助言する。


「君は、村に残った方が良いね。心配してくれる人がいるのだから」


 エミリアの口の周りを拭い、綺麗になったところを確認すると、クリストフは背を向けて歩き出す。後ろ手に手を振りながら。


「色々とありがとう。助かった。いつか僕の旅が落ち着いたら、この恩を返しにくるよ」


 答えの押し付けだろうかと、クリストフは苦笑する。せめてもの詫びに、この約束だけは絶対に守ろうと心に誓う。一歩一歩、遅くも早くもない足取りで森の中へと踏み入れる。


「あ、あの!」


 背後、少女の慌てたような声がする。歩みを止め振り向けば、エミリアが心配そうな顔でこちらを見ており、その口が僅かに震えたかと思うと、やがて意を決したように眉を立てる。あの時に自分を守った時同様の、凛とした空気が走る。

 エミリアは口元に笑みを浮かべて、言葉を紡ぐ。


「お気遣いありがとうございます。お気をつけて。クリスさんの無事と幸運を祈っております」


 今度は笑みと共に手を振った。再び森へと歩き出したクリストフはもう振り返ることはない。黙して歩き、ただ一つの考えが頭の中を占めていた。この少女が住む、この村に蒔かれた憂いの種を取り除く。

 おそらくそれは、自分にしかできない事であり、それに、


「それが、本来の僕の生き方であるのだから」


 青年の呟きを聞くものはいない。

 ここから先は人外の者たちの領分だ。

    

眠い。ひたすら眠い。

推敲する気力がな、い……。

誤字や言い回しの変な所があれば、その都度修正していきます。

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