森の中、全裸と少女
響き渡る川のせせらぎに夜鳥の声。
あれからどれほどの時間が過ぎたことだろう。ここは川沿いにある、森の中でも比較的に木々が開けた場所だった。
青年の意識がハッキリしてきた頃には、闇が落ちたことにより木々の陰影が曖昧になりつつあった。熱の残滓が身体に残っている。嘔吐や悪寒によりしばらく震えていたような気がしたが、今はそれも治まっているようだ。喉に残る僅かな熱はしばらくすれば消えるだろう。それよりも、と青年は仰向けの状態で自分の身体を見下ろした。
「は、裸!?」
全裸だった。肌寒いわけである。
「……あの」
突然の呼び掛けに、青年が跳ねあがった。声の方向に顔を向ければ、薄暗く輪郭のぼやけた人影がこちらを見ている。この声には聞き覚えがある。先程の少女ではないだろうか。青年が記憶を呼び起こそうとしていると。少女が近づいて来た。暗闇にも映えるその金髪は紛れもなく昼間の少女だ。
「すみません。嘔吐された際に、衣服が汚れてしまったのと、傷口がどこかわからなかったものですから、その、勝手に……」
服を脱がしてくれたのか。そういえば、身体は自由に動かせるし首の裏側には何かが塗布され固まった形跡がある。おそらくは何らかの処置であろうカサカサとした感触を指先で確かめ、青年が納得したように表情を和らげると、少女の顔の中心から、ブシャッと黒い何かが噴き出した。何事か!目を剝く青年に対し、少女は片手で顔を覆い、もう片方の手で青年を制した。
「は、鼻血です。すみません、刺激が強過ぎました……」
「あぁ……」
現在進行形で全裸である状況を思い出した。
「ごめん、服を着てもいいかい?」
目線を動かせば、近くの木に自分の着ていたローブと下着が干してある。近づいて手にとってみれば、生乾きとすら言えないほどの濡れ具合であるが、年頃の娘の前で全裸というわけにもいかなかった。しばらく着るのを躊躇したが、意を決したように頷くと後ろから少女の声が掛かる。
「見てません! 私、見てませんから!」
そう言いながら両手で顔を覆っているが指の隙間から少女の爛々と輝く鳶色の瞳が見え隠れしている。後ろを向いていてもらいたいと思うが、それはそれで自意識過剰であろうか。青年は自分が背を向けることにし、下着に足を通し、ローブを頭から被る。下着は面積が小さい分、ほとんど渇いていたが、問題なのはローブの方で、濡れた布が肌に張り付くヒヤリとした感触がとてつもなく不快であった。着ていれば渇くというレベルを軽く超えている。特殊な皮でできたベルトでウエストを絞るようにきっちり締めると、青年は周囲に目を配る。
周囲は薄暗い。それは火が無いからだ。
少女の足元には青年が身に着けていた持ち物袋の他に、集められた枯れ木が山を作っている。火を起こす術を持っていなかったのかもしれない。
「ちょっと、火を起こそうか」
「は、はい」
そうすれば服も渇くだろう。青年は少女の足元に落ちてい皮製の袋を拾い上げると、中身を確認する。そこに必要な物が入っている筈だ。
「あった」
青年が取り出したのは、布で大事に包まれた光沢のある黒い石と、鞘に収まった刃渡り十センチ程のナイフだ。青年は足元に集められた枯れ木の前に立ち、手に持った握り拳大の黒石にナイフの刃をあてがう。
「わ」
少女が驚きの声を上げる。青年が黒石の表面にナイフを滑らせると、柔らかい赤色の光が起きたからだ。
火だ。
ナイフが撫でる度に、黒石から零れ落ちるように枯れ木の山へと火花が落ちていく。
少女がソレを呆けたように見ていると、青年が笑みを濃くした。
「不思議かい?」
「え、えぇ」
「この石は少し特殊でね。塊のままだと燃えないんだけど、表面を削って粉末状にするとすごい勢いで燃えるんだ。ナイフで削る摩擦だけで簡単に火が起きるから、旅人の必需品として重宝されているよ」
しばらく青年は動作を繰り返し、やがて枯れ木に火が燃え移った事を確認すると、ほっと、安堵の息を漏らした。
「やっぱり、明かりがあると落ち着くよ」
そう言って青年は近くの石の上に腰を落とす。服が渇くよう、袖口を広げたり工夫をしながら。少女も少し迷ったあと、青年と向き合うように腰を落とした。火を眺め、気持ちが落ち着くのを待って青年は口を開く。
「すまないね。キミには迷惑をかけた」
昼間のことだ。青年の意識は朦朧としていたが少女が自分を庇い、村を出てきた経緯はうっすらと覚えている。自分の背丈よりも大きい、男である自分を背負って木々の開けた川辺まで移動することがどれだけ大変だったことか、容易に想像できた。それでいて熱にうなされる自分の介抱である。火によってオレンジに照らされた少女の姿を見れば、手や顔は綺麗な状態であるが、衣服の所々は泥で汚れていた。川では洗い落とせなかったのだろう。
深々と頭を下げる青年に対し、少女は眉根をハの字にして微笑んだ。
「いえ、目の前で死んでしまいそうな人を見捨ててしまっては、魔女となんら変わりありませんもの」
「おかげで身体も自由に動くし。不思議だね、あんなに苦しかったのに」
今は本調子とまではいかないが、動作に支障が出るほどではない。走ったり跳んだりも可能だろう。
「ヒムカデの毒は放置すると危険ですが、キチンと対応すれば回復が早いんです。それでもこんなに早く良くなる人も珍しいんですけど。――ええと」
少女が言い淀む。青年は今になって自分が名を告げていないことに気付く。
「あぁ、僕はクリス。クリストフ=ロア。君は、エミリア?」
「はい。エミリア=ウォーレンです。」
あの老人がそう呼んでいたのを思い出す。今にして思えば、凄い剣幕であった。村人がそれほどまでに自分を警戒する理由について、クリストフには心当たりがなかった。しかし老人の発していた言葉。
『そやつが魔女の仲間でない証拠がどこにある!?』
自分は魔女の手先と疑われていたのだ。そんな事はありえない。ありえる筈のない事であるのに、だ。クリストフはスッと自分の目が細まるのを自覚した。これは少女の前で出すべき表情ではない。すぐに目元を緩め、三日月状の笑みに切り替える。
「魔女、か。そんなの、本当に存在すると思う?」
「そんなのって……!!」
クリストフのなにげない疑問に、エミリアが見せた態度は劇的だった。
今までの柔らかな物腰からは考えられない激情が彼女を包む。
突然立ち上がり、身体全身から怒りが滲みでるように震えている。硬く握られた両拳が、いつクリストフに向かって振り下ろされても不思議でないほどの雰囲気であった。突然大きな声を上げた事で、少女自身も動揺しているのだろう。驚きにポカンと口を開いたままでいるクリストフに対し、言葉を紡ごうとし、何度も息を吸い込んでは言葉にならず抜けていく。
「……人が、人が、魔女によって殺されているのですよ!?」
何人もの村人が、子どももお年寄りも、男も女も関係なく。
「沢山、死んでしまったんですよ……?」
エミリアは魔女についての顛末を語り始めた。




