墓守の矜持
あらゆる感情を振り切った少女の言葉に、クリストフは自分の身が震えるのを感じた。
一人では背負いきれない咎を背負った者の懺悔にも似た独白。反省することもやり直すことも許されない。赦されない罪。
その重さをクリストフは知っている。
一緒だから。
己も一緒だから。
「ハ――、」
喉を抜ける空気が熱い。
腹部からの痙攣により、呼吸が上手くできない。それでも、クリストフは息を吸い言葉を吐く。
「君が魔女なら、僕は君を殺す……」
エミリアの罪と一緒に滅ぼす。
今までもそうしてきた。教会が指定した魔女と呼ばれた人達を。長い年月で大勢の人達を。そこに善も悪も無かった。
魔女だから。
それだけの理由だ。
「来るんだ、エミリア。僕が、罪ごと消してあげるから」
片手を地に着け、つっかえ棒のようにして身体を起こす。力んだ事により傷口から血が噴き出すが知った事ではない。その痛みによって意識を繋ぎとめるのだ。
フラフラと立つ様はハリボテのようで心許ない。しかし、それでも身体は動く。
たかが腹に穴が開いただけだ。
「精一杯抵抗しなよ」
両手を腰にまわしベルトに仕込んだナイフを引き抜く。
エミリアが、泣きそうな表情でこちらを見ている。
そんな顔をした人間を、何人手に掛けてきたのだろう。中には年端もいかぬ者もいた。
家族を持った者もいた。魔女なんだ、この人たちは魔女なんだと何度も自分に言い聞かせた。
やがてそこに疑問を持つ事も無くなっていた。
「さぁ!」
「!」
エミリアがクリストフの声に弾かれるように動いた。
物理法則を無視したかのような0から1の急加速だ。エミリアは前へ。地面を舐めるような動きで少女のものとは思えない速度の急接近をかける。クリストフが真っ直ぐナイフを放てば当たるタイミングと軌道である。
しかし、
「む……」
クリストフは跳躍した。
咄嗟の判断であったがそれが正しい判断であった事を宙空で確認する。背後から空気を巻き込む音を立て、大質量がクリストフが立っていた位置を押し潰したからだ。土くれによる巨拳だ。巨大な腕だけが地面から生えている。
クリストフは巨拳の上に着地するやいなや視線を走らせる。エミリアから目を離すのは危険だ。しかし、それだけに気を取られていても危険である。
二本目の巨拳が地面から突き出し、一本目ごとクリストフを叩き潰しに来る。エミリアの姿は巨拳によって隠れてはいるが、
「そこ!」
クリストフは再び跳躍し二本目の追撃をかわすと、身を捻りナイフを投じた。狙いは山なりで放物線を描く軌道だ。身を隠すのであれば死角であろう。そんな判断だ。ナイフはクリストフから巨拳を挟み反対側に落ちる。速度がある攻撃ではない。しかし、効果はあった。巨拳の陰から魔女が逃げるように飛び出してきた。
やはりか、という確信と共にクリストフは着地し、衝撃を殺すと同時に走り出す。魔女はエミリアの身体に戻った。それは思念体に近い存在だった魔女が実体を持ったということだ。それならばとエミリアを追うクリストフの脚に力が籠る。
動きを再開した二本目の巨拳が激突した一本目を吸収し、更に巨大さを増し大質量となって空間を薙ぎ払うも、クリストフは四肢でそれを受け止め、力のベクトルに対して身体をアジャストさせる。結果、巨拳が足場に、衝撃は反発力となり身体を横に押し出す力として消費された。
クリストフの身体が弾丸のように跳ね、速度をもってエミリアに迫る。
「!」
超加速により身体が軋む。軌道を微調整するために重心移動を掛けているのだ。傷口が開く感覚があるが歯を食い縛ることで耐え、腕を伸ばす。ナイフがこのままエミリアの胸を突き刺せば全てが終わる。
一瞬のことだ。
エミリアが笑ったのが見えた。
魔女ではない、紛れも無く自分の知るエミリアの顔だ。
躊躇いはない。自分は魔女殺しだから。
それでも。
「それでも!」
クリストフの突き出した鉄の刃はエミリアの頬を浅く削ぎ、顔横を抜けて行く。同時、力の対象が逸れた体は減速する術を失い、正面からエミリアへと激突した。
額と額がぶつかりあい、ゴッ、低く重たい音を立てる。プシュリという音が混じったのは肉が裂ける音だろうか。重なり合い、倒れ込む一瞬の時間の中でクリストフは両手を広げエミリアを抱きとめる。地面に当たる衝撃は肺の中の空気を全て押し出し、受け身をとれない体勢のまま、バウンドする身は肩の感覚が無くなったところでようやく静止した。
生きた心地がしない。それでも痛みというものは空気も読まずに押し寄せてくる。
「っ!」
右腕が完全に折れておかしな方向を向いている。左手も怪しい感覚があるが、なんとか動かす事は可能だ。自分の体はエミリアに覆いかぶさるように倒れており、身を起こさねば窒息してしまうだろう。
左手でようやくエミリアとの間に空間を作る。
エミリアの目は固く閉じられているが、死んではいないだろう。浅い呼吸が伝わってくる。
「……駄目、ですよ」
エミリアの唇が僅かに動き、か細い声が漏れる。
「ちゃんと、殺してくれなきゃ」
痛みに顔を顰めるエミリアの額は、激突の衝撃により紫色に腫れあがり、中心から裂けて血がコメカミや頬、鼻の上を赤く染めていく。それですら美しいと思える少女の顔を見て、クリストフは精一杯の苦笑いを浮かべる。
「……結局、面食いなんだ。可愛い子を見ると手元が狂う」
「クリスさん、そういうキャラじゃないですよ。こんな顔で、恥ずかしいです」
視界の中でエミリアが身じろぐのがわかる。
傷口をなんとか隠そうとしているのだ。そんな姿が年相応の少女のようで微笑ましい。今の自分は間違いなく微笑んでいるだろう。笑えている筈だ。エミリアが笑っているのだからそうだろう。
しかしそれも束の間、視界に映るエミリアの表情が曇る。
「私は、赦されちゃだめなのに、それなのに……」
このちょっとしたやり取りが楽しいと。
嬉しいと思えてしまった。
「……してください」
決意を秘めた瞳がクリストフを正面から見つめる。
視界の端で、何かが折れる音がした。
見ればエミリアの手が石の塊を握っている。それはクリストフに向けて振り上げられ、しかし別の意思が働いたかのように、手の甲を下に地面に向かって叩きつけられた。押し寄せてくる殺しの衝動に必死に抗っているのだ。
衝撃で手が跳ね、嫌な音が響けば、痛みに顔を顰めながらエミリアが言葉を吐く。
「殺してください、クリスさん。私を。償いを、させてください……」
消え入るような声、大粒の涙が瞳から溢れ赤く染まった顔に透明な筋を作る。
クリストフの折れた右手ではそれを拭う事も許されず。涙の跡に己の頬を寄せた。
「僕も、数えきれない程の人を殺してきた。どうしようもないほどに、僕の手は汚れてしまっている……」
今更、自分に誰かを救うことなんてできやしない。
それでも、救えるものがあるとするならば、
「僕はまた、手を汚そう」
クリストフは支えにしていた左手から力を抜いた。体重がエミリアにのしかかるような体勢になるが、エミリアからの抵抗はない。
左手で一度己の傷口に触れると、血液を絵具替わりにエミリアの頬に紋様を描き出す。
魔女たちの使う秘術だ。
白い肌をキャンパスに、赤黒く描かれたそれはキッチリと上下左右対称になるように線を結ぶと、それだけで意味を持ったかのようにボゥっと赤い光を放ち始めた。
「君の魂を消し去る。魂の行き先は天国でも地獄でもない、完全なる〝無〟だ。輪廻転生の循環から外れ、生まれ変わることも無いだろう」
罪もろとも、存在そのものの終焉だ。
決して赦されることのない罪を犯した者は、救われる事が救われない。だからこそ、無に帰すのだ。
「大丈夫、君一人では行かせない」
人一人を自然の輪廻の環から強制的に抹消するのだ。術者の魂もただでは済まない事は経験からわかっている。それでも魔法陣を描く手に淀みも躊躇いも無いのは、自分も、ある筈のない救いを求めているからだろう。
「最後に、なにか言い残す事はあるかい?」
耳元での囁きに、エミリアが身じろぎ、指先が不自然に曲がった両の手でクリストフの胸を押す。エミリアとの間に空間が生まれ、身体が徐々に持ち上がるのをクリストフは左手で支えた。
再び交わる視線と視線。
エミリアは切れて血の滲んだ唇を微かに動かす。
「本当に、ありがとうございます……。今の私に、これ以上望むことはありません」
そう言葉を切り、瞳を閉じた。
何かを考えているような、はたまた眠ってしまったかのような静かな表情だ。
沈黙の間にも、魔法陣の光りが強くなってきている。残された時間はそんなに無いのかもしれないと、クリストフはゆらりと身体を起こし馬乗りのような体勢になる。これから儀式の仕上げに入るのだ。
左手で膝に隠したナイフを取り出し、ぶら下がっている右手首に押し当てる。
肉を割り蜜のように溢れた血の赤が、白い手を伝いエミリアの胸上を染め上げる。意識が遠のく感覚に身体が揺れ、寒気を覚えた。ただでさえ血を流し過ぎているのだ。脚を踏ん張る事で体勢を保ち、腹筋に力を込める事で意識を繋ぎとめた。
やがてクリストフの口が高速に動き出す。
音として発音されているにもかかわらず、常人には聞きとれない音の羅列が流れた。
現世には存在しない発音。異界の言語だ。人間の脳はそれを理解、または知覚する事もできない。
異界に通じた者のみが発音する事ができるのだ。
「――――」
言葉は加速し勢いを持つ。周囲の風景など目に入らず一定のリズムが精神を研ぎ澄ましていく。傷の痛みもこの時ばかりは意識の外に押し出された。
詠唱が進むにつれて意識は己の深く深くに潜り込む。死後の世界との接点は己の精神の中にある。魔術とはその世界とのチャンネルを繋ぐ事で成立するのだ。
目の前にある風景が徐々にブラックアウトし、気付けば精神体だけが真っ暗な世界に放り出されていた。傷一つ無い身体で、自分は暗闇の中に立つ。己の脳が作りだしたイメージの世界だ。
魔女を狩る側だった自分にはあまり馴染みの無い感覚ではあるが、知識としてはどうすればいいかを知っていた。目を閉じ目を開ける。そのなにげない動作を引き金に、薄暗い精神世界に見上げるほど巨大な門が現れた。それは唐突であったが、かなり前からそこにあったようにも思える。人の死体と死体が絡まり合ってできたような禍々しいディティールであるが、自分の死に対するイメージが反映されているのだ。
白い戸に手を添える。表面は肉の冷たさを持っていた。
押せばさほど力も必要無く開く事だろう。しかし、クリストフの手は止まっていた。
背後に気配を感じたからだ。
そんな筈はない。ここは自分の精神世界だ。他者が入ることなど出来る筈が無いのだ。驚きの感覚と共に背後を振り返る。首だけではなく身体で。
「エミリア?」
言葉通りの人物がそこに立っていた。
フリル等の装飾過多な白と黒のドレスに艶のある長い黒髪、闇の中で浮かび上がるように白く整った顔の上、藍色の瞳がこちらを見つめていた。エミリアの片割れであり、切り離された殺意の衝動そのもの。魔女と呼ばれた少女だ。
魔女の頬ではエミリアと同じ赤い魔法陣がぼんやり光を灯していた。
「そこに」
薄く開いた唇が言葉を発する。
それはとても消え入るような声で、クリストフの耳には聞きとれない。だからというように魔女がクリストフに向かって足を踏み出す。声が届くように、踵を浮かしながら顔をクリストフの耳元に寄せる。
「……そこに、アタシの意思はないわ」
聞こえた瞬間、右側の頬に肌の熱を感じた。
魔女が、頬を寄せているのだ。
恋人との別れを惜しむような突然の抱擁に、クリストフは戸惑った。
「なにを――」
「これはアタシの救い。そして、ちょっとしたサービス」
エミリアの手が、クリストフの背後にある扉へと伸びると、躊躇いなく開け放った。
「!」
一瞬の出来事だった。魔女が顔を離した瞬間、魔女の頬の魔法陣が薄れ滲んでいるのが見えた。それは自分の頬に触れていた側の頬で、先程とはことなる熱が己の頬に宿ったのを感じる。
(しまった……!)
魔法陣を写し、崩された。それだけではない。
開かれた扉が異界に通じ、その向こうから無数の死霊達が押し寄せて来るのが見えた。魔女が門と自分の間に立ち、意地悪な笑みを浮かべている。
「片割れの道連れはアタシの役目。アナタにはもっとお似合いの役目があるわ」
言うなり、魔女が目前に右手をかざした。
もう片方の手にはいつの間にか気を失ったエミリアを抱えており、
「待て! 君は!」
クリストフの身体は引力が働いたかのように、背後へと引っ張られる。伸ばした手がエミリアに届かず空を切ったところで距離は決定的となり、急速に速度が挙がった。視界の中で徐々に小さくなる門と魔女、エミリアの姿にクリストフは声にならない叫びを上げた。
離れて行く魔女の表情が、穏やかに微笑むのを見た。
唇が、クリストフに見えるように言葉を形作る。
『ありがとう、神父さん』
魔女でも殺人鬼でもない、少女の姿だった。
魔女とエミリアが扉から出た無数の手に包まれていくなか、急速にクリストフの意識が薄れていく。覚醒が近いのだ。
クリストフは身体を打つ無数の振動に目を覚ました。
雨だ。
広くなった視界に、重苦しい曇天が広がっている。
この視点で目が覚めるのはここ最近で何度目の事だろうか。今までと違うのは自分が雨に濡れているということだ。水を吸った衣服が重くなっているにも関わらず、不思議と冷たさを感じていない。傷の痛みでさえも。
「…………」
クリストフは右手を眼前まで持ち上げた。
折れた筈の右手、上がる筈の無いものが、傷一つ無く眼前に掲げられている。
ここは死後の世界だろうか。
魔術に失敗し、自分が死して霊体の姿であったならば、この無傷の身体に納得ができるというものだ。しかし、それは楽観だ。
降り注ぐ雨に巻き上げられた泥の匂いに混じり、木の焼けた匂いや死臭が先程から激しく鼻を突いている。明らかにここは自分が今までいた村だ。エミリアはどこにいったのか。何故自分だけがここに寝ているのか。混濁した意識の中で自問を重ねる。
「っ!」
身体を起こしたところでクリストフの手が何かに触れた。
それは薄く鋭利な感触で、指先を浅く傷つけた。眉を潜めて傷の原因を確認すれば、刃先からグリップまでが全て銀でできたナイフが、地面に無造作に転がっていた。
自分が持っていたものであり、魔女が使っていたものだ。
腹部に異物が捻じ込まれた感触が鮮明に思いだされ、思わず腹部を押さえるも、そこに傷は無い。まるで夢でもみていたかのようだ。夢の中で何かを話していた気もするが、思い出す事ができない歯がゆさがあった。
クリストフはなにげなくナイフを手に取った。
何年も使いこんでいただけに、手によく馴染む。ツルリとした感触は雨に濡れた事でよく滑るが、手の中で遊ぶ事が無い。
「?」
しかし、クリストフは手の中に僅かな違和感を得た。
無駄な空気抵抗を減らすため、ナイフは装飾の一切無いデザインであった筈だ。そうであるはずなのに、手の平に伝わるこの凸凹感はなんだろうか。
手の平の上でナイフを転がすと、見慣れぬ文字が彫られていた。
『 噛みしめて それはアナタが人生で最後に得られる痛みよ 』
「!?」
クリストフは右手を確認する。先程ナイフで切れた指先の傷が、みるみるうちに塞がっていくところであった。ハッとなってナイフを手首に押し当てるも、
――!
ナイフの刃が軽い音を立てて地面に跳ねた。自分の生っ白い手首には何の形跡も残っていない。折れた刃を拾い上げ、握り絞めてみてもナイフの方が粉々になってしまった。
茫然とその場に立ち尽くす。
思い出したのだ。魔女とのやり取りを。
自分はまたもや死に損なった。それも少女の犠牲の上で成り立つ最悪な形でだ。そして代償はそれだけではなかった。
自分の胸に手を押し当て、さらには手首で脈を計る。何も感じない。
心臓の鼓動も、脈も、痛みや寒さもなにもかもが無くなっていた。まるで死体だ。生き物としての機能を失ってしまったようだ。
原因を考えるならば一つしかない。
魔術の副作用だ。それも失敗が原因とすれば只事ではない。
焦りと共にクリストフは周囲を見回した。動きに合わせて大きな雨粒が激しく跳ねる。
「エミリア!」
返事が無い。少女の名を呼ぶ痛々しい叫び声だけが周囲に響き渡る。首を振り、周囲を見回せば、村の姿は凄惨なものだった。焼け落ちた土壁や木の柱。炭化した人型のシミが地面や壁にこびり付いており、異臭の原因となっている。シュウシュウと音を立てているところをみれば、雨が降り出してからそれ程時間が経っていないのかもしれない。
「エミリアぁ!」
エミリアはどうなったのか。姿が見えない所を見れば、エミリアにかかった呪いに関しては成功していたのかもしれない。成功に伴って命の尽きる筈だった自分が無事なのは魔女が呪いに手を加えたからだろう。
『片割れの道連れはアタシの役目』
そう言い残し、魔女はエミリアと共に去った。
輪廻転生の環から外れ、生まれ変わることも無い、存在の消滅という道を選択したのだ。あの時、自分もエミリアの魂に引っ張られ、運命を共にする予定だった。それなのに自分の身体はといえば、死という概念だけがすっぽりと抜け落ちてしまった。
不死の身体を持った〝死にたがり〟の完成だ。
魔女が頬に移した魔法陣が中途半端な物だったがゆえの副作用であるが、メッセージを残しているところをみれば、魔女はその辺りも見通していたのかもしれない。
「僕に、もっとお似合いの役目、か……」
エミリアに付いて一緒に消滅するよりも大事な役目が、自分にはあるらしい。今となっては魔女の遺言に縋るしかない。今はそれが何なのかはわからない。
それでも、考える時間は沢山ありそうだ。
「ねぇ、きいてるの?」
唐突に我に帰り、男は顔を上げた。
いつの間にやら物想いに耽っていたらしい。目の前では半透明の金髪少女がつまらなそうに腕組みに足組みの状態で宙に浮いている。その様子だと、自分は随分と少女を無視し続けていたのかもしれない。
すまない、と手を上げ重い腰を持ち上げる。長い間座り込んでいたにも関わらず、身体が軋む事も無い。今はそんな事にいちいち違和感を感じなくなっていた。慣れたものだ。
「あ、どこに行くの?」
歩きだした男の背を、少女が背後霊のように付きまとってくる。それは例えというか、事実、背後霊そのものであったが、それを指摘すると少女は怒りだすだろう。またポルターガイストで墓標を滅茶苦茶にされては困る。男は無言で歩みを進める。付いてくればわかると、言わなくても伝わっているだろう。そのぐらいの信頼関係はあるつもりだ。
男が行き着いたのは、廃墟となった村の中心、かつて火の見櫓が建てられていたところだ。村の到る所に名前の無い墓標が立てられているが、この場所だけが妙に開けていた。円を描くようにポッカリと空いた空白の中心に、ひと際風化の進んだ墓標が立っている。
自分がこの村で一番最初に作った物だ。
不慣れな分、出来栄えは芳しくない。
「きったないお墓ね。みすぼらしいったらないわ」
事実を知らない墓の主が、後ろで好き勝手を述べている。
これが少女自身の墓だという事を伝えるべきか悩んだ時期もあるが、今は言わない事にしている。いずれ、この星が滅ぶ直前辺りに話すのも良いかもしれない。
削りだされた石の感触を指でなぞって確かめれば、ザラリとした感触が指を押し返してくる。ひどく風化が進んでいるが、他の墓標に無いものがこの墓標にはあった。
それは、人の名だ。
装飾や余計な言葉はなく、名前だけが彫り込まれていた。
悼むためではない。忘れぬために。
この世界に遺す唯一の存在証明として男が刻んだ名だ。
今では随分と薄くなってしまったが、いずれ修繕を施そう。大丈夫、時間はある。あの時と同じだ。
そう思い、男は幽霊少女へと振り返る。金の髪に藍色の瞳。色々な懐かしさを宿す顔がそこにある。どこまでも澄み切った、邪念や憂い、後ろめたさの欠片も無い純粋そのものといった少女が、こちらを不思議そうな眼でみつめている。
「さっきの答えだけど。ほら、この村を出ないのかって話し」
そんな事は考えた事も無かったが、答えはとうの昔に出ている。魔女が別れ際に残してくれた言葉だ。自分にふさわしい役目がきっとあると。魔女は役目を果たして去った。どこまでもバッドエンドなこの話しの結末にちょっとした希望の光りを持たせて。
だからこそ、答えは決まっている。
「いるよ。ずっと。そうだね、君が生まれ変わるその時まで」
叶う筈も無く、ずっと守っていくべき約束だ。
その約束を胸に。
墓守は今日も墓前に座す。
始めは4話構成のファンタジー世界での短編恋愛小説のつもりでしたが、なぜここまで長くなったのか……。無事に完結させることができて安心しております。
いろいろ反省するところの多い稚拙な文章に、ここまでお付き合いいただいた読者の皆様方、本当にありがとうございました。
全体の世界観とか、魔女のエミリアに対する感情や、結局呪いがどう作用してそうなったのかとか、もっと色んなことを自然に文章の中に詰め込みたかったのですが……、まぁ……、しょうがないですよね!
反省は次回に活かす方向で。
本当に、ありがとうございました<(_ _)>




