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異界渡りの姫君  作者: 京 みやこ
第1章 異界渡りの姫君と鍵
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(8)憧れの日常生活

 それからはこの部屋にあるお風呂の事や、食事のこと、洗濯のことなど、生活にかかわることをカルストさんがあれこれと説明してくれる。


「浴室はこの扉の奥にあります。湯は常時湧き出ておりますから、お好きな時にお入りください。隣の部屋にはサワ様付きの侍女達が控えておりますので、彼女たちに入浴の介助を頼むといいでしょう」

「介助ですか?」

 少し驚いて、思わず訊き返す。そんな私に、優しく目を細めるカルストさん。

「はい。サワ様の髪を洗うのは勿論、体の隅々までお世話させていただきます。それに、体や髪を拭くのもお召し物を着せるのも侍女達の仕事ですから。どうぞ遠慮なく、お申し付けください」

 子供の時は親と一緒にお風呂に入った。そして、髪や体を洗ってもらったり、お風呂上りには体を拭いてもらった。

 入院中は母親や看護師さんに手伝ってもらってお風呂に入ることもあった。それはあくまでも体が弱って身動きが取れなかったから。

 十六の私が誰かにお風呂の世話をしてもらうなんて恥ずかしいし、それに今はこうして動ける体があるのだ。

「介助は必要ありません。お湯が沸いているのであれば、一人で入れますから」

 そう返すと、カルストさんは「とんでもない」と少し慌てる。

「何度も言いますが、サワ様は大切なお客様なのですよ」

 この国の偉い人や貴族は誰かにお世話してもらう生活が当たり前だろうけど、私には当たり前ではないのだ。

「大切に思ってくださるのは嬉しいです。でも、これまでの世界では、私はただの庶民でした。なので、誰かに髪や体を洗ってもらうのは抵抗があるんです」

 眉を寄せてちょっと困った顔になれば、カルストさんがしばらく黙った後に「かしこまりました」と頷いてくれる。

「サワ様のご負担になることは、私どもの望むところではありません。お好きなようになさってくださって構いませんから、なんでも仰ってくださいね」

 カルストさんに分かってもらえてホッとした。だけど、お風呂だけで話しは終わらない。

「では次に食事についてですが。サワ様の世界と同じく、この世界の者も日に三度、食事の時間を設けます。時間になりましたら、侍女に持ってこさせましょう。それとサワ様のお召し物は、洗濯業者にお任せください。なにか、ご質問はありますか?」

 まさに先生のような口調のカルストさんに、私は小さく右手を上げた。

「質問といいますか、これもちょっとしたお願いなんですけど」

「どうぞ、なんなりと」

 片眼鏡を指で軽く持ち上げ、ニコリと微笑むカルストさん。

 せっかくの話を断る形になるので、ドキドキしながら口を開く。

「材料を分けていただければ、食事は自分で作ります。それと、洗濯も自分でしますから。私一人の服なら、手で洗ってもそんなに大変じゃないでしょうし」

 私の申し出に、細い目を大きくしてカルストさんが驚く。

「ですが、サワ様が自らそのようなことをなさらなくても」

「わがままだとは思いますが、自分でやってみたいんです」

 こんな私のために、お城の人や業者さんの手を煩わせるのは申し訳ない。

 そういう理由もあるが、死ぬ前には出来なかった“家事”というものをやってみたかった。今ならそれが出来るのだ。

「自分でやってみて、無理だと分かったら頼むことになると思います。とりあえずは、私にさせてもらえませんか?」

 背の低い私がカルストさんをジッと見上げると、彼は仕方ないと言ったように苦笑しながら了承してくれた。

「サワ様さえよろしければ、いかようにもいたします。必要な道具は後ほど運んでまいりますね」

「無理を言ってごめんなさい」

 良かれと思ってあれこれ手配してくれようとしていたカルストさんに頭を下げると、彼はまた優しく微笑む。

「とんでもございません。そのようなこと、無理のうちには入りませんよ。ではさっそく、道具の手配をしてまいりますね」

 そう言って、カルストさんはこの部屋を出て行った。

 

 


 カルストさんの背中を見送りながら、ふと、隣に立つサフィルさんを見上げる。


―――どうして、まだこの部屋にいるんだろう?


 パチパチと瞬きを繰り返しているうちに、彼がこの部屋にやってきた理由を思い出した。

「すみません、すっかり忘れていました」

 私は借りていたマントを脱ごうとした。

 しかし、さっきも言ったがサフィルさんが飾り紐を何度も金具に通してしまったので、なかなか外せない。

 あまり待たせては悪いので一生懸命指を動かすが、紐は複雑な上に硬く結ばれているので、焦れば焦るほど指は動いてはくれなかった。

「どうしよう、解けない……」

 私が俯くと、サフィルさんが小さく微笑んで飾り紐に手を伸ばす。

「いや、私こそすまない。かなりきつく結んでしまったようだ」

 手元をよく見ようと、前かがみになったサフィルさんの顔が近づいてくる。

 綺麗な顔立ちの人は、近くで見てもやっぱり綺麗だ。日本人とは違う色彩と顔立ちが珍しく、思わずしげしげと見つめてしまう。

「すまないが、あまりジッと見ないでくれないか。少々やりづらい」

 あまりにも熱心に見ていたせいか、サフィルさんがそう漏らした。

 いくら珍しいからと言って、流石に失礼だっただろう。

「ごめんなさい。こんなに見られたら不愉快ですよね」

 彼の作業の邪魔にならない程度に頭を下げて謝ると、『別に、そういう意味では……』と、小さく返される。

 では、どういう意味なのだろうか。

 訊いてみようと思ったが、真剣に紐を解いているサフィルさんに話しかけるのも悪いと思い、私は黙って作業が終わるのを待った。


 ようやく飾り紐が金具から外れた。

「どうもありがとうございました。この部屋は廊下に比べてだいぶ温かいので、もうマントは必要ないですよね」

 ペコリとお辞儀をして、サフィルさんにマントを差し出す。

 しかし彼はなかなか受け取らず、黙って私を見ていた。

「どうかしました?」

「……いや」

 フワリと目元を緩めて、サフィルさんが微笑む。

「異界渡りをした上にあれこれと話を聞いて、だいぶ疲れただろう。着替えや食材の用意ができるまでにはしばらく時間がかかる。それまで休んでいるといい」

 言われてみると、体が重い。それ以上に、心も重い。色々な事が一度に押し寄せてきて、どこもかしこもグッタリだ。

「そうします」

 素直に返事をすると、サフィルさんが私の頭をソッと撫でる。

「何かあったら、私に言うように。いいか、気遣いや遠慮は無用だ」

 幼い子に言い聞かすように、彼は私の目を真っ直ぐに見つめてそう言ったのだった。 



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