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異界渡りの姫君  作者: 京 みやこ
第1章 異界渡りの姫君と鍵
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(4)サフィルさんの身分

 毛足の短い絨毯が敷き詰められた長い廊下を、サフィルさんと並んで歩く。

 街の様相が童話の通りであったように、このお城も童話の世界によくある石造りのどっしりとしたものだ。

 壁にはペガサスから見た風景を忠実に再現された見事な絵画が掛けられていて、思わず目を奪われた。写真のようではあるが、写真とは違う温かみを伝えてくるその絵から目が話せない。

「その絵が気に入ったか?」

 立ち止まって見入っている私に気付いて、数歩先で止まったサフィルさんが声をかける。

「はい。まるで吹いている風が伝わってくるようです」

「それは作者にとって何よりの褒め言葉だな。後で伝えてやろう」

 私が立っているところまで戻ってきたサフィルさんが目を細めて、同じように絵を眺める。

「ペガサスに乗って見る景色も素晴らしいが、この国には地上にも見事な場所がいくつもある。機会があれば私が案内しよう」

 おそらく彼のこの言葉は社交辞令に違いない。

 部隊長のサフィルさんはきっと仕事で忙しいはずだから、私なんかと出歩く暇などないだろう。それでもそういった言葉をかけてもらえた事が嬉しくて、私は『楽しみにしています』と答えておいた。


 廊下を進みながら絵画についてあれこれと質問すれば、朴訥とした口調ではあるが簡潔に説明してくれるサフィルさん。

 話の流れでこの世界の事、そして『こうていこく』のことを少しだけ教えてもらった。この国を漢字で書くと『光帝国』となるようだ。

 王様と帝王と皇帝の区別が私には付かないので詳しくは分からないが、ディアンド光帝国は地球でいうところの王政みたいな感じらしい。一番偉い人が光帝陛下、その奥さんが光帝妃陛下。宰相という人が政治や取り決めごとのまとめ役であり、光帝陛下の側近のようでもある。

 そして身分制度があって、貴族がいるのだとか。病院内学校で行われた世界史の授業の時にそういった話を聞いたことがあるから、それについては割とすんなり理解できたと思う。 

 彼の話しを聞くうちに、また気づいた事があった。

 彼は日本語を理解しているのだ。

 この世界に来た恩寵というのか補正というのか、私はこの国の言葉を話せるようになっているらしい。その自覚がないので、自分では日本語で話しているつもりである。

 それなのに、私が使う日本語独特の曖昧な表現を、彼は見事に捉えている。いくら私がこの国の言葉を話しているとはいえ、彼が日本語を知らなければ、こんなにもスムーズに会話が進むはずないだろう。

「サフィルさんは日本を知っているんですか?」

 疑問のままに言葉にすれば、彼は表情を変える事なく頷く。

「ああ。君のいた世界の“ニッポン”こそが、異界渡りの姫に深い関わりがあるからな。だから、私たちはこの国の言葉とともに、ニッポンの言葉も学ぶのだ」

 日本じゃないのに、ましてや地球じゃないのに、会話が普通に通じるなんてすごく不思議だ。でも、ありがたい。

「さぁ、着いた。この中で詳しい説明をしよう」

 サフィルさんは衛兵が開けた重厚な扉の先へと脚を進めた。




 サフィルさんの後について行くと、この部屋の奥に一段高くなっている場所にある立派な椅子に腰をかけている男性と女性、そして壇の下に立つ男性の姿が目に入る。

 待っていた人物達から三メートルくらい離れたところで、サフィルさんが止まった。

 そして、右膝は立てて左膝を床に着き、深々と頭を下げる。

「光帝陛下、並びに光帝妃陛下。サフィルイア=シィ=ディアンドールニア、只今戻りました」

 どれほどの間取りなのか想像もつかないくらい大きな広間に響く、サフィルさんの少し低めの声。

 それを受けて、椅子に座った男性が深く頷き返す。

「ご苦労であった。そちらの女性が“異界渡りの姫”やも知れぬ者か?」

 スッと視線を向けられ、私はその場で身を硬くした。

 肩に着くくらいの長さの髪は、サフィルさんよりもやや淡い黄金色で緩く波を打っている。

 瞳の色は新芽を思わせる艶やかな緑。その眼光は鋭く、瞳からも全身からも、ただならぬ威厳を感じた。

 サフィルさんが口にした呼び方から察するに、椅子の男性はこの国の最高権力者だろう。だが、そんな高貴な身分の人に対する礼儀など、この私に分かるはずもない。失礼な態度を取ったら、殺されてしまうのだろうか。

 病院のベッドの上で読んだ中世ヨーロッパを舞台にした小説では、失礼な振る舞い一つで不敬罪とされ、処刑されることがあると書いてあった。しかもここは初対面の私に対して容赦なく剣を向ける人たちがいる世界。ちっぽけな私の首を刎ねるなど、いとも容易くやってのけるはずだ。


―――どうしよう。どうしたらいいの?と、とにかく、頭を下げなくちゃ。


 混乱で泣きそうになっているのを必死で堪え、立ったままではあるが深く頭を下げた。縋るように、纏ったマントをギュッと手の中に握り締めて。

 視線を合わせていないのに光帝陛下と呼ばれた男性の視線をひしひしと感じ、喉が引きつり全身が凍りつく。

 それは身分の高い人に対する緊張とは違うものだ。

 ただ見られていると言うのではなく、探られているという感覚。私の外見だけではなく、それ以上の何かを見つけようとしているのがありありと伝わってきた。


―――何なの……?


 自分の足元を必死に見つめて耐えていると、これまで感じていた重圧がふっと和らいだ。

「間違いない。この者こそが鍵」

 その言葉と共に、私の周りにあった空気が徐々に温度を取り戻してゆく。それでも緊張がなかなか解けず、そのままの姿勢をとり続ける。

 その様子に、光帝妃陛下と呼ばれた女性がクスリと笑った。

 艶のある明るい栗色の長い髪は、上品に結い上げられ、散りばめられた宝石に負けない輝きを放っている。瞳の色は、サフィルさんよりも少し淡い瑠璃色。厭味にならないほどの高さの鼻は絶妙な位置に収まっていて、口紅で彩られた唇は大人の魅力を存分に伝えてくる。

 さっきチラリと見ただけなのに、その印象的な姿は忘れられない。

 ドレスと同じく薄い紫色をした扇子を優雅にパチリと閉じ、光帝妃陛下はゆっくりとした口調で言った。

「この国を救う伝説の姫君と聞き及んでいたから、どんな方が見えるかと思えば……。とても可愛らしい方なのね。どうぞ楽になさって」

 そこには私を見下した響きはなく、纏う空気と同じく穏やかである。

 その口調に私は少しだけ落ち着き、俯いたまま息をソッと吐いた。


「面を上げよ」

 私は顔をゆっくり正面に向けると、光帝陛下がサフィルさんのように声を響かせて発した。

「ディアンド光帝国によく参ってくれた。我々はそなたを歓迎する」

「あ、りがと……う、ございま……す」

 なぜ自分が歓迎されているのかも全く分からないが、緊張でカラカラになった喉を動かしてお礼を言うと、光帝陛下が苦笑いを浮かべる。

「そう、かしこまらないでほしい。礼を述べるのは我々の方なのだから」

「ど、いうこと……ですか?」

 たどたどしく聞き返せば、光帝陛下は傍に立つ男性をチラリと見遣った。

「それについて、そして“異界渡りの姫”についても話をしよう。カルスト」

「かしこまりました」 

 壇の下に立っていた男性が一つ頷き、軽く右手を挙げた。

 すると、控えていた人が椅子を持ってこちらにやってきて、サフィルさんと私の後ろに置く。

「そちらへ掛けよ。話は少々長くなるから、サフィルも座れ」

 光帝陛下に促され、用意された椅子にゆっくりと腰をかけた。


 カルストと呼ばれた男性が私に歩み寄り、静かに頭を下げた。

「この国の宰相を務めております、カルスト=サーミアと申します」

 サフィルさんの軍服ほど堅苦しくは無いが、それに似たような形のきっちりとした服を着たカルストさんは光帝陛下と同じくらいか、それよりももう少し年上くらいに見える。

 左目だけにかかった丸い片眼鏡と、ほっそりとした顔と灰褐色の髪が気難しそうな印象を与えていた。

 でも、瞳を見る限り悪い人ではないだろう。厳しい人ではあるだろうが。


「説明の前に、姫君のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

 小学校の校長先生のような印象のカルストさんに、私は頭を下げてから名乗った。

「伊東 佐和です」

「なるほど、姫君はイトウ サワ様と仰るのですね」

 日本語は通じているが、聞き慣れた名前とは発音が微妙に違っている。その事が異世界にいるのだと、しみじみ実感させられる。

 カルストさんが何度も頷きながら、手元の用紙に私の名前を書き付ける。

「それでは姫君、お年はおいくつでしょうか?」

「16です」

 それを聞いたカルストさんが、一度だけ瞬きをした。

「おや?あまりに華奢でいらっしゃるから、もう少し年若いかと……。姫君は既にこの国では成人に当たる年齢でいらっしゃるのですね。さて、姫君。続きまして」

「あのっ」

 次の質問に移ろうとしていたカルストさんを遮る私。

「姫君、どうされました?」

 声を上げた私にカルストさんは不快な顔をすることなく、右に少しだけ首を傾けた。

 私は膝の辺りのマントを手の平の中に握りこむ。

「私のこと、その……、“姫君”って呼ばないでもらえますか?」

「どうしてでしょうか?」

 私がそう言い出した理由が全く分からないカルストさんが、ますます不思議そうに首を捻る。

「だって、私は姫って柄ではないです」

 日本の、それこそ何処にでもあるなんて事の無い家庭に生まれて。こんな小さくてやせっぽちの私が、『姫君』と当たり前のように呼ばれる事が恥ずかしい以上に、居心地が悪かった。

 緊張で震える唇で一生懸命に伝えたが、カルストさんは渋い顔で首を横に振る。

「ですが、あなた様は紛れもなく“異界渡りの姫君”です。我々は敬意を持って“姫君”とお呼びするべきであり、あなた様は“姫君”と呼ばれて然るべきお方なのです」

 きっぱりと言い切るカルストさんに、私はたまらず叫んだ。

「敬意だなんて、そんなっ。お願いします、佐和と呼んでくださいっ」

 どんどん居たたまれない状況に追い込まれ、私はさらに強く手の平にマントを握りこむ。

 広間には私の『お願いします』と、カルストさんの『それはなりません』という言葉が、何度も繰り返される。

 そんな様子を今まで黙って見ていたサフィルさんが、私とカルストさんのやり取りに口を挟んだ。

「カルスト。だいぶ困っているようだから、“姫君”はやめたほうが得策ではないか?」

「サフィルイア様、私は意地の悪いことを申しているのではありません。敬うことの何処が問題なのですか?」

 憮然とした顔で反論してくるカルストさん。

 そんなカルストさんに、サフィルさんが穏やかに、でも少しだけ声を下げて言う。

「本人が受け入れがたいとしているのだぞ?」

 それは明らかに年下であるサフィルさんが、カルストさんを嗜めている態度。


―――あれ?サフィルさんって……。


 前に座る光帝陛下と光帝妃陛下の容姿を足して二で割ったような感じであるし、とても威厳があり、カルストさんが“様”付けにしている。

 そして、光帝陛下が親しげに『サフィル』と呼んだ。


―――もしかして……。


 恐る恐る横目で隣を伺えば、それに気がついたサフィルさんは悪戯が見つかった子どものように、苦く笑う。

「名乗った際に、身分を一つ明かしていなかったな。私は眼前にいらっしゃる光帝陛下と光帝妃陛下を両親に持つ、ディアンド光帝国の王子だ」



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