サワの仕事(17)
サフィルイアが黙々と昼食を摂っている間、サワは侍女長の控室でお茶を淹れる練習をしていた。
その練習に付き合っているのは、他ならぬカルストである。場合によっては王族の給仕も任される彼なので、行儀作法を教えることは造作のないこと。
という建前のもと、サワを独り占めしていた。
硬い表情を浮かべ、一つ一つゆっくりと手順を進めてゆく彼女の姿を、カルストは微笑ましい思いで見つめている。
愛らしいサワと過ごすひと時に、カルスト父はご満悦であった。
――やはり、サワ様を息子の嫁に出来ないものだろうか。そうなれば、私は一生、サワ様と過ごすことが出来るのに。
娘という存在に心底焦がれるカルストは、思考回路が拗れてどこかおかしい。
サワが息子たちの誰かと結婚した場合、一生を共に過ごすのは自分ではなく息子たちなのだが……。
そんな仮初め父の思いなど知らないサワは、茶を淹れる作業にただひたすら集中していた。
やがて全身を緊張させて適量の茶を器に注ぎ終えたサワは、僅かに震える手で静かに差し出す。
それを笑顔で受け取り、カルストはまず香りを楽しみ、そして一口含んだ。
「だいぶ上達されましたね」
その言葉に、サワはホッと息を吐く。
お茶を淹れることなどそれほど難しくないだろうと考えていたのだが、侍女の仕事として給仕するとなると、まるで違うのだと実感した。
茶葉に合わせて器を選ぶことに始まり、適量とされる茶葉の量を見極めること。注ぐお湯の温度、蒸らし時間、注ぎ方など、覚えることは少なくない。
何度も何度も繰り返し、ようやく、カルストから及第点が出されたのだった。
「でも、皆さんに比べたら、私はまだまだです」
自己評価が控えめな彼女は、木製のトレイを胸に抱きながら軽く首を横に振る。
そんな彼女に、カルストは小さく頷いた。
「それは仕方のないことですよ。なにしろ、サワ様は侍女として働き出して日も浅いのですし、あちらの世界でも、なさったことがなかったのでしょう?焦ることはありません。繰り返しているうちに皆と同じようにできますから、ご安心なさいませ。さぁ、サワ様。もう一杯、お茶を頂けますか」
「はい!」
ニッコリと笑みを深めるカルストに、サワは元気よく返事をする。
これまで教えられたとおりに茶葉の量を茶さじで計り、お湯の温度、蒸らし時間に注意を払う。指先の神経まで張りつめ、丁寧にお茶を注いだ。
器をカルストに差し出し、審判を待つ。
ドキドキしながら見つめるサワに、カルストが苦笑した。
「一生懸命なお心が伝わる、美味しいお茶ですよ。……ですが、あまりにサワ様が緊張されるので、お茶を頂くこちらまで緊張してしまいます」
「あっ。ご、ごめんなさい」
ペコリと頭を下げるサワに、首をユルリと横に振るカルスト。
「謝ることではございませんよ。サワ様の緊張が適度に解れるまで、私はいくらでもお付き合いしますからね。それに、私はサワ様の父親なのですよ。ですから、もっと気持ちを楽になさいませ」
それを聞いて、サワの眉がフニャリと緩む。
「そうですね。お父さんにお茶を出すって考えたら、そんなに緊張しないかも」
はにかんだ笑みを浮かべるサワに、カルストも穏やかに笑う。
「その調子ですよ、サワ様。では、もう一度お茶を淹れていただけますか。その後に、昼食としましょう」
こうして、サワとカルストは和やかな時間を過ごしていたのだった。
妹の給仕によって済ませた昼食から数時間後、サフィルイアはいまだ執務室で仕事をしていた。
午後からは各部隊から上がってきた意見書に目を通し、王族の立場で決裁を下す。
サワがこの国に現れて以降、マスタードラゴンとのやり取り、腐敗した貴族連中の根絶、さらには先日の魔獣騒ぎによって、作業が滞っていたのだ。
軍に属する者として、彼らの言い分を可能な限り通してやりたい。しかし、国を預かる身としては、そう容易く要求を受け入れられない部分もある。
毎度のことながら頭の痛い作業だが、この後に控える茶の時間が、彼の心を密かに支えていた。
相変わらず時間と扉を気にする上官の横で、エーメルドは黙々と補佐に徹していた。
気になることは山ほどあるが、これまでにないサフィルイアの様子に、どう切り出したらいいものか頭を悩ませていたのである。
――魔獣退治を終えて戻られてから、いったい、どうされたというのだ?
艇馬部隊副隊長としての才覚は確かなものだが、エーメルドは少しばかり世俗に疎い質であった。
そして彼の家は武骨な格闘一家であるため、色恋沙汰にも疎い。敬愛する上官が恋煩いをしているなど、まったく気が付いていなかった。
サフィルイアの執務室は、微妙な空気に包まれている。
午後三時を知らせる鐘の音が鳴り響いた時、その空気を破るかのように控えめなノック音が耳に届いた。
「入れっ」
またしても、傍に控えるエーメルドよりも先にサフィルイアが答えてしまう。しかも、昼食時よりもさらに声が弾んでいた。
表情はさほど変わりないが、喜色に満ちた声で部屋の主が入室を許可すれば、エーメルドは扉を開けてやらざるを得ない。
――もし、これが城の者に姿を騙った暗殺者だとしたら、どうするおつもりなのだろう。
そうであったとしても、むざむざやられてしまうほど無能ではない。素手だろうと魔法戦だろうと、サフィルイアもエーメルドも、この国では指折りの実力者だ。
とはいえ、迂闊というか、浮かれているように見える上官に少しばかり呆れ顔で扉を開けると、数時間前に顔を合わせた侍女長の姿があった。
一礼した侍女長の後に続いて、もう一人入ってくる。
――今度こそ、サワが!
緩みそうになる頬を堪え、茶器を載せたワゴンを押してきた人物に目を遣れば。
「……ジルコーイヤ?」
侍従の衣装に身を包んだ弟の登場に、サフィルイアは眉を寄せた。
「アメーディス様が昼に給仕された姿をご覧になったジルコーイヤ様が、是非、自分もとおっしゃいまして」
苦笑いを浮かべるミーティアに、サフィルイアはドッと肩を落とした。
眉間にくっきりと皺を刻み、重々しいため息を吐く様子に、エーメルドは僅かに首を傾げる。
「サフィルイア様?」
しかし眉を寄せたままのサフィルイアは、それには答えず無言である。
――なぜ、サワは来ない。王子付きの侍女になるように、話を持ち掛けてあるはずなのに。
これまでの何とも言えなかった微妙な空気が、ピリピリとしたものに変わる。
だが、侍女長の丹力は流石なものであるし、ジルコーイヤも気にすることなく、茶を淹れている。
エーメルドだけが、いたたまれなさを感じていた。
深く長いため息を零すサフィルイアに、湯気の立つ器が差し出される。
「兄様、どうぞ。僕が淹れるお茶はなかなかのものだって、父様や母様も言っているんですよ」
楽しそうな弟の様子に、閉じていた目を開けるサフィルイア。しばらくその器を睨みつけていた彼が、おもむろに口を開く。
「侍女長、なぜ……」
言いかけたところで、口を閉じた。
――そうか。サワは侍女の心得を教わったり、城内を案内されているといった段階なのだろう。別の世界で病に伏せる日々を生きてきた者だ。いきなり仕事を任されるはずもないか。数日もすれば、私のもとにやってくるに違いない。
またしても一人で勝手に納得するサフィル。
飲み頃になったお茶を口に含み、その香りを楽しんだのだった。




