サワの仕事(16)
サワが制服を受け取り、侍女見習いデビューを果たした日。サフィルイアは城から遠く離れた地にいた。
数日前から国境付近にある深い森に魔獣が現れたという知らせが届き、討伐隊を向かわせていた。
ところが、現地から戻った伝令部隊が伝えてきた報告書には、想定された魔獣よりもはるかに強敵であったため、苦戦を強いられているとある。
そこで、事態を収拾するべく、サフィルイアも現地に向かった。
先遣された兵士たちでは、地上戦を得意とする魔獣たちの群れに手こずっていたが、ペガサスを操る艇馬部隊が到着するや否や、戦況は一転。
こうして、大きな被害が国土に及ぶ前に事態は収拾し、サフィルイアはジークを駆らせて城に戻り、そこで、サワが侍女見習いとして仕事を始めたのだと耳にしたのである。
聞けば、サワの侍女姿は大そう愛らしく、城内ではそんな彼女を密かに愛でる者たちが続出しているという。
早朝、城に戻ったサフィルイアは、今回の報告書に目を通しつつ、自身も報告書を作成する作業に追われていた。
熱心にペンを走らせているのだが、小耳にはさんだ噂話に心が湧きたち、時折手が止まる。
何も強請らないサワが、初めて望んだ侍女の制服。仕立て屋が渾身の出来栄えだと胸を張った制服に身を包んだサワは、どれほど愛らしいのだろうか。
城内ではしきりに噂が駆け巡っているのだから、相当なものだと容易く予想が付いた。
――早く、実物を見たいものだな。
サフィルイアは、心の中でソッと呟く。
侍女長であるミーティアには、サワが自分付きの侍女となるように取り計らってほしいと頼んである。
幼少の頃から親身に仕えてくれていた彼女のことだから、きっと、うまく事を運んだに違いないと、サフィルイアは信じて疑わなかった。
今や遅しと待ちわび、それでも、サフィルイアは手を抜かずに作業を進めていた。
もう間もなく、昼食の時間となる。じきに、薄黄の制服に身を包んだサワが給仕に訪れるはずだ。
それを考えるだけで、氷の仮面と評される顔が自然と笑み崩れてゆく。
「ああ、楽しみだな」
そばにいたエーメルドがサフィルイアの呟きを拾い、思わずそちらを見遣り、そして固まった。
――サフィルイア様が、笑っていらっしゃる……!?
艇馬部隊を率いるサフィルイアの傍にあることは、副隊長であるエーメルドにとって必然であるため、そばにいる時間は長くなる。
とはいえ、こんなにも嬉しそうに笑うサフィルイアを見たのは、副隊長を拝命してから初めてのことかもしれない。
しかも、今日はやたらと時計を気にしている。
普段であれば仕事に没頭するあまり、こちらが声をかけるまで食事さえも忘れてしまう上官。そんな彼が見せる常とは違う様子に、エーメルドは戸惑いを隠せない。
「どうなさいました?先程から、随分と時間を気にされているようですが。急ぎの用がありましたら、私が出向いて済ませてまいりましょうか?」
声をかけると、サフィルイアは無表情に戻った。
「いや、気にするな」
素っ気ない一言とともに、サフィルイアは書類に目を走らせる。
ところが、ものの数分も経たないうちに時計へと目を向け、やたらと落ちつかない様子である。
エーメルドが首を捻ったその時、正午を知らせる鐘の音が響き渡った。
「サフィルイア様。昼食は、こちらで召し上がりますか?」
場合によっては外に赴いて食事を取るサフィルイアに尋ねると、頷きが返ってくる。
「よほどのことがない限り、この先、食事は執務室で取ることになるだろう」
その答えに、エーメルドは首を捻る。
数日も執務室に籠らねばならない案件があっただろうか。魔獣討伐に関する報告書は、今しがた完成したはずだが。
しかし、その問いを口にする前に、控えめに扉をノックする音がした。
それに対して、サフィルイアが即座に「入れ」と応えを返す。再び固まるエーメルド。
次期光帝であるサフィルイアがいる部屋に入る場合、まずは副隊長であるエーメルドや護衛の騎士、もしくは、その場に居合わせたカルストが、訪ねてきた人物を確認したのちに、入室を許可するのである。
それなのに、こちらが反応する前にサフィルイアが許可してしまった。まるで、誰が訪れるのかを知っていたかのように。
しかも、いつものように短い応えが、いつもと違って僅かに弾んだ声だったのだ。
つまり、サフィルイアがこの時間に尋ねてくる人物が完全に分かっていたということである。
瞬時に逡巡したエーメルドは、手にしていた書類を机上に置くと、扉へと向かった。
開けてやると、まずは侍女長が頭を下げた後に一歩前に出る。次いで、食事を載せたワゴンを押して入ってきたのは、一人の若い女性。
それは、異界渡りの姫君と呼ばれ、この国にとって重要な鍵である一人の少女。
……ではなかった。
「アメーディス?」
ポツリと呟いたサフィルイアの声が、異常なほど固い。
ほんの少しだけ眉をひそめたサフィルイアが、事情を知るべくミーティアに視線を向けた。
「実は、数刻前に腰を痛めまして。それを心配してくださったアメーディス様が、昼の給仕を手伝ってくださることに。お優しいことでございます」
「そうか」
何気なく発せられた一言だが、敏い者であれば、それが落胆にくれたものだと分かる。
――サフィルイア様は、いったいどうされたというのだろうか。
サフィルイアがこの昼食を心待ちにしていたのだということを、エーメルドは察することが出来た。
分からないのは、「昼食を心待ちにする理由」である。今日の昼食に、好物を出すようにとでも申しつけていたのだろうか。
そう考えるも、違うと感じる。
アメーディスが姿を現した途端、サフィルイアの眉間に皺が寄ったのだ。
怪訝に思うエーメルドの視線の先で、サフィルイアは極々小さなため息を零した。
――食事の給仕は勝手が難しいから、サワにはまだ無理な話だったのだろう。茶の支度であればサワでも出来るだろうから、その時に愛らしい姿を楽しませてもらうか。
サフィルイアはそのように考え、妹が面白がって給仕してくる昼食に手を伸ばした。




