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サワの仕事(14)

 普段とは違う忙しない様子のサフィルイアを、サワはポカンとした表情で見送っていた。

 だが、ふと思い出したように口を開く。

「私は侍女見習いになるんだってこと、サフィルさんに言うのを忘れた」

 カルストもミーティアも既に動き出している。

 それについてはカルストから彼に伝わっているものだと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。そうでなければ、サフィルイアが自分付きの侍女にと言い出すはずもない。

 説明しようにも、サフィルイアの姿は既になかった。

「んー。でも、私がサフィルさんの侍女になるっていうのは、どう考えても無理があるよね」

 では、真面目な彼にしては珍しく冗談を言ったのだろうか。

 もしくは、侍女としての経験がない自分をやたらな場所で働かせることが出来ないという理由で、彼は己の手元に置いて仕事を与えようと考えたのかもしれない。

 この世界に渡ってから、一番長く接しているのがサフィルイアである。多少の無知も失敗も、笑って許してくれるだけの優しさは十分持ち合わせている。

 しかし、サフィルイアの意見だけで、王族付きの侍女になる話が通るだろうか。

「私は鍵ということで、みんなから大目に見てもらっているけど。やっぱり、この国の王子様のお世話をするんだから、それなりに経験がある人が侍女になるべきだよね?」

 それに、彼の傍でこれまで働いている侍女がいるはずだ。だったら、不慣れなサワが、今さらサフィルイアの侍女となることもないだろう。

 そんな独り言を口にした時、「サワ様」と落ち着いた女性の声で名前を呼ばれた。

 振り返ると、ホッとした表情のミーティアがこちらに向かってやってくるところだった。

「お部屋にいらっしゃらないので、どうされたのかと心配しておりました。なにか、ございましたか?」

 穏やかに声をかけられ、サワは思いのほか廊下でボンヤリしていたことに気が付く。

「ごめんなさい、なにもありません。サフィルさんとお話をしていただけです」

 ペコッと頭を下げて謝れば、ミーティアさんが優しい微笑みを浮かべた。

「そうでしたか。サワ様がご無事であれば、結構でございます」

「私のことを探させてしまって、本当にごめんなさい」

「どうぞ、お気になさいませんように。こちらが時間よりも早く、サワ様のお部屋に出向いただけですので。それでは、戻りましょうか。仕立て屋が間もなく参ります」

「はい」

 サワはミーティアと一緒に廊下を歩き始める。

 そこで、さっき感じた疑問を投げかけることにした。

「ミーティアさん。侍女というのは、誰でも就ける職業なんですか?」

「いいえ。侍女というのは主人の傍に仕える者のことですから、身分がしっかりした者を選びます。下働きのように、おいそれと雇うことはいたしませんよ」

 その言葉に、サワは少し考え込む。

「じゃあ、王子様に付く侍女となったら、けっこう大変だってことですよね?」

 ミーティアはゆっくり頷いた。

「王子付きの侍女に限らず、城で働く者は厳しい身分監査の上に、能力試験がございます。この城にいる侍女たちは行儀見習いとしてやってきた貴族令嬢たちですので、殊の外、身分はしっかりしておりますね。他の国のことは詳しく存じ上げませんが、この城ではそうなっております」

「それが普通ですよねぇ」

 数度頷いた末に、サワは口を噤む。

「サワ様、どうなさいましたか?」

 急におとなしくなってしまった少女に、ミーティアは心配そうに声をかけた。

 サワは暫く口を開けたり閉じたりしていたものの、やがて長く息を吐き出してから話し出す。

「ええと、その……。サフィルさんは冗談だと思うんですけど、王子付きの侍女として働いてもらいたいって、私に言ったんです」

「まぁ」

 それを聞いて、ミーティアは微妙な笑みを浮かべる。

 こちらに協力を要請しておいて、既に自分から動いているとは。サフィルイアは、サワのことになると存外せっかちになるようだ。

 顔を伏せたまま歩いているサワには、そんな彼女の表情には気が付かない。床に視線を落としたまま、なおも話を続ける。

「私はなんの身分もありません。特別な才能もないです」

 それを聞いたミーティアは足を止め、とんでもないとばかりに、首を大きく横に振った。

 そして働き者の証拠であるしっかりとした手で、少女の小さな手をキュッと握る。

「ですが、サワ様は異界渡りの姫君ではありませんか。きちんとお役目を果たしてくださったのですから、どうぞ胸を張ってくださいませ。あなた様が竜と共に城を後にしたあの時のお姿は、本当に立派なものでございました」

 この華奢で幼い少女に、どれほどの勇気と覚悟があったのだろうか。

 万物の長である竜と対峙するとなれば、大の男であっても怖気づいて息さえできなくなるというのに。

 相変わらず、この無垢な少女は、自分がどれほど大それたことをやってのけたのかを理解していないようだ。

 それが証拠に、サワは自信のない様子でフルリと首を横に振った。

「そうは言っても、結局のところ、私はなにもしてないです。それに、竜はこの国を滅ぼさないと約束してくれました。私がこの国のために何かできることは、もうなにもないんです」

 言外に『自分はただの少女に戻った』と告げているサワの話を、ミーティアはただ、ジッと聞いていた。

「そんな私がサフィルさんのお世話をするなんて、絶対におかしいです。サフィルさんは優しいから、何にもできない私をそばにおいてくれようとしているんだと思います。だけど、それはおかしいんです。仕事が出来て、身分がしっかりしている人が、サフィルさんの侍女になるべきですから」

 サワが言うとおり、サフィルイアの傍に仕えている侍女たちは、ミーティアをはじめ、全員が明らかな出自である。

 城で働く侍女たちは、高い身分であること――この国では本人が希望すれば、どんな高位貴族でも職に就くことが出来る――、侍女としての能力があることに加え、多少なりとも戦闘能力を必要とされる。

 このことは誰もサワには伝えていないのだが、万が一の事態には、たとえ女性であっても王族たちを守る盾となり、悪意ある侵入者を切り裂く剣となることが絶対条件であった。

 華奢なサワに、サフィルイアも盾や剣としての役割を望んでいないだろう。望むはずもない。

 むしろ、自分が彼女のために盾や剣になるだろう。いや、『なるだろう』ではなく、『絶対になる』という確信がある。

 まぁ、それは置いておくとして。

 ミーティアは辛抱強くサワの話に耳を傾けていた。

「もし、サフィルさんからミーティアさんやカルストさんにそういう話が行ったら、断ってもらえますか?」

 サワがオズオズと顔を上げた頃には、すっかり侍女長としての顔に戻っていたミーティア。

 生真面目で堅物で、これまでに女性へ想いを寄せた事のなかった王子が、不器用ながらにも想い人との距離を詰めようとしている。

 非常に微笑ましいことであるし、幼き頃から長らく見守ってきた者として、王子の初恋を喜びたい気持ちもある。

 が、当のサワにはその自覚がなく、王子付きの侍女になる気もないようだ。

 やはり、時間と段階が必要なようである。


――サフィルイア様、申し訳ございません。ご協力差し上げることは、今しばらくお待ちくださいませ。


 ミーティアはニコリと静かな笑みを浮かべる。

「ご安心くださいませ。予定通り、サワ様には侍女見習いとして頑張っていただきますから」

 その言葉に、サワはホッと小さく息を零す。

 しかし、すぐさまハッとしたように顔を上げた。

「あの、その……、サフィルさんが嫌いだから、近くで働きたくないって訳じゃないんですよ!サフィルさんにはすごく優しくしてもらっているから、だから迷惑かけたくなくて!今の私じゃ恩返しどころか、絶対に迷惑かけるだろうし!ええと、それで、私は、そういう意味で、サフィルさんの傍でお仕事をしたくないだけであって……」

 やたら必死に言い募るサワの様子に、ミーティアの胸は微笑ましさで一杯になる。

 自然と笑みが深くなった。

「サワ様、落ち着いてくださいませ。そのようなことを考える者は、どこにもおりませんよ」

「本当ですか?」

 不安そうな目で見上げてくるサワの手を、ミーティアは改めて握りしめる。

「本当でございます。このミーティアが、嘘を申すように見えますでしょうか?」

 勢いよくブンブンと首を横に振るサワの様子に、微かに苦笑する。

 本人はまるで自覚がないようだが、この先、どうやら悪いようには進まないと見える。

 いずれ、この国の王子と異界からやってきた姫君は、互いの道を重ねるのだろう。

 そのためにも、今は敢えてそばに置かない方がいいのだと、決意するミーティア。

 そんな彼女の脳裏には、『会えない時間が、二人の心の距離を縮めるものである』という、巷で評判の恋物語に書かれた一説が浮かんでいた。


 果たして、それが鈍いサワにとって吉と出るか、凶と出るか。神ならず、マスタードラゴンのみぞ知る、といったところかもしれない。




 ……サフィルイアにとっては、凶かもしれないが。



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