サワの仕事(11)
しばらくのんびりとしていたサワが、おもむろに立ちあがった。
時を知らせる鐘の音が、城の高台から聞えてきたのである。
地球と同じく、この世界も一日は二十四時間。鐘の音は朝の六時から夜の九時まで、一時間ごとに時を示す数字の数だけ打ち鳴らされる。
今しがた聞えた鐘は十一回だった。そろそろ昼食の準備に取り掛かる頃合いだろう。
小さな手の平でワンピースに着いた草をパタパタと払い落とすと、野鳥たちに手を振って城へと戻ってゆく。
「なにを作ろうかなぁ」
まだまだおぼつかない手つきで、切り傷と擦り傷が絶えないけれど、サワは料理をすることを止めなかった。
城の厨房で働く調理人たちの作る料理の方が格段に味はいいのだが、サワは台所に立つという夢が叶ったことに喜びを感じている。
裏庭にやってくる前にすれ違った下働きの男性から、『これから釣りに行ってくるから、魚を分けてあげる』と言われていたサワは、昼食のメインは魚料理にしようと意気込んだ。
「お邪魔します」
清潔第一の厨房に入るため、部屋で新たなワンピースに着替えたサワは、忙しく立ち回っている調理人たちに挨拶をした。
一様に入口へと顔を向けた彼らにペコリと頭を下げると、サワはいつものように奥の小さな調理場へと足を進める。
「サワ様。昼はなにを作るんですか?」
白い調理服を身にまとった、サワよりも少しだけ年上の青年が声をかけてくる。
道具や調味料の場所を教えてくれたり、使ってもいい材料を用意してくれる彼は、サワ専属のサポート係のようなものだ。
「お魚を分けてもらえるとの話だったので、それを使わせてもらおうかと」
サワが答えると、青年はニコリと笑う。
「ああ、お預かりしていますよ」
そう言って、彼は厨房裏口の方へ歩いて行くと、置いてある桶を持って戻ってきた。
そこには青と黒の中間色の鱗を持った魚が泳いでいた。鯵と鯉を合わせたような感じの魚が、三匹いる。
生きている魚を見るのは、サワにとって生まれて初めてだ。
マジマジと眺めているサワに、
「これは川魚のアーカです。臭みがないので、どんな風に料理しても美味しいですよ。この国で最もよく食べられている魚で、街の者も、城の者も、アーカが大好物なんです」
青年が明るい口調で説明してくる。
「では、このアーカをいかが致しましょうか?」
そう言われても、サワは凝った調理法を知らない。魚を触ることに躊躇はないけれど、そのさばき方を知らない。
それならば、彼女が取る調理法は一つに絞られる。
「……塩焼きで」
簡単すぎる調理を恥ずかしそうに口にすれば、青年はさらに笑顔となった。
「サワ様は、一番美味しいアーカの食べ方をご存知なのですね。活きがいいのアーカ塩焼きは、それはもう絶品ですよ」
ニコニコと笑う青年は、お世辞ではなく、心からそう言ってくれているようだ。
その笑顔に安堵し、サワも小さく微笑みを返したのだった。
アーカの調理法が決まったけれど、サワには生きている魚をどうしたらいいのか分からなかった。
すると青年は、「ここはお任せください」といい、桶を床に置いた。
それから小さめの包丁を持ってくると、桶の前に片膝を着く。そして水の中に片手を入れて、アーカを優しく掴んだ。
握り潰さない絶妙な力加減でアーカの動きを止めると、眉間の辺りに包丁の切っ先を素早く突き立てた。
すると、今まで元気に泳いでいたアーカが、青年の手の中でクタリとする。
その見事な手際に、サワは思わず拍手を送った。
送られた拍手に対して、青年がくすぐったそうに笑う。
「この国では、アーカをさばけるようになることが、花嫁への第一歩だと言われています。それだけ、どこの家庭でもアーカが食べられているということですね」
「なるほど」
コクコクとサワが頷くと、青年がニッと口角を上げた。
「サワ様もお嫁に行くまでには、アーカをさばけるようになりましょうね」
「……え?」
何気なく放たれた言葉に、サワはフワッと頬が赤くなった。
この世界に来るまでは、生きていることで精一杯だった。そんな彼女に恋愛をする余裕もなく、胸をときめかせる出会いもなかった。
しかし、今は違う。
まだまだ華奢な体つきとはいえ、明日とも知れない命ではない。
恋をすることも、お嫁さんになることも叶うのだ。
そのことを青年の言葉で実感し、サワは急に照れくさくなってしまった。
――そ、そっか。私、いつか結婚するかもしれないんだ……。
地球に戻ることはできないから、結婚するのであれば、この世界の誰かということになる。
彼女がいるこの世界のどこかには、未来の旦那様が存在しているということだ。
まだまだ漠然としていて、恋すらもよく分からないサワではあるが、そう考えるだけで、すごく温かい気持ちになれる。
――生きているって、本当にいいな。未来があるって、本当に幸せだな。
自分にも父と母と同じような、明るい家庭が持てるのだ。
寝たきりの頃ではあまりに遠いところにあった夢が、こうして、手の届くところにある。
そのことはサワにとって、本当に本当に幸せなことだった。
「ちゃんとお料理できるように、頑張ります!そして、絶対にお嫁さんになります!」
小さな手でこぶしを握り、ムン、と気合いを入れる彼女に、青年が「その意気ですよ」と優しく返す。
と、そこで、サワが我に返った様にハッと息を呑んだ。
「でも、結婚は一人じゃできないんですよね……。相手がいないと、私、お嫁さんになれない……」
どんなにサワが頑張ったところで、結婚してくれる男性がいないことには話が成立しない。
世界が変わっても、それだけは変わらない普遍の事実。
途端にしょぼくれるサワに、青年が慌てた。
「サ、サワ様!大丈夫です!サワ様は絶対に結婚できます!ですから、どうかご安心ください!」
ガクリとうなだれるサワに、青年は必死に声をかける。
しかし、彼女は尚も視線を下げたまま。眉毛もしょんぼりと下がっている。
そんな二人のやり取りに、なんだ、なんだと、厨房内の人間が集まってきた。
「どうか、そんな悲しいお顔はなさらないでください!サワ様は、絶対に絶対に結婚できます!!ええ、絶対です!!」
青年に力強く断言されるも、サワの表情は変わらない。
「そうでしょうか?私みたいなつまらない女の子を、もらってくれる人が現れるでしょうか?」
――サフィルイア様がいるではありませんか!!
その場にいるサワ以外の人間は、この国の後継者の想いに気が付いている。
そんな彼らは、心の中でそう大きく叫んだのだった。




