サワの仕事(9)
サワが皿の上のお菓子をすっかり食べ終え、満足そうにお茶を飲んでいると、この部屋と奥の部屋を繋ぐ扉が静かに開いた。
「サワ様、お待たせいたしました」
柔らかい笑顔で、カルストが歩み寄ってくる。
その後にミーティアが続いて出てきたのだが、彼女の表情は何とも言えないものだった。
――私がお城でお仕事をするのって、もしかして、面倒だったりするのかな?
サワは自分のことを平凡な女の子だと思っていて、特別扱いされることにまだ慣れないでいる。
ところが、そこは城の人たちにとっては違っていた。
サワに自覚がなくとも、彼女はこの国を救った姫君なのだ。伝承の通り、ドラゴンの怒りを鎮めた鍵なのだ。
あの奇跡を目の当たりにした者たちが、サワのことをその辺にいる女の子のように扱うことなど出来るはずがない。
恭しく接し、下にも置かない扱いをするべきだ。……というのが、この城の者たちの共通認識。
そのことをうっすら分かりかけているサワは、自分が扱いに困る存在なのだと徐々に理解し始めていた。
だからこそ、わがままを言うつもりはない。
――やっぱり、お城で働くのは難しいんだ。でも、街に出れば、私の顔を知らない人がほとんどだし。きっと、働かせてもらえるはずだよね。やっぱり、お城を出よう。
うん、うん、と一人で納得しているサワ。
そんな彼女に、
「サワ様のお仕事が決まりましたよ」
と、カルストが穏やかな声で話しかけてきた。
「……え?」
真逆のことを考えていたサワは、反応が遅れた。
一拍おいてカルストを見遣ると、にっこり微笑まれる。
「まずは、侍女見習いといったところですね。サワ様がどういったことを出来るのか、こちらのミーティアに見てもらい、それから侍女としてのお仕事をしてはいかがでしょうか?」
自分から働きたいと言い出したサワであったが、やはりそれは間違いだったかも知れないと反省していたところだ。
なので、ついおっかなびっくりといった態度になってしまう。
「あの、いいんですか?」
オズオズと問いかけるサワに、カルストがソッと首を傾げた。
「なにが、でしょうか?」
「私が働くことって、本当はいけないことなんですよね?」
小柄なサワは椅子に座ったままなので、ションボリ俯くと、本当に小さく見える。
まるで今にも消えてしまいそうな雰囲気に、カルストは慌てて駆け寄り、その華奢な肩にソッと手を置いた。
「なにをおっしゃいますか。サワ様がなさることで、いけないことなどありませんよ」
きっぱりとした口調に、サワはカルストの顔を慎重に窺う。
「本当ですか?」
不安そうに己を見上げてくる彼女に、カルストは大きく頷いた。
「まぁ、本音を言いますと、異界渡りの姫君であるサワ様が仕事をされることについて、大賛成ではないのですがね」
それを聞いてサワの眉尻がシュッと下がるが、彼女の肩をカルストがポンポンと優しく叩く。
「それでも、せっかくサワ様が何かをされたいとおっしゃったのですから。このカルストは全力で協力させていただきます」
――『全力で邪魔をさせていただく』の間違いではなかろうか……。
静かに二人を見守るミーティアは、心の中でソッと零す。もちろん、表情には出さずに。
サワの顔が、安堵でホッと緩んだ。
「よかった。私、頑張ります」
その小さな笑顔に、カルストもミーティアも心が温かくなった。
「さぁ、サワ様。具体的な話をなさいますよ」
「それと、仕事用の服を合わせましょう。サワ様、後で採寸をいたしましょうね」
「はい。よろしくお願いします」
サワは椅子から降りて、二人にピョコッと頭を下げる。
素直であどけない彼女の様子に、カルストとミーティアには自然と笑みが浮かんだのだった。
その頃。
朝食を終えたサフィルイアは、己の執務室で何やら難しい顔で考え込んでいた。
執務用のどっしりとした椅子に腰をかけ、重厚なデスク上を睨みつけている。
今の彼は、勝機のない戦いをどうひっくり返して勝利に導こうかというような、非常に厳しい顔だった。
サフィルイアしかいない部屋に、彼のため息が静かに響く。
「……サワとの距離を縮めるためには、やはり私の侍女としてそばに置くべきだな」
真剣な声音で漏らされたセリフ。カルストの予感は見事に的中である。
「そうすれば、今よりも自然に接してくれるかもしれない。それに、サワのことをもっと知ることが出来る」
サフィルイアは女性の扱いに不慣れであることを自覚している。
秋波を寄せられていることには気が付いていたが、心を揺さぶられる相手に出逢うことはなかった。だからこそ、女性に歩み寄ることはなかった。
さらには、自分はこの国を継ぐ者。軽々しく女性と接することは、あらぬ誤解と勘違いを生みかねない。
そういった事情から、これまで積極的に女性と接することもなかった。
だが、ようやく、彼の心を激しく揺さぶる存在が現れたのだ。
しかも彼女は、この国にとってなくてはならない存在。次期光帝の自分に相応しく、おそらく、反対の声が上がることはないだろう。
はっきりと言葉にされたことはないが、両親も自分とサワとの仲を応援してくれているようだ。
彼女と二人でいるとやたら温かい視線を送られるが、それは自分への励ましだとサフィルイアは受け取っている。
いや、周囲から反対されない女性だから、自分はサワとの距離を詰めたいのではない。
初めて、この手で守りたいと感じた女性が、サワだったのだ。この身を呈してでも、あの儚い笑顔を守り通したいと思ったのだ。
彼女と共に人生を歩めるのであれば、どんな反対を受けても諦めたりはしない。
しかし、それ以上の難関が目の前にあった。
それは、当の彼女自身である。
サワがこちらの想いに気が付いていないことを、サフィルイアは勘付いている。
だからといって女性の心情に疎い自分が直球で勝負を仕掛ければ、間違いなく玉砕するだろう。
もしかしたら、玉砕どころか、彼女に全く通じずに空振りで終わるかもしれない。
あちらの世界では、長い間ベッドに伏せていたというサワは、どこか浮世離れした感じなのだ。恋愛ごとに明るくない様子は、サフィルイアでも薄々分かっていた。
だからこそ、まずは互いの距離を縮めることが必要なのだ。
彼女に自分のことを恋愛対象であると認めてもらわなければ、その先に進むことはない。
「サワが王子付きの侍女になれば、そばにいられる時間が増える。執務に余裕があれば、昼食や茶の時間も一緒に楽しもう」
彼女と心の距離を近づけるためには、まずは、一緒にいられる時間を作ること。それでいて、仕事をしてみたいというサワの願いも叶う。
一石二鳥とは、まさにこのことだ。
「この書類の山を片付けたら、サワに仕事の話をしよう。ああ、その前に侍女長のミーティアに話を通しておくか」
時、既に遅しなのだが、なにも知らないサフィルイアは、一人嬉しそうな顔で書類を処理し始めたのだった。。




