サワの仕事(8)
カルストとミーティアが話し合いのために奥の部屋に入っていった後、サワは焼き菓子に手を伸ばした。
パイとクッキーの中間のような独特の焼き上がりで、サクサクした食感が特徴だ。甘さは控えめであり、表面に散らされた木の実の香ばしさが何とも食欲をそそる。
普段は落ち着いていて大人びた言動はするとはいえ、やはり若い女の子である。
サワは朝食を済ませたばかりだというのに、夢中になってそのお菓子を食べていた。
その一方。
カルストとミーティアは、サワの侍女としての仕事について何やら話し合っている最中である。
話し合いというよりも密談といった様相が似合うのは気のせいだろうか。
サワがいる部屋と彼らがいる部屋はしっかりとした扉で遮られていて、よほど大きな叫び声でも上げない限り、彼らの声がサワの耳に届くことはない。
それでも、カルストは声を潜めてミーティアに話しかけている。
彼の話を聞き、ミーティアは驚きに目を丸くした。
「ま、まさか、そのようなことは……」
口元に手を当てて呟く彼女に、カルストは小さな苦笑を浮かべる。
「ないとは言えないでしょう。いえ、確実にあの方は事を進めています。この私の裏をかくように、こっそりと」
「可能性がないと言いきれない部分はありますが……」
歯切れの悪い言葉を返すミーティアに、カルストは深く頷く。
「サワ様に城内での仕事の話を持ち掛けた時点で、サフィルイア様はサワ様を自分付きの侍女になさる算段だったのでしょう。詳しく話せば、サワ様は自分が王族付きの侍女になることを断わるはずです」
カルストの言葉に、ミーティアは神妙な顔で小さく頷いた。
「そうでしょうね。あの方はご自分が『鍵』であるのに、いつまで経っても控えめなままですから」
サワがこの国に渡ってきた時から今日まで、ミーティアもあの儚げな少女のことをずっと気にかけていたのだ。彼女の人となりは、十分に把握している。
「もちろん、サフィルイア様もそのようなサワ様のことは存分にご理解されております。ですから、サワ様が断れない状況を密かに準備し、整った時点で侍女の話を持ち出すつもりかと。心優しいサワ様のことです。サフィルイア様の働きかけを気遣い、断ることなどなさらないはず」
「十分にありえますわね」
サフィルイアが向ける密やかでありながらも熱の籠った視線に気づいているミーティアも、カルストの話には納得だ。
「そこで、侍女長であるあなたにお願いがあります」
毅然とした口調で切り出され、ミーティアは自分の出番だとばかりに笑顔になる。
「分かっておりますとも。サワ様をサフィルイア様付きの侍女になるよう、他の侍女たちを統制して、うまく取り計らうのですね」
この国の将来を背負って立つことが約束されているサフィルイアは、年頃の女性たちから秋波を寄せられている。それは、この国の誰もが知るところだ。
次期光帝であることもそうだが、彼の生真面目で誠実な態度、整った顔立ち、しなやか且つ頼もしい体躯は、注目を一手に集める要因でもある。
そんな彼のそばで仕事をしたいという未婚の女性は、いつまで経っても後を絶たない。
サフィルイア付きの侍女になろうとして、あわよくば彼の恋人になろうとして、行儀見習いの名目で城にやってくる貴族の子女が多いこと、多いこと。
しかし、そんな野心満々な女性たちをおいそれと近づけるほど、カルストもミーティアも愚かではない。
では、そういった女性たちを外し、他の女性たちをサフィルイア付きの侍女にしようとすると、意外と簡単にいかなかった。
帝立騎士団艇馬隊の部隊長で、『氷の仮面』と囁かれている彼のことを、畏怖する若い女性が多いのも事実。
そういったこともあり、サフィルイア付きの侍女は城には存在せず、半ばカルストが世話焼きの役割を果たしていた。
そこにきて、サワの登場だ。
彼女はサフィルイアに色目を送ることもないし、恐れおののくこともない。そして幸か不幸か(サフィルイアに取っては不幸だが)、彼の想いに気付いていない。仕事に支障はないだろう。
おまけに健気で一生懸命なサワである。はじめは慣れない仕事に手間取っても、いずれはサフィルイアをさりげなく気遣う優秀な侍女になるに違いない。
だが、それを良しとしない人物がいる。もちろん、カルストのことだ。
カルストとしても、彼らの仲を強固に反対しているわけではない。
次期光帝の恋慕に横やりを入れる宰相など以ての外かもしれないが、ようやく新たな人生を歩み始めたばかりのサワには、サフィルイアとの恋愛はまだ早すぎる。
彼と恋愛するということは、国の事情に否応なく巻き込まれることを指すからだ。あの少女には、荷が重すぎる。もう少し年月が必要だろう。
そう、すべてはサワを思ってのことなのである。
……その思いとは別に、今は二人を応援する気持ちよりも、自分が彼女の父親代わりを堪能したい気持ちの方が大きかったりするのだが。
「お任せくださいませ。この私が、何事もうまく進めてみせますとも」
ニコリと笑顔を浮かべ、軽く握った拳でトンと己の胸を叩いて見せるミーティア。
そんな彼女に、
「そうではありません」
と、即座に言葉を返すカルスト。
「ですが、そういったお話ではないのですか?」
「違います。むしろ、その反対です。サワ様をサフィルイア様付きの侍女にならないよう、うまく取り計らっていただきたいのですよ」
「え?」
自分の予想と真逆の話をされ、ミーティアは思わずポカンと呆けてしまう。
「あの……、カルスト様?」
「いきなり王族相手に侍女の仕事をさせては、サワ様が委縮なさいます。せっかく働くことを楽しみになさっているのに、それでは可哀想ではありませんか。段階を踏むというのは、とても大事なことかと」
自分の魂胆など丸っと押し隠し、カルストは穏やかに微笑んだ。
その笑顔に引っかかりを感じながらも、彼が言うことには一理あると、ミーティアは反論することを控えた。
「では、サワ様は侍女見習いとして、しばらく私と共に行動していただきましょう。それでよろしいでしょうか?」
ミーティアの言葉に、カルストは満足そうに頷く。
「頼みましたよ」
同士を得たりと言わんばかりの笑顔に、ミーティアは心の中でこっそりとため息を零す。
厄介ごとに巻き込まれそうだと予感した自分の勘は、やはり間違っていなかった。
そのことを喜ぶべきか、悔やむべきか。
彼女は部屋を出ていこうとするカルストの背中を見つめながら、もう一度、心の中でため息を零したのだった。




