サワの仕事(5)
見事、『この世界での父親』という役割と手にしたカルスト。穏やかに微笑む表情の下では、彼の妄想が密かに炸裂していた。
――サワ様の父親代理として認めていただいたものの、やはりそれだけではいささか寂しいものだな。
サワと話をしながら、カルストは心の中でそう呟く。
もっともっとサワに慕ってもらうためには、そして、「お父さん」と何のてらいもなく呼んでもらうためにはどうしたらいいのか。
そこで、カルストの脳裏に光が差した。
――そうか!私の息子たちは、三人とも独身だ。息子たちの内の一人とサワ様が結婚すれば、堂々と父だと名乗れるではないか。「お父さん」とも呼ばれ放題ではないか。
優しい笑顔の裏でニヤリとほくそ笑むカルスト。
その頃、サフィルイアの背筋に再び悪寒が襲ったらしい。
さて。
サワとカルストは、食事中のマナーに反しない程度の範囲で会話をしてゆく。会話と言っても、口下手なサワはカルストの問いかけに答えるという形ではあったが。
「サワ様、その細い棒は何でしょうか?」
「これは箸というもので」
サワが取り上げた二本の棒で、スープの器に入った一口大のポーモロンを挟み上げた。
「こうやって使うんです」
そしてポーモロンを口に運ぶ。
その様子に、カルストはいたく感心したように頷きを繰り返した。
「ほう、なるほど。ですが、その箸なるものを使わなくても、フォークでも十分ではないでしょうか。必要であれば、ナイフもご用意しますし」
カルストの言葉に、サワにしては珍しくフフッと楽しそうに笑う。
「これを見てください」
サワは先程と違って、ポーモロンに箸を突き刺して口に運んだ。それから次にやや大ぶりなポーモロンを皿に取り、それを箸で真ん中から割り、それも口に運ぶ。
モグモグと咀嚼を終えたサワが、やや得意げにカルストを見遣った。
「お行儀が悪いから、本当は箸で食べ物を刺したりしちゃダメなんですけどね。この箸一つで、挟んだり、刺したり、割ったり出来るんですよ。便利でしょう?」
「おお、そうでしたか。確かに便利ですね」
カルストの様子に、サワはまた楽し気な笑みを浮かべる。
「それに私は、日常的に箸を使う生活を送っていました。なので、スプーンやフォークよりも、この箸の方が慣れているんです」
彼女が言うように、華奢な指は器用に箸を操っていた。
「箸というのはいいものですね」
驚きと感動に包まれた眼差しを向けるカルストに、サワは不思議そうに呟く。
「でも、これまでに鍵になった人は、箸を使ったりしなかったんですか?」
この国では、向こうの世界でいうところの『日本』から人が渡ってくるものだ。今までにも竜の試練があったということから、そのたびに日本人がこちらにやってきていたはず。
なのに、日本では一般的である箸の文化をこちらの人たちが何も知らないということが、サワにとっては不思議だった。
軽く首を傾げると、カルストが苦笑を浮かべる。
「サワ様のように、ご自身で食事を作るという方はいらっしゃいませんでした。皆様、こちらで用意した食事と食器で済まされておりましたよ」
それを聞いて、サワの眉がシュンと下がった。
「……私、わがままを言ってますよね」
出来る限り身の回りのことは自分でやりたいと主張し、それを叶えてもらっている。
サワとしては周りの人に迷惑をかけないようにというつもりだったのだが、かえって迷惑をかけることになっているのではないだろうか。
食事を作るにしても、厨房で働く者たちは危なっかしい手つきのサワに、さりげなく注意を払っている。時に声をかけ、危険を回避させてくれることもあった。
また調味料の場所や料理の手順などを尋ねることで、彼らの手を止めていることもあった。
今更になって、彼女はそのことに思い至る。
「ごめんなさい。私、自分のことしか考えていませんでした」
皿の上に箸を置き、サワは肩を落として俯いた。
途端にカルストは慌てて腰を浮かせる。
「サワ様、違います!あなたがなさることで、迷惑を被った者なと、誰一人としておりません!」
すぐさまテーブルを回り、椅子に座るサワの傍らに片膝を着いて小さく握られた拳に手を添えた。
「サワ様は、そのお命に危険が及ばない限り、何をなさっても自由なのです。ですから、どうぞ、そのような悲しいお顔をなさらないでください」
皺の見えるかさついた手が、サワの手を強く握る。
「でも……」
自分のことを捨て置いても周囲に気を遣う幼い少女の顔は、カルストが何を言っても一向に晴れない。
二人の間に、しばらく沈黙が流れた。
それを打ち破ったのは、どこか楽しげなカルスト。
「でしたら、こうしましょう。サワ様、その箸の使い方を私たちに教えてください」
「え?」
あどけない瞳が、パチリと瞬きする。
「サワ様はこれまで通り、お好きなようになさいませ。その代わり、私たちに色々と教えてください。それでお互い様ということになさいませんか?」
「そんなことでいいんですか?」
オズオズと口を開くサワに、カルストはニッコリと微笑んだ。
「そんなことなどとおっしゃらないでください。この国がある限り、この先もサワ様と同じ日本から姫君が渡ってくることがあるでしょう。その姫君がこちらの世界で不自由なく過ごすためにも、サワ様の教えが必要なのです」
カルストの言葉を、脳裏でゆっくりと繰り返すサワ。
――そうか。私に出来ることがあるなら、協力しなくちゃ。
サワはカルストを見つめ、ゆっくりコクリと頷く。
「分かりました。私が知っていることを、カルストさんやみんなに教えます」
その表情からは、ようやく曇りが薄れた。
カルストや、この状況を見守っていた厨房の者たちもホッと安堵の息を吐く。
「よかった。これも私の仕事ですね」
自分の役割ができて安心したサワも、僅かに微笑んで片手で胸を撫で下ろした。
「そう言えば、先程もサフィルイア様が『仕事の話をしよう』とおっしゃっていましたね」
カルストは城に戻ったばかりのサワとサフィルイアが交わしていた会話を思い起こす。
「サワ様のお仕事ということでしょうか?」
「はい。鍵の役目が終わった私にはお城にいる理由がないので、街で働こうとしたんです。だけど、サフィルさんが『城を出るのは絶対にダメだ』と言って。それなら、お城の中で働かせてくださいってお願いしたんですよ」
「そういうことでしたか」
カルストの目が一瞬だけ険しさを見せ、それをサワが認識する前に穏やかなものへと戻した。
――サワ様にやたらと触れたところは許しがたいですが、多少強引であっても城に連れ戻したことで良しとしますか。
娘を溺愛する父親として、その体に指一本触れることでさえも業腹だが、事情が事情ということで怒りを収めることにする。……けして忘れることはないだろうが。
「では、食事の後にサワ様のお仕事について考えましょう」
「え?それはサフィルさんが後で話をしようと言ってくれているんです」
キョトンと自分を見遣る少女に、カルストはいっそう笑みを深くする。
「そうはおっしゃいますが、この城の内情を束ねているのは私ですよ。サフィルイア様よりも、私の方がサワ様の仕事をお探しするのに適役かと」
サワはしばし考え込む。
――そうだよね。王子様が私の仕事探しに付き合うなんて、そんなことさせちゃいけないし、そんな暇だってないよね。だったら、カルストさんにお願いする方がいいよね。
サワは大きく頷いた。
「カルストさん、お願いします。私、何でも一生懸命に働きます」
「では、まずは朝食を済ませてしまいましょう」
「はい」
こうして、サワとカルストの朝食は再開されたのだった。




