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サワの仕事(4)

 小さな調理場内には古ぼけたテーブルセットがある。そこに向かい合ってサワとカルストが腰を下ろした。

 テーブルの中央には、ラーシュのおにぎりが盛られた皿がドンと置かれ、二人の前には取り皿が用意されている。

 スープが入った器の横にはスプーンが添えられていた。そして、サワの前にだけ先が細くなった二本の棒が置かれている。

 カルストが不思議そうにその棒を眺めていると、サワがほっそりとした手を合わせ、

「いただきます」と言った。

「その挨拶は、サワ様のお国では一般的なのですか?」

 カルストは目にしたことのない仕草に、興味津々で尋ねる。

「はい。料理を作ってくれた人にありがとうという意味を篭めて、食事の前には必ず言うんです。あと、野菜やお肉になる動物を育ててくれた人に感謝する意味もあります。それから、人間に食べられてしまう動物に対して、『その命を大切にいただきます』という意味があると聞いたこともありますよ」

 サワの話に、カルストは深く頷く。

「なるほど、なるほど。それは素敵な習慣ですね。では、私もサワ様に倣いまして」 

 カルストは静かに手を合わせ、「いただきます」と言った。軽く目を閉じてゆっくりと発音する様子が、自分の父親を思い起こさせる。

 サワは何とも言えない面持ちで、カルストを見遣っていた。

「サワ様、いかがなさいました?」

 目を開けたカルストは、どこか泣きそうな顔をしている小さな少女に優しく声をかける。

 すると彼女はパチパチと忙しなく瞬きをして、はにかんだように極々小さな笑みを浮かべた。

「あの……、カルストさんがお父さんに見えて、それで……」

 この国を救った小さな少女は、異界を渡る間際に命を落としたと聞いている。

 彼女だけではなく、『鍵』とされるのは、やむにやまれぬ事情で命尽きた者、生死のはざまを彷徨う者だと聞き及んでいる。彼女の場合は前者だった。

 マスタードラゴンがこの城に現れた時、サワはサフィルイアにそう話していた。

 長らく病を患い、そんな彼女を看病し続けて疲れてゆく家族を見て、この心優しい少女が何も思わなかったはずはない。己を責め、だが、その思いを表に出すことを良しとしない、優し過ぎる少女。

 事情を知らないうちから、そんなサワをカルストは放っておけないと思っていた。まさしく、大事な大事な娘のように。


――父君に会いたいですか?


 口から出そうになった言葉を、寸でのところで押しとどめた。

 その問いかけは、サワにとってむごいものだからだ。

 異界を渡ってきた者たちは、再びあちらの世界へと渡ることは出来ない。つまり、こちらの世界に足を踏み入れた瞬間、どんなに願っても、その体も、魂さえも、元の世界には戻れない。

 そんな彼女に「親に会いたいか?」とは訊いていいものではないだろう。

 自分に出来る事と言えば、父親代わりになるといったところか。もとより、カルストはそのつもりなのだ。いや、既に父親代わりを自認している。

 カルストには三人の子供に恵まれたものの、いずれも男児だった。既に成人した息子たちは能力を生かして国の要職についている。

 サワはカルストにしてみれば、末っ子の可愛い女児そのもの。

 短く息を吸い、カルストは口を開いた。

「サワ様の父君は、おいくつですか?」

 あえて何ごともないように尋ねる。妙な気遣いをすれば、この優しい少女は相手を思って気を病んでしまうだろうから。

「四十八歳です」

 サラリと問われ、サワもさり気ない調子で答えてきた。

 その答えに、カルストはやわらかく微笑む。

「では、私の方が五つほど上ですね。ですが、サワ様の父君代わりになるには、そうおかしい歳ではないと思いますが。いかがですか?」

「え?カルストさんがお父さん代わり?」

 ポツリと漏らされた言葉に、カルストは内心悶絶した。


――お父さん!こんなに可愛い娘から、お父さんと言ってもらえた!


 ディアンド光国の宰相家当主として、我が子たちには礼儀を厳しく叩きこんできた。

 おかげで多少むさくるしい息子達ではあるものの(揃いも揃って逞しく育ち、身長はカルストよりも頭一つ分高い)、乱暴な言葉使いをすることもなく、粗雑な振る舞いをすることもない。

 ないのだが、だからこそ「お父さん」と、あどけない様子で自分を呼んでくれたことなどはなかったのだ。「父上」と呼ぶように躾けたのは当の自分であるのに、それはそれでどこか寂しいと思っていた。

 またカルストは、娘が生まれたら社交界デビューするまで「お父さん」と呼ばせようと密かに企んでいたのだ。

 しかし、生まれた子供たちはいずれも男児。

 カルストの密かな企みは潰えたに見えたが、それが今、ここに実現したのである。悶絶しない方がおかしい。

 それでも一国を預かる宰相ゆえ、狂喜乱舞する感情を顔に出すようなことはない。たとえ、拳を振りかざして歓喜の雄たけびを上げたいと心底思っていたとしても。

 それはそれは見事なまでに穏やかな微笑みで覆い隠す。

「ええ。よろしければ、私のことを父親だと思ってください。どうぞご遠慮なさらずに」

「で、でも、私のような子が、そんな、迷惑です」

 眉の端を下げ、フルフルと頭を横に振るサワ。

 その様子が健気で可愛い。ああ、自分の本当の娘であれば、「可愛い、可愛い」と言って頭を撫で繰り回してやるのに。

「迷惑だなんて、滅相もごさいません。サワ様に頼っていただけることは、私の喜びでもあるのですから」

 ダメ押しのようにニコリと笑みを浮かべれば、サワの眉毛が更に困った様相を浮かべる。

「そう言われても……」

「サワ様」

 名前を呼ばれた彼女は、困り切った表情で顔を上げた。

「異界渡りの姫君のお世話は、私に一任されているようなものです。つまり、サワ様が頼ってくださるのは、私の職務を全うするということでもあるのですよ。ですから、本当に遠慮は無用なのです」

「……そうなんですか?」

 オズオズと口を開くサワに、大きな頷きを返すカルスト。

「はい、そうです」

 サワは何やら考え込む仕草を見せたのち、「分かりました」と小さな声で言った。

「もう十分すぎるほどお世話してもらっているので、これ以上望むことはないんですけど。もし、困ったことが起きたら、相談に乗ってください」

 遠慮がちな申し出に、カルストの中ではサワの好感度が天井知らずで上がってゆく。

「もちろんですとも」

 ゆったりと頷いて見せると、サワは少しだけ笑った。


 この健気で優しい少女を守るために、今までよりも厳しく目を光らせなくては。彼女を無用に誑かす輩は、けして近づけてなるものか。


 カルストが心の中で硬く誓ったその時、王族専用の食堂にいるサフィルイアが悪寒を感じたという話があったとか、なかったとか。


●佐和ちゃんのことを不憫だと思う以外に、カルストにはそういった事情があったゆえ、彼女に対して少し過保護になるのです。

やっと説明できて一安心。

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