サワの仕事(2)
サフィルイアが城に戻ると、笑顔で待ち構えていたカルストに出迎えられた。
「お帰りなさいませ、サフィルイア様。おはようございます、サワ様」
爽やかすぎる笑顔に一抹の胡散臭さを感じるサフィルイアであるが、サワは何とも思わなかったらしい。
「おはようございます」
小さな頭がペコリと下がり、艶やかな黒髪がサラリと揺れる。
素直な彼女の様子に、カルストはさらに笑みを深めた。ある一点を見つめたまま。
「おやおや。慎み深くあれと教育された王族ともあろうお方が、何とも手の早いことで」
サフィルイアに握られているサワの手を見てニコニコと人好きのする笑顔を浮かべているカルストであるが、その目の奥は少しも笑っていない。
嫌味を言われていると気付いたサフィルイアであるが、そのことに対して罪悪感はなかった。
サワが目を離したすきに己の前から姿を消してしまうのではないかという不安を前にしては、カルストの嫌味などどうといったところではないようだ。
「手を繋ぐぐらい、何も問題はないではないか。それに、業者が通る裏道はあまり状態が良くないから、サワが足を取られないようにと思ってのことだ」
皆が称する『氷の仮面』を纏い、坦々とサフィルイアが言い返す。
もちろん、それに臆するカルストではなかった。肝が小さくては、光帝国の宰相など務まらない。
「王族であるあなた様が容易く女性と手を繋げる立場にはないということ、よもやお忘れではないですよね?」
ニッコリと釘を刺すカルストとは反対に、サフィルイアはますます無表情を装う。
「忘れてなどない。それに、容易いものだとも思っていない」
自分にとって、彼女の存在は軽々しいものではない。一時の浮ついた気持ちでもなく、暇つぶしの遊びでもなく、本気であるからこそ、覚悟の上で彼女に触れているのである。
サフィルイアはその想いを視線に乗せる。
その意味におそらく気が付いているカルストは、冷気を纏った視線を正面から受けて立った。
両者の視線が激しくぶつかる。
それを不安そうに見上げるサワ。自分とサフィルイアが手を繋ぐことはあまりいいことではないと察した彼女は、無言で軽く手を引いた。
それは羞恥心からではなく、サフィルイアに迷惑をかけたくないという思いからだ。
しかし、サフィルイアの大きな手はしっかり握ったままでビクともしない。
後ろに体重をかけ、思い切って引き抜こうと頑張るサワだが、どこもかしこも華奢な彼女が懸命に力を入れたところでどうにもならない。
それどころか、繋いだ手がいっそう握り締められた。
カルストとサフィルイアが無言で睨み合う中、サワも無言でグイグイと自分の手を引く。
しかし、状況は一向に変わらなかった。
腕力も体力もない彼女は手を引き抜くことを諦め、二人のことを困り果てた表情で見上げる。
声をかけようにも緊迫した空気が醸し出されていて、サフィルイアとカルストの顔を交互に見遣ることが精いっぱいだ。
それからしばらくして、沈黙が破られる。カルストが先に口を開いた。
「サフィルイア様が無体を働く方だとは思いませんので、まぁ、いいでしょう。ですが、サワ様はこの国を救ってくださった姫君でありますし、それにまだ年若い女性です。やたらな接触はお控えください。皆に見られることは、けして褒められたことではありませんよ」
――ならば、人目につかない場所ならいいのだな。
と心の中でこっそり漏らすサフィルイアだが、果たして、カルストにそれが通じるだろうか……。
そんなやり取りがあった後、サフィルイアはカルストを従えて陛下と妃陛下がいる食堂に向かった。
サワを誘ったものの、『王族ではない自分は同席できない』と、頑なに拒否されてしまったのだ。
確かに彼女は王族ではないが、この国を救い、マスタードラゴンにその存在を認められたサワならば、食事を共にしても何ら不都合はない。
そう説得したが、彼女は首を横に振るばかり。
「私はいつものように調理場で自分の食事を作ります」
「ならば、私がそちらに向かおう」
すぐさま言葉を返すと、サワが何かを言う前にカルストが口を開く。
「サフィルイア様。朝食の席は余程のことがない限り家族が揃うようにと、陛下のお達しです。お忘れですか?」
それは歴代の王族の中で特に家族を大事にする、現世光帝陛下の取り決めだ。
その言葉に何の疑問も不満もなくこれまで従ってきたが、今はいささか事情が違う。
氷の仮面の下で、密かに苦虫を噛み潰すサフィルイア。
「忘れてなどいないが……」
今はとにかくサワと一緒にいたいと思っている彼には、たとえ親が決めた事であっても、その比重は彼女へと傾いてしまう。
そんな彼の心中を知る由もないサワは、
「家族と過ごす時間は大事ですよ」
と言ってくる。
――私にとって、家族よりもサワと過ごす時間の方が大事だ。
喉まで出かかったが、寸でのところで呑みこんだ。
あちらの世界で家族と死に別れ、もう二度と家族と会えない彼女にとって、家族を軽んじる言葉はたとえ冗談や勢いであっても間違いなくサワを傷つける。
サフィルイアは短く息を吐いた。
「……分かった。食堂に向かおう」
それを聞いたサワは、安心したように表情を緩める。そんな彼女を見て、迂闊な事を口走らなかった自分に心の中でホッとした。
「では、サフィルイア様。参りましょうか」
「分かった」
相変わらず無表情ながらも促されるままに足を踏み出そうとしたサフィルイアは、ふと、サワへと向き直る。
「あとで話をしよう」
「え?」
キョトンとした表情で見上げてくるサワに、サフィルイアは目を細めた。
「仕事についてだ」
「あ、そうでしたね。よろしくお願いします」
ペコリと下げられた小さな頭に、サフィルイアの大きな手が乗せられる。
「今日は差し迫った会議もないし、騎士団の訓練は午後二時からだ。昼食後であれば、ゆっくり時間が取れる。では、またあとで」
サワの頭を優しく撫で、サフィルイアはその場を後にした。




