(25)愛しき存在 SIDE:サフィル
翌朝、日が昇ると同時に目が覚めてしまった。
サワが再びこの城に戻ってきたことがとにかく嬉しくて、のんびり寝ていられる気分ではなかった。
そそくさと身支度を整え、少しだけ自室で時間をつぶし、朝食にはまだ早い時間だとは思ったがサワの部屋に向かった。
昨日はいろいろありすぎたから、彼女は眠っているかもしれない。だが、彼女の顔が早く見たかった。
軽くノックする。
返事はない。
もう一度ノックする。今度は少し強めに。
やはり返事はない。
ここで引き返すのが王族として、そして女性の部屋を訪れた男性としてのマナーだとは重々分かっているが、とにかくサワの顔を見ないことにはどうにも落ち着かない。
竜の元から連れ戻してこの腕に抱きしめたことがただの夢などではないと、自分自身に納得させるためにも、彼女の存在を改めて確かめなくては。
小さく息を吸って、俺は扉に手を掛けた。
この様子を見たら、カルストは笑顔のまま氷のような空気を放ち、『女性に対するマナー』というものを、延々と私に説教するだろう。
しかし、一刻とて待てない。サワの声が聞きたいのだ。サワの顔が見たいのだ。サワに触れたいのだ。
僅かに空けた隙間から、まずは顔を覗かせる。
彼女の部屋は南に面しているので、この時間になれば明かりを灯さなくとも室内は適度に明るい。
「サワ」
そっと彼女の名を呼んでみるが、それでも返ってくる言葉はなかった。
―――やはり眠ってるのか?
それならそれで構わない。彼女の寝顔を間近でゆっくり堪能させてもらおう。
カルストが知ったら三時間は説教してきそうなことを考えつつ、静かにベッドへと近付いていった。
ところが、明らかに様子がおかしい。
やたら綺麗に整えられたベッドは、どう見ても人が横になってできる盛り上がりが見て取れないのだ。
部屋付きの風呂にでも入っているのだろうか。それにしては水音の一つも聞こえてこない。
バルコニーにいるのかと様子を探れば、人影はなかった。
「サワ!」
思わず大きな声で彼女を呼んだ。それでも、返事はない。
彼女を取り戻したと思ったのは、本当に夢だったのか?あの声は、あの温もりは、幻だったというのか。
焦る気持ちを隠せず部屋中を探し回れば、ベッドに乗せられている一枚の紙に気づいた。
ガバッと掴んだそれに目を走らせて、愕然となる。
「“これからは街の片隅から皆さんの幸せを願っています”だと?」
何故、城を出ていったのだ?
何故、街の片隅なのだ?
何故、私の傍にいないのだ?
「サワッ!!」
手紙を握り締めて、部屋を飛び出した。
城中を駆け回り、彼女の姿を見てはいないかと皆に聞いて回る。ところが、人が動き出すには早い時間であったために、サワを見かけた者はいなかった。
最後の頼みとばかりに尋ねた門兵も、やはり彼女を見掛けていないと言う。
「くそっ、何処に行った」
王族らしからぬ乱暴な物言いで吐き捨てると、一縷の望みをかけて裏門へと走っていった。
裏門には城食材を収めに来た業者が、馬に水を飲ませながら一休みしていた。
「小柄な女性がこのあたりを通らなかったか?」
「サ、サフィルイア様!?」
息を切らして突然現れた私に驚き、業者の男が最敬礼を取った。
しかし、今はそんなことなどどうでもいい。
「もう一度訊く。小柄な女性が通らなかったか?」
「へ?いや、そのっ。じょ、女性というには幼い顔立ちの者が、三十分ほど前に裏口から出てゆくのを見ましたが」
「その者はどちらに行った!?」
男の肩をガシッと掴み、鬼気迫る形相で問い詰める。
「ひぃっ。あ、あ、あ、あちら、ですっ」
私が戦場さながらの表情で業者に詰め寄れば、青い顔でガタガタ震えながら西の方角を指差した。
「感謝するっ」
形ばかりの礼を述べ、男が示した方向に向けて駆け出した。
走って、走って。今まで生きてきた中で一番真剣に走って、そしてようやく黒髪が揺れる小さな背中を視界の先に捕らえた。
「サワッ!!」
喉が引き攣れんばかりに叫ぶと、ものすごく驚いた顔の彼女が振り返った。
「サフィルさん?」
目を見開いてサワが足を止めた隙に、一気に距離を詰める。
そして華奢な手首を掴んだ。
「何故、城から姿を消したっ?」
私の形相に肩を震わせたサワが、おずおずと答える。
「こ、これ以上お城にいる意味がないからです……」
「城にいる意味?」
問い返すと、彼女は淡々と言葉にする。
「はい。私は竜の怒りを静めるために呼ばれたんです。その必要がなくなった今、私が城にいられる理由がありませんから」
確かにサワは異界渡りの姫君として、竜の怒りを静める鍵として呼ばれた。だが、私にとっては彼女の役割など関係ない。サワという彼女の存在自体が必要なのだ。
もう一方の手で、彼女の右手首も掴んだ。
両手でギュッと彼女を捉えるが、不安に揺れる心は治まらない。
「理由などなくても、城にいればいいではないか」
「そういう訳にはいきません。これ以上、皆さんの厚意に甘えるわけにはいかないです」
サワは俺の手を振り払って、今にも逃げてゆきそうだ。
そうはさせまいと、握る手に力を入れる。
「あの、放してもらえませんか?」
眉尻を下げた困り顔で、サワはチラリとこちらを見上げてきた。それに対して、首を横に振る。
「駄目だ。手を放したら何処に行くつもりだ?」
すると今度はサワが首を横に振った。
「……分かりません。生きてゆけるなら、どこでもいいかと」
その言葉を聞いて、思わず叫ぶ。
「それなら、私の傍にいろ!」
「え?」
黒曜石のような瞳が、キョトンと私を見上げる。その瞳をじっと見つめ、改めて告げた。
「何処でもいいなら、私の傍にいればいい」
「サフィルさん?」
「傍にいてくれ。何処にも行くな」
俺は不思議そうに首を傾げる彼女を、力いっぱい抱きしめた。
腕の中で大人しくしているサワ。
こちらの話に承諾してくれたものかと思いきや、一呼吸後に「ごめんなさい」と謝られた。
「どうしてだ?!」
ガバリと顔を起こし、彼女の肩を掴んで俯くサワに問いかける。
「どうしてだ?身の安全とサワの生活は保障する。だから、城から出て行くなっ」
「そう言われても、ただで居させてもらうのは心苦しくて……」
遠慮の塊のようなサワらしい答えに、どう言葉を紡げばいいのか困惑する。
「ならば、どうすればサワは城に残ってくれるんだ?」
必死の問いかけに、しばらく黙って考えていたサワが私を見上げてこう言った。
「では、仕事をください。それでしたら私がお城に居させてもらう理由ができますし、周りの人も納得するでしょう」
謙虚過ぎる申し出に、彼女への愛しさがますます募る。
「ああ、そうだな。分かった、サワの言うとおりにする。とりあえずは、城に戻ろうか」
仕事については、あとでゆっくり考えればいい。
私は二度と彼女が逃げ出さないように、しっかりと手を引いて来た道を二人で戻ったのだった。
●第一章はこれにて終了です。ここまでお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。
この後は細々とした番外編の投稿を考えておりますが、二章開始についても同様に予定は確定しておりません。
気長にお待ちくださるとありがたいです。




