(22)残る。戻る。
その時、バサッと大きな羽ばたき音と同時にけたたましい嘶きが辺りに響きわたる。
「サワッ!!」
大声での呼びかけに振り向いた時には、私の胴に逞しい腕が絡みつき、一瞬のうちにペガサスの上へと引き上げられていた。
自分の身に起きた突然のことに声を失っていると、背中に回されている腕がグイッと私を抱き寄せる。
その腕の強さと、その人が放つオーラのような独特な空気感には覚えがあった。
でも、まさか、と私は息を呑んだ。
私と竜の間で交わした話を知らないこの人は、本当にマスタードラゴンと戦いにきたというのか。危険極まりない勝負に、本気で挑むというのか。
ここにいるのは彼に似た誰かで、あの国の王様となるあの人はお城にいるのではないだろうか。
おずおずと顔を上げれば、そこにいたのは間違いなく、彼だった。
「サフィルさん……」
どんな顔で名前を呼べばいいのか分からず、私の表情はかなり強張っていたと思う。それを恐怖ゆえと感じ取ったのか、彼は大事なものを守るように更に腕の力を強めた。
少しの距離も許さないというほど引き寄せられ、彼の広い胸に顔を押し付けるように抱き締められ、軽い呼吸困難に陥る私。
「竜に食べられる前に間に合ってよかった……」
大きな安堵のため息とともに、いっそうきつく抱きしめられる。
―――なんでここに!?それよりも!
「く、苦しいですっ」
小さな手でパシパシとサフィルさんの胸を叩く。すると、私の様子に気がついた彼が腕を緩めた。……ほんの僅かにだが。
「サワ、無事か!?怪我はないか!?」
慌てて少しだけ身を剥がしたサフィルさんが、私の顔をジッと覗きこんできた。
呼吸の苦しい状態からはなかなか回復できない私は、コクコクと頷きを繰り返す。そんな私を再びサフィルさんが抱き締めてきた。
「よかった。本当によかった!」
―――苦しいってば!もう、なんなのっ?
パシパシと無言の抗議を繰り返せば、「す、すまないっ」と慌てた様子で謝られた。
「サワが無事だと分かったら無性に嬉しくて、つい……」
無事を喜んでくれたのはこちらとしても嬉しいけれど、そこで窒息死させられたら無意味だと思う。
ポソポソと小さな声でそう告げれば、ますます慌てたようにサフィルさんが謝罪を繰り返した。
そんな私たちの間に、深く響く声が割って入る。
『我の事を忘れてもらっては困るのぅ』
その響きにハッと身を硬くしたサフィルさんは、私を庇うように抱き直した。
「サワの命は私が守る!」
切れ長の瞳に恐ろしいほどの闘志を宿らせたサフィルさんが、右手の剣を強く握ってそう言い放つ。ジークも同じように、全身から闘気を立ち昇らせてマスタードラゴンと対峙した。
私は急いでサフィルさんの右腕にしがみつく。
「ま、待ってくださいっ。私、竜に食べられることなんてないんです!それに、サフィルさんが竜と戦わなくてもいいんです!」
「……え?」
切れ長の瞳が驚きに大きく開かれるのを見て、楽しげな響きが脳裏に伝わってきた。
それからマスタードラゴンと私の説明を聞いて、サフィルさんは困惑をしながら剣を鞘に納めた。
「ならば、あの言い伝えは……?」
信じられないといった顔で、私とマスタードラゴンを交互に見遣るサフィルさん。
戸惑うのも無理はないだろう。私だって、真相を聞かされてもすぐには信じられなかったのだから。
城に集まっていたみんなに対してあれだけ迫力満点に放った言葉が、まさか“演出”だったとは。
マスタードラゴンは口の端を上げてから、ゆったりと言葉を響かせる。
『まるきり嘘ではないが、真実でもない。国を継ぐ者が真にその座に相応しいかを見るために、あえて創られたものじゃ。これは代々の王族が受けてきた試練で、あの言い伝えが表向きのものであることは王族ならば誰もが知っておる。じゃが、そのことはけして口外してはならんのだ』
ここでいったん言葉を区切ったマスタードラゴンは、顔をしかめて厳しい表情を作る。
『言い伝えの通り容易く乙女を差し出せば、そこでその国は終わりを迎えるのじゃが……』
マスタードラゴンがサフィルさんを見つめる。
『おぬしは佐和のために、無謀とも思える戦いを挑んできた。“たった一人の命も救えずに、この国を守れるか”という言葉、我にも響いたぞ。よって、おぬしやおぬしの両親が憂いておる貴族どもを一掃してやろうぞ』
白銀の瞳には慈愛の色が浮かんでいる。満足そうに目を細める竜は、私を見遣った。
『それで……。佐和、本当にここに残るか?それとも』
マスタードラゴンの言葉をサフィルさんがいきなり遮る。
「サワは私が責任を持って城につれて帰ります」
きっぱりと言い放ったサフィルさんに、マスタードラゴンは小さく鼻を鳴らす。
『どうやら、佐和の居場所はここではないようじゃなぁ』
すっかり荒々しい空気を収めたサフィルさんとジークの周りには、妖精たちが羽を震わせて寄り添っている。不思議な色の瞳が寂しそうに陰っているのは、私がここで暮らせなくなるからだろうか。
私は少し考え、
「サフィルさん。私、ここに残ってもいいでしょうか?」
と告げた。
お城で暮らすことが嫌というのでなくて、この場所で暮らすのもいいかなというだけのことなのだが。
その何気ない私の言葉に、サフィルさんの整った顔が歪む。
「だめだ!サワは私と一緒に帰るんだ!」
「ですが……」
口ごもる私に、サフィルさんは「ダメだ、城に帰るぞ」と繰り返すばかり。
そんな私たちのやり取りを見守っていたマスタードラゴンが、言葉を響かせる。
『命の重さを理解するおぬしが次期光帝になるのであれば、この国も長く安泰であろう。……じゃが、おぬしが望む者の心を手に入れる道は険しいようじゃのう』
何となく意地悪く笑うマスタードラゴンを、サフィルさんはギッと睨み付けた。
「たとえどんなに険しくても、けして諦めたりはしません。ええ、絶対に」
やたらと強い決意を発表するサフィルさん。
何のことか分からないが、繋がれた左手が痛いくらいに掴まれ、首を傾げて眺める私だった。




