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異界渡りの姫君  作者: 京 みやこ
第1章 異界渡りの姫君と鍵
23/47

(21)真相と竜の住処

 湖面を渡るそよ風が、優しく木々の葉を揺らす静かな世界。

 国を亡ぼす力を有する竜が存在しているなどとは思えないほど、この辺り一帯の空気がやわらかく凪いでいた。

 穏やかとしか言いようのない場所で、竜たちの頂点に立つマスタードラゴンを間近に控え、妖精に囲まれて地面に座っている私。

 慌てふためいて取り乱すことはしていないけれど、いや、本当は驚き過ぎてどうしたらいいのか分からない状態。

 てっきり私はこのマスタードラゴンに食べられてしまうと思っていたのだ。異世界からやってきた私の血と肉が必要だという話だし。

 ところが体のほんの一部分ですら食べないと言われてしまえば、お城のバルコニーでの出来事は何だったのだろうか。

 あの場で私の命は必要ないと説明してくれたら、サフィルさんも、その場にいた人たちも大騒ぎしなかったはずなのに。

 さらには、竜の喉元にある鱗を奪うために戦うという話を持ち掛ける必要だってなかったはずだ。

 このマスタードラゴンは何を思って私をこの場所に連れてきたのだろう。

 私は短い草が生えそろっているその場所に座り、俯いてジッと地面を見つめる。そんな私の周りには、構ってほしそうに髪や服を引っ張る妖精たちが。


―――本当に、何が何だか……。


 大きく息を吐いたところで、ゆったりとした口調が頭の中に響いた。

『まずは、そなたが聞いた伝説は表向きのものだと説明しようかの』

「それは、どういうことですか?」

 ハッとしたように顔を上げて竜を見遣れば、白銀の瞳が真っ直ぐに私を見つめている。

『竜がこの国の行く末を絶えず見守り、時には怒りをもってこの国を、この世界を亡ぼすというのは本当じゃ。全てを無に帰し、新たに国を興させる。それが我ら竜の役目であり、この世界が生まれてからの普遍的なことわりなのじゃよ』

 これまで以上にゆったりとした響きで、竜が言葉を投げかけてくる。妖精たちは私に触れる手を止め、同じように草の上に座り込んで竜の言葉に耳を傾けていた。

 そんな私たちを微笑ましい物を見るような目で眺めた竜は、ほんの少しだけ口角を上げる。

『とはいえ、我ら竜が怒りを覚えるにはしかるべき理由があるわけじゃ。むやみやたらに力を使うのではないことを、姫君は理解してくれまいか』

 ここで竜が短く息を吐いた。まるで、やりきれない何かを吐き出すかのように。

 しばらく沈黙が流れたけれど、それを破ったのは竜自身だった。

『人というのは理性でもって欲を抑え込む生き物。じゃがな、残念なことに欲が理性を上回る者もおるのが現実。実に残念よのぅ』

 竜の表情は変わらないのに、坦々と伝えられる言葉の響きが悲しそうだった。

 私は竜の悲しみを理解しようとして考えを巡らせるけれど、いまだに混乱している頭では話の流れがさっぱり読めない。

 一言も発せずに大人しくしているしかできないのだが、それに対して竜は特別何かを思うこともないようで、さらに話を進めてゆく。

『竜が怒りを覚えるのは、この国の民の性根が腐ることに対してじゃ。理性を失った者は人にあらず。つまり、我らが愛して守るべき存在ではないということ。……姫君もそれらしい話は既に聞いておろう?』

 ここで竜が強い光を瞳に浮かべて私を見つめてきた。

 思い当たるのは、一部の貴族が民を虐げ、税という名目で民たちの貯えをむしり取り、私服を肥やしているというあの話。

 十分豊かであるはずなのに、もっと裕福になりたいという欲に駆られ、自分より低い地位の人たちから容赦ない取り立てを行う。それは世間をろくに知らない私から見ても、理性的とは言えない行動だ。

 私は素直に頷いた。

 が、分かったのはそこまでだ。

 竜が鍵とされる私を食べないことと、やたらに国を滅ぼさないことに対する答えは浮かばない。

 軽く首を傾げる私に、竜はまるで苦笑いしたかのように息を漏らした。

『姫君よ。いい加減、食べる食べないという話から離れてくれんかのぅ。我ら竜は、こう見えても好んで人の身を食さぬ』

「あ……。は、はい。ごめんなさい」

 ペコッと頭を下げると、そんな私を慰めるように妖精たちが私の腕や背中を小さな手で撫でてきた。

 話の続きを促すように竜を見上げれば、言葉が頭の中に響き始める。

『そして、そんな者共がおる国の将来を憂い、“竜の怒り”という試練を与えるのじゃよ』

「試練ですか?」

『そうじゃ。いずれはこの国を背負う者が、本当にこの国を愛しているのか。また、人の命に重きを置く事ができるかどうか。それを見極める為の試練じゃ。その者が我ら竜の期待に応えることのできる人物であれば、我らはその者に力を貸し、その者の憂いを断つ力を貸す。しかし……』

 言葉を区切った竜は、静かに目を閉じた。辺りに緊迫した空気が張りつめる。

 私はコクリと息を呑んだ。

「しかし?」

 短く訊き返すと、竜は閉じた目をゆっくりと開いてゆく。そこに浮かぶ光は、鋭く厳しい。空気は一層張りつめ、肌に刺さる。

 息が詰まるような状況に、私の額には嫌な汗が滲んだ。

『その者が我らの期待に応えられないようであれば、国もろとも滅ぼすだけじゃ』

 情け容赦が一切ない竜の言葉。それだけ竜が本気だということ。

 思わずフルリと体を震わせれば、竜は威圧的な空気を収めた。だけど、瞳の鋭さはそのままに。

『先ほど、我はディアンド光国の次期国王を試したというわけなのじゃが』

 私はゴクンと息を飲んで、言葉の続きを待つ。

 竜が器用に片方の口角だけを上げ、そして告げた。 

『そなたの命を救うために己の身に構わず飛び出したサフィルイアならば、この国を任せても安心じゃ。あとでディアンド光国の憂いを断ってやろうぞ』

「よかったぁ」

 それを聞いて、全身の力が抜けた。

 自分が食べられないで済んだことよりも、サフィルさんが竜と戦わなくてもいいことと、この国に平穏が訪れる事が嬉しかったのだ。

 へたり込んでいる私を心配してか、妖精たちが一斉に寄ってきた。彼女たちは言葉を発せないものの、つぶらな瞳が私の事を気にかけているのだと語っている。

「あ、ありがとう。私は大丈夫。安心して腰が抜けただけだから」

 微かに笑みを浮かべてそう告げると、妖精たちはしばらく私の顔を覗きこんでいたこのの、何度も「大丈夫だ」と言えば、さっきの様に地面に座った。

 私は自分を落ち着かせようと、深呼吸を繰り返す。

 その時、

『佐和』

 竜が私の名前がもつ本来の響きで呼びかけてきた。

「え?」

 ビックリして、落ち着き始めた心臓がビクンと大きく音を立てる。

 この世界に来てからは、私の名前をきちんと発音できる人がいなかった。だから、久しぶりに「伊東 佐和」である私の名前を呼んでもらえたことに、ことのほか驚いた。


――この竜は、どうして私の名前を?


 驚きに目を見開いていると、竜が今度は両方の口角を上げて微笑んで見せる。

『竜の住処は、傷ついた魂を抱く者に安らぎを与える場所じゃ。“異界渡りの姫君”と称して、我ら竜たちはそのような者を喚び出しておるのじゃよ』

「そ、それはどういうことでしょうか?」

 また分からないことが出てきた。

 国が鍵を必要としているから、私のような異世界の人間がこの国の世界にやってくるという話だったはずだ。

 なのに、竜の言葉はそのこととは繋がらないではないか。

 パチパチと瞬きをすれば、竜が穏やかに語りだす。

『竜たちはそれぞれ独自の世界を築いておる。それは地球における国とも言えるな。よって、異界渡りの姫君は話す言語や、似たような宗教観のある竜の元に召喚される。もし佐和が日本語ではない言語を使う者であれば、我の元ではない場所に召喚されたということじゃ』

 私がこの国に呼ばれてこの竜と出逢ったことは、そういうシステムのようなモノがあるということか。ディアンド光国を守る竜たちが日本に通じているから、この国では日本語を学ぶということなのだろう。

『佐和』

 頭の中で竜の言葉を整理していると、また名前を呼ばれた。

 ボンヤリと顔を上げれば、竜の瞳からは鋭さが消え、すっかり優しいものに変わっている。

『そなたはここで暮らすがよい』

「え?」

『佐和はあちらの世界で相当につらい人生を送った。それゆえ、ここでそなたの魂を存分に癒してやろうと思っておる。ここにおれば、何不自由なく過ごせるしのぅ』

 竜が言うそばから、虹色の妖精たちが私の髪を櫛で梳いたり、新しい服や靴を持ってきたり、美味しそうな食べ物や飲み物を並べてくれている。

『好きなだけここにおればよい。妖精たちは皆、佐和を好いておるようじゃしな』

 ゆっくりと視線を巡らせれば、たくさんの虹色の瞳がニコニコと笑いながら私を見ている。

 妖精たち一人一人を眺めた後に竜へと視線を向ければ、同じように私を見ていた。

 そんなやわらかな視線を向けられて、私は居心地がいいと思った。

 竜がいて、妖精たちがいて、そんな事は初めてのことだけど、なんだか楽しく暮らしていけそうだ。

 城で自分の事は自分でこなす生活も楽しかったけれど、異世界感満載のこの場所での生活は、まさにファンタジーの極み。この世界にやってきたからこそ味わえる醍醐味だろう。

「本当に居てもいいんですか?」

 ワクワクと胸を弾ませながら訊けば、竜は大きく頷く。

『気の済むまで、いつまでも、ずっと。佐和は我や妖精たちを過ごせばよい』

 大きく鋭い竜の目が、これまで以上に優しい光を浮かべる。

 私は立ち上がり、竜の口元へと近付く。

「ありがとうございます」

 そして、その鼻先をそっとなでた。





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