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異界渡りの姫君  作者: 京 みやこ
第1章 異界渡りの姫君と鍵
22/47

(20)予想外の展開

 竜の手の平に乗って空を飛んでいる。お城はとっくに小さくなっていて、ボンヤリと見えるだけになっていた。

 向かっている先は、この世界に初めて降り立った時に目にした、そびえ立っていた山だろうか。

 あの草原から眺める山々は、輪郭が霞むほど遠くにあった。だけど、この竜にとっては大した距離ではないのだろう。ペガサスに乗った時より景色が後に流れていく様子が早く、お城を出た頃には見えなかった山が徐々にとはいえ確実に迫っている。

 ものすごい速さで飛んでいるものの、この世界の万物の長である竜だけあって、風の抵抗も感じないし、寒さも感じない。サフィルさんが私にかけてくれた魔法よりもしっかりしている物だと分かる。さすがはマスタードラゴンといったところだ。

 ほんの僅かですら寒くないどころか、柔らかな空気の層で包まれている感じすらする。いけにえの私にそんな気遣いが必要なのだろうかと首を傾げたくなるほど、温かくて優しいものだった。

 ふと私は上を見上げる。

 前方を見すえる竜の口は薄く開いていて、大きな口から覗くのは鋭い牙たち。私を乗せたこの手についている爪も鋭いけれど、唾液に濡れてうっすら光る牙の方がなんとなく残虐性を強く感じた。

 あの牙にかかれば、ちっぽけな私などひとたまりもない。


―――出来ることなら、パクッと一飲みにしてくれないかな。覚悟はしたけど、苦痛が長引くのは嫌だし。


 そんなことをぼんやり考えていたら、竜が軽く下を向き、白銀の瞳でぎょろりとこちらを見た。

『そなたが心配することは何もない』

 考えていたことを読まれ、私は少しだけビックリする。だけど、心配するなという言葉にホッと胸を撫で下ろした。

「一飲みにしてもらえるんですか?」

 真面目にそう訊いたのに、竜はおかしくてたまらないといったように目を細める。

『我はそなたを食べぬよ。……そもそも、乙女の命など必要とはしておらぬ』

「え?」

 今度は心底ビックリした。


――私の命を必要としないって、どういうこと?


 それでは話がまるで違ってくるではないか。私がこの世界に呼ばれたのは、この身を捧げるためなのに。

 それとも、命まではとらないまでも、体の一部を齧られる?いや、それもおかしい。竜は『私を食べない』と確かに言ったのだから。

 それならばどういうことなのか。

 さっぱり意味が解らず、視線を伏せて頭を巡らせていた。

 すると、再び竜の声が響く。

『詳しい話は着いてからじゃ。あの若造に追いつかれないように、少し速めるかの』

 そう言った竜は大きく羽ばたいて、ちょっとだけスピードを上げた。ほんのちょっとだけ。

 私はまた首を傾げる。

 この竜の力であれば、もっともっと速く飛べるはず。なのに、わざと早く飛ばないようにしているのはどうしてだろう。

『追いつかれても困るが、我の姿を見失われても困るのじゃ』

「どうして?」

 と、ふいに言葉が口を突いた。そんな私を竜の瞳がひたりと見すえる。もう黙れと言わんばかりに。

 私は小さく息を呑み、唇を噛みしめた。




 そのままお互い無言になり、竜はしばらく飛び続けた。

 そして、やっぱりあのそびえたった山の頂に連れてこられた私。

 そこで唖然となる。目の前に広がるその場所は、山頂といえども開けていた。

 透き通った湖があり、木々や草花が生い茂り、とても綺麗な場所だった。日差しも空気も、そこにある何もかもが優しくて穏やかで、まさに聖域と呼ぶのにふさわしい。


――こんなに綺麗な場所があるんだ。


 視線をゆっくり巡らせて辺りの様子を眺めていると、竜が地面に近づけた手の平を静かに揺すった。

『降りるがよい』

 コクリと頷いて、私は足を進ませる。

 転ばないように慎重に足を下ろした地面は、短い草がびっしりと生えていて、フカフカと柔らかい。ここにゴロリと寝ころんだらどんなに気持ちいいだろうか。

 私の体がどうにかなってしまう前に、そんな時間を貰えないだろうかと考えていると、何処からともなく虹色の髪、虹色の瞳、そしてびっくりするほど白い肌の少女達が背中にある薄い水色の羽を羽ばたかせて近寄ってきた。

 あどけない顔の少女たちの体が小さく、私の三分の一ほどの身長だろうか。虹色の髪は腰ほどの長さがあり、羽ばたきに合わせてサラリサラリと揺れている。

 少女たちが着ている服は、私と同じ簡素な形のワンピース。だけど、生地が違う。光が当たる角度で様々に色を変え、みごとな輝きを放っていた。見たことのない生地だ。

 そして、口角を上げて楽しげな表情の少女たちは、私を取り囲み、興味津々といった瞳を向けている。

 いきなりのこの状況に、私は何度も何度も瞬きを繰り返した。

「え?え?」

 あっけに取られていると、鋭い爪からは想像もできないくらい優しい力で竜が私の頭を撫でた。

『彼女たちは、そなたの世話をしてくれる妖精たちじゃ』

 ペガサス、竜に続いて、あらたにファンタジーな存在が登場だ。

「妖精?……それより、世話って何ですか?私、どうなるんですか?」

 いけにえじゃない。命を取らない。食べもしない。それだけでもまったく理解できないのに、妖精たちが私を世話するとは、いったい何だろうか。

 もしかして、今は食べないけれど、いずれは……ということだろうか。


――私が美味しくなるように、この妖精たちが世話をするの?痩せてみすぼらしいこの体を、ふっくら太らせてから食べるの?……だったら、どうして竜はこんなにも優しい目で私を見ているの?


 ますます頭が混乱してきた。目の前にある綺麗な景色が、グラグラと揺れ始める。

『姫君よ、少し心を落ち着かせるがよい。先ほども申したであろう。我はそなたを食べたりなどせぬ』

 苦笑しているのが分かる響きで、竜が告げてきた。

 竜がどんなに穏やかな態度でも、私の混乱は一向に収まらない。

「で、でもっ。この国に古くから伝わる伝説には、竜の怒りを静めるために、乙女の肉と血が必要だって。それって、食べられるってことじゃないんですか?」

 次から次へとわらわらと寄ってくる妖精たちに髪や頬を撫でられている私は、本当にもう、何がなんだか分からない。

 混乱が極り、私の目に涙が浮かぶ。

『若造が表れるまでに、まだ時間があろう。姫君、少し話をしようかのう』

 私の側に竜がどっしりと腰を下ろして、落ち着いた響きでそう言った。


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