(19)サワの命と国の行く末 SIDE:サフィル
マスタードラゴンに向かって歩き出したサワへと手を伸ばす。
しかし、全身を絡めとるように動きを封じているマスタードラゴンの魔力を前に、どうすることも出来なかった。
あきらめきれずに必死で手を伸ばすが、サワにはまったく届かない。彼女の華奢な腕を掴むどころか、指先が掠ることすらない。出来ることは、彼女の名前を呼ぶ事だけ。
「サワ!サワッ‼」
もどかしさに、噛みしめた奥歯がギリギリと軋む。
そして何もできないうちに、サワが竜の手に乗ってしまった。
―――だめだ。ダメだ、駄目だ!
「サワ、行っては駄目だ!戻って来い!」
お前はもっと自分のために生きるべきだ。その淡く儚い命を散らすべきではないのだ。
向こうの世界で長く生きられなかったのであれば、この世界で存分に生きればいい。私のそばで。私のすぐ隣で。
魔力が解かれて、体の自由が戻ってきた。その瞬間に駆け出すが、すかさず部下たちが私を取り押さえる。
「放せっ!」
怒鳴りつける私も必死ならば、押しとどめようとする部下たちも必死だ。
「なりません、サフィルイア様!」
エーメルドが額に汗を滲ませながら、私の動きを封じる。
力自慢の部下たちがこちらを必死で押さえつけるが、なりふり構わない私を抑えられることはできず、部下たちが吹っ飛ばされた。
この世界において、敵意の無い者に魔力を向けることは禁忌とされている。だが、そんな法規に構っている余裕は無い。
拘束が解かれた隙に走り出し、サワを連れて飛び立とうとしていた竜に剣を向ける。
そんな私をギロリと睨むと、楽しげに鼻を鳴らした。
『ほう、我に刃向かうか。随分と骨のある人間がいたものじゃ。面白い。では、いいことを教えてやろうぞ。鍵の命なくとも、我の怒りを収める方法はある。それは……』
竜が少し上を向いて、喉元を晒す。
『ここにある一枚だけ色の違ううろこを奪えばいい。なれば、我の怒りも静まる。むろん、容易くは渡さぬがな』
マスタードラゴンが告げた方法とは、つまり『戦う』ということだ。
世界を左右する力を持つ竜に剣を向けるなどとは、あまりに馬鹿げている。それでも、サワの命を救う事が出来るのであれば、迷うことなどない。
武者震いする自分を叱咤し、改めて強く剣を握ってマスタードラゴンを睨み付ける。
『ここでは存分に戦えまい。本気で我に挑むのであれば、ついてくるがよいぞ』
不敵な笑みを浮かべたマスタードラゴンは悠然と飛び立った。
嵐のような突風が巻き起こり、サワはマスタードラゴンと共に姿を消した。
徐々に小さくなってゆくドラゴンの背中を睨み据えながら、儚い少女を思う。
サワは笑みさえ浮かべてこう言った。
『私は死んだ人間です。だから、もう一度命を捨てることなど簡単なんですよ』
通常、人が死を迎えるのはただ一度だ。
なのに、サワは二度目の死を迎えようとしている。しかも、己の意志や寿命とは関係なく、二度とも命を奪われる末に迎える死。
なぜ?
なぜだ?
なぜ、あんなにも小さくて華奢な彼女に、悲しくて残酷な死を与えねばならないのだ!?
おかしい。そんなことは絶対に間違っている。傷ついてもなお清らかな彼女の魂は、やすやすと奪われていいものではないのだ。
私の覚悟はとうに決まっている。後は行動に移すのみ。
そんな私に、城に駆けつけた貴族たちが詰め寄る。
「竜の怒りを静めるために呼び寄せた異界渡りの姫君を、今ここで、役割を果たさせることに何をためらうのですか!」
そうだ、そうだと、声高に同意する貴族たち。ここにいる彼らは、この国の膿と睨んでいる者達だ。
彼らの考えていることが、手に取るように分かる。この腐敗貴族たちは、竜の怒りさえ治まればまた私服を肥やせると思っているのだ。だから、さっさとサワを贄にしてしまえと騒ぎ立てる。
―――こんな者たちのために、サワは自らの命を差し出さねばならないのか?
たまらなく悔しいが、今は彼らに相対している場合ではない。
バルコニーの端へと駆け出す私を、またしても部下が引き止める。先ほどの倍の人数だ。
部下たちはすべて苦々しい顔をしていた。竜の怒りを鎮めたい。私を竜と戦わせたくない。かといって、サワの命を見捨てたくはない。そういった葛藤が浮かぶ、複雑な表情だ。
そんな部下たちとは違い、貴族たちは自分の身を削ることなく私腹を肥やそうという魂胆が見え見えだった。
私を囲む部下たちの輪の外から、貴族たちがなおも声を張り上げる。
「サフィルイア様、ここはどうぞお引きください!あの娘一人の命で事が済むのであれば、簡単なことです!」
「そうです!あなた様はこの国に欠くことのできないお方。そのサフィルイア様が、たかが娘のために命をかけることなどありません!」
愚かな貴族共が一斉に喚き出す。それを聞いて、私は一層腹が決まった。
「黙れっ!たった一人の命も救えずに、この国を守れるかっ!」
押さえつける部下を、再び渾身の力と魔力で振り払う。
「サフィルイア様!」
エーメルドがいち早く体勢を立て直し、こちらに駆けよってきた。
「では、せめて私も共に戦います!」
厳しい訓練に耐え抜いた彼でも、さすがに今は恐怖で顔色が悪い。だが、私の身を案じて同行しようとする気概は、やはり見込んだだけの事はある。
エーメルドの気持ちはありがたいものの、私は首を横に振った。
「マスタードラゴンは私一人で戦いことを望んでいる。言葉にはしていなかったが、おそらく、そういうことだろう」
その言葉に、エーメルドはますます顔色を失う。
「そんな……。それは、あまりに危険です!サフィルイア様のお力は信じておりますが、相手はマスタードラゴンです!それこそ騎士団が束になって掛かっても、敵うかどうか……」
エーメルドの言葉はもっともだ。あの圧倒的な存在感と魔力を前に、たかが人間の私にどれほどの事ができるというのか。
しかし、私に示された道は一つ。その道を選ぶことに、何ら迷いはない。
「どれほど危ないことなのか、私も十分わかっている。だが、ここは一人で立ち向かうべきなのだ」
万に一つの可能性しかないとしても、サワを贄にすることなく竜の怒りを鎮めるためには、私がやらねばならない。
「下がれ。私が不在の間、城を頼む」
エーメルドに声をかけ、身をひるがえした。
「ジーグ!!」
愛天馬を呼び寄せ、ひらりとその背に跨る。
「かなり危険な戦いとなる。それでも、共に行ってくれるか?」
私の問いに、彼はフン、と大きく鼻を鳴らした。それはまるで『この俺を誰だと思ってるんだ?この国で一番優秀で勇敢なペガサスだぞ』と言っているようだ。
「そうだな。お前は頼もしい相棒だったな」
私はジーグの鬣を一撫ですると、すでにはるか彼方へと去っていった竜の後を追った。




