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異界渡りの姫君  作者: 京 みやこ
第1章 異界渡りの姫君と鍵
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(1)その後の世界

 ふと目が覚めると、私は軟らかくて背の低い草の上に仰向けに倒れていた。

 すぐにはこの状況が飲み込めず、目を開いたまましばらく呆然と横になっている私。

 視線の先にある空は青く晴れ渡っていて、これまで見てきた中で一番きれいな青空だ。


―――ここは、死後の世界?


 心の中でそう呟いて、ふと苦く笑う。

 今の自分が生ある世界にいるはずはない。だって、私は死んだのだから。

 不思議なことに、これまでの記憶がそっくり残っていた。今頃、体温を失ってゆく私に縋りついて泣き叫んでいるであろう家族の事が脳裏に浮かぶと、チクン、と心臓が痛みを訴える。

 私は恐る恐る左胸に手の平を当ててみた。


 トクン、トクン、トクン……。


 ゆっくりと小さくではあるが、確かに鼓動が感じられる。死んだはずの私の心臓がまだ元気だった頃と変わっていないことに驚いて、そのまましばらく固まった。

「心臓が……、動いてる?」

 死後の世界に辿りつくと、再び活動を始めるものなのだろうか。何のために、止まった心臓が動き出すのだろうか。

 首を捻りながらポツリと呟き、白く小さな雲が一つ、二つと流れていく様を眺める。どんな事情があるのかさっぱり分からないが、いくら考えても答えは見つからないだろう。

 私は早々に思考を手放し、深く息を吸った。

 穏やかな空気。優しい匂い。私があの世界で生きていた時には、どちらも感じなかったものだ。私の周りにあったのは、常に張りつめた空気と消毒薬の匂いだったから。

 なんとも言えない感慨にふけっていると、風にあおられた髪が視界を覆った。

 私の髪は前髪も含め、腰ほどまである。

 入院している私はどこに出かける訳でもないのに、母と姉がこぞって私を世話した。可愛いパジャマを着せたり、モコモコのスリッパを履かせたり、色付きのリップクリームを塗ってくれたり。

 特に髪に対して二人の想いは深く、私がビックリするぐらいに懸命にケアをしてくれた。

『女の子の髪は大事なんだからね』

 ブラシを通しながら、母や姉がいつも口にしていた言葉。その甲斐あってか、顔色は悪くても、髪は艶々だった。

 真っ黒な髪を指でサラリと払う。

 そこで自分の指を目にして驚いた。そして手首、腕へと視線を移す。

「綺麗になってる」

 袖がなく、ストンとした形の真っ白なワンピースに包まれた私の体。それは何処を見ても傷一つなく、何事もなく生活していたらこんな風に成長したのであろうというものだった。

 生きていた時の私は長い入院生活の結果、腕には注射や点滴の痕が目立ち、指先はかさついて、爪も少し割れていた。

 栄養を取るのは点滴からだったので、体に余分な脂肪もなく、骨格が目立ち、肌には張りも艶もなかった。

 ところが、今の体は標準に比べてやや細いものの、それでも十分健康なものだ。

「こんなまともな体、みんなに見せたかったな……」

 家族の記憶にある私は、闘病のせいで痩せ細り、それこそ吹けば飛んでしまうほどの頼りない体に違いない。  

 寝転がったままほんのり赤みを帯びた自分の手の平をしげしげと眺め、それからゆっくり上体を起こして近くにあった大きな樹に寄りかかる。

 念のために履いていた簡素なバレーシューズのような靴を脱いでみるが、足の先まで健康だ。手と同様に爪も割れていないし、爪の下の皮膚も綺麗はピンク色をしている。死んだ後にまともな体が手に入るとは、なんて皮肉なのだろうか。

 ため息を付きながら靴を履きなおし、そして静かに辺りを見回した。

「それにしても、ここは天国?それとも地獄?」

 目の前に広がるのは果てしなく続く草原。そのはるか先に聳え立つ山並みが見えるが、それ以外は私の背を支えてくれている大樹と草しかない。

 心細くなって思わず自分の体を抱き締めると、ジワリと目の奥が熱くなる。

「死んでも涙って出るんだ」

 パチパチ瞬きをした時、上空が突然暗闇に覆われた。

 これまで綺麗に晴れていた空が、まるで雷でも落ちそうなくらい黒く染まっている。

「な、なにが……?」 

 目をしぱたたかせて見上げれば、そこにあったのは闇ではなく、優雅に翼を羽ばたかせているペガサスの大群。あまりに数が多くて空を覆わんばかりだった為、日差しが遮られて暗くなったのだった。

「う、そ……。本物?それとも、夢?」

 私は思わず自分の頬をつねった。

 肉の薄い頬は指で捻られることによって痛みを訴えている。これで、目の前の光景が夢ではないという事が分かった。

「だけど、死んでいるのに痛みを感じるなんて、それはそれで変よね」

 混乱すると、人はどうでもいいことに頭を回してしまうらしい。今はそんな事を気にしている場合ではないのに、妙に感心したように呟いて頬を擦りながら呆気にとられていると、群の先頭にいたペガサスが空から降りてきた。

 他のペガサスよりも一回り近く大きなそれは、首に金と銀で出来た立派な飾りが掛けられていて、堂々とした風格が漂っている。

 全身を覆う真っ白な毛並みはつややかに輝いていて、広がる翼は力強く羽ばたいていた。

「死後のお迎えにしては、随分ファンタジーなのね。まぁ、死に神が集団で出てくるよりは、随分心臓に優しくて助かるけど」

 意外と冷静に状況を捉えている自分にちょっとおかしくなって、思わず笑ってしまう。

 すると、低く響く声が掛けられた。

「何を笑う?」

 その声は若々しく生命力に溢れ、威厳の漂う美声。

 聞き惚れてしまいたくなるほどいい声なのに、どこか硬い。警戒や恐怖ではなく、不慣れという印象を受けた。

 しかし私は自分に向けられていた不躾な声質よりも、ペガサスが言葉を発したことに気を取られている。

「……ペガサスが、しゃべった」

 死後の世界は、なんでもありのようだ。ペガサス以外の何物にも見えない生き物が言葉を、しかも日本語を話すのだから。

「ペガサスさん、他に何か話せる?」

 口元をじっと見つめてそう問いかければ、先ほどの美声が再び耳に届いた。

「違う。話したのは私だ」

「え?」

 キョトンとしている私の目の前に、ペガサスの背から男の人がヒラリと降りる。

 突然現れたペガサスに目を奪われるあまり、騎乗の人物に気が付かなかったのだ。 私はゆっくりと近付いてきた人に視線を向ける。  

 こちらが地面に座って見上げているせいだけではなく、その人はとても背が高かった。

 そして純白のマントから覗かせているのは隆々とまではいかなくても逞しい四肢で、見るからに強そうだった。

 そんな男の人が身にまとっている服は、日本では見た事がないもの。いや、おそらく現代世界にはない。まるで古代の王族衣装を軍服風に豪華なアレンジを加えた感じで、帝王とか皇帝とかいった風情だ。

 逆光になっているので顔つきははっきりと見えないが、それでも瞳がくっきりしているのと鼻筋が通っていることから、一般的に見て十分すぎるほどに整っているといっていいだろう。

 瞳の色に合わせてあつらえたのか、その深い青色の軍服が凛々しい顔立ちにすごく似合っている。

 サファイアブルーの軍服を着た男の人が更に一歩前に踏み出した時、少し離れたところから大きな怒鳴り声がした。

「サフィルイア様!迂闊に近づいてはなりませぬ!」 

 深緑色のマントを着けた若い男の人が、真っ先に私と白いマントの男の人の間に割り入る。

「お気をつけください!その者は女とはいえ、異界渡りの身です!いったいどんな力を持っているのか、分からないのですよ!」

 その言葉が合図であったかのように、次々とペガサスから人が降りてきて、私から白いマントの男の人を庇うように立つ。

 そして腰に下がっていた長剣を抜き、私に鋭い切っ先を向けた。

 平和な日本で暮らしていた私には刃物を向けられた経験がなかったので、この状況に私は怖くなり、背後の大樹に縋りつく。

「あ、あの……、あなたたちは……?」

 震える唇で問いかければ、キラリと光る剣がグッと近付いてきた。


―――“また”、死ぬの?

 

 私は力の入らない指でそっと樹にしがみつき、苦いため息をつく。

 そんな緊張の走る空気を破ったのは、整った顔立ちのあの人だった。

「皆の者、剣を納めよ」

「サフィルイア様!」

 深緑のマントの人が、甲高い声で名前を呼ぶ。

「油断してはなりません!」

「このように怯えた瞳のか弱い女性が、何か仕掛けてくるとは思えない。それに、彼女は鍵やも知れないのだぞ」

 白いマントの人は、殺伐とした空気を払拭するような落ち着いた声。それとは対照的に、深緑色のマントの人はなにやら焦ったような怯えた声。

「ですがっ、あなた様の身に万が一の事がございましたら!第一、鍵かどうかは光帝陛下の判断を受けてからではないと!お下がりください!」

 視線は男の人に、剣先は私に向けて、深緑のマントの人が叫ぶ。

 しかし、白いマントの人はそこから動かなかった。

「確かに、陛下の眼がない今の時点では鍵だとは言えないな」

 淡々と告げながらも一向に動こうとはしない白いマントの人に、深緑のマントの人が血相を変えて

『サフィルイア様!早く、こちらへ!』と呼びかける。

 その声に、白いマントの人の片眉がピクリと動いた。

「……それとも何か?お前達はこの私が女性に遅れを取るとでも?」

 表情はそれほど変わらず、ただ声音だけが厳しいものとなる。

 その声にビクリと肩をすくめ、

「い、いえっ。滅相もございませんっ」

 と、深緑のマントの人は頭を下げる。

「ならば、剣を納めよ。そして、その場より下がれ」

「ははっ」

 三十本近い剣が鞘に戻り、そして私の目の前には白いマントの男の人が一人立つだけになった。




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