(16)現れた万物の長 SIDE:サフィル
貴族たちのきな臭い動きに目を配りつつ、それ以上にサワのことに気を配る日々。
本来であれば何人もの侍女が付き従うはずの姫君であるのに、彼女はそれらを頑なに拒み、常に一人で行動している。
とはいえ、そんな事は当然許されるはずもなく、サワに気取られないようにして城の者たちが彼女の様子に遠くから注意を払っているのだ。
城外にさえ出なければどこに出入りしても良いとされているサワは、最近、日中には城の裏庭へ散歩に出かけているらしい。現役兵士を引退した庭師がそう報告してきた。
一人でゆっくりと木々の間を歩き、そこに咲いている花を眺め、しばらくそこで静かに時間を過ごしているとのこと。
そんな時、サワは何を考え、何を思っているのだろうか。
あれから何度も彼女と接する機会はあるのに、相変わらずサワは私にその心内を何も明かしてくれない。
甘える言葉どころか、悩みも愚痴も一切口にしないのだ。
その事が私にとって、どれほど寂しいことであるのか。どれほどに歯がゆいことであるのか。
私の口からため息が零れるたびに、彼女への切なさが募ってゆく。
「この書類を監査官に回しておいてくれ。いったん、休憩に入る」
珍しく昼食前に書類処理を終える事が出来た私は、食事に誘おうとサワの部屋を訪れた。
しかし不在だった為、心あたりのある裏庭へと足を向ける。
低く茂る草を踏み分けて奥に進んでゆくと、少し開けた場所に出た。そこがサワのお気に入りの場所なのだ。
大きな木々が適度に生え、キラキラとした木漏れ日が眩しい。渡る風は木の葉を揺らし、心地よい音を奏でている。
その音を聞きながら静かに足を進めてゆくと、視線の先にうずくまる彼女の小さな背中が見えた。
何をしているのだろうか。もしや、体調を崩してうずくまっているのだろうか。
「サ……」
名を呼ぼうとして、止めた。何だか立ち入れない空気を、彼女はそこはかとなく放っている。
息を呑み、サワの様子を遠目で見守ることにする。
彼女はクタリと萎れかけた一輪の小さな花の前にしゃがみこみ、小さな手で土を掘っていた。
花を根ごと掘り起こすと、人に踏まれないような場所に植え替える。そして、何処からか見つけてきた小枝を添えて細い紐で茎を括った。
ここは騎士見習いなどの若手が、個人鍛錬に使う場所でもある。そんな彼らが花に気づかず、踏んでしまったのだろう。
サワは華奢な指を器用に動かし、細い紐を丁寧に結び終えた。
「ここなら大丈夫かな」
そよ風に吹かれて揺れる花を見て、サワは満足そうだ。
「早く元気になってね。……あなたは、私のように死んでしまわないでね」
花を見つめて静かに微笑む彼女の横顔。
それは今にも消えてしまいそうなほど儚く、そして、こちらの胸が苦しくなるほど悲しそうだ。
彼女に掛ける言葉が見つからず、私はサワに気付かれないようにきびすを返した。
―――『私のように死んでしまわないでね』とは、どういうことだ?
黙々と歩きながら、先ほど耳にした彼女のセリフの意味を考える。
そうなのだと決め付けたくはないが、サワはあちらの世界で死んだということなのかもしれない。
異界渡りの姫君に関する詳しい情報が得られないので、どのような条件が重なって異界から『鍵』が遣わされるのはいまだに知らなかった。
だがサワの言葉が語る切なさは、まるで己のことのように胸を締め付けてくる。
未練でもない。後悔でもない。彼女から感じられるのは、ただ、ただ、切ない波動なのだ。
―――彼女の中に残るあちらの世界の記憶というのは、私の予想を裏切ってつらく苦しいもののようだな。
彼女がどのように命を落としたのか、出来る事なら知りたかった。それを知ることで、サワを絶望の淵から救えるかもしれない。
とはいえ……。
「死に際を問うのは、あまりに酷だろうな」
訊かない方がサワのためであり、もしかしたら、聞かない方が私のためでもあるだろう。
何の慰めにもならないかもしれないが、後で甘い菓子でも持って彼女に会いに行こう。
その程度の事しかしてやれない自分を情けないと叱咤しながら、私は差し入れの菓子を作らせるために城の厨房へと向かったのだった。
サワがこの国に訪れてから一ヶ月が経った。
秘密裏に調査を進めているものの、狡猾な貴族達による不正は完全なる証拠を掴めずにいる。
それゆえに国内の調和が乱れ、先日からは各地で小競り合いが始まったとの報告が入ってきた。
「早く事態を収めねば……」
内々での会議の中、陛下が苦悩を浮かべて低く唸る。
その時、東に面している大窓に影が走った。
影はとても大きく、左から右へ、つまり南に向かって移動している。
「何事だ!」
私はすぐさま窓に駆け寄り、薄布のカーテンをザッと開いた。
そこで目にした光景に驚愕する。城の南に向かって飛んでいる竜の姿がそこにあったのだ。
この世界には何頭もの竜が存在している。詳しい数は分からないが、三十を超えるという話もある。
その竜たちの頂点に立つのがマスタードラゴン。私たちに背を見せている、この竜だ。
「なぜ、マスタードラゴンが!?」
誰もが驚愕に立ちすくむ中、私は我に返った。
―――竜が向かった先にあるのは……!
自分の脚では到底間に合わないと踏んだ私は、戦場であげる雄たけびのごとく大きな声で相棒を呼ぶ。
「ジーグッ!」
自分の愛天馬を呼びながら窓を飛び出し、矢のような速さで翔けてきたジーグの背中に飛び乗った。
ドクドクとありえない速さで脈打つ心臓を感じながら、サワのいる部屋を目指す。
東に面した城壁を曲がると、南にある部屋の前庭にいるマスタードラゴンの姿が目に入った。
体全体を覆う硬いうろこはほのかに光を放つ黄金色。その淡く優しい色彩にも拘らず、その存在感たるや、筆舌しがたい。
背にある大きな翼は優雅に揺らめいているが、あの翼が破壊の意思を持ってひとたび羽ばたけば、強固な城砦ですら脆くも吹き飛ぶだろう。
どっしりと地に着けられた四肢の先にある鍵爪は鋭く、そびえる山すら簡単に切り開くに違いない。
大きな背から伸びる尾は先までうろこに覆われ、しなやかさと硬さを同時に備えているのが見て取れる。
圧倒的な存在感を放つマスタードラゴンが、今、三階のバルコニーにいるサワを見下ろしていた。