(14)気付いた想い SIDE:サフィル
やがて彼女を部屋に案内するというカルストに連れられて、サワが広間を出て行こうとする。
その後を何気なくついていけば、怪訝な顔をするカルスト。
「別に、信用していないわけではない。その……、自ら迎えに行った身としては、やはりいろいろと気にかかるのでな」
そう告げたのだが、それだけではカルストは納得しなかったようだ。……いや、違う。こちらの思惑に気付いていながら、あえて言葉を返しているのだ。
カルストはその仕事振りも人柄も信用のおける人物だが、時折、こちらをからかうような言動を仕掛けてくる。それは“何か”を確かめるかのように。
これまで誰かに対しておおよそ執着といったものを見せてこなかった私が、サワに対する言動には今までにない物を含んでいることをいち早く察したカルスト。サワはこの国の行く末を左右する大事な存在だからこそ、私の一連の言動を見極めようとしているのだろう。
私自身も、胸の奥で息づいている感情にはっきりと名前を付けることが出来ていない。
ただ、放っておけないのだ。彼女の魂が放つ波動を初めて感じた時から、とにかく、サワのことを支えてやりたいと思った。出来る事なら、自分のこの手で彼女を笑顔にしたいと思ってしまったのだ。
尚もついていこうとする私に、カルストがほんのりと楽しそうに微笑む。そして、またしてもサワの世話は自分に任せろと言ってくる。
それにめげずに貸していたマントを返してもらう為だと告げれば、すぐさまサワがマントを脱いで手渡してきた。
ワンピースの袖からむき出しになった彼女のなでらかな肩に、裾から覗く細い脚に、少しばかり心臓がドキリとする。
太陽の日差しに晒されたことのないような、透けるほどに白い肌。思わず支えてあげたくなるほどに華奢な四肢。
腰まで真っ直ぐに伸びた艶のある黒髪は、漆黒の瞳と相まって神秘的だ。なんの飾りもない質素なワンピース一枚しか纏っていないというのに、この国にはないその色だけで、彼女の存在が特別なものだと嫌でも知らしめてくる。
少女から女性へと変わる過渡期独特の空気感が彼女を包んでおり、その脆く儚げな空気は本人の意図など関係なく男性を誘いそうだ。
私はここからの部屋までの道のりを瞬時に思い浮かべた。
彼女が向かうのはおそらく、城の南にある客室。そこに向かうまでには何人もの衛兵がサワの姿を目にすることだろう。
この城の平穏を守る衛兵達は皆、私と同じくらいの若い男たち。そんな彼らにサワの肌を見られたくない。カルストがケープを羽織らせてやったが、そんな面積の少ない上着では、彼女の腕も脚も隠せていないではないか。
そう思うと、自分の行動は早かった。
後ろからケープを剥ぎ取ってサワにマントをバサリと被せると、前に回ってあっという間に飾り紐を金具に繋ぎとめた。
自力では取れそうにないマントの前飾りと私の顔を困った様子で交互に見上げているサワに、カルストが懸命に笑いを堪えている。
「サワ様。ご好意に甘えて、お部屋までマントをお借りしてはいかがでしょうか。それでよろしいですね、サフィルイア様?」
光帝陛下の右腕と評判高い彼は、私の考えていることなどお見通しなのだろう。やや意地悪そうに輝く彼の瞳が、そう物語っていた。
部屋に案内されたサワはしばらく呆然としていたが、我に返ると部屋を変えて欲しいと申し出てきた。
理由は『自分にはもったいないから』だという。しかも『雨風に晒されない場所であれば、それ以上は欲しいものはありませんから』とも告げてきた。
向こうの世界で彼女は、一体どんな暮らしをきたのだろうか?寂しげとも、諦めきったともいえる瞳の彼女がとても儚げで、ツキンと胸が痛んだ。
何も望まず、それどころかベッド以外の家具を運び出して欲しいと言ってきたサワに、『それならばせめて』と、豪華なドレスを用意しようと考えた。
ところが、これもすぐさま拒否されてしまう。
この世界にいるサワぐらいの年齢の女性であれば、大抵は豪華なものを望む。貴族の娘であれば、ここぞとばかりに高価なものをねだってくるものだ。
だが、彼女は頑なに拒む。王族が公認で金を出すと言っているのだから、いくらでもその要望に応える事を説明した。金の心配などいらないと言ったのだが、彼女の首が縦に振られることはなかった。
サワは不思議な女性だ。その若さで必要以上に己を弁えている。
そこに好感を抱いたのは、カルストも同じようだ。陛下の前で異界渡りの姫君について説明していた時よりも、格段に顔つきが柔らかい。まるで娘を見守る父親のようである。
そのカルストが、先ほどから言葉もなくニヤニヤとこちらの顔を窺っているのが気に入らない。しかし表立って邪魔をするようではないので、こちらも何も言わないことにした。
カルストを交え、サワとあれこれ話をしていると部屋の扉をノックする音が聞こえた。
誰だろうかと考えているうちにカルストが応対に出て、エーメルドが来たことを告げる。
彼は私の部下の中では一番信頼している者だ。だが、その忠義の篤さゆえに、時折ちょっとした騒動を引き起こす。
彼が今この部屋を訪れた要因も、その性格によるものだった。
「あの時の行動は、サフィルイア様の身を第一に案じたゆえのことでした。ですがいくらとっさの行動とはいえ、この世界を救う姫君に剣を向けるなどというあるまじき暴挙を改めて思い直し、己の軽挙を恥ずばかりであります。詫びて済まされるものではないと重々承知しておりますゆえ、どうぞお好きなように罰してくださいませ」
真っ直ぐすぎるエーメルドは私の身を一番に案じ、そしてその結果、サワに剣を向けていた。それを詫びにきたのだという。
いや、単に詫びだけではなく、処罰を求めてきた。彼の実直な性格を考えれば、当然の行動であろう。
だが、私の大切な部下であるエーメルドの命を、私の目の前で奪われるのはとてもつらい。だから、思い切って口を開く。
「サワが怒るのもよく分かる。しかし、彼は深く反省しているようだ。許してもらえないだろうか?」
場合によっては、私もエーメルドと共に頭を下げる覚悟でいたのだが、
「あ、あの……。エーメルドさんもサフィルさんも、どうして私が怒っていると思うんですか?」
と、こちらが予想もしない言葉が返ってきた。
サワは言う。エーメルドは当たり前のことをしただけだと。だから、自分が怒ることはないのだと。それはどこにも偽善が見えず、彼女の素直な言葉なのだと分かった。
私としては逆に疑問に思ってしまった。命を脅かされて、なぜ怒りを感じないのかと。
しかし、彼女は『怒っていない』と繰り返す。それどころかサワはエーメルドの前に膝を着き、彼の手を握る。
その仕草はまるで、これから戦地に赴く兵に身の安全を祈り、愛を囁く行為に見えた。
サワにまっすぐ見つめられて手を握られているエーメルドの頬が、ほんのりと赤く染まる。
知らず、私の奥歯がギリッと軋んだ。この時、私は今まで感じていた想いに名前を付けることが出来た。
私はサワが好きなのだ。出逢ってからまだほんの数時間しか経っていないというのに、私の心は既に捕らわれていたのだ。
だからこそ、少しでもサワと一緒にいたかった。サワの肌を自分以外の男に見られたくないと思った。
そして、彼女に手を握られている部下に対して、激しい怒りが湧き上がったのだ。
――エーメルドの奴!私だってまだサワに手を握られていないというのに……。
私の殺気を感じたエーメルドはすぐさま青褪め、慌てて退出していった。憎々しくその背中を見遣っていた私は、午後の訓練でエーメルドを徹底的にしごいてやろうと思った。
が、それは即座に改めた。
――今日の午後の訓練どころか、これから一週間みっちりしごいてやる。