(12)儚き少女:SIDE サフィル
波動を感じた。
それはただ、ただ、悲しんでいた。それ以上に絶望していた。
そして、ほんの僅かに安堵していた。
絶望の果てに抱く安堵とはどういったものなのだろうか。私には分からないが、それは到底幸せなものだとは思えなかった。
詳しい状況は感じ取れないが、いうなれば『長い永い苦しみから解放された安らぎ』だろうか。
そんな切ない魂を抱いた異界渡りの姫候補に猛烈な興味を抱き、部下が引き止めるのも構わずに、自ら彼女を迎えに出向く。
このディアンド光国の騎士団に所属し、帝立騎士団艇馬隊の部隊長であり、王子と呼ばれる人物であり、次期国王となる自分が、迂闊に出歩ける存在ではないことは重々承知だ。
だが、放っておけなかったのだ。あまりに傷つき過ぎて、どこに傷かあるのか分からないほどになっている魂を内包した彼女を。
逸る気持ちのままに自分専用のペガサスであるジーグにまたがり、宙に駆け出した。
早く、早くと、急く気持ちのままに手綱を握る。
そして、大樹に身を寄せている彼女を見つけた。
この国に古くから伝わる書物に記されている通り、彼女の髪も瞳も一切混じりけのない漆黒。
それ以上に目を惹かれたのが、彼女の四肢だ。病的なまでとは行かないが、同じ年頃の者達に比べればかなり細い。
彼女を一言で表すなれば、まさに『儚い』だろう。
少し強い風に吹かれれば、ほろほろと崩れ落ちてしまいそうな、それほどまでに消え入りそうな彼女。そんな彼女が突然自分の部下達に囲まれ、あまつさえ剣を突きつけられた。
細い指で大樹にしがみつき、新月の夜のような黒い瞳には怯えが浮かんでいる。
異界渡りの者が自分たちに想像できない力があるという伝承もあり、部下たちが私の身を案じて必要以上に警戒するのも分からないではない。
だが、目の前のこの細く小さな彼女が震えている様子からは、とても自分を害するような力は感じられなかった。
そして、怯え以上に絶望の色を濃くした瞳が、私の心を締め付ける。
――彼女は一体何に苦しんできたのか。
私は部下達を一喝して下がらせ、彼女に跪く。
いくつか言葉を交わし、大雑把に説明をした。
体つきからすれば十二、三といった頃合かもしれないが、漆黒の瞳にはもう少し大人びた色があり、おそらくもう少し年が上なのだろう。
それでも先日二十三になった私よりかなり若いのだが、その儚い外見に見合わずしっかりと受け答えしてくれる。
普通は自分がいきなり異世界に辿り着き、そして大勢の男たちに囲まれればもっと混乱を引きずってもおかしくないのだ。
彼女の冷静な態度は諦めから来るものが多くを占めていると、私は察している。
そんな彼女と対峙しているうちに何故だかわからないが、自分はどうあっても彼女を見捨てるようなことは出来ないだろうと、漠然と感じ始めていた。
城に戻る際に用意した籠に乗り込もうとする彼女を抱きかかえ、ともにジーグへと乗り込んだ。
相当に大きい自分のマントに身を包んだ彼女をしっかりと左腕で抱きこみ、その存在を胸に感じる。
腕一本ですんなり収まってしまう彼女。思わず「華奢だな」と漏らせば、「そう、ですね」と一言が返ってきた。しかし、それっきり彼女は口を噤む。もしかしたら、体型のことは言われたくないのかもしれない。
異界渡りの姫君は記憶をなくす者もいれば、そのまま留めている者もいるという。彼女は後者だろう。記憶を失い、何も分からない者であれば、もっと取り乱してもおかしくないはず。
あちらの世界での記憶を持ったまま界を渡ってきた彼女に、何があったのか。
彼女の傷ついた魂とこの細い四肢は、間違いなく因果がある。だが、深く追求することは彼女を再び傷つけることに繋がることは理解できていたので、その場ではそれ以上何も言えなかった。
城に着いたとたん、彼女はマントを脱いで私に返してきた。
だが、その華奢な四肢を他者の目に晒すのは、何となく落ち着かない。
うまく表現できないが、自分だけが彼女のことを知っていればいいという感じだ。この細く儚い手足を、自分以外の者に知られたくない。
なので再び彼女の肩にかけてやると、今度は脱ぎ返されなかった。
右手で前を押さえ、左手で裾を摘んでチョコチョコと歩を進める彼女の様子にほほえましさを感じ、知らないうちに自分の目が笑みを浮かべていた。
部下達の間では「氷の仮面」と評されることもある自分が、おぼつかない足取りで横を歩く小さな少女の姿に微笑を浮かべているとなれば、何人の人間が卒倒するだろうか。
両陛下の間に着くや否や、光帝陛下による審眼の魔法が彼女に向けられた。
この国には当たり前のように魔法があり、誰もがその存在を知っている。
だたし使える魔法には難易度があり、国民の大半はわずかながらの火や水、風を操り、それを生活に活かしている程度。
専門に魔法を学んだ者、中でも生まれつき才ある者はより高度な治癒や攻撃をある程度思うままにこなせるようになる。
帝立騎士団の中には魔法による攻撃を得意とする部隊、攻撃部隊を支援する補助部隊、治癒術を主に活躍する部隊など、それぞれの魔法に特化した部隊がある。
私が所属する艇馬部隊はペガサスに乗っての空中戦を得意とする直接武力部隊だが、誰もが最低限の治癒、攻撃、補助の魔法を使えた。その程度は使いこなしてもらわないと帝国騎士団には入団できないので、当たり前のことなのだが。
部隊長でもある私は、最低限どころか各部隊長と肩を並べる事が出来るほど、どの魔法にも練熟している。
光帝陛下の一族は男女問わず、生まれ持って豊富な魔力が身の内に備わっているのだ。
またどの分野の魔法に対しても平均以上に習得でき、自分の性質に合う魔法は更に特化して習得できた。
私の場合は雷撃を呼びよせる魔法を得意とし、父である現光帝陛下は何処からともなく大量の渦巻く水を発生させ、それによる攻撃を得意としていた。
私には三歳離れた二卵性双生児である弟と妹がいて、その弟はどんな不毛の地も草木溢れる地へと変える緑化魔法を、妹は死者以外ならどんな者でも生気を漲らせることができる回復魔法を得意としている。
母である妃陛下は光帝一族の直系ではないので父や私たちに比べれば魔力は低いものの、それでも指先をわずかに動かすだけで一度に数十人の動きを封じてしまう石化の魔法は、補助部隊部隊長に次ぐ効力の高さだ。
魔法の更なる研究、発展の為に、帝立魔法研究施設も存在している。
このようにこの国の、いや、この世界の民の全てが大なり小なり魔力を有しているのだった。
また、魔法によっては特定の血筋にのみ受け継がれるものもある。
その一つが審眼の魔法。
これは光帝陛下のみが使えるもので、これによって異界を渡ってきた者が“鍵”であるか否かを見極める。
なぜだかは知らないが、例え嫡子と言えど、この魔法は王子の時には使えない。その理由と発動方法は、国を任された時に現陛下自ら次期陛下に伝えられるのだとか。
大きすぎる白のマントに身を包んで立ち尽くす彼女に、挑むような鋭い視線を向ける光帝陛下であり、血の繋がった自分の父。
十二分に広い部屋に、痛いほどに緊張が漂う。
カタカタと震える彼女を抱き寄せて安心させてやりたいが、今、それはできない。
震える彼女を見て、やりきれない思いが胸を突いた。