(11)おふくろの味
私は茹でポーモロンを大きな皿に載せ、台所の端に置かれているテーブルに置いた。すると、簡素な椅子にサフィルさんが当然のように腰を下ろす。
生まれも育ちも由緒正しい王族ということで、些細な仕草がとても優雅だ。今のようにただ椅子に腰かけるだけでも、その動きには品がある。
―――本当に、王子様なんだなぁ。
そんな事を心の中でしみじみ呟いていると、サフィルさんがつと、私に顔を向けた。
「なぜ立っている?」
「はい?」
「いつも言っているだろう。サワは私の従者ではないのだから、立っていなくとも構わないと」
サフィルさんは空いているもう一つの椅子に目を遣った。そんな彼に、私は小さく首を横に振る。
「同じようにいつも言ってますけど、私は王族ではないんです。だから、サフィルさんと同じテーブルに着くのは、ダメだと思うんです」
それに、このテーブルは二人掛け用であるため、私が座る位置はサフィルさんの正面になる。かっこいい彼を自分の前に据えて、平民の私が落ち着いて座っていられるはずはないのだ。
そんなやり取りを、周りの従者さんが微笑ましいものを見る様子で見守っていた。これもいつものこと。どうしてそんな表情をしているのか、私には分からない。
大人しく見守っていないで、サフィルさんを王族専用の食堂に連れて行ってくれないだろうか。『王子たるもの、食堂の片隅で料理を口にするなどもってのほかです』と言いだす人はいないのだろうか。
……いないんだよね、これが。
どうして従者さんたちはサフィルさんがここにいることを許しているのだろう。まぁ、従者の立場で王子の行動を咎めるのは出来ないってことかな?
顔には出さずに心の中で困り果てていると、
「今の私はこの国の王子ではなく、部隊長だ。だから、そうかしこまらずに席に着いてくれ」
サフィルさんが屁理屈をこねる。いくら彼が軍服に身を包んでいても、部隊長という肩書を持っているとしても、王子であることには変わりないのに。
困ったなぁと、知られないようにため息を吐く。
こうなったら、茹でポーモロンを早く食べさせて立ち去ってもらうしかない。
結局、私はいつものように彼の言うとおりにするしかないのだった。
サフィルさん付きの従者の人が、王族の人が使う銀のお皿にポーモロンを幾つか取り分ける。そして、恭しくサフィルさんに差し出した。
一口大のポーモロンにフォークを指し、そしてゆっくりと口に入れる。数回咀嚼したのちに、サフィルさんが「美味しい」と呟いた。
きっと本当に美味しいわけではないのだ。いつも豪勢な料理を食べているから、こういった素朴な料理が舌に新鮮なだけ。
それでも、私は一応「ありがとうございます」と、軽く頭を下げておく。
「サワの料理は、私の好みにとても合うんだ」
そう言って、二個目を口に運ぶ。そんな彼に、私は疑問に思っていたことを口にした。
「もし、この料理に毒が入っていたらどうするんですか?」
「入れたのか?」
口の中の物を丁寧に咀嚼した後、淡々とした声音で彼が訪ねる。私は、慌てて首を横に振った。
「いえ、もちろん、そんなことはしませんよ。でも、私なんて怪しいだけの人でしょう?一応、陛下には認めていただきましたけど、そんなに信用して、食べ物を口にしてもいいんですか?」
本の中では、身分の高い人が食事をする時には、毒見係の人がまず食べて、何事もないことを確かめるのだと書いてあった。実際にそういうことは過去の日本だけではなく、欧米でもあったようだ。
それなのに、サフィルさんは私が作った料理を口に運ぶ。驚くほど、ためらいなく。
そんな私の言葉に、サフィルさんはかすかに目を細めた。
「魔法力が強い者には毒など効かない。たとえ体内に入ったとしても、私には解毒の術も上掛けしてあるので即座に分解されてしまうんだ」
本当にそんな事があるのだろうか。
サフィルさんの後ろに控えている従者の人に目を向ければ、こっくりと深く頷かれる。
「魔法が使える人って、便利なんですね」
淡々と告げれば、
「疑っているのなら、サワの目の前で毒を飲んで試してもいいが」
と、まるで『お茶でも飲もうか?』と言っているかのような気軽さでサフィルさんが口にする。
「い、いえ、そんなことはしなくていいです。信じます」
ちょっとだけ慌てて言えば、サフィルさんはクスッと笑う。そして、彼は三個目のポーモロンを口にした。
「サワが作るものは素朴だが、本当に美味しい。こういう料理を、サワの母親は作ってくれていたのか?」
何の気なしに、サフィルさんがそう話しかけてくる。
「ニッポンでは母親が作る料理を“おふくろの味”と言うそうだな。サワにとって、おふくろの味はどんなものだ?」
興味深げな瞳を向けられ、私は困ってしまった。
懸命に記憶を掘り起こすが、母親自ら作ってくれた料理の味を思い出せない。家族と一緒に家で暮らしていた頃は確かに母の料理を食べていたはずなのに、あまりに昔のことなので舌が覚えていないのだ。
記憶にあるのは、死の直前に食べた甘いケーキの味だけ。食事と言えば、病院食か栄養剤入りの点滴だったから。
私の答えを楽しみに待っているサフィルさん。だけど、私は無言で首を横に振る。
するとサフィルさんは不思議そうに首をかしげた。
「サワ、母親とは離れて暮らしていたのか?だから、母親の手料理の味が分からないのか?」
再び首を横に振る私。
「……違います」
母親とは一緒にいた。それこそ、死を迎えた瞬間まで。
そのことを思い出し、視線を下げてキュッと唇を噛みしめる。
そんな私の表情を見て、サフィルさんが
「答えなくていい。私はサワの母親の味よりも、サワが作る味が知りたいから」
と言い、テーブルの向かい側から腕を伸ばしてソッと頭を撫でてくれた。