プロローグ
竜の怒りを静むるは 界を渡りし乙女のみ
新月の夜のごとき その髪 その瞳
まさしく異界渡りの姫である証
その身に宿る柔き肉が 赤き血が
竜の怒りを静むるなり
界を渡りし乙女の命こそ
世に静寂をもたらす 鍵ならん
◇◆◇◆◇
私、伊東 佐和は十六になったばかりの冬に死んだ。
生まれつき体が弱く、物心がついた時には家にいる時間と病室に入院している時間が同じくらいだった。
それが年を追うごとに比率が変わってゆく。残念なことに、入院している時間の方に比率が傾いてしまっていたのである。
回復の兆しはなく、ただ、現状を維持している。実際には維持するどころではなく、進行を緩やかにする程度が精いっぱいだったようだ。
何年も入退院を繰り返していれば、自分はどんな病魔に侵されているのか気になってくる。しかし子供の私に気を遣ってか、両親は私に病名を告げない。そして、その後も告げられることはなかった。
明かされない病名は気になっていたけれど、それを聞き出したところでどうにかなるわけではない。家族が隠しておきたいと考えているならば、無理に聞き出すことは無意味にしかならないだろう。子供の自分でも、それくらいは分かっていた。
時は流れ、私はベッドの上で中学入学の日を迎えた。
父親も母親も兄も姉も、『必ず良くなるから、絶対に諦めるな』と、顔を合わせるたびに私を真剣に励ましてくる。
優しい家族に囲まれて、私はなんて幸せ者なのだろう。
だけど、その優しさが本当は苦しかったのだ。
相変わらず回復の兆しを見せない私を見て、家族はどれほど心を痛めたことだろう。それなのにつらさを私に見せまいと、気丈に振る舞う両親。明るく見守る兄姉。
「大丈夫だよ、佐和」
家族が口を揃えて言う。そのセリフ、本当は私に向けられたものではなく、長い闘病生活を送る私を見て、心が挫けそうになっている自分たちに向けられているのかもしれない。
大好きな家族を苦しめているのが自分の存在であることが心底悔しくて、やりきれなくて。頭から布団を被って寝たふりをしながら、私はこっそり何度も泣いた。
先の見えない長くて暗いトンネルから、早く家族を開放してあげたかった。
それでも家族の気持ちを思えば、どんなに投薬がつらくても、手術が苦しくても、『死んでしまいたい』とは口が裂けても言えなかったのだ。
季節は更に巡り、とうとう十六歳になった。この数年は外出することも出来ないほど体が弱っていて、今年もまたベッドの上で誕生日を迎えている。
「おめでとう、佐和」
家族から祝福され、たくさんのプレゼントをもらう。そして先生の許可をもらって、少しだけケーキも食べさせてもらった。
楽しいはずの誕生日。嬉しいはずの家族の笑顔。
なのに、私の涙は止まらない。
―――また、一つ歳を取ってしまうんだ。……まだ、死ねないんだ。
みんなを苦しめている私の事なんて、祝ってくれなくていいのに。
ところが、その日の夜に事態が一転する。
付き添いの母親を残し、父と兄と姉が帰ろうとした時、私の容態が急変したのだ。
これまでの和やかな雰囲気は霧散し、緊迫した空気に包まれる病室。先生と看護師さんが慌ただしく処置に走り、それを少し離れたところで見守る家族。
泣き崩れる母を抱き支え、自分も泣きださないように必死に堪えている父。兄と姉は大きな声で、それこそ怒った様に私の名前を呼び続ける。
金属音や機械音、さらに嗚咽がひっきりなしに響く中、懸命な処置が繰り返された。
しかし、衰弱の一途を辿っていた私の心臓は、ほどなくして停止する。
魂がこの世を離れる瞬間、家族を悲しませることになってしまった自分の死に、心の底から『ごめんなさい』を繰り返す。
だけど、これでもう、永遠に彼らを苦しませることはないのだという安堵にも包まれたのだった。