U S B
サイトにAgainを投稿している事を告げた文夫は千尋に呼び出される
千尋の持って来たUSBには?
ネックレスを持ってSheに行ってから2週間が経っていた。すっか
り新緑の季節になったが、今年の春はやけに寒い日が続いた。サエは
Againを読んだだろうか、女性の視線にはどう写るのだろうか。
間違っても奈緒さんに聞く訳にはいかない。この物語は文夫にとってほ
とんどドキュメントと言っていいほど実話なのだから。
しかし文夫は第8話以降のストーリーを全く考えていなかった。考え
付かないと言ったほうが正確だろう。8話までは簡単だった。自分と綾
瀬に起こった出来事を物語にしていくだけだった。その作業は文夫にと
って、とても楽しいものだった。書き連ねる度に綾瀬と過ごした時間が
文夫の中で蘇った。これが綾瀬との最後の再会なのかもしれない。
しかし、これから先は全く想像が付かない、二人が再会する事はいか
にも陳腐な事だ、かと言ってこのままではいかに盛り上がりに欠ける。
何かドラマチックな展開はないだろうか。
仕事を終えた文夫が会社の駐輪所に着いた時、着信音を聞いて携帯を
手にした。ディスプレイには(マツ)と光っている。
「どーしたん松子さん」
「そーなのよ、あたしさー」
千尋がDXの物真似で言う霞が辞めた後千尋にアドレスを教えた。何故
だろう全くときめかない。時としてそういう存在も必要なのかもしれない
「誰がマツコや!!」
{ありがとう、のりつっこみ}
「あ・ごめんなさい」
「今日来れるやろ火曜やし・・Again8話の続き書いてん!!」
水曜が文夫の公休日だ。だからSheに行くのは何時も火曜日だ。
「マツコさんが?」
「マツコ違うって!!」
「ほんだら誰が?」
「ち・ひ・ろ!!!」
{そ・そんな力入れて言わんでも}
「ええからおいで」
「しゃーないなー」
今夜のSheは大盛況だった。玄関からは空いた席が見つからない
「パン屋さん・こっち・こっち」
千尋がカウンターの一番奥を示した。一つだけ空いたその席にはノー
トパソコンが置いてあった。
えらい今日は待遇がいいなーと思っていると水割りを出す千尋が
「一本開けさしてもらっていいですか?」
そーか、それがあったんや、この前来た時ボトルが空きそうやったん
や、まんまと千尋の営業に乗ってしまった。ストーリーにそれほど期
待はしてないが、ここまでしてもらって文句も言えない。
「ごめん、今夜予算1万でお願いします」
千尋が親指を立てる。彼女のokサインだ
ボトルキープしたらそのへんが最低ラインだ。何も言わなければ1万
5~6千円になる事もある。先に限界予算を告げておくのが賢い飲み
方である。女の子にショボイと思われてもこれが妻帯者の現実である。
ヘソクリさえ見付からなければ、もう少し太っ腹だったのに。
もはやこの金欠状態脱するにはこのAgainを出版社に売り込んで
印税を稼ぐしかないのである。宝クジなどとばかげたものに文夫は興
味がない。
PCは既に起動していた。Again9話のアイコンをクリックす
るとモニターにどこかの公園の風景が広がった。どんよりした雲から
薄日が射している。ライトブルーのベンチの手前にパープルの紫陽花
が写っている。ひどい写真だプロが撮った物ではないだろう。
キーワード・カタカナとあり3文字の入力欄があった。その下にカウ
ント1と出ている。
「これロック掛かってんのん?」
「そうや開けてみ!」
「どーやって開けるん?」
「さーねー!」
「あ・・これカウント1ってマツコさんが解除失敗したんちゃうのん」
「マツコちゃうって!!」
わーマジ切れ寸前
「ご・ごめんなさい。これ持って帰っていい?」
「ええけどちゃんと返してや、2週間な」
{またここ来んなあかんやん}文夫はUSBを抜き、せっかく来たので
カラオケを唄う事にした。(ノスタルジア)(ソプラノ)成就しない恋
の唄。そんな気分だった。午前3時前にはSheを出た会計はジャスト
1万だった。{やっぱり}ボロボロのママチャリで自宅に向かうキーワ
ードの目途は付いている。ペダルを踏む文夫の脳裏に公園の写真が浮か
ぶ{あれは・・}
自宅のドアを静かに開ける、(りりりりりり)と微かなドアベルの音が
鳴る。何時もこの瞬間が一番緊張する。奈緒さんが起きて来ないか様子を
伺う。もっとも起きて来ても何の対処も出来ないが、今まで起きて来た事
は一度もない。忍び足でリビングに着いた文夫はパジャマに着替え和室に
入る。奈緒さんと直人は爆睡中だ。そっと隣の布団に滑り込む(セーフ)
午前4じ過ぎには奈緒さんは起きて5時過ぎには出勤していった。奈緒
さんも文夫も出勤時間は早いが退社時間も普通より早い。おかげで、二人
とも子供達と過ごす時間をたっぷりと作れる。二人とも今の生活のリズム
を気に入っているただもう少し収入があれば言う事がないのだが。
文夫は必死に夜遊びを隠してはいるが。おそらく奈緒さんにはバレって
はいるだろうと彼は思っていた。最近では家では飲まないアルコールの、
おそらく煙草の臭いもしているに違いない。奈緒さんはあえて気付かない
振りをしてくれているのだ。だからこちらも、あからさまには、ならない
ように気を使っているのだ。こういうのを夫婦の暗黙の了解とでもいうの
だろうか。
午前7時には文夫も起きた。休みの日でも子供達が起きる時間には起き
ていたい。たから飲んだ翌日は寝不足だ。朝食後、奈緒さんが廻して行っ
た洗濯機から洗濯物を取り出しベランダに干し、ゴミだし、風呂掃除、掃
除機がけが終われば一段落だ。PCを起動しUSBを刺す
入力欄に(サスケ)と入れる。ピンポーンの音声のあとに次の入力画面
がでた。{え・一つとちゃうのん}シャンソンが流れ出す(シェルブール
の雨傘)と入れるピンポーン、きらいな食べ物 (きのこ)ピンポーン
ロックが解除された。
画面にはAgain第9話とあった。