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Mid,night,devil

     焼酎はあまり好きではない。家で何時も飲むジンやウォッカでは高くつく

    ので、この店では麦焼酎をキープして水割りにしている。児島文夫がこの店

    に来るのは3ヵ月ぶりだ。寒さが続き遅咲きだった桜もようやく黄緑に染ま

    ったが、それでもまだ肌寒さが色濃く残っている。

    「パン屋さん久しぶりやな、もうきゃーへのかて思たわ霞辞めたしな」

    カウンターの中から水割りを出しながら千尋が言う。その連絡を文夫が霞か

    ら直接受けているのを彼女も知っているのだろう。

     霞に会ったのは2月初旬この店に来た時が最後だった。それから2度

    携帯に着信があったが、こちらから返信はしなかった。バレンタインも過ぎ

    たある日、霞からメールが届いた。深夜ふと目覚めMNDフーズの文字がデ

    ィスプレイで光っている事に気付いたが、また眠ってしまった文夫は夢で思

    いも寄らない女性と再会した。枕元で文夫を見下ろした彼女は切なそうに微

    笑みながら何か語りかけていた。翌朝、霞からのメールを確認した。

    「長い間お世話に成りました。また何処かで出会えたら一緒にコイスルオト

     メを歌いましょう。バイバイ!!」

    あの着信はこれを伝える為だったのか。返信しなかった事を申し訳なく思っ

    たが、今の文夫は夢で再会した女性のほうが気がかりだった。何故今になっ

    て彼女は現れたのだろう。やはり無理に忘れようとし過ぎているのかもしれ

    ない。綾瀬逸美、彼女の記憶を何時まで自分は引きずっているのだろう。

     

     霞に初めて会ったのは昨年10月初旬この店ガールズバー・Sheだった

    午後10時の開店直後に入店した文夫を出迎えたのは何時もオープニングし 

    ている千尋ではなく霞だった。オープニング作業をしていた彼女は、にこり

    ともせず

    「いらっしゃいませ」

    とつぶやくように言った。ショートヘアの金髪で目がパッチリしているわり

    に小柄でおとなしい感じの彼女は赤地に黒のチェック柄のシャツの袖を半分

    たくしあげていた。

    「千尋さんは?」

    「オーナーとご飯食べに行ってるんです。昨日、誕生日だったんです。何し

    ます」

    「麦の水割り、六郎ってボトルあるはずやけど」

    この店では六郎と文夫は名乗っている。本名で無い事を悟っている千尋は決

    してその名を口にしない。まだ他に客の姿はなくカウンターにシャンパンの   

    空き瓶が4~5本置いてある

    「一杯頂いていいですか?」

    霞が自分の分を作り一杯目を飲み終えた頃、大きな花束を抱えた千尋とオー

    ナーが入ってきた。

    「いらっしゃいパン屋さん」

    千尋は上機嫌だ、推定体重90kgを超える彼女を文夫は(マツコ)と心の

    中では呼んでいる。決して美しいとは言えない千尋の為に高価なシャンパン

    を開けたり花束を贈る男の気持が文夫には理解できなかった。

     後から女の子一人が加わり他の客も入り始めてから霞がカラオケを勧めて

    きた。8月に初めてこの店に来た時は何を唄えばいいのか分からなかったが

    最近では(いきものがかり)の曲をネットで調べて研究している。歳には合

    っていないがオヤジ臭い曲は嫌だ。ピアノを習っていた事もある文夫は音楽

    のセンスはそこそこあるつもりだ。(笑ってたいんだ)(なくもんか)(ノ

    スタルジア)他の客に混じってこれらの曲を唄い上げる文夫のカウンター越

    しに立つ霞は

    「いい曲~・・ろくろうさんってキュートやなー」

    などと言いながらハイタッチを求めてきた。彼自身、自覚している事だが

    文夫はてフェチである。女性の手を見たり、触れたりすると気分が高揚する

    唄いながらハイタッチを繰り返すうちブスではないが決して美人でもない霞

    とすっかり盛り上がっていた。霞の勧めでおおのりで(じょいふる)を唄い

    ハイタッチを繰り返した。アドレスを交換しようと言う霞に躊躇いなく携帯

    を差し出した。

     かわいくないという理由で霞は文夫を(ろくにゃん)と登録した。文夫は

    妻帯者である。7歳年下の妻(奈緒美)高1の長女(美香)小5の長男

    (直人)。勿論この事は霞にも他の女の子にも公表している。妻帯者である

    事を隠して女性と話をするほど、くだらない男ではない。むしろ決してハン

    サムではない文夫にとって妻帯者である事の公表は彼女達とのゲームを有利

    にすると彼は考える。{俺は何をしているんだ}と思いながらもディスプレ

    イに写る(かすみ)をなんと変更しようかと楽しんでいた。

     結局誰に見られても構わないように(有馬産業)と変更し店を出るとエレ

    ベーターホールまで送ってくれた霞が再びハイタッチを求めてきた。

    「電話するわー」

    「夜は家に居るから他の時間やったらいいけど」

    「分かった!!」

    まるで彼女が出来たみたいなすごくいい気分だった。霞の営業は素晴らしい

    Sheはきっと繁盛する霞に付く客は多いだろう。

     このご時勢に文夫は携帯を持ち始めて2年しか経っていなかったし家族以

    外の女性のアドレスが入ったのも女性からアドレスを聴かれたれて答えた事

    も初めてだった。彼は遊び慣れていないのだ。自分の様な男が霞のカモにな

    るんだろう。アドレス交換は社交辞令だろう、それでも彼女のアドレスは何

    かゲームの強力なアイテムの様な、その存在自体が文夫をウキウキさせた。

     電話がかかってくる事などないだろうと思っていたの3日後自宅のリビン

    グで夕食後、着信音を聴いて文夫は跳び上がった。仕事関係でかかってくる

    事もほとんど無い、すぐに霞だと思った。ディスプレイには(有馬産業)と

    出ていた。うろたえている間に着信音は止まった。奈緒さんは何も言わない

    {これってメチャメチャ怪しい、奈緒さんもなんか言うたらいいのに}

    あえて気付かないふりをする妻に逆にストレスを感じる。ここは白々しくて

    も押し通そう,有馬産業に電話する。

    「あーすいません・・こないだのん・・そう入れといてください」

    「あ・・?え・・?」

    「はい、会議の方は通ってますので来週から商品化しますので・・はい宜し

    くお願いします」

    一方的に言って電話を切った

    奈緒さんが浴室に入ってからもう一度、電話した。

    「ごめん・ごめん・呑み屋の女の子やねんって言うたらいいだけやねんけど

    それがなかなかでけへんねん」

    「ちょっとびっくりした大丈夫?」

    「またこっちから電話するわ」

    「わかった!!」

    こんなものは彼女達の営業の一環である。そんな事は文夫もさすがに分かっ

    ている。しかしあえてこれを奈緒さんへの秘め事にする事を文夫は楽しんだ

    これは、霞とのゲームでありまた奈緒さんとの駆け引きでもあるのだ。そう   

    考えた時、文夫はすこし思いを巡らせた。これと同じ事が以前にもあったの

    かもしれないと。

     文夫自身節度をわきまえて遊んでいるつもりだった。夏から通っている

    Sheもまだ3度しか行っていない、隔週以上で飲みに行く事はない。

    次は再来週と文夫は決めていた。リビングでの着信事件(こんなものが事件

    というくらいに文夫の家族は平和なのだ)の翌週にも霞からの着信があった

     翌朝が早番(午前4時出勤)だった文夫はウォッカのロックを飲んで早く

    に就寝した。午後11時ごろその文夫に奈緒さんが不機嫌な口調で言った。

    「有馬産業ってとこから着信はいってるで」

    こんな時間に業者からかかって来るはずがないウォッカの酔いも吹っ飛んだ

    が、「ふぁ~・・・」と酔った寝たふりをした

    {こんなんバレバレやん・・あいつどーいうつもりや明日朝ちゃんと言わん

     とあかんな}奈緒さんとはまだまだ駆け引きを続けたいと、いろいろ考え

    ながら再び短い眠りについた。

     翌朝、と言っても午前2時に起きた。どんな出勤時間でも朝食はしっかり

    とると文夫は決めている。勿論、奈緒さんは爆睡中なので自分で支度する

    弁当も作り午前3時に自宅を出る。エレベーターを降り携帯を出す、ここな

    ら大丈夫だろう

    「モッシー!!」

    陽気な霞の声が聞こえる営業中か

    「おはよう、今から出勤やねん、今、店?」

    「そう夜勤なんや、たいへんやなー」

    「明後日行くわ!」

    「うん待ってるー」

    {あれ?・・なんか言わんとあかんかったはずやけど}

    ヘルメットを被りバイクを駐輪場から出す。125CC、中国ホンダの4ス

    トローク6速リターンのミッション車、3年前,自営していたパン屋を併設

    したイタリアンレストランを廃業し居酒屋チェーンの会社に就職した時、

    電車の始発時間よりかなり早い時間に帰宅する事になったので、しかたなく

    という理由でこのバイクを買った。18年前自分の店を開業するまで400

    CCと250CCのバイクを7年に渡って乗り継いだ文夫はかなりのバイク

    愛好者である。本来この排気量のバイクなら2ストローク車が欲しいところ

    だが、今の日本では2ストローク車はほとんど販売されていない。

    それでも18年ぶりにバイクを手に入れた時、彼の心は少年の様にときめい

    た。2年前、今の会社に転職したがバイク通勤には変わりがなかった。

     文夫の住む八尾市から大阪市内の会社までバイクで20分程だ。千尋が呼

    ぶように今、文夫が勤める職場はパン工場だ。但し彼の配属はパンの製造で

    はなくサンドウィッチに挟むカツや具材、デリカ商品を作るセントラルキッ

    チンだ。勤務先の駐輪場にバイクを留めた時ふと気になったので霞に電話し

    た。彼女はまだ仕事中だった。午前5時までの営業なのだ。

    「どーしたん?」

    「あーちょっと気になったから確認しときたいんやけど、さっき明後日行く

     って言うたけど霞ちゃんにとって明後日て何曜日?」

    「???えーっと今日が土曜やから・・]

    「やっぱり・・僕にとって今は日曜日の早朝なんよ」

    「あ・・そっか一日ずれてんのか」

    「そう明後日は火曜日」

    「あ・・火曜、うち休み」

    「また電話するわ」

    「うん、待ってる」

    携帯を閉じた文夫はセキュリティーの暗証番号を押してドアの施錠を解除し

    社屋の階段を上がった、パンをつくる機械の音が階段室で響いていた。

    夜空の月を見て一日を始める女性と同じ月を見てその日の終わりを思う男の

    ゲーム、おもしろくなりそうだ。3階の休憩室で持ってきた弁当を冷蔵庫に入

    れ更衣室に入りユニホームに着替える。耳まで覆う帽子を被りマスクをすれ

    ば目元以外は全て隠れる。まだ暗い階段を6階に上がりセントラルキッチン

    に入った。

     午前の仕事にくぎりがついたのは午後1時だった。更衣室に降りロッカー

    から携帯、インスタントコーヒー、ティーパックを出す。休憩室にコーヒー

    やお茶の自販機があり申し込めば一食200円で会社から弁当が出るが、

    文夫はそんなものは利用しない。ティーパックを入れたコップにポットの

    お湯を入れ、冷蔵庫から出した弁当をレンジにかける。

     昨夜、奈緒さんに見られた有馬産業はそのままにしておくのはまずい

    しばらく考えMNDフードと変更した。(Mid,night,devil)

    霞にふさわしくまた、なかなかありそうな名前でバレそうにない。有馬産業

    がなくなるのは不自然なので以前働いていたバイト先に番号に変更しておく

     これで完璧だバレることはない。食事の後は1時間ほどで仕事は終わる。  

    出勤時間が早い代わりに終業時間も早い。午後4時には帰宅していた。

    洗濯物を取り入れ風呂を洗い、夕食の買い物にでる。奈緒さんが就職してか

    らは 、このパターンが多い。特に苦痛は感じない文夫は家事が好きなのだ

     携帯はマナーモードにした。バイブもしないようにできないものか。

    まさか奈緒さんに聞く訳にもいかない。翌週、文夫の懸念は的中した。

      ヴィーン・ヴィーン・ヴィーン

    深夜、就寝中の文夫の枕元で文夫の携帯がバイブした。奈緒さん直人と並ん

    で寝入っている6畳の和室にバイブ音が響き渡った

    「ヤバッ・・」

    携帯を抱え込み布団に包まる

      ヴーン・ヴーン・ヴーン

    文夫の腹を携帯が刺激し続ける

    「と・止まってくれ!!」

    数秒後バイブは止まった、ホッとしたのもつかの間

      ヴーン・ヴーン・ヴーン

    「ひ・ひえー・・」

    真冬がというのに汗が吹き出る。別に不倫している訳ではないバレても呑み

    屋の女と言ってしまえばそれだけの事だ。しかし文夫にはバレたくないもう

    一つの理由があった。

     先週、ヘソクリがバレた。50万入っていた通帳の内10万は引き出して

    あった。ひょんなことから、まとまった現金が必要になった奈緒さんがあち  

    こちの引き出しをあさっていた。いや、今思えばあさっていたのは彼女のパ

    フォーマンスで文夫のいない時に既に見つけていたに違いない。程なくヘソ

    クリの入った引き出しに行き着いたのだ。

    {そ・・・そこは!!!}

    文夫は新喜劇のある、お決まりのギャグを思い出した。隠してる引き出しの

    前に立ちはだかり

    「こ・ここにはヘソクリなんかありません!!」

    そして、あえなくバレて

    「なんでバレたんやろ」

    勿論、そんなギャグをやっている余裕などなかった。容易く通帳を見つけ

    「あ・あれ・これなんやろ・わー40万も入ってる」

    言葉のほどには驚いている様子もなく

    「こんなん知ってた?」

    「い・いやー僕も知らんけど」

    「ふーん・・探したらあるもんやな。これ置いといて今度の引越しに使おー」  

    「そ・そうやな・・良かったなー」

    10万の使途不明金についてはお咎めはなかった。彼女は知っているのだ。

    この金がどういう金なのか、全く女というのは強かなものだ。あーSheに行く

    軍資金が消滅した。霞にもなかなか会われへんなー

     霞の存在がバレれば使途不明金の追求は免れないだろう。なんとかそこだけ   

    は死守したい。そうすれば回数は減るが少しはSheに行く事は出来るだろう。

     翌日、携帯の取扱説明書を熟読したが、やはり分からなかった。文夫は取説

    を読み取るのが苦手だった。最後の頼みは娘の美香だった。彼女は文夫と同じ   

    機種の携帯を使っている。聞いてみるとものそごく不信がられたが、職場での

    必要性という事で納得したようだ。サイレントマナーモードというものを知っ

    た文夫は、やっと深夜のMND着信の脅威から開放された。

     電話して霞の出勤を確認してはSheに何度かいった。もはや霞に会う以外に

    Sheに行く理由はなかった。しかしそんな文夫の気持も少しずつ変化していっ

    た。霞はいつもオイスルオトメを一緒に唄おうと誘いワンフレーズずつ交代で

    唄った。霞は文夫が唄っている時よくハイタッチを求めてきた。

     何度目かのハイタッチの、時文夫はある事に気付いた。霞の手は暖かい

    その事に気付いた時文夫の心は一瞬にして冷めてしまった。

     そう文夫を高揚させるのは、女性の美しくて冷たい手だけなのだ。

    霞のハイタッチに違和感を感じるようになり心はじょじょに離れていった。



     

    











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