4話 説教と属性
怒っている母は怖い。
普段と変わらずにこにこと笑顔なのに、有無を言わさない迫力。
逆らってはいけないと本能的に感じるのだ。
食堂に着くと、母は座るように促す。
私は定位置である母の隣に、二人はその正面。
そして、その後ろには恐縮した様子の少年が一人。
兄たちの遊び相手でもあるレイド少年だ。
彼はあくまでも使用人の立場であるため、勧められても椅子に座ることを断固として拒否した。
湯気の立つお茶がそれぞれの前に運ばれ、持ってきた侍女が下がると、ぴんと張り詰めた空気がいっそう緊張を増す。
母が優雅な仕草で、お茶を飲む。
静かな時間がしばし流れた。
まず最初に行動したのは、やはりというか、レイドだった。
「申し訳ありません、奥さま! 僕がお二人をお止めできなかったのが悪いんです!」
レイド・セリオスは、父が治める領地内の村長の息子で、本当は行儀見習いとしてゼルフォード家に預けられたのだが、歳が近いこともあって兄たちのよき遊び相手にもなっている。
というか、兄たちが巻き起こす悪戯の最大の被害者というか……。
今回も、実は兄たちの背後で一番悲壮で、泣きそうな顔をしていたのは彼だった。
勢いよく頭を下げる姿は、まだ八歳とは思えないほど馴染んでいて、そこには彼の日々の苦労がにじみ出ている。
思わず同情してしまう……。
「いいのよ、レイドくん。あなたは悪くないもの」
「いいえ、そんなことはっ……僕が未熟だったせいで、あんな事態を招いてしまって……」
ひたすら頭を下げ続けるレイドは、本当に自分の責任だと思っているようで。
母は困ったように息を吐いた。
「レイドくん。あなたはまだ八歳なのよ。私たちの勝手でこの二人のことを任せてしまっているけれど、あなたもまだ子供なのよ。これは監督しきれなかった私たち大人にも問題があることだわ。だからそんなに気に病むことはありません」
「奥さま……ありがとうございます」
母は労わるようにレイドに声をかける。
「私たちこそ、いつも二人の面倒を見てくれて助かっているわ。さあ、あなたにはほかにもやることがあるでしょう? 頑張っていらっしゃい」
そして、レイドは母の指示を得た侍女に連れられて部屋から出て行った。
レイドも本当は忙しい身だ。
兄たちの遊び相手もそうだが、本来彼は行儀見習いとして勉強に来ているのだ。
やるべきこともたくさんある。
これから始まるお説教に付き合わされる必要などない、ということだ。
レイドを見送っていた母が、ようやく息子たちに視線を移す。
「ねえ、アイラス、アリスタ? あなたたちもまずは言うことがあるでしょう?」
優しくも冷たい瞳が、無言で言葉を促している。
「「ご、ごめんなさいっ」」
つっかえ具合も見事な二重奏。
こんなときでなかったら、双子の神秘だと思考の海に身を浸せただろうに。
張り詰めた空気のなかではそれも容易ではない。
「前にも言いましたよね。周りに迷惑をかけてはいけないと。もしあなたたちが怪我をしてもそれは自分の責任です。けれど、周囲に被害を及ぼしたときは本人だけの問題ではなくなってしまいます」
「「……はい」」
「今回、あなたたちは無断で魔法を使って、庭に大きな穴を作りましたね。悪戯にしては大事だと思いませんか? 危険だから子供だけで魔法を使ってはいけないとも教えましたが、それはどこに置き忘れたのでしょう? 先ほども言いましたが、怪我をするのは自分の責任。けれど、今回はそれだけではありませんね。だれに迷惑をかけたのか、分かりますか?」
「「えっと、レイド?」」
「そうですね。彼も立派な被害者です。ほかには?」
「「ほかに……」」
「あのお庭は庭師の皆さんが、いつも大切に手入れしてくれている場所ですよ。その苦労をあなたたちは一瞬で壊してしまったのです」
はっと気付いたように、二人が息を呑む。
確かに、地面の穴もさることながら、強風を受けた周りの植物にも影響があった。
「「ごめん、なさい」」
「それは庭師の皆さんに言うべきです。許してくれるかどうかは、彼らが決めるでしょう」
「「……はい」」
そして、お説教はまだまだ続く。
……これは長くなりそうだと判断し、私は逃げることにした。
呼吸の合間を計って、母に声をかける。
「おかあさま、おさんぽしてきます」
退屈だと言外に含む。
二人に厳しい目を向けていた母が、こちらを見る。
そこにあったのはなにか言いたそうな表情だったが、結局母は頭を撫でてくれただけだった。
「そう――シェリーナちゃん。気をつけるのよ」
「ん」
一つ頷いて、私は椅子から下りた。
母が侍女になにかをささやいていたのが視界の片隅に見えたが、気にせず扉に向かう。
扉を開けてもらって外に出るときには、母のお説教が再開されていた。
頑張れ、兄たちよ。
その後、約二時間に渡り、母のお説教は続いたということだ。
私は途中で抜け出したからそうでもなかったが、あの後遭遇した兄たちの顔は意気消沈して、ぐったりとしていた。
母の怒りは極力買わないようにしようと心に決めた瞬間だった。
* * *
パタパタと足に纏わりつくたっぷりの布地をなびかせて、私は中庭へと向かう。
少し離れて後ろから侍女さんが付いてくるのは、まあ、仕方ないと言うほかない。
みんな、心配性で困る。
大人とは歩幅が違うため、先ほど連れ去られたときよりも若干時間はかかったが、ようやく中庭にたどり着く。
「おや、お嬢さま。どうなさったんで?」
私の足音に気付いた庭師のパルドが声をかけてきた。
パルドは長年我が家に仕えてくれている古参の使用人の一人だ。
温和な人柄で、時々庭で遊んでいる私に花の名前や、薬草の効能を教えてくれたりする。
「ん、こんにちは」
挨拶は大事だ。
母からもしっかりと躾けられている。
ぺこりと頭を下げた私を見て、パルドは相好を崩して挨拶を返してくれた。
「これはこれは、ご丁寧に。こんにちは、お嬢さま」
「おにわのおっきいあな、どうするの?」
「ああ、もしかしてそれが気になっておられたんですか。お二人の悪戯にも困ったものですね。ですがご安心を。今、地属性の魔法使いを呼んでいますので、すぐに修復できますよ」
魔法使い。
未知なる響きに、心が躍る。
それに、地属性とわざわざ言うからには、魔法にも属性というものが存在するようだ。
無難に、木、火、土(地)、金、水といったところだろうか。
その辺りは前世と共通するものがある。
「みててもいい?」
「えっ、いや、それは――」
困惑したようにパルドは視線をさ迷わせ、どうやって断ろうかと私の後ろにいた侍女さんに助けを求める。
うーん、この反応。
おそらく母かだれかから、私を魔法に接触させないようにとお達しがされているせいだろう。
それでもこんな機会は滅多にないだろうから、私も譲れないのだ。
つられて私も侍女さんを見た。
侍女さんはにこやかに頷いている。
あれ?
予想に反し、許可が下りたみたいだ。
内心で首をひねっていると、侍女さんは微笑みを浮かべたままこう言った。
「奥さまのおっしゃった通りでしたね。お嬢さまは魔法に興味深々のようだから、もし庭の修復を見学に行ったら邪魔にならないところに居させてあげてほしい、と」
なるほど……すべてお見通しだったというわけか。
主人から許可が下りたのに、断れるはずもなく。
パルドはしぶしぶといった様子で了承してくれた。
「はぁ、分かりました。けど、危険があるといけませんから、あまり近付いてはだめですよ」
「ん。ありがとう」
幸運にも、私はこれから魔法を使う現場に立ち会えそうだ。
またもお待たせいたしました・・・