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11話 緊張と失態

 それは、あまりにも当たり前すぎて。

 ゼルフォード家の人々も、使用人たちも。

 うっかり忘れていた。

 どれほど優秀であろうと。

 どんなに天才的であろうとも。

 シェリーナ・ゼルフォードが、まだ五歳であることを。

 本格的な『大人』との対面が、ほぼ初めてであるということを。

 あまり感情を顔に出さないため、緊張しているとはだれも思い付きもしなかった。

 なんでも完璧にこなす少女が、実は対人関係の把握が一番苦手であることを。

 だからこそ、彼らは教えなかった。

 ゼルフォード伯爵への挨拶の言葉など、すっかりと抜け落ちていた。

 伯爵がいかなる人物であるのか、その実情を告げることはなかった。

 冷ややかな美貌に隠された、その繊細過ぎる……ある意味で、シェリーナとそっくりであるその性格を。




 * * *




 あれからさらに改良を重ね、お菓子作りは完成を迎えた。

 我ながら、一から作ったにしては素晴らしい出来だと思う。

 そして、いよいよ明日。

 そのお披露目を迎えることとなった。

 そう、待ちに待ったお菓子のお披露目。

 うまくすれば、これを機に国中へ広まっていくかもしれない。

 私にとっては、自分のお祝いよりもそちらのほうが重要だ。



 だが、まずは出迎えだ。

 ついに――――父が帰ってくる。

 生まれてこのかた、父を実際に見たことはないが、母から父がどれほど素晴らしいのかという話は耳にタコが出来るほど伺っていた。

 若くして魔法防衛府副長官という地位に就き、どんな活躍をして国王陛下に勲章を頂いたか、どれほどの成果を挙げてどこの領地を頂いたか。

 自慢話と惚気話を含めて、たくさんの逸話を聞かされた。

 正直、惚気話のほうは止めてほしかったが……話をしている母が嬉しそうだったので、良しとする。

 実際にはこの五年間、放っておかれたわけだが、まあ、仕事が忙しいということだったので仕方がない。

 それに、毎年、誕生日には贈り物も頂いたし、嫌われているわけではないだろう。

 なので、私も立派だという父に相応しい娘でありたいのだ。




 夕刻、正装とまではいかないがいつもよりも上等な服に着替えて、私はそわそわしながら母と一緒に部屋で待っていた。

「失礼いたします。ご当主さまがご到着いたしました」

 執事さんの厳かな声が響いた。

「行きましょうか、シェリーナちゃん」

「はい」

 嬉しそうな母に手を引かれて、玄関まで出迎えに行く。

 玄関には屋敷中の使用人が集まっていた。

 そして、その中心には外套を羽織った見知らぬ男性。

 背中を覆うほどの長い髪は太陽の光のような金色で、他を圧倒するような鋭い瞳は蒼。


 いつか見せてもらった肖像画に描かれていた姿とまったく同じだ。


 母の手がぱっと離れて遠のく。

 ぶつかるように駆け出した母を難なく受け止め、そのまま抱擁を交わす両親。

「おかえりなさい、あなた」

「……ああ、ただいま」

 子供の前なのだが……と一瞬、遠い目になってしまったのはご愛嬌だ。


 とにかく、話に聞いた通り、父はかなりの美丈夫だったようである。

 母と同じく、四児の父には見えないな。

 一通り気が済んだのか、母は父から離れると手持ち無沙汰になっていた私のほうを見た。

「シェリーナちゃん、あなたのお父さまよ。ご挨拶して」

「っ!」

 いきなり振られて、柄にもなく緊張する。

 ダメだ……すでに心が折れそうになっている。

 胸中で深呼吸し、私は顔を上げた。

 冴え冴えとした美貌が見返してくる。

 内心の怯えを堪えつつ、私は口を開いた。



「は、はじめまして、おとうしゃま」



 その瞬間、空気が凍りついたのが分かった。

 けれど、私は私で、自分のしでかしたことに軽い恐慌状態となっていた。

 だって。


 噛んだ……。


 噛んでしまった……!

 大事な対面の場面だったというのに、とんだ失態だ。

 周りの空気、特に父の無表情……怒っているようにも見える。

 やはり、伯爵家の令嬢ともあろう者が、挨拶ごときで失敗したのはまずかったのかもしれない。

 失言などもってのほかだったに違いない。

 先ほどの決意が早くも崩れそうだ……。


 数分だったのか、数秒だったのか。

「あらあら、いつまでもそこに立っていても仕方ないでしょう。シェリーナちゃん、ここは寒いから中に入りましょうね。さ、あなたも。久しぶりの我が家ですから、くつろいでくださいな」

 ふふ、と笑いながら告げられた母の言葉に、ようやく周囲が慌しく動き出す。

 ことさら明るい声でやることを口にしながら散っていく使用人たちのことも、このときの私には見えていなかった。

 ただ、先ほどの失敗がグルグルと頭の中を巡り。

 来たときと同じように母に手を引かれ、それに従ったのも覚えてはいなかった。




 * * *




 結局、最後まで玄関に残されたのは当主と執事だった。

 控えめに、執事が主人に声をかける。

「旦那さま」

「……ああ、分かっている」

 小さく息を吐き、歩き出そうとしたそのとき。

 文字通り、声が降ってきた。


「あ、父さまだ。おかえり」

「あ、父さまだ。おかえりなさい」


 階段の踊り場から玄関を覗き込んでいた双子だった。

 アイラスとアリスタは父親よりも早く、今日の昼過ぎに学園から帰ってきていた。

 二人も帰ってきたばかりということで出迎えは免除され自分たちの部屋で休んでいたのだが、どうやら先ほどの騒がしさが気になり様子を見に来たらしい。

 愛らしい容姿はいまだ健在で、にっこりと微笑めば祝福を与える天使のようだった。


「ただいま」


 久方ぶりの再会だというのに表情を変えることなく返された言葉に、二人は声をあげて笑った。

「相変わらずのようですね」

「相変わらずみたいですね」

「まだ眠いので、お話は夕食のときに」

「まだ疲れてるので、お話は夕食のときですね」

「そうしよう」

 乗り出していた階段の手すりから身を起こすと、双子は自分たちの部屋へ戻ろうとし――――止まる。

 くるりと振り返り、再び階下を覗き込んだ。

「そうだ、父さま」

「一つ言っておくことがあったんだ」

「? なんだ」

 二人はそのそっくりな顔を見合わせて、悪戯っぽく、けれど真剣な声音で。


「「父さまであっても、シーナをいじめたら許さないよ」」


 告げる。

「それだけ」

「忘れないでね」

 言いたいことを言ってすっきりしたというよに二人は引き上げていった。

 残されたのはやはり当主と執事。

「……」

「旦那さま、お気を確かに」

「……」

 主人は身動き一つしない。

 幼少のころから現当主を見知っている執事は、ああこれはかなり動揺していると悟った。

 しかし、いつまでもここに立っていられても困るのだ。

 ゼルフォード家の優秀な執事は、申し訳なく思いながらも情け容赦なく自分の仕事を遂行した。

「旦那さま、早くお部屋へ」

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