番外 とある侍女の話<中編>
すみません、まだ書きあがらないので途中まで……。
わたしの話はさておき、お嬢さまの話をいたしましょう。
お嬢さまはお小さいときから……今もまだお小さいのですが……少し、いやかなり、変わっていらっしゃいました。
良くも悪くも。
これまで、お嬢さまには驚かされることばかりでした。
なんと言いますか、お嬢さまは本当に手のかからない赤ん坊でした。
食事や排泄など必要なとき以外はあまり泣きもせず、ひたすら眠っていらっしゃるのです。
奥さまが心配なさってお医者さまをお呼びになるくらいに。
診断したお医者さまは、身体的に特に異常があるわけではないとこのこでしたので、わたしたちはだた納得するしかなかったのです。
『寝る子は育つ』とも言いますし、そのときのわたしたちにはお医者さまの言葉を信用するしかありませんでした。
そして、先のことわざ通りになったのですが、当時のわたしたちには知るよしもありません。
ただ、眠っている時間が長いという以外は健康そのものでしたので、その後はハラハラしながらも見守ることになりました。
もう一点心配事はあったのですが、そこは奥さまの気転と不在がちなご主人さまの職業が功を奏し、一応の決着をみることとなったのです。
その後何ごともなく一歳の誕生日を迎えられるころには、どうやらお嬢さまはわたしたちの言葉をほぼ完璧に理解しているようでした。
もちろん、まだ明確な言葉を話すことはありませんでしたが、けれどこちらが話しかければ頷いたり、ときには身振りで的確な返答をいただけたりもしました。
舌ったらずな言葉で一生懸命になにかを伝えようとなさる姿。
微笑ましいを通り越して、もう悶絶ものです!
わたしたちを見上げ、ちょこんと首を傾げる。
その破壊力といったら……。
おそらく、使用人たちでその攻撃に屈しなかった者はいないでしょう。
二歳になると、早くも文字が読めるようになられました。
その年頃ならまだ人形遊びや砂遊びなどに夢中になっていてもいいはずですが、お嬢さまはひたすら本を読んでいらっしゃるのです。
そういえば、こんなことがありました。
読書が日課になっていたある日のこと。
「お嬢さま、今日はどの本をお読みになりますか?」
机に置いたのは、女の子だったらだれもが憧れるようなお姫さまと王子さまの絵本と、男の子が冒険する子供向けの小説、堅苦しい言葉で記された歴史書の三冊。
最後のはただの冗談で出してみたのですが。
「これ」
ためらいもなく指差したのは、最後の一冊でした……。
お嬢さまは目を輝かせていらっしゃいました。
嬉々として分厚い書物を胸に抱え、 頁をめくる愛くるしいお嬢さま。
わたしは呆然とその姿を眺めてしまいました。
それに気付いたお嬢さまがきょとんとわたしを見上げてきました。
「にーね? どしたの?」
「っ、いいえっ! なんでもありませんわ、お嬢さま」
ここはにこりと笑ってすぐに他の本を下げなければならなかったのに、侍女としてあるまじき失敗です。
気を引き締めねばなりません。
ちらと横目で伺うと、お嬢さまはすでに本に熱中しておられました。
文字を追うその様子から、文章の意味まで理解していることが分かります。
と、ふとお嬢さまが顔を上げてこちらを見ました。
「にーね。じしょはありませんか?」
「じしょ……あ、辞書ですか? ありますが……」
「いみがわからないたんごがあるのでしらべたいのですが」
開いた口がふさがらないというのはまさにこのことでしょうか。
とても二歳児が言うべきことではないのではないかと疑問が浮かびました。
頭が良い。賢い。
そんなありふれた言葉では表せないほどです。
黙ってしまったわたしに不安になったのでしょう。
お嬢さまは顔を曇らせてしまわれました。
「だめでしょうか?」
まるで捨てられた子犬のような様子に慌てたのはわたしのほうです。
「申し訳ありません、すぐにご用意いたしますわっ」
気を引き締めようと思っていた矢先にこの始末……まだまだわたしは未熟者だと痛感いたしました。
わたしが辞書を取りに部屋の扉へと向かったときでした。
バタンッと勢いよくそれが開かれました。
「「シーナ! いっしょに遊ぼう!」」
入ってきたのは小さな天使たち。
いえ、小悪魔でしょうか。
そのころ、兄君である二人のご子息は悪戯盛りで、日夜わたしたちを小騒ぎさせてくださいました……。
洗濯籠にカエルが入っていたことは数知れず、食器がいくつか足りないのは当たり前、綺麗に雑巾がけをしたはずの床に足跡が増えているのもいつものこと(遠い目)
それはもう……とても活発でいらっしゃいました。
「にいさま」
お二人はお嬢さまのもとへ駆け寄ると、小さな手を差し出しておっしゃいます。
「庭で珍しい蝶を見つけたんだ」
「とても綺麗な色をしているんだよ」
「「ねえ、行こうよ」」
普段は物静かなお嬢さまでしたが、どうやら好奇心は人一倍のようです。
読書がお好きなのもその好奇心が一因なのでしょう。
お嬢さまは本と兄君の顔を見比べて迷っている様子でしたので、僭越ながらそっと背中を押させていただきました。
「いってらっしゃいませ、お嬢さま。戻っていらっしゃるころには辞書をご用意しておきますので」
「んっ、ありがと、にーね」
椅子から飛び降りると、お嬢さまは兄君たちに手を引かれて出て行かれました。
天使が三人っ……!
口元に手を当て耐えていると、通りがかった先輩侍女に不信そうな目を向けられました。
おっと、いけないいけない!
なんでもないと首を振って応えると、お嬢さまご所望の品を準備するためにわたしもその部屋をあとにしました。