第六話 だいろくわとゆーやつだな、おい
「にゃにゃ!きょうは、りゅうせいぐんってやつが見れるらしいのだ!」
朝食の片付けをしているC.C.に、ヒツジみぃが言った。
ニュースで見たのだろう。
「どこで見れるかは分からんが、見に行くのだ!」
看板を差し出す。
泡の付いた手を洗い落とし、C.C.が看板を受け取ると日本語の文字が浮かぶ。
『僕が調べるから、今夜一緒に見に行こう』
「やったのだ!」
ヒツジみぃの声が台所の空気を軽くする。
「あめちゃんと、ゴロリと、ウメとトメもさそうのだよ」
携帯電話を探し始める。
指先が忙しい。
C.C.はその日の内にヘリコプタを手配した。
今日の予定は二十三時四十分に富士山の山頂で獅子座流星群を見ること。
ヘリコプタに乗ったのは三人だけだった。
ヒツジみぃ、C.C.、そしてあめちゃん。
「親子水入らずですわね!」
「みず、いらんのか?ふじさんといっても、やまなのだぞ。みぃが、ちゃんとみんなのぶんのみずをもってきたのだからなー」
「……水は、要りますわ」
『違うけど、そうだね』
山頂まで凡そ一時間。
二十三時二十八分。
C.C.の計算どおり。
降りた空気は薄く、冷たく、そして静かだった。
静か、というより、音が整理されていた。
服が擦れる音は小さくなるのに、消えない。
息を吐くと白くならないのに息がどこへ行くかが分かる。
身体の中の音だけが残る。
遠くの街の明かりは山の裾で途切れていた。
光はあるのに賑わいが無い。
人間の生活がここまで来るとただの反射になる。
明るさが届かない分、暗さが濃くなるのではなく暗さが深くなる。
ブルーシートを敷きC.C.が寝転ぶと、あめちゃんも続く。
ヒツジみぃはそこに腰掛け水筒を取り出した。
「やまではうぉーかーというものをのむとえいがでやってたのだ」
「うぉーかー?」
『ウォッカだね』
「それなのだ。にゃにゃもよくうぉーかーうぉーかーいってるのだ。みぃはみずのことだとしっとるのだぞ」
「水はウォーターですわ」
「うるさいのだな、とりあえずいっぱいきゅっといっとくのだ。ほれ」
そう言ってヒツジみぃは水筒に入った水を二人に渡した。
そして、3人で寝転び空を眺めていると──流れ星が一本、夜を裂く。
「お!?」
ヒツジみぃがそれに反応する。
すると、また流れ星が横切る。
次も、また次も…。
「おぉー!!にゃにゃ!みえとるか!?」
ヒツジみぃが立ち上がる。
「綺麗ですわー!」
あめちゃんもそれに続く。
何度も、何度も光が降る。
降るというより流れる。
細い刃が遠い場所で静かに空気を切っている。
この高さで見る光は地上のものより静かだった。
そして静かさは優しさとは違った。
音が無いから怖いのではない。
音が少ないから、何があるのかがはっきりしてしまう。
星の粒の密度、空の奥行き、隣に寝転ぶ体温。
全部が逃げ場無く、確かになる。
ヒツジみぃの指が空を指して忙しい。
あの一本と、次の一本。
数えきれないはずなのに、ヒツジみぃは数えようとする。
数えようとする姿がこの夜を思い出に変える。
ヒツジみぃもあめちゃんも興奮している。
C.C.はそれがとても嬉しかった。
日本一高い場所で、獅子座流星群を見た。
──それが、C.C.の最後の楽しい思い出になった。
帰りのヘリコプタの中。
山の冷えが身体の内側に残ったまま、街の明るさだけが近付いて来る。
突然、ヒツジみぃが胸を押さえた。
「にゃにゃ、なんかここがいたいのだ」
外から分かる異常は無い。
それでもC.C.の背筋が冷える。
こんなことは初めてだった。
近くに自分が講義をしている大学病院がある。
運転手へ指示し、救急外来には心電図とCT、採血の準備を命じる。
あめちゃんはヒツジみぃの手を握ったまま離さない。
モニタを見た瞬間、C.C.の頭は真っ白になった。
空気の変化を察し、あめちゃんが画面を覗き込む。
視線が一度走る。
必要な情報だけを抜き取る速さ。
「……主要臓器に三つ。しかも、多発。転移が疑われますわ」
肺、肝、そして心臓の周囲。
三箇所同時。
世界一の外科技術を持つC.C.でも現実的じゃない。
あめちゃんは画面から目を離さない。
離した瞬間に、これは確定になる。
そして、静かに言った。
「……ここから先は、医療の枠の中では救えませんわ」
C.C.はヒツジみぃを入院させることに決めた。
自分は家に帰る。だから、ここでヒツジみぃの様子を見ていて欲しい、とあめちゃんに伝えた。
それにあめちゃんが頷いたのを確認し、C.C.は急いでタクシーの手配をかけた。
向かったのは家ではなく、国立医学研究センターの研究室。
そこにあったのは、ヒツジみぃの姿を模した機械。
HM-1。
自動補正機能付き外科手術ロボットの試作機。
現代医学では取り除けない。
だがHM-1なら可能性がある。
C.C.の手技、ミクロン単位で追従し、迷いの揺れを消す──もう一人のC.C.だった。
完成すれば救える。
ただ一つ問題があった。
C.C.にはそのプログラムを最後まで組み切れない。
C.C.はあめちゃんに電話をかける。
「どうされましたか?ヒツジみぃさんは今、眠っています」
C.C.はコードを読み上げた。
──数字、構文、分岐、例外。
あめちゃんは突然電話の向こうから羅列される数字を聞き、それが何らかのコンピュータのプログラムであることを理解した。
終盤に差しかかったところで。
「いえ、そこは9ではなく6ですわ」
その一言で、雪崩れるように正しい形が入ってくる。
姿勢は六自由度で閉じる。
そこでズレていた。
「Thanks」
それだけ告げて、C.C.はプログラムを組み直した。
九時間後。
C.C.は病室へ現れた。
「おー!にゃにゃ、どこにいってたのだ?みぃ、しんぱいしたのだぞ」
ヒツジみぃは驚くほど元気そうに見えた。
集中治療室ではHM-1の設置が進む。
完了まで二時間。
長くて短い二時間。
だが、二時間経っても連絡は来ない。
あめちゃんが様子を見に出て行った、その時。
「にゃにゃ、またここがいたくなってきたのだ」
C.C.が両手で押さえる。
「……お?にゃにゃがさわってると、いたくなくなってきたのだ!」
そう言って、ヒツジみぃは驚く。
「ほら!みぃ、げんきなのだ!」
飛び跳ねる。
笑う。
そして言う。
「にゃにゃ、すごいのだなー。まほうつかいみたいなのだなー」
だが、C.C.は知っていた。
それが嘘だと。
あめちゃんが見抜いたのは多発転移。
しかしC.C.は、その陰に心筋梗塞の兆候が混ざっていることを見抜いていた。
心電図の波形が、静かに崩れている。
──三大痛。
我慢など不可能な痛み。
ヒツジみぃはそれを抱えたまま、C.C.を元気付けようとしている。
C.C.は看板を出す。
『元気になって良かったよ』
「にゃにゃ、きょうはなにをしてあそぶのだ?どこにいくのだ?」
『今日はマウスーランドに行こうか?』
「おぉ!みぃもいきたいのだ!いっしょにつれてってほしいのだ!」
『もちろん。みぃが行かないなら、僕も行かないよ。だから一緒に行こう』
「まえみたいに、やこうばすってやつでいくのだ。たのしかったのだからなー」
言い終える前に、咳き込んだ。
泡を含んだ赤い血。
時間が無い。
その時、院内アナウンスが響く。
「準備が出来ましたわ!!!」
手術室の空気は、音を吸う。
人が多いほど静かになる。
そういう静けさだった。
C.C.はHM-1の前に立ち、迷い無くスイッチを押した。
機械が起動し低い駆動音が床を伝う。
その音は大きくないのに、手術室の重心がそれに寄る。
全員の神経が同じ一点へ集まる。
「スタートシテクダサイ」
金属の声が事務的に言う。
麻酔で眠ったヒツジみぃの顔をC.C.は一瞬だけ見つめる。
次の瞬間、HM-1のアームがメスを取り上げた。
C.C.もメスを手に取り、腹部を切開する。
滑らか過ぎる動きに周囲の外科医達が息を飲む。
吸引の音、モニタの電子音、器具が金属トレイに触れる乾いた音。
全部が一定のリズムで、いつも通りを演じている。
──だが。
腹腔内を確認した瞬間、空気が変わった。
今度は恐怖の方へ。
最初に変わったのは、声ではなく目だった。
覗き込む角度が固まる。
C.C.の手が止まる。
沈黙に耐えられなかった誰かが、言ってはいけない言葉を言ってしまう。
「……嘘だろ」
堰が切れると早い。
専門家の声が続く。
「腹膜……全体が硬い。癒着じゃない、これは……」
声は小さいのに、内容が大き過ぎる。
「転移の範囲が想定を超えてる」
その瞬間、ガラス越しに上から見ていたあめちゃんが叫ぶ。
「……嘘ですわ……!」
叫びが熱い。
熱いのに、誰も温まらない。
熱は救いにならないと、ここでは全員が知っている。
HM-1が警告音を鳴らした。
「シュジュツフカノウ、シュジュツフカノウ」
機械の声は感情が無い分、正確だった。
正確だから言い逃れが出来無い。
「心臓、肺、肝臓だけじゃない……!」
誰かが震える声で言う。
「大腸も小腸も……内臓すべてに転移している!」
別の医師が言葉の順番を間違えたまま吐き出す。
「血流も……心臓への血流が詰まってる。心筋梗塞の疑いもある」
誰かが理屈で逃げようとして、理屈の地獄を開ける。
「仮に全員でやるなら、内臓を一時的に全て体外へ出すしか……」
直ぐに別の声が叩き落とす。
「そんなことが出来る訳ないだろ!どうすれば良い!?」
叫びが上がる。
叫びは人間の音だ。
けれど、ここでは人間であることが何の武器にもならない。
それでもC.C.は叫ばない。
ガラスの向こうで、あめちゃんの声が鋭く落ちた。
「……ここから先は、不可能の領域ですわ」
C.C.は静かに切開部を縫合し、何も言わずヒツジみぃと共に集中治療室を出ていく。
取り残された手術室に、機械の声だけが残った。
「シュジュツフカノウ、シュジュツフカノウ……」




