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第四話 だいよんわなのだぞ

 翌日。

 私はギャラガー氏と共に、ニューヨーク行きの飛行機に乗っていた。


 機内の空気は乾いている。

 乾きが喉に引っかかり言葉が短くなる。

 窓の外は白い雲で、白さが続くと距離感が壊れる。

 私は目を閉じても地下の濃い青が残っていた。


 ギャラガー氏は超寿命問題を語った。

 議論ではなく祈りに近い口振りで。

 どれだけ救えても、救いきれない何かが残る、と言っているように聴こえた。

 私は相槌を打つタイミングを間違えないように、彼の声の高さだけを追った。

 内容を追うと胸が詰まる。

「なぜ医者になったんですか?」

 そう問うと、彼は少しだけ笑って短く答えた。

「昔、Dr.C.C.に命を救われたんだ」

 言葉の短さが、逆に重い。

 今は知らなくても良いことがある。

 私はその言葉を胸の奥に仕舞った。

 掘り返すには、未だ私の心が整っていない。


 ニューヨークに着くと運転手が待っていた。

 黒いスーツ、白いシャツ、ネクタイの結び目の高さまで整っている。

 こちらの名前を確認する前に既に荷物へ手を伸ばしている。

 手続きが省略される度に私は自分の輪郭が薄くなっていく気がした。


 ホテルは豪華だった。

 豪華というより──間違いが存在しない。

 フロントでのやりとりが短い。

 短過ぎる。

 鍵は既に用意されている。

 カードキーが私の指に収まる。

 まるで到着が手続きでは無く──予定の一部だったみたいに。

 ギャラガー氏が運転手に訊ねる。

「明日は何時に迎えに来るんだい?」

「十五時に、と伺っております」

「十五時か……」

 その声の含み。

 彼は顔を動かさず視線だけを私に寄こした。

 目だけが笑っていない。

 私は気付かない振りをする。

「こんな豪華なホテルに泊まるのは初めてです」

「ああ、そうだろうと思うよ」

 それでも堪えきれず聞いた。

「……あめちゃんにアポイントは?今日ですか?明日ですか?」

「いや、取ってない」

「……は?」

 ロビーの視線が刺さる。

 人の視線ではない。

 空間そのものの視線だ。

 声を落とす。

「アポイントも取らずに大陸横断って、正気ですか」

 ギャラガー氏は右手を上げ、私の言葉を止めた。

 指先だけの制止でこちらの勢いが止まる。慣れだ。

「大丈夫。歓迎されているよ」

「歓迎?誰に?」

「あめちゃんにさ」

「だから、連絡してないんですよね?」

「ああ。連絡もしてない」

「じゃあ、なぜそう言えるんです」

「私じゃない。このホテルさ」

「ホテル?何を──」

 言い切る前に言葉が落ちた。

「運転手を用意して、このホテルを取ったのは──あめちゃんだよ」


 連絡もしていない人物が……どうして?

 チェックアウトが『十五時』なのは、どうして?

 疑問が重なって頭の中で渦になる。

 渦は静かだ。

 静かなまま息が詰まる。

 その渦へ割り込むように声が落ちてきた──


「それについての答えは面倒なので答えません。適応してほしいですわ」


 反射で振り向く。

 そこにいた。

 写真よりもずっと『決定』に近い。

 背筋は伸びているのに力が入っていない。

 立っているだけで周囲の姿勢が揃っていく。

 視線が一度こちらに触れた瞬間、空間の密度が変わった気がした。

 香水ではない。

 気配そのものが場を調律する。

「明日の十五時にロビーで待っています。大丈夫。私はお父様のように逃げたりしませんから」

 『逃げる』という言葉の軽さが逆に刺さる。

 父親をそう呼べる距離にいる人間の声だ。

「折角来てくださったのだから楽しみましょう。ただ、答えだけ先にお伝えしておきますわ」

 彼女は私を見る。

 見ているのに、見抜いている感じがした。

 視線が網になる。

 そこから逃げるほど絡め取られる。


「──HM-1の正式名称は?」

「HM-1……?」

「違います」

 ほぼ同時に発声している。

 私の口に反射の答えが浮かぶ。

「Human Medical No.1……ではないんですか?」

 あめちゃんは答えない。

 代わりにカウントダウンを始めた。

「七……六……」

 彼女の声は一定で、数字だけが落ちて来る。

 周囲の音が薄くなり数字の輪郭だけが濃くなる。

「四……三……」

 頭の奥で何かが引き出される。

 思い出ではない。

 知識でもない。

 最初から入っていたのに、鍵が掛かっていた箱が開く感覚。

「二……一……」

 頭の奥に沈んでいた別の綴りを私は掴み上げる。

 存在しないはずなのに、最初から知っていた気がする綴り──


「……Hitsuzi Miiヒツジみぃ……」


 あめちゃんはほんの少しだけ口角を上げる。笑顔ではない。

 正解を確認するための最小限の動き。

「正解ですわ」

 その瞬間、豪華なロビーが別の場所に見えた。

 ホテルではない。待合室でもない。

 何かが始まる前の──舞台だった。

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