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第7話「資格の審問と選択」

天井から下がるガラスのシャンデリアが、風もないのに微かに揺れた。耳で聞けば〈あなたに資格はあるのか〉という文が、細かく砕けて瞬いているみたいだった。波と踊りが同じ呼吸をすると、この街全体はひとつの文になる――今日は、その文を誰かが書き換えようとしている。


「匂いが変わった」ネレイアが欄干に手を置く。掌にうっすら塩分が立っては消えた。「嫉妬はしょっぱい。でも今のはガラスの味。舌が切れる感じ」


「ガラスは、規則をいちばんよく反射する」ルシが低い喉で答える。首のリングがかすかに瞬いた。「彼らが問うのは感情じゃなく、文法。〈資格〉って言葉で、物語を裁断したいのよ」


俺は、グラスみたいに薄い呼吸を長く吐いた。「その語は、今日は使わない。俺たちが使う言葉はひとつ――契約。まず行為を見せて、それから文を載せる。ジョラ、敷居だ」


ジョラは革盾をひっくり返して床に伏せ、縁の内側に引いたチョークの線を二指ぶんだけ前へ延ばす。「高さゼロ、標識ひとつ。越える者は、自分で止まる」


「ロウェル、反射角」俺は指でシャンデリアを示した。


ロウェルは二歩さがり、レイピアの峰を上に向ける。「この角度なら、破片は舞台側に落ちません。階段の手すりも……少しだけ、下げます」片手で手すりのクリスタル飾りをそっと回すと、照度が変わった。舞踏会の肌が、ワントーン落ちる。


その時、階段上のバルコニーで、紅のベルベットが波のように折れた。アンナが剣の切っ先だけ見せ、下を見おろす。喉元には薄い鏡片が蓮みたいに開く首飾り。光がまっすぐ、こちらへ返ってくる。ガラスの質問が顔に触れた。


「皆さん」彼女が笑う。笑みは長かった。「この街は昔から、『名前』ではなく『足』で証明してきました。今日はそこに、ひとつ足しましょう。――資格を見せて。招かれた理由、選ばれた根拠、ここに立つ権利」


肩が先にびくりとした。誰も呼んではいけない名を呼ばないよう訓練された足首たち。その足首が、今度は〈資格〉という見えない紐に引かれる。布のバンドが一斉に緊張するのが見えた。


「言葉を替えていいか」俺は見上げて言う。「資格じゃなく、証言で」


アンナは首を傾げる。「証言は前季の言語です。今はもっと正確な刃が要る」


「角を替えれば、刃も丸くなる」ジョラが盾を肩まで上げ直す。「人を斬らずに、道だけ切り替えることもできる」


ネレイアが一歩、前へ。深海のドレスの裾で、波みたいな光が膨らんでは沈む。「私はネレイア。海はいつも所有しようとして、私もその法で育った。でも今日は――手放してみる」


アンナの眉がわずかに動く。「手放す? 誰を」


「彼の選択」ネレイアは振り返らない。「王子を私に縛る紐は、海じゃなくて人が握ってる。私は、その手を信じて放す」


俺の隣で、ロウェルが小さく息を吸った。シャンデリアと階段の間で、彼自身への質問が肩にのしかかるのを、俺は目で見た。


「ロウェル」低く呼ぶ。


彼は半拍遅れて俺を見る。俺は手首のコデックスに親指で小さな円――〈行為が先〉。彼は、微かに頷いた。


「王子」アンナが語尾を少し伸ばす。「あなたの資格はどこから? 勇気? 血筋? それとも、選ぶのが怖い心から?」


ロウェルは階段のいちばん下に立った。レイピアが腰から離れ、空気を一度だけ切って止まる。彼は、しゃべり出した。今まで聞いたどの彼の言葉より長く、迷いが少なかった。


「僕は……ずっと、誰かが決めた席に座ってきました。失敗しても傷が浅いと信じて。でもその信仰が、僕を、この街を余計に傷つけていたと知った。僕は王子だからじゃない。今日この港を通る一人だから、門を開けます。誰かが開けてくれるのを待たず、自分の手で」


彼は剣を下ろし、欄干のレバーを両手で掴んだ。最初は動かない。下からの逆流がレバーを押し上げる。背後でジョラが盾を傾け、水流をそっと切り替えた。レバーが手のひらの肉を削るみたいに、ゆっくり下りていく。


「僕は……舞踏会で踊りは上手くない。でも門は開けられる。それが今夜、僕の唯一の資格だとしたら――それで十分です」


アンナの口角が、さらに微かに上がる。「いいですね。ひとつ合格。ですが、あなた一人の話ではない。隣の契約家は? 名前を隠し、規則を持ち歩く男」


彼女の視線が、俺の心臓の高さに刺さった。やわらかい切っ先みたいな目だ。


「俺はスパイン」本名は言わない。「ここでは、名より敷居が先だ。俺は、この街が自分で止まれるようラインを引く者。そして――そのラインの上で、合意された言葉だけを使う者」


「合意、ね」アンナは首飾りの鏡片をひとつつまみ、そっと裏返す。返り光が俺の目に当たり、短い眩暈が揺らした。「じゃあ問うわ。嫉妬は? 誰かを持ちたい感情は、どこへ置く? あなたたちは綺麗な言葉で包んで、逃げるの?」


ルシが俺より先に受けた。声は昨日より半音低い。「逃げません。嫉妬は感情。感情は、許しとケアがなければ人を切る。だから文を作る。あなたの欲しいもの、私の欲しいもの、支払う代価――全部、書く。喧嘩じゃなくて契約で」


アンナが僅かにうなずく。「代価。じゃあ、魔女。今日あなたが払った代価は?」


ルシは首のリングを親指でトン。「ラをひとつ。昨日、もう払ったから。今日は節約。代わりに呼吸を分けた。私が傷つかないよう、彼が私の呼吸の拍を取ってくれる。これも契約。片務じゃない、一緒に使う声」


アンナの視線が、俺のコデックスをかすめた。〈どこまで知り、どこまで払うつもりか〉を天秤にかける目。彼女は再び欄干に手を置き、身を少し前へ。


「いいわ。今夜は尋問会を開きます。ガラスの質問に、皆さんの足と声で答えて。――〈私はなぜここに立っているのか〉。感情じゃなく、行為で」


彼女が切っ先を返すと、シャンデリアが大きく鳴った。ガラスが互いに触れ合い、同じ文を何千回も囁く。「あなたに資格は? あなたは、あなたは――」


人々が止まった。止まらないと倒れそうで、止まった停止。俺は盾縁のチョーク線をつま先でそっと押す。ジョラが目で問う。俺は首を振る。「そのまま。人は自分で止まる。俺たちの仕事は、止まった人が倒れないよう、ラインを見せること」


ネレイアが、もう一歩出る。手首の珊瑚のブレスレットを外して握り、バルコニーを見上げた。「アンナ」


「はい」上から、ひとつひとつ噛んだ返事。


「私は、あなたが嫌いじゃない」ネレイアは言う。「あなたの言葉は鋭くて、その言葉で自分も切る人。それでも前に出て、顔を見せる。ガラスは、あなたに似合う」


アンナの目尻が、わずかにやわらいだ。褒められ慣れていない人の顔。「その褒め言葉は、鞘のない剣みたいに危険」


「だから鞘を作りに来た」ネレイアは珊瑚を握りしめる。「私は今日、ひとりを放す。その代わり、海を守れる文が欲しい。――〈愛は所有じゃない。選択の尊重〉。その文、あなたも今日だけ借りてくれる?」


アンナは少し長く黙った。バルコニーの奥で、ラキナが一歩さがる影が見えた。キュレーターの競売人は、場が〈展示〉から〈ライブ〉に転じる瞬間を、誰より早く嗅ぎ分ける。今まさに、その瞬間。


「借ります」やがてアンナ。「借りた分は、返し方を探す。だから、もうひとつ問う。あなたが放した彼が――あなたを選ばなかったら?」


ネレイアは笑った。海みたいに浅く、夜みたいに深い笑い。「そしたら、私の海は広くなる。守る水路が増えるから」


ちょうどその時、ロウェルがレバーから手を離した。水門が半分開き、港の水路が入れ替わる。階段へ押し寄せていたガラスの微振動が、静かに向きを変えた。シャンデリアの揺れも、次第に収まっていく。


アンナは視線を外し、言った。「今日はここまで。尋問はいったん保留。代わりに、証言を受けましょう。――〈人を斬らない方法〉について」


人々がゆっくり息を吐く。止まっていた足首が、その場で小さな円を描いた。泣きそうな顔で笑った者もいる。俺たちが触れたのは、ほんの数行の文にすぎないのに、街は大手術を終えたみたいに長く息を吐いた。


俺はネレイアを見る。彼女は俺の視線を受け、握っていた珊瑚のブレスレットを俺の掌に置いた。「これは……契約の証。今日の文を、あなたが覚えられるように」


「ブレスレットを渡すと、君の手首は空くよ」俺は言う。「それでいいのか」


「空いてるから、誰かの手が入る」ネレイアは肩をすくめた。「それがいつ、誰かは――私にも分からない。だから面白い」


ルシが静かに咳をした。目で話す咳だ。俺は頷く。「今日はここまで。君のラは温存だ」


「うん」ルシは短く笑う。「代わりに、別の音を探す。夜は静かな音節がいい」


ジョラが盾を畳み、こちらへ向けて言う。「敷居は回収。線は置いていく。夜通し、転ばないように」


「助かる」俺は答える。「線は、体が覚える。明日の朝には、足のほうが先に思い出す」


バルコニーのアンナは、しばらく俺たちを見下ろしていたが、最後にひとことを落とした。「王子」


ロウェルが顔を上げる。


「次は踊りも――門を開けるみたいにすればいい」アンナは笑った。「誰かの足を待たないで。先に手を差し出すの」


彼女が消えると、シャンデリアはもう質問をしなかった。今夜の尋問は選択へ、ガラスの刃は文へと丸くなった。


夜市の角で、灯台守ミレイユが最後のパンを窯の上へ。塩キャラメルのパンは、砂糖がまだ固まりきらず、灯りをぼんやり返す。俺たちは海茶と一緒に分けた。ネレイアは気をつけて一切れをちぎり、舌先に載せる。


「嫉妬のあとに来る味」彼女が言う。「甘くて、香ばしくて、舌に長く残る」


「忘れないよう、記録しておく」俺はメモを開いて、閉じた。――今日は紙に書かないことにする。今、残すべきは紙より息だと思ったからだ。


ロウェルがカップを持ち、俺を見る。「今日……僕が門を開けたのは、誰かに言われたからじゃなく、僕の選択でした。それを――記録に、残してもらえますか」


「残す」俺は海茶を一口。「そして明日、その記録を証言に変えよう。儀式には、証言が要る」


ルシはカップに唇を当てたまま目を閉じる。「明日なら、ラをもうひとつ使えるかも。惜しみすぎると、音も固まる」


「なら明日は、君の音を俺たちで受ける」ネレイアが言う。「分けて持ち、分けて使う」


俺は頷いた。――今日は、街が〈資格〉の刃をいっとき置いた。明日は、〈愛〉を契約に書き換える日だ。その時までに――砂糖が固まるように、俺たちの言葉の表面も固くなれ。明日、刃を当てても崩れないように。









――ブリーダーカット:塩キャラメルパン

バター60g/黒糖40g/塩ひとつまみ。焼き上がりのパン表面へ温かいうちに塗る。

コツ:甘さのあと味に塩0.5gを。嫉妬の澱を覆い、明日の契約のために、今は一切れずつ。

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