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第21話「月光の森のループ」— 四日目・扉の前の告白

明け方の森は、昨日と寸分違わぬ顔をしていた。けれど、僕らが引いておいた蝋の印は半分ほど消えている。樹液が上がって樹皮を覆った跡だ。昨日という一日が、木々にとっては「覚えてもいい出来事」ではなかったということらしい。


「こっちの標は生きてる」ジョラが手袋の先で一本の線を示す。薄い塩の粉が樹液に混じり、銀色にきらめいていた。「最後にまいたあれ、効くね」

「海で覚えた手だよ」僕はうなずく。「甘さより塩気の方が長持ちする」


ルシは喉をひと口湿らせた。薄い息が前髪を揺らす。「今日は――言葉、節約していい。必要なら――」

「いや」ロウェルがやわらかく遮る。「君の喉は僕らで守る。昨日のように」


僕らは昨日の足跡をなぞり、森の奥へ入っていった。低くかかった陽に影が長く伸びる。空気は昨日より冷たい。濡れた土の匂い、腐葉の匂い、そして――毛の匂い。


彼が道を塞いだ時、誰も驚かなかった。飢えた咆哮の代わりに、低く敷かれた呼吸。瞳に銀が乗る。狼は僕らを一人ずつ数えるように眺め、最後に僕の目で止まった。


「今日は名は問わない」彼は人語で、けれど喉の奥から鳴る声で言った。「代わりに、何を隠しているかを問う。この森は『隠すもの』に道を閉ざす」


「私たちが隠してるのは、秘密というより傷に近い」ルシが慎重に口を開く。「傷は、誰にでも見せるものじゃない」

「ならば、見せる相手を選ぶこと自体が試験だ」狼の尾が土を払った。「盲信を止め、合意された信頼だけを通す――それが俺の役目だ」


ジョラと目が合う。彼女は盾を落とし、浅くうなずいた。〈話していい〉の合図だ。

「なら手続きを変えよう」僕は言った。「僕らが先に一つずつ話す。自分に不利になり得る真実を。その代わり、あなたもこの森の真実を一つ差し出してくれ。今日は取引にしよう」


狼の髭が微かに震えた。同意か嘲りかは読めない。だが彼は退かなかった。


まず、僕が口を開く。「僕は誰かの名前を失った。古い名前だ。ある日、引っかかるように抜け落ちた。それ以来『ラ』という音節を口にするたび、空白ができる。その空白を埋めたいがために仕事を選んでいる――それを認める」


狼の耳先が動く。ロウェルが僕の隣で息を整え、次を受けた。

「僕は間違うことがいつも怖い」彼はコートを合わせ、苦笑する。「宮廷では恐れを出すと卑怯に見えた。だからしばしば遅れた。今日は遅れない。間違っても先に行く。だが――止まれと言われたら止まる。それが合意なら」


ジョラは盾紐をもう一度締めた。「私は水の音が嫌いだ。昔……ひとりを取り落とした。だから水が聞こえると、もっと強く前へ出る。今日もそうする。代わりに、後ろに残る者はあなたたちが掴め。私は前を開く」


ルシは手を喉に置き、ゆっくり下ろした。「私の声は術式の器だ。使い過ぎれば割れ、戻すには時間が要る。その事実を隠そうとした。今日は隠さない。必要な時だけ、合意して、分けて使う」


狼は僕らが切ったカードを一枚ずつ確かめるように首を傾げた。松の枝から金属めいた音が零れる。彼が口を開く。


「よかろう。俺の番だ。お前たちの探す『祖母』は死んでいない。ただこの森の約束に縛られ、扉の内側で待っている。その扉に刀も火も効かぬ。唯一開くもの――言葉の向きだ。嘘ではない。だが相手を打ち倒すための真実でもない。自分に不利な事実を自分の口で告白する言葉。扉はその告白を聴き、裁く」


「自己破壊的な告白は嫌い」ルシが低く言う。「それは森の望みか、誰かの作り事か」

「告白の向きは、お前たち自身と、お前たちの合意に向けられる」狼は首を振る。「観客も、拍手もない。この扉から外へ漏れることはない。ただ、もう一ついる。扉は常に五つの告白で開くが、お前たちは四つを携えてきた」


「五つ……」僕は周りを見る。僕、ロウェル、ジョラ、ルシ。そして――森の縁に赤い標。昨日見つけて見過ごした少女が木の陰から一歩出る。フードの先から雫がぽとり。目は鳥に似ていた。警戒と好奇心、そしてごく薄い罪悪。


「昨日、私を見過ごしましたね」少女が言う。声は細いがはっきりしていた。「私が先に合言葉を言ってしまった。あなたたちが『敵の言葉』を口にしないようにって。でも……道を売ったんです」


森がひと筋、少しだけ深くなる。ジョラの盾の角度が変わり、ロウェルの指先が止まる。ルシが短く息を吐いた。僕は少女を見た。彼女は言い換えない。飾りもしない。


「誰に」僕は訊く。

「道に迷った人たちに。暖かいコートと交換で。森が寒すぎたから」少女はフードの縁を握る。「彼らの意図が悪いと知ってました。いいえ、あまり悪くないと願ってた。だから……私の告白は――自分のために他人を危険に晒した。戻せるなら戻したい。でも無理なら、扉の前に私が立ちます。石が飛ぶなら、先に私が受けます」


狼が音もなく僕らを掃く。僕は少女へ歩み寄った。近くで嗅ぐ匂いは、濡れたウール、乾いた薬草、古いジャム。

「君が空席を埋めるのが正しい」僕は言った。「けれど石は一緒に受けよう。僕らは合意で動く。嫌ならやめていい」

少女は首を振る。「嫌じゃない。誰かが代わりにやってくれたら、私はまた売る。私が止まらなきゃ」


その答えには大人の文が宿っていた。僕は手を差し出す。少女の手は小さく冷たい。

「じゃあ合意しよう」僕はゆっくり言う。「扉の前でそれぞれ自分の言葉を言う。君は僕らの後ろには隠れない。僕らは君を盾にしない。そして――誰かが止まれと言えば止まり、嫌だと言えば退く」


「足りない分は僕が埋める」ロウェルが添える。「間違う怖さを、扉の前で真っ先に出す」

「私は盾を下げる。だが全ては下ろさない」ジョラが少女にうなずく。「扉が開いたら道は私の責任。閉じたら私たち全員の選択」

「私は喉を惜しむ。でも必要なら使う」ルシが微笑む。「その時は**『もういい』って君が言って**。私は術にのめり、止まるのを忘れることがある」


狼はそれ以上言わず、僕らを扉へ導いた。森のものとは思えない質――木のようで木ではなく、金属のようで重さが違う表面。幾千の擦り傷のあいだを月光が糸のように染み渡る。


僕らは一列に立った。少女が中央、僕が左、ルシが右。ロウェルとジョラは後ろで息を合わせる。風が一度向きを替えた。狼が脇へ退く。


「扉が問う」彼が最後に言う。「お前たちは誰の言葉でお前たちを定義する?」


まず少女が半歩進んだ。震える声、明瞭な語。

「私は道を売った。今日はその代価を払いに来た。誰が私を赦してもしなくても、私は二度と道を売らない。代わりに、私が見つけた道を分ける。寒い時は一緒に被れるように」


扉の表面の擦り傷が、とてもゆっくり向きを変えた。次はロウェル。

「僕はいつも誰かの顔色を見て後ろにいた。今日は前に立つ。けれど、君が止まれと言えば止まる」彼は少女の肩の後ろに手を伸ばし、空中で止めた。「守る手が枷になることがあるのを知ってる。嫌なら言って」

少女が小さく笑う。「大丈夫。少しだけ」


ジョラが盾を半ば立てる。「私は失敗した日を忘れていない。その記憶で今日を動かす。水が打てば前へ出る。後ろはあなたたちが掴め。それを分け合えるなら、この盾は道を開くために使う」


ルシは喉から手を離した。「私は声を失うのが怖くて言葉を飲み込んだ。今日は飲み込まない。代わりに、最後まで呼び続けない。君が首を振った瞬間、止める。呪文よりあなたたちが大事」


四つの告白が扉を叩く間、僕は自分の番を遅らせた。最後は僕がやるべきだ。僕は時間のかかる文を選ぶ。稲妻のように打ち下ろす言葉には、この扉は易々とは反応しない気がした。


「僕は誰かの名を忘れ、その空白を消すためにここを回る者だ。認める」息を整え、続けた。「その名を取り戻すことが、今隣にいる誰かを失わせる取引だというなら――僕は手放す。僕の記憶より、僕らが大切だ。これは宣言だ」


擦り傷たちがいっせいに顔を上げた。月光がひとつ瞬く。森の音が一瞬沈み、戻る。扉が、人がうなずくみたいに、ごく小さく揺れた。


狼が黒い鼻先で空気を嗅ぎ、低く言う。「十分だ」


僕らは息を吸い込まなかった。代わりに、吸いかけの息をゆっくり降ろす。扉は力を誇示しない。轟音も、閃光もない。ただ内と外の気圧を合わせるみたいに、なめらかに隙を生んだ。その隙から温かい匂いが流れ出す。乾いた花、古いビスケット、陽の差す部屋の匂い。


少女が顔を上げ、暗がりを見る。「おばあちゃん……?」


返事はなかった。代わりに、部屋の中から足音がゆっくり近づいてくる。板の間が規則正しく鳴る。床を突く杖の鈍い音、低く確かな呼吸。狼がその音に頭を垂れた。僕は先ほどの宣言を心の中で、もう一度だけ繰り返す。


扉がさらに開いた。光が僕らの顔を一人ずつ撫でていく。暗がりからひとりの人が出た。少女と同じ目、同じ顎、より深い皺と固い口角。彼女は僕らをぐるりと見て、最後に少女を抱きしめる。


「遅かったね」その声は月明かりの下でも温かい。「道を売ったって? なら、これからは道を守ればいい」


少女が泣きそうに笑った。僕は敷居の前で一瞬、足を止めた。振り返ると、狼が頷きも首振りもせず、僕らを見ている。彼の目には警戒よりも安堵が多かった。


「管理を続けて」僕は低く言う。「僕らは合意で動く」


狼は鼻先をひとつ上げた。ここでの「わかった」がその仕草だと、今はもう分かる。


僕らは敷居を越えた。扉は背後で閉じなかった。閉めるかどうかは僕ら次第だと言わんばかりに、開いたまま僕らの背を見守っていた。温かい部屋の空気が肩を覆う。そして――森は、まるで最初から何もなかったように、静かに僕らの後ろで息を整えていた。

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