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第14話「自尊の踊り」

陽が傾くと、ガラスのホールの床が夕光を抱いた。昼のあいだ階段に残しておいた足跡の文が、うっすらと息を吹き返す。背を返した人たちの椅子の背には小さな灯がまだついていて、風がその灯を揺らすたびに、ホールの温度がほんの少し上下した。舞踏会は、始まる直前だった。


管理官が中央に立つ。今日も彼は名ではなく足を見た。

「手続きは簡単です。二人が互いを見て一つの文を交わし、最初の一歩を踏み出したら踊りが始まります。途中で止まりたくなったら、その場で手を挙げてください。挙げた手は尊重されます。代行署名、本日に限り禁止」


ルシがこちらを振り向く。

「準備はいい?」

「少し足りないくらいで」僕は肩を回した。「そのほうが止まるをよく見せられる」

「いいわ。今日の目的は自尊だもの」彼女は腰の後ろへ鏡を差し込む。反射した灯りが、彼女の喉の線を軽く流れた。


ラクイナは欄干にもたれていた。ヴェールの下の目元は、踊りのリズムより取引のリズムをよく覚えている目だ。彼女のそばには白手袋の従者が、薄いラベルとペンを手に立っている。ラベルには**「臨時同伴代理」と印字。僕はその字を見た瞬間、昨夜の宣言文**がいっそうはっきりと立ち上がった。代わりはない。足は各自のもの。


床がごく薄く冷える。ホールの反対側で白い息が立った。真冬の吐息のような冷気が、階段の下から這い上がってくる。雪女――ユキオンナだ。彼女はガラスの欄干を指先でなぞり、ホールに一筋のひびを引いた。

「温もりを証明して」彼女は言う。「資格は旗じゃない、体温よ」


ルシが一歩前に出た。

「体温を強いはしない。けれど、分かち合うことはできる。問いでね」

そして僕を見る。

「今、私と一曲始めてもいい?」

「うん」僕は頷く。「速度はゆっくり、距離は君の手が届くだけ」

「嫌になったらすぐ止める」

「止めようと言ったら止める」


僕らは互いに三行確認し、指先だけでつながった。ネレイアが欄干で手をひらく。許可を問う合図。海風がホールへ入り、ガラスの上へ霧を薄く敷いた。ロウェルはシャンデリアの角度を一分だけ落とし、足跡が通る道だけを明るく浮かび上がらせた。


音楽が始まると、ルシが僕の手首で脈を押さえた。

「速さは大丈夫?」

「今日はこれくらいがいい」

僕らは大きくカーブを描く。初回転で、僕はわざと重心の移動を半拍遅らせた。止まるを見せるための遅延だ。ルシはすぐに合図を出し、僕らは半拍の休符。止まった場所は空白ではなく文だった。管理官が静かに頷く。


ジョラはホールの反対側で相手を見つけた。肩をすくめた港の作業服の女性だ。

「敷居は俺が下げる」ジョラが盾を肘の高さに持ち上げる。「背中に丸い壁一つ、自分のものとして使って」

彼女が笑う。「失敗したら――」

「俺が先に止まる」

彼らは歩きから踊りへ、自然に移っていく。回転のたびにジョラは盾で小さな影を作り、彼女の足元へ置いてやる。敷居が見えるように、転ばないように。彼女は二度止まり、二度笑ってまた始めた。


ユキオンナは僕ら二人の距離を目で測った。

「温もりは人を傷つけることもある」

「だから尋ねるの」ルシが答える。「今、ここ、これだけで大丈夫かって」

雪女の指先が僕の手首へ近づく。傷のような冷たさが触れるのを待って――彼女は止まった。僕はそっと手を返し、手の甲を見せる。拒みでも許しでもない、選択の位置。彼女は軽く笑って手を引いた。

「それも温もりね。触れない権利を認める温もり」


ラクイナがその間を滑り込む。ヴェールが踊りの風に乗って揺れる。

「臨時同伴代理権、一曲限定。忙しい方、迷っている方、速度を失わないようお手伝いします」

従者がラベルを掲げる。いくつかの視線が向き、逡巡がガラスのように光った。


僕は回転を止め、ラクイナへ向き直る。

「速度を失わないために誰かの足を借りるのは踊りじゃない。運搬だ」

「世の中は運搬でも回るわ」

「じゃあ今夜だけは世の中じゃなく人で回して」ルシが継ぐ。「代わりじゃなく、見守る同伴者なら招ける。水を手渡し、コートをかける位置。ただし足は踏まないこと」


管理官がすぐ規則を添える。

「本日の見守る同伴者は床の外郭線にのみ立てます。足が境界を踏んだ瞬間、その役目は無効」


ラクイナは肩をすくめる。

「市場価値は落ちるけれど、絵は綺麗ね。良い選択」

彼女はヴェールを整え、後ろへ退いた。白手袋はラベルを畳んでしまう。


ロウェルがそっとささやく。

「角度、もう少し変えても?」

「舞台の向こうまで照らしたいなら」僕。

「人が自分を映せるように」

彼はシャンデリアを三度だけひねった。光がホールの内側から外へ広がり、観る側の顔を長くなぞる。無意識に互いを見ていた顔が、ゆっくりと微笑みを返し始める。光は踊る人だけでなく、立ち止まる人も照らした。


音楽が二曲目へ移る。ユキオンナは、僕らが作った休符の拍を熱心に聴いていた。

「もう一回試験を」彼女が手を上げる。床が少し滑る。霜は降りないが、足首が一瞬たじろぐくらい。

「倒れそうになったら?」

「止まる」僕が答え、ルシも同時に頷く。僕らはほとんど同時に止まった。同時に止まると、寒気の座がなくなる。雪女は静かに笑い、床の滑りを引っ込めた。

「合格。今日は氷より息が多い」


ジョラの相手は、いつのまにか三度目の停止をしていた。彼女は呼吸を整え、言う。

「こういうのなら、自分の速度を失わずにいられそう」

「君が決める」ジョラは手を差し出す。「速く行きたいなら俺の肩、ゆっくりなら手首を」

彼女は手首を取った。二人は笑い、また半円を描く。盾はずっと丸く、その丸い影の中で彼女の足は楽になった。


ネレイアは縁で水を極薄く動かしていた。すぐ乾くほどに。踊りをやめた人がその水面を踏むたび、体温がわずかに残る。その熱が線となって、床にぼんやりした文を結んだ。「私は自分の足で立つ」、「止まればその場所も私だ」――そんな意味の線だ。


ラクイナは僕らを観察しながら、指で三拍目を軽く数える。

「じゃあ私は次の頁を読む。踊りは綺麗、でも街は計算をやめない」

言い終わるころ、欄干上の回廊から誰かがガラス片の籠を抱えて駆け降りてきた。『幸運の欠片』などと売っていた男だ。今日は半分だけ詰め物の入った片方の靴を掲げている。

「合わないなら私が代わりに合わせます!」

何人かが笑い、何人かは顔をしかめた。ルシが向かおうとしたそのとき、すでに誰かが先に立っていた。昨夜のステップ・テスターの青年だ。彼はパートナーを連れて男の前に立つ。

「いいえ。私たちは私たちの足に合う速度で歩きます。必要なら止まって」

彼は相手に低く尋ねる。「今、一曲大丈夫?」

「大丈夫。ゆっくり」

二人はその場でごく短く回り、止まった。男は無言で靴を下ろす。ラクイナはヴェールの奥で笑みを深める。取引が流れたときの笑み――敗北ではなく、次の手を選ぶ表情。


音楽は三曲目へ。今度は三拍子の長い呼吸。ルシは僕がついて来やすいよう、腰を少し落として肩を開いた。

「ここまで大丈夫?」

「うん。ここからは僕がリードする」

「いいわ」

僕は彼女の手首から肘へ、そして肩へとリードの芯を移す。速度をほんの少しだけ上げた。ルシは瞬時に拍を合わせる。途中で僕がわざと一度揺らすと、彼女が掌で**『止まれ』の合図。僕は止まり**、彼女も止まる。止まった間を人々が通り過ぎる。彼らを送り、僕らはまた始めた。その合間こそ、今日僕らが守りたかったもの――自尊の息だ。


ユキオンナは欄干に腰かけ、足をぶらぶらさせる。いつのまにか彼女の息からも霜が退いていた。

「温もりの文、気に入ったわ」

「今日だけ貸して」ネレイアが笑う。「署名は残す。海は拍手をする」


曲が終わると、管理官がそっとまとめた。

「右へ一歩、さらに踊りたい方は残ってください。帰る方は背の灯をお持ちください。戻るときの道しるべになります」


人々は少しずつ散る。背を返す歩みは薄かったが、その薄さはいやな残りを生まなかった。各自の速度、各自の足。ラクイナは最後までヴェールを解かない。彼女は僕らに一礼した。

「今日は踊りの勝ちね。三拍目、忘れないで。音はまだ私の側だから」

「音と足が同じ側なら」僕は言う。「そのときはあなたも僕らの側だ」

「そんなリズムが来るならね」彼女は笑った。


灯りが落ち、床の文がしだいに薄れていくころ、ルシは隅の小さな卓に座って海の茶を淹れた。

「一口目は――」

「舌の下へ」僕らは同時に言う。

塩ひとつまみのあとに来る香ばしさが、今日はやけに鮮やかだった。僕は舌先の擦れた音節をもう一度取り出す。ラー。まだひと点、掻かれた跡が残っているが、今日はそれすら自分のものに思えた。


ジョラは盾を壁に預け、腕を解す。

「明日は儀式の補正だな?」

「うん」ロウェルがシャンデリアの索を整えながら答える。「今日作った文を装置へ移す。角度と拍を覚えておこう」

ネレイアが頷く。「水は覚えたわ。人より長く覚えるから、明日返す」

ルシは腰から鏡を抜き、掌にのせる。反射した灯が最後にひとつ、目をついた。

「自尊は一人で立てるものだけど」彼女が言う。「見張ってくれる手があると長く保つ」

「じゃあ今日は長持ちだ」僕は盃の底を見せた。「この香ばしさなら」


僕らは欄干に立ち、波が残した拍を聴く。遠くでブイの鐘が三度鳴った。同じ形で砕ける波の合間に、とても薄い空白があった。無造作な空白。明日の装置が入る場所。ラクイナの言っていた三拍目も、僕らが止まると約したその拍も、その空白に収まっていた。


「行こう」ジョラが盾を持ち上げる。

「明日、補正」ロウェルがメモを畳む。

「明日、水」ネレイアが手を振る。

「明日、自尊維持」ルシが最後の灯を落とした。


僕らはホールを出て夜気を吸う。港の匂いは、少しだけあたたかい。今日は踊りが勝ち、明日は装置が後を継ぐ番だ。

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