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第10話「同伴権招待状の裏面」

ガラスの鐘鳴りが夕べじゅう、静かに続いた。風が港をかすめ、細い破片が欄干で一度だけ瞬き、消える。昼より音がおとなしいのは、街が夜の儀式へ息を整えている合図。舞踏会へ向かう人々のつま先は慎重で、長い裾は防波堤の水気を盗むように撫でていった。


「警報は止んだが、破片の回収は足りない」ジョラが盾を壁に立て掛け、手袋を外す。「どこで抜いた型か、厚みがバラだ。急造品だな」


「急造ってことは、原版がある」俺はコーデックスの画面を落とし、卓上の白封筒に目をやった。舞踏会の招待状。表には紺黒の紋と日付、裏は……ガラスのように滑らかだが、光をねじると微かな文字が浮く。


ルシが封筒の縁を指でなぞる。今日は声を惜しんで口数は少ないが、眼差しはいつもより冴えている。「裏面に……薄く隠した条項がある。インクじゃない、ガラス粉で言語を織り込んでる」


「読めるか?」と問うと、ルシはうなずいた。ネレイアが灯台の小型ライトを手渡し、ロウェルは杯をどけてスペースを空ける。


光を当てる。米粒ほどの珠点が線になり、文字に結ぶ。工芸の目に沿った滑らかさ、だが、割れそうな薄さ。


――同伴権(Plus-One):招待状の所持者は一名を「同伴」できる。ただし同伴は〈資格の委任〉ではなく〈責任の共有〉と見なす。同伴者には拒否権を最上位で付与する。足跡で署名すること。


「足跡署名か」俺は笑った。「この街らしい。名前の代わりに、足」


ロウェルが顔を上げる。「同伴権を使えば、〈資格〉の検問を抜けられるってことですか?」


「抜けるんじゃない、別の門を通る」俺は裏面端の微細な穿孔を指す。三点、0|0|0。「〈資格〉の代わりに責任を分け合う合意。こっちには安いし、向こうには安全。誰かの許可だけで連れ込まないって意味でもある」


ネレイアが招待状を取り上げ、ガラス肌を舐めるような指先で撫でる。「じゃあ、同伴は誰? あなたを私の同伴で入れるのは可能よね。私は水上で目立つから」


「可能だ」俺は答える。「ただ一枚しかない。全員で入るなら、招待状と同伴権をもっと確保しないと。その前に、裏に隠した価格も読む必要がある」


ルシが囁く。「代価は“時間”ひとティック。所持者と同伴で各一。拒否権は別枠。同意の順序を守れば、価格はそのまま」


「時間一ティックならいける」ジョラが腕を組む。「敷居は俺が守る。強制引きずり出しは無しだ」


ひと呼吸の間、港の夜に耳を澄ます。ここはいつも音楽が先だ。遠い舞踏会からも、ラフ・マーケットの路地からも、刻まれたリズムが往復する。湯を掛け、小鍋で海茶を二杯ぶん。今日はレモン皮の代わりに、ミントを千切って落とした。嫉妬の塩気を一時だけ鎮める香り。


「契約文の先頭は同意と拒否権」杯を渡しながら言う。「いつも通りにやろう。入る前に、望むこと/望まないことを言語化」


ネレイアが最初に口を開く。「私は……ロウェルの選択を私の手で変えないと、もう一度誓う。剣を持つのは私の手だけど、歩を運ぶのは彼の足。私の同伴がネイサンなら、私の剣は彼の背後。押さない、塞がない。道だけ開ける」


ロウェルが驚いた顔で見回す。「私は……舞踏会では一度も隠れません。必要な言葉は私が言う。その代わり、私が誤った文で門を閉じようとしたら、正してください。ネイサン、お願いします」


「それが俺の役目だ」一口、海茶。「ルシ?」


ルシは少し考え、唇を湿らす。「私は……声を惜しみたい。でも必要なら、また使う。その代わり――あなたが隣で呼吸を支えて。揺れたら、あなたの息を分けて」


「了解」うなずく。「代価は分散、強制なし。ジョラ?」


「二つ」指を二本立てる。「一、物理的強圧の禁止。誰も誰かを引かない。二、撤退権。状況が悪いと判断したら、俺が誰でも即座に引き上げる。これは不交渉」


「その権利はジョラの盾の上に」ネレイアが微笑を隠せない。「いいわ」


杯をそっと当てる。グラスが軽く鳴り、招待状の裏に足形の淡い窓が浮いた。水を刷けば土踏まずの線が現れる仕掛け――遊びに見えて、この街では真正の署名だ。


「問題は、招待状を増やすこと」ロウェルが現実へ戻す。「王宮配布分はもう払底、残りは……ラフ・マーケット」


「露店のは大半が偽物だ」ジョラが顎で窓外を示す。「昼に押収した破片もそう」


「偽でも、裏は見る」俺は光にかざし刻印を確かめる。「本物の裏は『責任共有』が生きてる。贋作は『資格委任』に差し替え。語の一つで値札はひっくり返る」


ルシが小さく笑う。「資格は軽々しくは委ねられない。私も同じ。誰にでも声を預けたりしない」


そのとき、扉が控えめに二度叩かれた。マリアン――ソルト・ギルドの長が半身だけ入ってくる。いつもの強気な顔のまま、口元に悪戯っぽい線。


「よい夜ね」小箱を卓に置く。「ラフ・マーケットの取締りで、混ぜ物を拾った。本物二枚、偽五枚」


「どこで?」ジョラ。


「ガラス横町。下水の通風口の上」マリアンは肩をすくめる。「代わりにお願い。舞踏会の内部図が要ったわよね? 上段の倉庫に写しがある。あなたたち四……いや五人が見やすいように開ける。その代価に、図面と持ち帰った印鑑の真偽、教えて」


「印鑑?」小箱を開ける。ガラス製の小さな印。鏡のように光り、掌に乗せると冷水が巡る感じ。側面に細い環状の線、上に小さな靴の意匠。


「足で署名する街」思わず呟く。「文と印を靴で載せるってわけだ。これで裏口は?」


「正門は開かない」マリアンが真顔に戻る。「代わりに、同伴検問を通過するときの『資格』質問をスキップできる。責任の刻印だから。この街がまだ息をしてる証」


目を合わせる。今が機。裏面を読み切った俺たちは、同伴権で〈資格〉の罠を踏まずに進める。ただし、贋作の選別が要る。真の裏は〈責任〉、偽の裏は〈資格〉だ。


「売り手を辿る」ジョラはすでに一歩、扉へ。「通風口の上なら、下水上がりの線が濃い」


「その前に」俺は掌を上げて止める。「足跡を先に残す。同伴権――俺たちも署名だ」


ネレイアが笑い、靴を脱ぐ。素足がガラスに触れ、微かな湿りが薄い足跡を描く。一押し、一離れ――二度の署名。


「浜で覚えた署名法」いたずらにウィンク。「砂よりガラス板は滑るのね」


ロウェルも靴を脱ぎ、慎重に足跡を。小ぶりだが輪郭が強い――選択の形。ルシは逡巡し、指先で小さな水滴を作り、足跡窓に一滴。「声は惜しむから。代わりに水で署名」


「十分だ」最後に俺の足跡。薄影が重なった瞬間、**裏面の『責任共有』**が一度かすみ、濃さを増す。


「よし」マリアンが光に透かして満足げに頷く。「これは本物。二枚のうち一枚はあなたたちに、もう一枚は私の倉庫閲覧権に。図面と印鑑の鑑別は相互公平で」


「取引成立」手を差し出すと、マリアンが握る。塩とガラス粉の触感が掌に残る。


すぐ動く。ジョラはベルトを締め、ロウェルは印をマントの内ポケットに。ネレイアは海から揚げたような青緑のドレスを腰に掛け、髪を低く束ねる。ルシは燭台の代わりに手鏡。鏡は武器であり仲裁だ。


ラフ・マーケットの路地はまだ明るい。ガラス工たちは夜でも火を落とさず、風には甘い砂の匂い。通風口は角にあり、上には紙とガラスの混載の山が築かれていた。


ジョラが膝をつき、山を掘る。指先が白い糸をつまんだ。端に小珠、その中の極小文字。


「これは……」ルシが寄る。「鏡工房の封印糸。贋作に使ってる。でも、文字が反転してる」


糸を掲げる。鏡越しで読める逆刷り――〈資格委任〉。


「偽の裏だな」ひらりと糸を返す。「こっちは〈責任共有〉、あっちは〈資格委任〉で売る。安い、危ない、甘い」


ロウェルが手を挙げる。「では俺は……先に中へ入り、図面を確認、同伴チェックポイントを内側から見ます。どの程度厳密か、現場が一番早い」


「ひとりで?」ネレイアの目が翳る。


「ひとりじゃない」ジョラ。「俺が外郭。ネイサンが中央。ルシは信号。ネレイアは――」


「敷居」ネレイアが笑みを戻す。「出入りの足を見守る」


役割分担はすぐに決まる。言葉は多いが、どれも短く正確。幾夜も一緒に越えた者の会話だ。


――


舞踏会は港中央のガラス・ドームの下。入口前には足型の判が列び、判ごとに異なる温度の灯が吊る。同伴検問は右、資格検問は左。左の列は長く、右は短い。人は左へ歩きつつ、右を横目で見た。易しそうで難しい道。難しそうで易い道。


ロウェルが右列に立つ。手には俺たちの招待状――裏に四つの足跡。検問官は足を見、透明の台に招待状を置く。下の灯が一度揺れ、均一に光った。


「同伴はどちらに?」検問官。


ロウェルは小さく会釈。「すぐに。私たちは〈責任を共有〉します。〈資格〉は委任しません」


検問官は一瞬だけ俺たちを眺め、ほとんど見えないほどに微笑む。「足跡が語っています。通行を」


一列ずつ、ドームの内へ。空気はガラスの匂いと香油が重なり、楽器は滑らか、床は文字通りきらめく。その上を過ぎると、背に短い鳥肌――視線。背後から、ガラス片のように輪郭のある気配。


「モラスの目でも、鏡の目でも」小声で。「計画どおり進む」


ロウェルは中央階段脇の管理室へ。マリアンの約束の倉庫閲覧権が届く。ネレイアは外側の足跡を見、誰が〈資格〉を声にし、誰が〈責任〉を口にするかを分ける。ルシは鏡を低く持ち、曲に合わせて呼吸を整える。ジョラは外郭で視界を保ち、左列の空気を読む。


そして、俺は右列の端で偽招待状を握る少年を見つけた。まだ幼く、瞳は夜の濃さ。裏面には鏡工房の封印糸――〈資格委任〉。少年は俺たちを見ると息を呑み、逃げようとして――俺は走らず、前に一歩。この街の規則どおり。


「待って」掌を見せる。「資格は売れない。代わりに、責任は分け合える」


少年の瞳が揺れる。「食っていくためで……」


「そうだ」穏やかに。「なら取引しよう。本物一枚と、君の偽五枚の出所」


少年は唇を噛み、やがてうなずく。「下水……通風口の脇。鏡工房の古い作業所。毎晩、誰かが降りてくる」


ジョラはすでに裏路地へ合図。ルシがそばに寄り、囁く。「ネイサン。君の舌先……まだラが、ないまま?」


俺は笑う。「そのうち戻るさ」


楽曲が一度、転調。階段上ではガラスの靴光、階段下では波が低く息をする。俺たちは舞踏会と港を同時に見た。二つの舞台の拍を、同じ者――俺たち――が合わせている確信。


「同伴権、通過」ロウェルが図面を掲げて戻る。「内部構造――同伴チェックポイントがさらに二箇所。偽の流路はその間に挟まってる」


「上等」俺は裏面をもう一度撫でる。「俺たちは資格を問わず、責任を分ける。それが俺たちの、一番固いガラスだ」


夜は深くなる。鐘の音はさらに遠く、街の足跡は物語のように延びる。次の一歩は決まっていた。鏡工房の古い作業所。贋作の原版。そして、〈資格〉を売る手を、〈責任〉の言語へ翻すこと。


それが終われば、破片はもう人を切らない。光だけが残る。

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