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こちら夢守市役所あやかしよろず相談課  作者: 木原あざみ
第一章:ようこそ「あやかしよろず相談課」
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いざ「よろ相」初出勤④

「最上先輩。あの、どうぞよろしくお願いします」

「――って呼ぶな」

「はい?」


 ふいっと目を逸らした先輩が、ぼそりと呟く。聞き取り損ねて、あたしは目を瞬かせた。


「俺はおまえみたいな後輩がいた記憶はねぇし、職場でその呼び方すんな」

「で、でも」

「だいたい、なんだ。先輩って。ここは学校の仲良し部活かなにかか。俺はな、おまえの同僚ではあっても、上司でもねぇし、先輩でもねぇ。おまえの尻拭いは一切しねぇからな。新入り面して甘えてんじゃねぇぞ」

「こら、真晴くん。いいかげんにしなさい」


 七海さんの小さい子を叱るような注意に、だが、大きな子どもは黙り込んだ。

 なに、この人。なんなの、いったい。

 目を白黒させることしかできないあたしに、七海さんが申し訳ないと眉を下げる。


「ごめんね、三崎くん。仕事はできてもこのとおりのコミュニケーション不全で。まぁ、野生動物みたいなもので、しばらく一緒にいたら慣れていくと思うから、それまで我慢してやってくれるかい?」

「おい、ふざけんな! 誰が野生動物だ!」

「きみだよ、きみ。そのバリバリの警戒心とむやみに主張したがる縄張り意識。その上とんでもなく繊細ときた」

「……」

「これで野生動物じゃなかったらなんだという話だよ」


 やれやれと肩をすくめた七海さんを無言で睨んだ先輩が、ふんと鼻を鳴らした。そのまま、あたしたちの脇をすり抜けて先輩の席らしき椅子を引く。


 ……調教?


 これが人慣れた野生動物の姿なんですか、との突っ込みが喉元までせり上がった。だが、七海さんは、よくできましたと言わんばかりの笑みを浮かべている。


「三崎くん、きみの席は真晴くんの隣だ。ちなみに、真晴くんの前が僕の席」

「は、はい」


 ぎこちなく頷いて、あたしは言われたとおりの席に座った。隣の先輩は、頑なにこちらを見ようともしない。

 野生動物。あたしは心のなかで繰り返した。そうだ、野良猫だと思えばかわいいものじゃないか。

 必死で言い聞かせ、国民健康保険課から持ってきた私物の片付けに手を付ける。

 片付けの最後、同期の夏梨ちゃんに去年の誕生日に貰ったマグカップを机に置き、あたしはほっと瞳をゆるませた。ちょっと間の抜けたハリネズミのイラストが最強にかわいい。前の課にいたときも、嫌なことがあったときはこの顔に癒されていたのだ。

 同じ動物でもこっちはかわいいのに。などと思いながら指先でハリネズミを撫でる。


「ん?」


 胡乱な視線を感じ、あたしは顔を上げた。もしかして、うっかり声に出ていたのだろうか。


「あ、あの、その、どうかしましたか?」


 引きつりそうな笑顔で首を傾げると、無言で視線を外されてしまった。


「えぇと、これ、同期の子から貰ったハリネズミなんですけど。そのかわいくないですか? この、警戒心ビリビリな感じ……」


 必死で取り繕っているうちにどつぼに嵌まった気がして、方向転換を試みる。


「いや、あの、先輩みたいだって言ってるわけじゃないですよ」


 あ、ヤバい。間違った。悟ったときには七海さんは肩を震わせていて、先輩の眉間は見事に皴が一本増えていた。


「真晴くんもハリネズミくらいのかわいさだったらよかったのにねぇ」


 フォローのつもりなのか、七海さんがそんなことを言う。笑いたいのを堪えたような声でしかなかったし、もう片方は無視を貫いているのだから、どうしようもない。

 あははと乾いた声で笑って、あたしは手に取っていたマグカップをそっと元の位置に戻した。いつもは癒されるハリネズミちゃんの顔が嘲笑っているように見える。重症だ。


 ――始業もまだなのに、大丈夫かな、これ。


 机の下で胃を撫でさすっていると、ガチャリとドアが開いた。チャイムの鳴る二分前である。


「よし、間に合った!」


 朗々とした声とともに入ってきたのは、五十代半ばといったところの男の人だった。


「そのようですね。一分四十五秒前です」

「あいかわらず七海は細かいなぁ。間に合ったんだからいいじゃないか。お、そうだ。今日から三崎くんが来てるんだったな」


 その言葉に、あたしは慌てて席を立った。


「あぁ、大丈夫、大丈夫。座っていてくれたらいいから。今日からよろしく。私が課長の高階です」

「はい、よろしくお願いします!」


 頭を下げながら、あたしは心の底からほっとした。課長の明るくも優しい笑顔に胃の痛みが消えていく。

 七海さんといい、課長といい、みんなとても優しそうだ。


 ――やっぱり、噂だけで変なところだって決めつけちゃ駄目だなぁ。


 墓場だなんて聞いていたから、閉鎖的で偏屈な人が多いところを想像してしまっていたのだ。偏見はよくない。うんうんと頷いてから、内心で首を傾げる。


 ……もしかして、課長も七海さんも本館に顔を見せないから、唯一出現する先輩の妙なところが目に付いて、とんでもない職場のように言われているのでは。


 思いついてしまった疑惑を、あたしは慌てて打ち消した。有り得そうで笑えない。


「七海から説明があったと思うけど、仕事にはゆっくり慣れてくれたらいいからね。きみ個人に任せるような大きな仕事も今のところはないし。基本的には電話番だ」

「電話番、ですか?」

「そう、電話番。ここの課の一番大事な仕事はね。かかってくる電話を絶対にないがしろにしないということなんだ」


 なんといってもうちは「よろず相談課」だからね、と課長が言う。よろず相談。有海さんも、そんなふうにあたしを諭してくれたっけ。

 行政の隙間に落ちてしまいかねない声を拾い上げる最後の砦。すごく市民に寄り添った仕事ができる課だと思うわ。そう言ってくれた。


「ここにかかってきた電話を、どこかの課に押し付けるようなことは絶対にしない。必ずうちの課で対応して解決する」


 自信たっぷりの顔で課長は言い切った。なんだかすごく頼もしい。あたしは「はい」と頷いた。隣から響いた溜息は聞こえないことにして。

 その返事に満足そうに課長がほほえむ。


「うん。それがきみの仕事だよ」


 あたしの、新しい仕事。

 まだわからないことだらけではあるものの、そんなふうに課長が考えておられる場所で働くことができることは素直にうれしい。だから、あたしはもう一度しっかりと大きく頷いた。


「よろしくお願いします!」

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