稲荷神社の夏祭り④
「人数も少ない弱小チームだったけどね。練習が忙しくなって、……それで、このお祭りも来なくなったんだったな」
「楽しかったのか?」
「弱いなりにね。仲間と一緒にやるのは楽しいよ。うちの中学はどの学年も一クラスしかないようなところだったから。みんな子どものころからの顔見知りで、妙な上下関係も存在しなかったしね」
――そうか。楽しかったのか。
「高校でもやってたのか?」
「まぁね。俺は最上たちとは違って南高だったけど、あんまり強くはなくてね。万年初戦負けのチームだったけど、それでも三年間やったよ」
――そうか。
神様の優しい声が響く。まるで神様と静山さんが会話をしているみたいだった。
「それで、大学で県外に出たっつうのに、物好きに戻ってきたんだよな、おまえは」
「それは最上もだろ。この地を選んだっていうのは一緒だ」
「……俺の話はいいんだよ。おまえの話だ」
「似たようなものだと思うけどな」
そう言って、静山さんは境内を見渡した。
「なんだかんだ言っても、この場所が好きだからだよ」
――そうか。
「そうかよ」
「うん。まぁ、はっきり言うと照れるけどな。でも、まぁ、そういうことだよ」
――ゆうた。
それは、母親が幼子に向けるような優しい声だった。
神様にとってあたしたちは、本当に小さな子どものような存在なのだと思い知る。
静山さんを見つめる紅い瞳も、たまらなく優しかった。静山さんに見えていないことが、もったいないくらいに。
――大きくなったな。
その一言を最後に、ふわりと神様が先輩の肩から浮き上がる。零しそうになった声を、あたしは慌てて呑み込んだ。
視線は誤魔化しようがないくらい、上空に浮かぶ神様を追ってしまっていたけれど。
いたずらな笑みを残し、神様は社の屋根にふわふわと上っていく。そうして姿が見えなくなった。どこに行ったのだろう、と。目を凝らしたのもつかの間。
社の屋根の一角に、ぽわりとした優しい灯りが集まり始めていることに気がついて。あぁ、と思う。
そこだったら、みんなが見えるとわかったからだ。静山さんだけではなく、この祭りにきたみんなの顔が。
甚平を着た子どもが楽しそうな声を上げながら、あたしたちの脇を走り抜けていく。元気だなぁと静山さんが笑う。
じんわりと滲みそうになった視界に、あたしはぶんぶんと頭を振った。ここで泣いたら、完全なる変人だ。
先輩から突き刺さる冷たい視線が、妙なことをするな、言うなと言っている。わかってますよと頷いたものの、泣き笑いの笑顔になってしまった。
「ガキでもできたら、連れて来てやれよ」
「最上にそんなことを言われるとは思わなかったな。でも、そうだな。引き継いでいかないとな、こういった地域の行事も」
「そう……ですよね」
恥ずかしい話ではあるものの、今の課に配属されるまで、そういったことをしっかりと考えたことはなかった。
だが、それが事実なのだ。意識して引き継いでいかないと廃れてしまう。そのことを、あたしたちは知っておかなければならないのだと思う。
じっと上空を見上げたまま、先輩が問いかけた。
「なぁ、静山。この祭り、なんで行われてるのか、知ってるか?」
「そういや知らないな。最上は知ってるのか?」
「昔、人間のために死んだ狐の葬いだ」
淡々とした言葉に、はっとして視線を向ける。分厚い眼鏡ともっさりとした前髪で、ほとんど表情を覆い隠された横顔。どんな顔をしているのかは、想像することしかできない。
けれど、声同様の静かな顔をしているのだろうなと思った。
社の屋根の周辺には、ぽわぽわと明るい光の玉が浮かんでいる。そこにいる神様は、なにを思っているのだろう。
人間を守って死んでしまった狐を崇め、神に祭り上げた人間。そしていつしか、そのことを忘れてしまったあたしたち。
「そうだったのか」
静山さんの声が響く。賑やかだった境内の音が遠いたような感覚に、あたしは周囲を見渡した。
けれど、なにも変わってはいなかった。
母親にヨーヨーすくいをしたいと強請る子ども。石段に座って団扇で扇ぎ合っているおじいちゃんとおばあちゃん。少ない屋台を吟味して回っている小学生くらいの女の子三人組。
「知らなかったな。いや、もしかしたら、小さいころにじいちゃんに聞いたことがあったのかもしれないけど」
べつに無理はねぇよ、と。責める色のいっさいない調子で先輩が言う。本当に心の底から先輩はそう思っているみたいだった。
「笑って楽しんで、それで、ほんの少し感謝の念を持っていればいい。あいつらは忘れ去られることを一番怖がってるんだ」
「そうか。誰だって、忘れられるのは怖いよな」
納得したように頷いて、静山さんは境内を眺める。
そこにはきっと、忘れていたものも含めて、静山さんの過去があるのだろう。静山さんが覚えていなくても、神様と交わった時間はある。あたしと先輩は知っている。これからも覚えている。
そして、あたしたちが生きているあいだは、きっと神様も。それだけでいいのかもしれない。
そうだよねと同意を求めるように、あたしは夜を見上げた。光の玉は蛍のようにも、明るすぎる星のようにも見える。
誰かの記憶から自分が消え失せてしまうことは、とても怖いことだ。




